四角な彼は凩さん

文月 青

文字の大きさ
上 下
5 / 30
日和編

5

しおりを挟む
自宅から自転車で十分のコンビニに採用されたのは、凩さんが出張から戻ってきた翌日だった。彼に求人募集の張り紙を見たと教えられ、速攻で面接を申し込んだらOKを貰ったのだ。基本は日勤だが、都合がつくなら遅番も可能だという。時給もアップするし勤務時間も増える。つまり一石二鳥。

「却下です」

しかしその日の夜、採用の報告がてら遅番勤務を希望する旨を告げた矢先、凩さんにあっさり反対されてしまった。

「長閑さんは二十歳の女の子なんです。しかも通勤は自転車です。夜中に何かあったらどうするんです」

「たった十分の距離ですよ?」

「駄目です」

夕食に使った食器やキッチンを片付け、最後に洗った布巾を干したところで、凩さんはコーヒーとココアのカップを手に私の隣に座った。自分のみがご飯を頂くのは気が引けると伝えたら、時間が許せば一緒に食事をしてくれるようになった。

「危機回避も大事な仕事ですよ」

諭してからコーヒーを一口含んだ凩さんに、私はぷーっと頬を膨らませた。

「凩さんが帰っちゃうから、どうせ夜は一人ですもん。だったら仕事をしていた方が淋しくないし、お金も稼げるし」

せめて凩さんが用意してくれた食材の代金だけでも、感謝の気持ちと共になるべく早く返したい。そんで凩さんが来てくれるときに、ちゃんと家で待っていたい……愛人の発想でしょうか、これ。いえ父を、いえいえ兄のご飯を待つ妹です!

「そういうことを簡単に男に言ってはいけません。相手が勘違いしたらどうするんです」

「凩さんは勘違いするんですか?」

「全く」

「じゃあ問題ありませんよ」

顔色一つ変えない。漫画みたいにコーヒーを吹き出すこともない。なのにどこか困っているふうなのは何故だ。

「第一昼夜逆転では、ますます食生活が乱れるでしょう」

彼が難色を示す理由の一つは、無頓着小娘が健康を損なうことらしい。保健の先生みたいだ。

「そもそも長閑さんはこれまで食事はどうされていたんですか? 外食やお弁当を購入していたとは、到底思えませんが」

自炊は論外ですしね。私は両手でカップを持ってココアを飲んだ。推測通り一人暮らしを始めてから、自分の意思で外食をしたことはない。つきあいもあるので新年会や忘年会など、会社絡みの食事会や飲み会には参加したが、それ以外はスーパーのお惣菜も冷凍食品も、なるべく買わないように心がけていた。そのため主食であるお米だけは切らさない。

「ごはんにふりかけや海苔の佃煮、納豆をかけて食べていましたね。お昼はおにぎりらしき物を持っていって、日曜日のお昼は目先を変えて食パンにマヨネーズとか」

「他におかずという物は?」

「ないです。どうせ作れないし。その分突然の出費に備えたいし」

よく無事でしたねと凩さんがこめかみを押さえた。すみません、私にあるのは若さと働く意欲だけです。女らしさや一般常識は期待しないで下さい。まあ絶対してないな。

「そういう凩さんこそ、何故てきぱき家事がこなせるんですか?」

私としてはこっちの方が遥かに気になる。

「この年まで独身でいれば自然に身に着きます。生きていく知恵とでも申しましょうか」

家事が得意な男性は沢山いるだろうが、ここまできっちりこなせる人は少ない筈だ。ひとえに凩さんの性分故だと思う。でも独身だとはっきり分かってちょっと安心。

「何を笑っているんです?」

「凩さんが独身で良かったなあって」

怪訝な表情の凩さんを見上げる。昨日抱き着いたときにも感じたのだけれど、彼は意外に背が高く体も筋肉質だった。出会ってから特に意識したことはないが、こうして並んでいるとやはり男の人だ。しかも眼鏡のフレームにかかる髪が、とってもさらさらで羨ましい。

「会社でも実家でも早く結婚するよう迫られているので、よもや喜ばれるとは考えてもいませんでした」

「だって奥さんがいたら、私は凩さんに会ってはいけないでしょう?」

「ああ、成程。疚しいことがなくとも男女である以上、不貞行為に該当するという判断ですね」

ふむ、と頷く凩さん。ちなみに今日は土曜日だが、彼は休日出勤した為いつものスーツ姿だ。さーっと現れて家事をして、夜の九時前にはまたさーっと帰ってゆく。時間にきっちりしているあたり、凩さんの凩さんたる所以。

「うちに来ると、これまでより帰りが遅くなりますよね。お家の人に叱られませんか?」

「三十の男はさすがに叱られません。そもそも長閑さん同様一人暮らしですから」

いつも整理整頓されている部屋が脳裏に浮かぶ。忙しかろうと暇であろうと、毎日掃除して洗濯して料理して。塵一つない部屋で、美味しいご飯を食べているのだろう。

「明日はお昼前に伺いたいのですが、食べたい物はありますか?」

空になった私のカップに手を伸ばしつつ、凩さんが当然のように問う。私は目を瞬いた。休日まで私につきあってくれるというのだろうか。

「長閑さんは今後土、日もお勤めでしょう。私とは休日が合わなくなりますので、この機会にじっくり掃除しておきたいのです」

出張で留守にして凝りましたと締めくくる。呆れられているのは明確なのに、私は嬉しくて顔が綻んでゆくのを止められなかった。

「どうしました?」

「二人って何だかいいですね」

ふふっと笑いを洩らしたら、手がつけられないというふうに凩さんは天井を仰いだ。

「蜘蛛の巣を発見しました」

すかさずはたきを手に取るあたり、やはり凩さんだ。


しおりを挟む

処理中です...