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日和編
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九月最後の土曜日。仕事を終えてコンビニの外に出ると、一時間前に上がった筈の篠原さんと、その頃たまたま買物に来た休日の道重さんが、駐車場でにやにやしながら立っていた。嫌な予感を覚えて真っすぐ自転車を取りにいけば、二人は簡単に私を捕まえて道重さんの車に押し込んだ。
「吐いて頂きましょう」
派手な車の助手席に座らされ、運転席と後部座席から顔を覗き込まれる。事の発端は篠原さんの終業時間の直前、私を食事に誘う為に道重さんが来店したときのことだった。
「せっかく誘って頂いたのにすみません。私は家に帰って食べますので」
会社での凩さんの話を聞きたくはあったが、その当人がそろそろ私の部屋を訪れる予定だ。他の人と食事をしている場合じゃない。ただでさえ休日が被らなくて夜しか会えないのだから。
「私と二人で緊張するなら、そちらのお兄さんも一緒にどう? もちろん驕りよ」
篠原さんは俺は構いませんけどと答えてから、不思議そうに横で鼻を鳴らした。
「ボケひよはどうせ料理しねーんだろ。帰って何食うんだよ」
「何って、凩さんのご飯です」
「は?」
あまりにも私の返事が意外だったらしく、二人は目を大きく見開いて動きを止めた。ちょうど交代のバイトが出勤してきたので、篠原さんと道重さんは阿吽の呼吸でレジ前から離れた。よもや手ぐすね引いて待っていたとは思わなかった。
職場の駐車場を占拠するのは拙いだろうと、道重さんは一キロ先にある系列外のコンビニに車を走らせた。店内で煙草を買って戻ったものの、これもある意味営業妨害ではなかろうか。
「吐くも何もさっき話したまんまです。凩さんが晩ご飯を作りに来てくれるので、私は図々しくお相伴に預かっています」
脚色せずにありのままを伝えると、道重さんは呆気に取られたように口を開いた。
「作りにって、まさか凩くん、日和ちゃん家に出入りしてるの?」
誤解を与えそうだったので、慌てて出会ってから今日までの経緯を教える。凩さんは人助けをしているだけで、私を育成、いやいやロリコンではないときちんと釘も差して。
「正しく飼育だわね。凩くんにこんな趣味があったとは」
やれやれと道重さんは肩を竦めた。
「真面目な男なら、一人暮らしの女の家に入り浸るとかありえねーだろ」
後部座席からはつくづくお前は馬鹿だと暴言が飛ぶ。
「下心満載の篠原さんと一緒にしないで下さい。凩さんは無体な真似は一切していませんし、毎回夜の九時には帰るんですから」
「ガキか!」
今度は二人同時に喚かれた。
「密室で毎夜過ごしているのに、それ絶対おかしいから。大体凩くんのマンション、ここからさほど遠くないのよ。なのにそんな時間に帰るとかないわー」
「そうなんですか?」
「当たり前でしょ。二人っきりなのよ?」
「いえ、マンションのことですが」
話が別の方向に流れていきそうだったので、とっさに軌道修正を試みると、道重さんは食いつくのはそこかいと項垂れた。
「通勤に楽だからって、車で十五分くらいの所に住んでるわよ。これがまた無駄に清められた部屋でね。落ち着かないったらありゃしない」
いろんな意味でちょっとショックだった。勤務先が近いこともそうだが、マンションのことまで隠されていたとは。凩さんは私にプライベートを知られたくないのだろうか。まさかたかりに行くとでも思われている?
しかも同僚で、つきあいの長さも深さも叶わないとはいえ、道重さんは清められた部屋に招かれ、公私共に凩さんの事情を把握しているのだ。
「すきま風のおっさん、不能なの?」
「それはないです」
不届きな発想に塗れた篠原さんに、凩さんの名誉を守るべく私は断言した。彼はまたにたりと意地悪げに口の端を上げる。
「やっぱりボケひよ、あのむっつりおっさんと」
「違います。若気の至りです」
鼻息荒く篠原さんの頭を叩いたら、意味が通じたのか道重さんは踏ん反り返って爆笑したが、
「私をおばさんと呼んだら承知しないわよ」
冷気漂う笑みを浮かべて凄んでいた。
「まあ凩くんは一時期、社内の肉食女子に狙われていたからね。食う側も食われる側も経験してるからこそ、羊の皮を被ってるんでしょう。私はタイプじゃないけど、そこそこ顔もいいし、仕事もできるし」
「それで家事万能とくれば、適齢期のお姉様方が逃がさないか。そういう環境に無縁なボケひよに興味が湧くのも、男としては分からないでもないな」
「肝心の当人同士が、全く自覚していないのがもどかしいというか」
「馬鹿馬鹿しいっすね」
あーあと篠原道重コンビがぼやいていたけれど、私は自分の放った一言で先日の凩さんの姿が脳裏に蘇り、二人の会話など何一つ耳に入っていなかった。
ただいずれ凩さんにお世話になった分は、ちゃんとお返しするつもりだと告げたら、道重さんは腕組みをして唸った。
