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私が結婚をしていた事実を知っている人は意外に少ない。何故なら周囲にお披露目する前に別れてしまったからだ。親の世代には成田離婚なるものがあったそうだが、早い話私と遥も三ヶ月しかもたなかった。
「で、あなたはどうしてまたこんな所にいるんでしょうか?」
会社を出るなり、また待ち伏せしていたらしい遥の姿を見つけ、私はうんざりしてぼやいた。昨日秋ちゃんに釘を刺されたのに、全く聞く耳を持っていない。
「明日は土曜日で仕事は休みだろう? 一度飯でも食わないか」
だからどうしてそうなるのか。あんた私よりも馬鹿だな?
「お断りします。食事する理由も必要もありません」
無視して通り過ぎればいいものを、いちいち足を止める私も悪い。でも曖昧にして物事が上手くいった試しがなかった。
「昨日は済まなかった。蒼のお母さんのことで、ちゃんと話しておきたいことがある。少しだけ時間をくれないか」
殊勝にも頭を下げる遙。私は驚いた。この男が簡単に謝るなぞ昔ならありえなかった。
「ちょっと、やめて下さい」
横を歩いていく人々の好奇の目に、私は居たたまれなくなった。当然だ。いかにもビジネスマンという体の男が、量販店のバーゲン品をまとった冴えない女に、かしずいているのだから(あくまで傍目には)。
「分かりました。とにかく移動しましょう」
会社の同僚の顔がちらほら見えたところで、私は仕方なく自分から折れた。妙な噂を立てられては困る。
「じゃあ車に」
車を停めているという、駅付近の有料駐車場まで歩きながら、遙は優し気に私をみつめた。
「元気だったか?」
ぞわっと背中が泡立った。
「大人になったな」
やめてくれ。気持ち悪い。つーかあんたは老けたわよ。
「あれからずっと実家に?」
離婚してからという意味だろう。私は無言を貫いた。本当に何の因果で、いや母親だが、再びこの男と並ぶ日が来ようとは。皮肉にも程がある。
「乗って」
案内された車は、意外にもオーソドックスな国産車だった。私は車についてさほど詳しくはないが、もっとこう厳つい外車なんかを乗り回していると思っていたのだ。
「頼むから助手席にしてくれない?」
後部座席のドアに手をかけた私に、遙は困ったように苦笑する。渋々助手席に身を沈めると、車は静かに滑り出した。高性能なのか乗り心地は悪くない。
「俺の知っている所でいい?」
「できるだけ近場にして下さい」
「了解」
遙は頷いてハンドルを右方向に切った。
ぼんやり窓の外を眺めながら、母親の話とは何だろうと考える。彼女のこれまでの暮らしは少しも想像できないが、唯一心当たりがあるとすれば、父と離婚するきっかけにもなった体調のことだ。
何にせよひとまず家に連絡を入れておかなければ。私はスマートフォンを出して文字を打った。
「桜井にか?」
一瞬誰のことかと首を傾げ、あぁ秋ちゃんのことかと思った。
「ええ」
実際はお義母さんだけれど、全員桜井なのだから嘘ではない。短いメールを送信して、スマートフォンをバッグにしまう。
「桜井とはいつから?」
こいつは何を言ってるんだと訝しんだものの、よくよく考えたら、実物としては昨日が初対面の二人。
「ずっと前。私を支え続けてくれた人です」
「そうか」
それきり遙は黙り込んだ。車だけが流れに乗るように、薄闇の中を進んでゆく。
「どこまで行くんですか?」
一時間程経過した頃、私は不安になって訊ねた。既に近場を外れている。
「もうすぐ」
前を向いて答える遙が、迷いなく更に一時間走った後、車はようやくとあるマンションの駐車場で止まった。
「ここは…」
降りるよう促され、ゆっくり地に足をつけた私は、そこで自分がどこに連れてこられたのかようやく悟った。夜で景色が分かりづらかったことと、慣れていない場所であることが裏目に出た。
「騙したわね」
隣に立つ遥をきっと睨みあげる。
「何が?」
白々しく惚ける遙。
「俺は自分の知っている所で飯を食おうと提案しただけだ。約束は違えていない筈だが? あぁ、近場ではなかったか」
くっと喉を鳴らし、さっきまでとは打って変わって性悪な空気を醸し出す。
「相変わらず甘いな、蒼」
母と義父の新居の前で、私は両の拳を握り締め、怒りでぶるぶると体を震わせていた。
「で、あなたはどうしてまたこんな所にいるんでしょうか?」
会社を出るなり、また待ち伏せしていたらしい遥の姿を見つけ、私はうんざりしてぼやいた。昨日秋ちゃんに釘を刺されたのに、全く聞く耳を持っていない。
「明日は土曜日で仕事は休みだろう? 一度飯でも食わないか」
だからどうしてそうなるのか。あんた私よりも馬鹿だな?
