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7話 生気のない少女

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 僕は保健室で左肩を包帯固定され、学生証を事務室で受け取り、今はミランと校内を歩いている。いまだにミランはムスッとした顔をしている。

「なんでそんなに怒ってるの?」
「別に怒ってなんかないわよ!」

 いや、あきらかに不機嫌ですが……。

「なにか気にくわないんなら謝るよ」
「別になんでもないわよ! あんたがムッツリスケベだってわかったくらいよ!」

 なるほど、先生の胸をガン見した件でまだ怒っていたのか。

「いや、あれは痛みを忘れるために必要だったというか、男の性というか」
「男なんだから痛みくらい耐えなさいよ! いやらしいったらありゃしない!」
「まあ、そうかもだけど……元々は戦いなんかしなければこんなことにならなかったんだけど……」
「ぐっ!」

 ミランは痛いところを突かれたからか押し黙る。
 そのとき、僕らの行く手に学園の制服を着た1人の女のコが立っていた。
 背は低く、日本人形を彷彿とさせる黒髪ロングの前髪パッツン。顔もその容姿に馴染んでいて、あきらかに年下に見える幼顔。
 しかし、それ以上に印象深いのが目に力がなく、それに追随して全身から無気力感が半端なく滲み出ていることだ。雪のような肌の白さも生気が通っていないかのようだ。

「ミラン、案内代わる」

 口調も感情がこもっていない機械的な話し方だ。このコが笑ったところが想像できない……。

「ノーファ、あんたがアレルの学園での世話役を務めるの?」
「そう、先生に言われた」
「あんたで大丈夫かな!?実力はあるけど……」
「大丈夫、どんと任せる」

 ノーファは自分の胸を叩いた。言葉とやる気のない表情が物の見事に反比例している。
 ミランはそれを見て、不安そうに苦笑い。僕も内心不安に狩られる。

 ミランは眉根を寄せて、仕方ないといった表情で僕に向き直り、

「アレル、学園のことは、これからはこのコに訊いて、行動してくれる?」
「わ、わかったけど、ミランは?」
「あたしはそろそろお城に戻らないと。色々と任務を残してるから。またちょくちょく様子を見にくるわ」
「任務って、ミランはここの学生じゃないの?」
「学生をしている場合じゃないの。レベルレッドだからね。じゃあ、行くわね。ノーファ、頼んだわよ」

 ノーファは表情を変えず、コクンと頷いた。ミランはそう言い残して、名残惜しそうに走り去って行った。それを見送ったあと、僕はノーファの方に視線を移した。
 彼女の覇気のない目と僕の目が合致した。なぜか無言のプレッシャーを受けている気になる。僕はいたたまれなくなって、言葉を発した。

「えっと、はじめまして。ノーファちゃんでいいのかな?」
「ノーファでいい。それにはじめましてじゃない」
「どっかで会ったっけ?」
「教室にいた。さっき闘魔場でのローマンとの試合も観てた」
「えっ、君は同じクラスなの?」
「そう。アレルと同じ高等部1年」
「気づかなくてごめん」
「別にいい。それより学園を案内する」

 ノーファは代わり映えのない口調で言った。

「じゃ、じゃあよろしく……」
「ん」

 僕は彼女とコミュニケーションが取れるか不安になりながら、彼女のあとについていく。
 僕もコミュ障ほどではないにしても人見知りではあるからだ。
 そんな心配をよそにノーファは機械的に学園を案内した。食堂、図書室、職員室、そして瞑想室に練魔館。案内されながらノーファに色々尋ねると、たんたんと説明してくれた。
この学園は初等部三年、中等部三年、高等部三年の三段階に分かれており、各学年、ひとクラスずつしかない。この魔力養成学園にはホワイト以上の悪魔しか入学できない。
 悪魔は生まれたときから基本的には尻尾の色、即ち魔力量は決まっているらしく、カラフルでない悪魔は魔力に特化していない普通の学校に通う。ただ、稀にテイルチェンジといって尻尾の色が変わり、魔力量が変わる者がいるらしい。
 ノーファ曰く、突然変異みたいなものらしいが。

 この魔力養成学園を卒業した者は国を守る魔導戦士になるのが自然の流れらしい。徴兵制ではないので強制ではないが、特に今はバルサロッサの脅威があるのでカラフルの悪魔は国を守るため、家族を守るため、友人を守るためにほとんどがイドゥナシーロに通い、魔導戦士になるとのことだ。
 ミランはこの国、唯一のレベルレッドで、二年前からすでに国の防衛戦に参加していることを知った。