「具体的な金額というか、少なくともお金で気持ちを表すのはやめた方がいいわ。おそらく凩くんでも傷つくと思うから」
貧乏人からするとお金はありがたいものだが、そこそこお金を持っている人の解釈はまた違うらしい。無知な私は素直に頷いておいた。
「吐いて頂きましょう」
派手な車の助手席に座らされ、運転席と後部座席から顔を覗き込まれる。事の発端は篠原さんの終業時間の直前、私を食事に誘う為に道重さんが来店したときのことだった。
「せっかく誘って頂いたのにすみません。私は家に帰って食べますので」
会社での凩さんの話を聞きたくはあったが、その当人がそろそろ私の部屋を訪れる予定だ。他の人と食事をしている場合じゃない。ただでさえ休日が被らなくて夜しか会えないのだから。
「私と二人で緊張するなら、そちらのお兄さんも一緒にどう? もちろん驕りよ」
篠原さんは俺は構いませんけどと答えてから、不思議そうに横で鼻を鳴らした。
「ボケひよはどうせ料理しねーんだろ。帰って何食うんだよ」
「何って、凩さんのご飯です」
「は?」
あまりにも私の返事が意外だったらしく、二人は目を大きく見開いて動きを止めた。ちょうど交代のバイトが出勤してきたので、篠原さんと道重さんは阿吽の呼吸でレジ前から離れた。よもや手ぐすね引いて待っていたとは思わなかった。
職場の駐車場を占拠するのは拙いだろうと、道重さんは一キロ先にある系列外のコンビニに車を走らせた。店内で煙草を買って戻ったものの、これもある意味営業妨害ではなかろうか。
「吐くも何もさっき話したまんまです。凩さんが晩ご飯を作りに来てくれるので、私は図々しくお相伴に預かっています」
脚色せずにありのままを伝えると、道重さんは呆気に取られたように口を開いた。
「作りにって、まさか凩くん、日和ちゃん家に出入りしてるの?」
誤解を与えそうだったので、慌てて出会ってから今日までの経緯を教える。凩さんは人助けをしているだけで、私を育成、いやいやロリコンではないときちんと釘も差して。
「正しく飼育だわね。凩くんにこんな趣味があったとは」
やれやれと道重さんは肩を竦めた。
「真面目な男なら、一人暮らしの女の家に入り浸るとかありえねーだろ」
後部座席からはつくづくお前は馬鹿だと暴言が飛ぶ。
「下心満載の篠原さんと一緒にしないで下さい。凩さんは無体な真似は一切していませんし、毎回夜の九時には帰るんですから」
「ガキか!」
今度は二人同時に喚かれた。
「密室で毎夜過ごしているのに、それ絶対おかしいから。大体凩くんのマンション、ここからさほど遠くないのよ。なのにそんな時間に帰るとかないわー」
「そうなんですか?」
「当たり前でしょ。二人っきりなのよ?」
「いえ、マンションのことですが」
話が別の方向に流れていきそうだったので、とっさに軌道修正を試みると、道重さんは食いつくのはそこかいと項垂れた。
「通勤に楽だからって、車で十五分くらいの所に住んでるわよ。これがまた無駄に清められた部屋でね。落ち着かないったらありゃしない」
いろんな意味でちょっとショックだった。勤務先が近いこともそうだが、マンションのことまで隠されていたとは。凩さんは私にプライベートを知られたくないのだろうか。まさかたかりに行くとでも思われている?
しかも同僚で、つきあいの長さも深さも叶わないとはいえ、道重さんは清められた部屋に招かれ、公私共に凩さんの事情を把握しているのだ。
「すきま風のおっさん、不能なの?」
「それはないです」
不届きな発想に塗れた篠原さんに、凩さんの名誉を守るべく私は断言した。彼はまたにたりと意地悪げに口の端を上げる。
「やっぱりボケひよ、あのむっつりおっさんと」
「違います。若気の至りです」
鼻息荒く篠原さんの頭を叩いたら、意味が通じたのか道重さんは踏ん反り返って爆笑したが、
「私をおばさんと呼んだら承知しないわよ」
冷気漂う笑みを浮かべて凄んでいた。
「まあ凩くんは一時期、社内の肉食女子に狙われていたからね。食う側も食われる側も経験してるからこそ、羊の皮を被ってるんでしょう。私はタイプじゃないけど、そこそこ顔もいいし、仕事もできるし」
「それで家事万能とくれば、適齢期のお姉様方が逃がさないか。そういう環境に無縁なボケひよに興味が湧くのも、男としては分からないでもないな」
「肝心の当人同士が、全く自覚していないのがもどかしいというか」
「馬鹿馬鹿しいっすね」
あーあと篠原道重コンビがぼやいていたけれど、私は自分の放った一言で先日の凩さんの姿が脳裏に蘇り、二人の会話など何一つ耳に入っていなかった。
ただいずれ凩さんにお世話になった分は、ちゃんとお返しするつもりだと告げたら、道重さんは腕組みをして唸った。
「具体的な金額というか、少なくともお金で気持ちを表すのはやめた方がいいわ。おそらく凩くんでも傷つくと思うから」
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