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番外編
君の隣で 3
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小一時間程四人で歓談した後、俺と奏音は富沢家をお暇した。出産も過去と向き合うことも、変わってやることができないと秘かに洩らす富沢の、なぎささんへの想いがやるせなく、せめて自分は二番目の存在だと誤解している彼女に、その事実だけでも伝えたくなった。
「辛くなったら一人で抱え込まないで。なぎささんを傷つける全てのものから守りたいくらい、富沢はなぎささんのことがこの世で一番好きだから」
奏音のあっけらかんとした言葉で、肩の力が抜けたようでも、どこか心細げななぎささんを安心させたくて、富沢の本心を分かって欲しくて、俺はついそんなことを話していた。ちょっとくさかったかもしれない。
「おい、高梨!」
きょとんと首を傾げるなぎささんの横で、富沢は珍しく慌てた素振りを見せた。
「修司さんには大切にしてもらっています。だから私は今のままで充分です」
筋金入りの勘違いに、一瞬にして富沢の表情が曇る。
「俺も偉そうなことを言えた立場じゃないけど、つきあいの長さが想いの深さと同じとは限らないよ。共に過ごした時間は短くても、忘れさせてくれない人っていると思うし」
はっとしたように富沢夫妻は揃って息を飲む。奏音がそっと俺の腕に手を添えた。
「一度は嘘をついても、裏切るような真似をしても、自分の気持ちは誤魔化せない。一番好きな人の元に戻るよ」
「でも、修司さんは……」
困ったように俺と富沢の間に視線を行き来させるなぎささん。方向性は違えど、この人は自分が報われることよりも、富沢が彼らしくいることを願っているんだろう。
「過去に富沢には想う人がいたかもしれない。でも彼はなぎささんをその人の代わりにできるほど、狡くも器用でもないんじゃない?そんなことをするくらいなら、こいつは一生女嫌いで通すでしょ?」
「あ……」
腑に落ちたのかなぎささんは片手で口元を覆った。
「なぎささんは今の富沢に不満がないんだよね。でも富沢は? 俺が名前を呼ぶ度に威嚇してくる程度には、なぎささんへの独占欲でいっぱいなんだよ」
「いい加減にしろ、高梨!」
耳をほんのり赤くした富沢が可愛い、じゃなくて遮って、俺は自分の腕を温めている奏音の手に触れた。
「後悔はいつでもできる。そしてやり直すことだって何度でもできる。でも失ってからじゃ遅いんだ」
俺は静かに笑んだ。奏音を支えてくれたなぎささんなら分かる筈だ。誰かと二人で明日を迎えられることが、どんなに嬉しいことかを。
「富沢を信じてやってくれないかな」
余計なことをしたのかもしれない。信じているからこそ、二番目でも添い遂げようと決めたのだろうし。けれど例えば死という形ではなくても、人には様々な別れがつきまとう。それがもし明日二人に起こったのならば、永遠にお互いへの想いを知らぬままになってしまう。
「夫婦の問題に首を突っ込み過ぎたかな」
まだ陽が落ちるには早い帰り道。先程の住宅街を反対に辿りながら、俺はぽつりと零した。十組の男女がいれば、十通りの考え方も愛情の示し方もある。俺は自分の境遇にに当てはめて、要らぬお節介を焼いてしまったのではなかろうか。
「俺に何か言われたら、きっと反論し辛いよなあ」
玄関で見送ってくれた富沢となぎささんの、神妙な顔つきが脳裏に蘇る。やはり押しつけがましかったかも知れない。
「そう言って塔矢が自分の言葉を飲み込んだら、二人はもっと傷つくんじゃない? 遠慮させた、気を使わせたって」
ずっと黙っていた奏音が口を開いた。