「お断りします。食事する理由も必要もありません」
無視して通り過ぎればいいものを、いちいち足を止める私も悪い。でも曖昧にして物事が上手くいった試しがなかった。
「昨日は済まなかった。蒼のお母さんのことで、ちゃんと話しておきたいことがある。少しだけ時間をくれないか」
殊勝にも頭を下げる遙。私は驚いた。この男が簡単に謝るなぞ昔ならありえなかった。
「ちょっと、やめて下さい」
横を歩いていく人々の好奇の目に、私は居たたまれなくなった。当然だ。いかにもビジネスマンという体の男が、量販店のバーゲン品をまとった冴えない女に、かしずいているのだから(あくまで傍目には)。
「分かりました。とにかく移動しましょう」
会社の同僚の顔がちらほら見えたところで、私は仕方なく自分から折れた。妙な噂を立てられては困る。
「じゃあ車に」
車を停めているという、駅付近の有料駐車場まで歩きながら、遙は優し気に私をみつめた。
「元気だったか?」
ぞわっと背中が泡立った。
「大人になったな」
やめてくれ。気持ち悪い。つーかあんたは老けたわよ。
「あれからずっと実家に?」
離婚してからという意味だろう。私は無言を貫いた。本当に何の因果で、いや母親だが、再びこの男と並ぶ日が来ようとは。皮肉にも程がある。
「乗って」
案内された車は、意外にもオーソドックスな国産車だった。私は車についてさほど詳しくはないが、もっとこう厳つい外車なんかを乗り回していると思っていたのだ。
「頼むから助手席にしてくれない?」
後部座席のドアに手をかけた私に、遙は困ったように苦笑する。渋々助手席に身を沈めると、車は静かに滑り出した。高性能なのか乗り心地は悪くない。
「俺の知っている所でいい?」
「できるだけ近場にして下さい」
「了解」
遙は頷いてハンドルを右方向に切った。
ぼんやり窓の外を眺めながら、母親の話とは何だろうと考える。彼女のこれまでの暮らしは少しも想像できないが、唯一心当たりがあるとすれば、父と離婚するきっかけにもなった体調のことだ。
何にせよひとまず家に連絡を入れておかなければ。私はスマートフォンを出して文字を打った。
「桜井にか?」
一瞬誰のことかと首を傾げ、あぁ秋ちゃんのことかと思った。
「ええ」
実際はお義母さんだけれど、全員桜井なのだから嘘ではない。短いメールを送信して、スマートフォンをバッグにしまう。
「桜井とはいつから?」
こいつは何を言ってるんだと訝しんだものの、よくよく考えたら、実物としては昨日が初対面の二人。
「ずっと前。私を支え続けてくれた人です」
「そうか」
それきり遙は黙り込んだ。車だけが流れに乗るように、薄闇の中を進んでゆく。
「どこまで行くんですか?」
一時間程経過した頃、私は不安になって訊ねた。既に近場を外れている。
「もうすぐ」
前を向いて答える遙が、迷いなく更に一時間走った後、車はようやくとあるマンションの駐車場で止まった。
「ここは…」
降りるよう促され、ゆっくり地に足をつけた私は、そこで自分がどこに連れてこられたのかようやく悟った。夜で景色が分かりづらかったことと、慣れていない場所であることが裏目に出た。
「騙したわね」
隣に立つ遥をきっと睨みあげる。
「何が?」
白々しく惚ける遙。
「俺は自分の知っている所で飯を食おうと提案しただけだ。約束は違えていない筈だが? あぁ、近場ではなかったか」
くっと喉を鳴らし、さっきまでとは打って変わって性悪な空気を醸し出す。
「相変わらず甘いな、蒼」
母と義父の新居の前で、私は両の拳を握り締め、怒りでぶるぶると体を震わせていた。
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