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会場である和食屋さんを後にしても、遥は私の手を離さなかった。急ぎ足という程ではないものの、苛つきながら歩いているのが分かる。お店を出る間際、ちょうどトイレの前でばったり会った会社の先輩に、先に帰る旨を伝えたところ、

「秋くんといい勝負ね」

こっそり囁かれたのが聞こえたらしく、それから腕を掴む力が強くなった。何が不満なのか知らないけれど、秋ちゃんは二十五で遥より八歳も下。比べられて怒るなんて余裕なさすぎ。それとも男も女のように若さを張り合ったりするのかな?

「ひとまず移動しよう」

適当な場所でタクシーを拾うと、遥は運転手さんと二言三言話して私を後部座席に押し込んだ。当然のように自分も後に続く。抗議する間も与えられぬうちに、タクシーは人も車も溢れる夜の街を走り出した。

「そんなに遅くないし電車で帰る。途中の駅で降ろして」

まだ二十時半。危険な時間でもない。

「ちゃんと送る。心配するな」

保護者意識が抜けていない。きっと遥の中では私はまだ二十歳の女の子なんだろう。

「子供じゃないって言ってるのに」

「どこがだ」

窓の外の景色を追っていた遥が、不機嫌さを隠さずに振り返った。

「気づいていなかっただろ? 蒼を狙ってる男が何人かいたの」

「まさか」

「本当だ。俺がずっと張り付いていたのがその証拠」

はーっと大仰に息を吐き出す遥。

「どうしてそう無防備なんだ。今日の連中は本気で結婚を考えてる奴らだから、無体な真似はしないだろうが、普通の合コンならとっくに食われてるぞ」

「へぇ。私でもそういう対象になるんだ」

もしかしてちょっとは自信を持ってもいいのかな。遥の台詞に俄然目を輝かせていたら、彼は半ば本気で私の頭を叩いた。

「笑ってる場合か。お前がこんな集まりに頻繁に参加してると思うと、俺は心配でおちおち仕事もしてられん」

ずいぶん勝手だな。心配してくれなんて誰も頼んでいないし、あんたにそんなことを言う権利もなかろう。私達は現在他人…あ、違った。一応兄妹だ。めんどくさー。

「見た目も頭も性格もブスって罵ったのあんたじゃない。そんな冴えない女が、人の好意をちょっと喜んだくらいで何が悪いの」

つんとそっぽを向いたら、遥は焦ったように身を乗り出した。

「それは言葉の綾だ。本気じゃない。ごめん蒼。もしかして気に病んでいたのか?」

いや、実は遥に再会するまですっかり忘れていた。私の記憶には遥と玲子さんが、組んず解れつの肉弾戦を行っている姿こそ鮮明に残っているが、それ以外は結婚生活が短かったこともあって、特に根に持つ程の出来事がなかったのだ。

浮気、陸みあう、肉弾戦と、ここにきて記憶がパワーアップしている感じもするが、今更どう変わったところで問題はない。でもおろおろする遥が面白いから黙ってよう。

「蒼、何か言ってくれよ」

ところが内心ほくそ笑んでいる私の目に、徐々に見慣れた道筋や建物が映り始めた。この作戦つい最近も食らった覚えがある。窓にへばりついている私を余所に、タクシーは無情にも修羅場部屋の前に停まった。

「学習しないな、お前。無防備過ぎるって教えてやったのに」

拳を握り締める私の頭上に悪魔の声。地団太踏んでも時既に遅し。くっそー!



「いつまでそうしているつもりだ」

玄関に座り込んで動こうとしない私に、遥は缶ビールを差し出して自分も腰を下ろした。屋内とはいえ火の気がないだけに、結構底冷えしてお尻が痛い。しかもいつ掃除したんだか、細かい石や砂がいっぱいで足元がじゃりじゃりする。これは下駄箱を開けるのも怖いな。その前にこの下駄箱私が選んだ物じゃん。まだ使ってんのか。

「どうしてお酒なの」

あまりお酒に強くない私にこれはない。嫌味なのか?

「他にないから」

しれっと答えてさっさと缶ビールに口をつける。散々飲んだのに帰宅してもお酒だなんて、こいつは一体どんな生活をしているんだ。よく体を壊さないな。

「酔った振りで一夜を供にするのもありだが、お前は素面だからな」

秋ちゃんにせよ遥にせよ、私の周囲の男は何故に物騒な台詞ばかり吐くのだろう。それにしても冷蔵庫から出したての缶が冷たい。これが温かい飲み物だったらよかったのに。

「さすがに寒いな。あーあ。蒼のせいで俺風邪ひくかもしんない」

遥は白い息を惜しげもなく放出する。魂胆見え見えのわざとらしい口調。

「私めのことなど気にせず、速やかに室内にお戻り下さい」

「蒼を置いて自分だけぬくぬくするわけにはねぇ。でもあー寒い。熱出そう」

「くっ!」

にやける遥に唇を噛む。もっと粘りたかったけれど、実際玄関は寒くて風邪をひきかねなかった。こうしてまたも彼の作戦に屈した私は、二度と足を運ぶことはなかろうと思っていた、二人の結婚と離婚を象徴する場所に身を投じることとなった。




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