「それが塔矢の優しさからくるものだって、私も富沢さん達もちゃんと分かってる。だけど相手を思って取った言動と、相手が自分に望むことは必ずしも一致しない。富沢さんとなぎささんが正にそうだよね?」
そして私と塔矢も、と続ける。
「好きなのに、その好きな人を大切にするあまり泣いたり泣かせたり、しなくてもいい我慢をしたりさせたりするのって、私の中では結局不幸せでしかないもの」
「確かに良かれと思ってしたことでも、自己満足ってことになるのかな」
うーんと唸る俺を余所に、奏音はある一件の家の前で足を止めた。夕食用だろうか。庭先でバーベキューの準備をしている家族がいた。鉄板や網をセットする父親と男の子、切り分けた食材を持つ母親と女の子。
「私ね、塔矢と何気なく描いていた未来が好きだった。釣り道具を準備する塔矢と、苦手なお弁当を作る私と、それぞれのお手伝いをする二人の子供」
どんなに努力しても、俺が叶えてあげられない未来。
「こうした家族連れを目にすると、いいなあって気持ちが湧くのは嘘じゃない。塔矢の子供を抱っこしてみたかったしね」
子供のことについて奏音が率直に思いを吐露するのは、病院で再会してから初めてのことではないだろうか。極力避けたりしない代わりに、わざわざ話題に上らせることもなかった。
「もしかしたら他の誰かと結婚しても、それなりに穏やかな毎日を送っていたのかもしれないし、子供を育てる忙しいママになっていたかもしれない」
いざ奏音の口から聞くと、心臓を握り潰されたかのように呼吸が苦しくなる。
「でもきっとそれは不幸じゃなくても、幸福でもないような気がするんだよね。塔矢と夢見た暮らしは、絶対塔矢としか作れないというか、子供がいればいいわけじゃないというか……ごめんね。何だか上手く言えないんだけど」
一所懸命な奏音に、今度は切ないくらい心が満たされてゆく。
「要するに私もなぎささんも現在進行形で幸せなんだから、夫チームは変に勘繰らないで、俺もお前が大好きだーってめいっぱい顕してくれてたらOKなの」
そうして薄闇が降りてくる中、奏音は俺と手を繋いで再び歩き出す。形は大きく変わってしまったけれど、新たに築き始めた二人の家へと。
「辛くなったら一人で抱え込まないで。なぎささんを傷つける全てのものから守りたいくらい、富沢はなぎささんのことがこの世で一番好きだから」
奏音のあっけらかんとした言葉で、肩の力が抜けたようでも、どこか心細げななぎささんを安心させたくて、富沢の本心を分かって欲しくて、俺はついそんなことを話していた。ちょっとくさかったかもしれない。
「おい、高梨!」
きょとんと首を傾げるなぎささんの横で、富沢は珍しく慌てた素振りを見せた。
「修司さんには大切にしてもらっています。だから私は今のままで充分です」
筋金入りの勘違いに、一瞬にして富沢の表情が曇る。
「俺も偉そうなことを言えた立場じゃないけど、つきあいの長さが想いの深さと同じとは限らないよ。共に過ごした時間は短くても、忘れさせてくれない人っていると思うし」
はっとしたように富沢夫妻は揃って息を飲む。奏音がそっと俺の腕に手を添えた。
「一度は嘘をついても、裏切るような真似をしても、自分の気持ちは誤魔化せない。一番好きな人の元に戻るよ」
「でも、修司さんは……」
困ったように俺と富沢の間に視線を行き来させるなぎささん。方向性は違えど、この人は自分が報われることよりも、富沢が彼らしくいることを願っているんだろう。
「過去に富沢には想う人がいたかもしれない。でも彼はなぎささんをその人の代わりにできるほど、狡くも器用でもないんじゃない?そんなことをするくらいなら、こいつは一生女嫌いで通すでしょ?」
「あ……」
腑に落ちたのかなぎささんは片手で口元を覆った。
「なぎささんは今の富沢に不満がないんだよね。でも富沢は? 俺が名前を呼ぶ度に威嚇してくる程度には、なぎささんへの独占欲でいっぱいなんだよ」