 日が暮れ、最後にやってきたのは、学園の隣にある寮だった。近未来的で高く夜空に颯爽とそびえ立つ。外観は人間界でいうところの駅前にある煌びやかなタワーマンションを想像してもらえばいい。

「今日からアレルはここに住む」
「そ、そうなんだ……」

 ヒエラルキーの上位にいきなり成り上がった気分に浸れそうだ。
 ノーファが入り口でセキュリティカードを通して僕らは中に入る。建物内も高級マンションそのものだ。顔には出してはいないけどテンションが上がる一方なんだが。
 エントランスを抜けると、左手にレストランみたいなものがあった。

「朝の食事はこの食堂に行けばいい」
「……うん」

 食堂だったのか。ここもやけに豪華な造りだな。食堂を通り過ぎて、突き当たりにあるエレベーターに乗る。ノーファは9階を押した。
 9階に到着し、廊下を歩いていると急にノーファが立ち止まる。

「ここがアレルの部屋」

 読めない文字が扉に記されている。

「私の部屋はここ」

 ノーファは隣の部屋を指差した。

「えっ!? 男子寮とか女子寮に分かれてないの?」
「悪魔は人間ほど盛っていない」

……そういう問題なのか? 悪魔は異性に興味がないということなのだろうか。

「冗談」

 なにが!?……ってかそんな活力がない雰囲気でジョークを飛ばすほうが驚きだ。

「基本的には部屋には登録した魔力に反応した者しか入れない」
「他人を入れることはできないってこと?」
「そう、セキュリティは万全」

 そうなのか……少し残念な気持ちになった。いやいや、変な期待を抱いていたわけじゃないけど……。

「部屋にアレルの魔力を登録する。扉の名前に手を当てて、魔力を込める」
「これなんて書いてあるの?」

 彼女は無表情で首を傾げた。

「文字読めなくて」

 眠たそうな目をパチクリさせる無気力少女。

「エロス、と書いてある」
「ああ、そうなんだ! ってなんで!?」
「冗談」

 だから、その雰囲気で言うのやめて。

「アレルと書いてある」

  僕は名前の上に手を置いて、ノーファの言うように魔力を込めた。
扉全体が一瞬光った。

「登録完了。明日8時にエントランス集合」

 ノーファはそう言うと、自室のドアに手を当てると部屋に吸い込まれるように消えた。
 僕も真似てみる。

「うわっ」

 吸い込まれたと思ったら部屋の中だった。なるほどこういうことか。

 部屋は1LDKといった間取りだ。テレビやトイレもついている。お風呂もユニットではなく、それなりのものだ。なかなか学生の割に豪華である。
 それにしても長い1日だったな……僕は導かれるように寝室のベッドに横たわった。身も心も疲れた。本当にこれは夢じゃないんだろうか。長い夢でも見ているんじゃないだろうか。僕は自分の尻尾を確認するように強く握った……痛い……。
 窓の外に目を向けた。満月が煌々と輝いている。人間界と同じ満月だ。人間のとき、最後に見た月も満月だったな。そう思った瞬間、あの日のことが……彼の死ぬ寸前の目が記憶から呼び起こされた。あの怨念の塊のような目が……。僕は怖くなり布団にくるまった。

 ドンドンドン! という騒音で目覚めた。どうやらいつしか眠ってしまっていたようだ。
……眩しい……窓から陽が射し込んでいる。もう朝か。
 何時だろう? 部屋の備え付けの時計を見た。針は8時15分を指している。停止していた思考回路が目まぐるしく働く。あっ、やばい!!
 ドンドンドン! と鳴り続ける扉のほうに駆け寄り、そのまま右手を扉に当てた。

「うわっ!」
「キャッ!」

 ミラン!? 僕は彼女を押し倒す形になった。

「いやっ!」

 僕の右手はなにかやらかいものを掴んでいた。それが胸だと気づくのに1秒もかからなかった。さっと、手を引く。
 寝起きでまだあまり血が通っていないのに、僕の顔から血の気が引く。もう真っ白になっているだろう。

「あの、これは、ドアを通り抜けられるのを忘れていたからであって、決してわざとじゃ」
「問答無用!」

 バチン!