「いい加減にしろ、高梨!」
耳をほんのり赤くした富沢が可愛い、じゃなくて遮って、俺は自分の腕を温めている奏音の手に触れた。
「後悔はいつでもできる。そしてやり直すことだって何度でもできる。でも失ってからじゃ遅いんだ」
俺は静かに笑んだ。奏音を支えてくれたなぎささんなら分かる筈だ。誰かと二人で明日を迎えられることが、どんなに嬉しいことかを。
「富沢を信じてやってくれないかな」
余計なことをしたのかもしれない。信じているからこそ、二番目でも添い遂げようと決めたのだろうし。けれど例えば死という形ではなくても、人には様々な別れがつきまとう。それがもし明日二人に起こったのならば、永遠にお互いへの想いを知らぬままになってしまう。
「夫婦の問題に首を突っ込み過ぎたかな」
まだ陽が落ちるには早い帰り道。先程の住宅街を反対に辿りながら、俺はぽつりと零した。十組の男女がいれば、十通りの考え方も愛情の示し方もある。俺は自分の境遇にに当てはめて、要らぬお節介を焼いてしまったのではなかろうか。
「俺に何か言われたら、きっと反論し辛いよなあ」
玄関で見送ってくれた富沢となぎささんの、神妙な顔つきが脳裏に蘇る。やはり押しつけがましかったかも知れない。
「そう言って塔矢が自分の言葉を飲み込んだら、二人はもっと傷つくんじゃない? 遠慮させた、気を使わせたって」
ずっと黙っていた奏音が口を開いた。
「それが塔矢の優しさからくるものだって、私も富沢さん達もちゃんと分かってる。だけど相手を思って取った言動と、相手が自分に望むことは必ずしも一致しない。富沢さんとなぎささんが正にそうだよね?」
そして私と塔矢も、と続ける。
「好きなのに、その好きな人を大切にするあまり泣いたり泣かせたり、しなくてもいい我慢をしたりさせたりするのって、私の中では結局不幸せでしかないもの」
「確かに良かれと思ってしたことでも、自己満足ってことになるのかな」
うーんと唸る俺を余所に、奏音はある一件の家の前で足を止めた。夕食用だろうか。庭先でバーベキューの準備をしている家族がいた。鉄板や網をセットする父親と男の子、切り分けた食材を持つ母親と女の子。
「私ね、塔矢と何気なく描いていた未来が好きだった。釣り道具を準備する塔矢と、苦手なお弁当を作る私と、それぞれのお手伝いをする二人の子供」
どんなに努力しても、俺が叶えてあげられない未来。
「こうした家族連れを目にすると、いいなあって気持ちが湧くのは嘘じゃない。塔矢の子供を抱っこしてみたかったしね」
子供のことについて奏音が率直に思いを吐露するのは、病院で再会してから初めてのことではないだろうか。極力避けたりしない代わりに、わざわざ話題に上らせることもなかった。
「もしかしたら他の誰かと結婚しても、それなりに穏やかな毎日を送っていたのかもしれないし、子供を育てる忙しいママになっていたかもしれない」
いざ奏音の口から聞くと、心臓を握り潰されたかのように呼吸が苦しくなる。
「でもきっとそれは不幸じゃなくても、幸福でもないような気がするんだよね。塔矢と夢見た暮らしは、絶対塔矢としか作れないというか、子供がいればいいわけじゃないというか……ごめんね。何だか上手く言えないんだけど」
一所懸命な奏音に、今度は切ないくらい心が満たされてゆく。
「要するに私もなぎささんも現在進行形で幸せなんだから、夫チームは変に勘繰らないで、俺もお前が大好きだーってめいっぱい顕してくれてたらOKなの」
そうして薄闇が降りてくる中、奏音は俺と手を繋いで再び歩き出す。形は大きく変わってしまったけれど、新たに築き始めた二人の家へと。
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