 間髪入れずに僕の頬に強烈なビンタが炸裂したのだった。

「あんたねぇ、心配で来てみれば、朝からなんてことするのよ! この変態!」
「だから、ワザとじゃないってば!」

「やはり人間は盛る」とノーファが横で相変わらず魚の死んだような目で見下ろしていた。

「もう、早く朝食取らないと、最初の授業に間に合わないわよ。ほらノーファ早く食堂に連れて行ってあげて」
「御意」
「ミランは?」
「あたしは今から任務よ。じゃあ、頑張って授業受けなさいよ」
「うん」

 僕はノーファに連れられて、食堂で食事を摂る。いまだに左肩は包帯固定されているので、食事に時間がかかってしまった。とうに一時間目の授業は始まっている時刻だ。僕らは急いで教室に向かった。扉を開くと、すでに授業は行われていた。

「おうおう、初日から学園最強の悪魔を伴って社長出勤とは、さすがレッド様ご推薦の悪魔だぜ!」

 昨日、戦ったローマンが嫌味たらしく声を張り上げた。

「遅れてしまいすいません……」

 先生に頭を下げた。

「ん~? まあいいけど、次からはお仕置きしちゃうわよぉ」

 口元になにやら不気味な笑みを浮かべる先生。しかし、それすらも見惚れするほど色っぽい。

「き、気をつけます」
「なんだよ、お前のそのたいそうな包帯! 昨日は軽く蹴っただけだぜ! 本気で蹴ってたらお前死んでたんじゃねえの!?」

 確かにそうかもしれない。僕は左肩に手をやった。思い出すとカラダが震えだしてきた。

「ローマンくん! アレルくんはついこないだまで人間だったんだからあんまり怖がらせないのよぉ」
「ふん、甘やかしやがって」

 ローマンは不満気な表情を露わにした。

「じゃあ、二人とも席に。アレルくんはノーファちゃんの隣のあそこねぇ」
「はい」

 先生が指差した席に着く。
 そうして、よくわからないまま魔力生成理論という授業が始まった。言葉はピアスのおかげでわかるのだが、教科書の文字が全く読めない。どうしたものか……。

 休み時間。

「おい、元人間」

 声のする方を見上げると、ローマンだった。隣におかっぱ頭の男子が一人、にやにやしている。ずる賢そうな顔だ。おそらくローマンの金魚のフン的存在なのだろう。

「なんですか?」
「ミランに認められてるからっていい気になるなよ」
「別にいい気になってなんか……」
「その人間の言葉も耳障りなんだよ。さっさと魔界語を学びやがれ」
「どこで学べばいいんだろ?」
「知るかよ、そんなこと。それとさっさと魔力の扱い方を覚えねぇと、次は左肩だけじゃ済まねえぜ!」

 そう言って左肩を強く押された。

「ぐっ」

 痛みが左肩を駆け巡った。

「ローマン、それ以上、アレルに突っかかったら私が相手する」

 隣の席で僕らのやり取りを聞いていたノーファが僕をかばう。

「ふん! お前といい、ミランといい、こいつのどこを買っているんだか。行くぞ、ベルリッタ」

 ベルリッタと呼ばれた、おかっぱの男はニヤリと気持ち悪い笑みを浮かべ、ローマンのあとについていった。

「大事ないか?アレル」

 言葉に感情はこもっていないが、心配はしてくれているんだな。

「うん、大丈夫だよ」
「そうか、ならいい。あいつはミランに目をかけてもらっているアレルのことが気にくわない」
「どうして?」
「ミランのことを好いている」

……嫉妬というやつね。

「それと変更。アレルには当分、座学については初等部の授業を受けてもらう。そこで言葉や魔界についての知識を取り入れてもらう。ミランには私から伝えておく」

 僕はそれから一年間、初等部では座学、高等部では魔力の実技について学び始めた。
 初等部の子供達と一緒に授業を受けるのはさすがに抵抗があったが、それも次第に慣れていった。子供達の無邪気さは可愛いものだ。まあ、もちろんおませさんや生意気な子供もいるのだが……。

 魔界の言葉も勉強するにつれ、ある程度、ピアスなしでも話せるようになり、文字もそれなりに読めるようになった。読み書き以外の授業では、魔界の歴史について学んだのだが、魔界で起きたことが人間界に影響を及ぼしているのには驚きだった。
 特に驚いたのは、カラフル上位が魔力全開で戦った場合、人間界には天変地異が起きること。大きな戦いほど大震災や噴火を引き起こしてきたのだ。人間界で頻発する軽い地震とかもやはり魔界での戦闘が要因なこともあるらしい。
 その他にトリビア的にへぇーと思ったことがある。それは魔界にもテレビ放送があり、人間界の番組(前にミランが言ってた)もあるんだけど、それを映すために空に飛ばしている物体が人間界では未確認飛行物体、いわゆるUFOと呼ばれていること。基本は人間には見えないように魔力を込めて飛ばしているのだが、魔気が濃くなる満月の夜やその名残で次の日などに、度々人間に見つかることがあるらしい。
 未確認生物UMAも魔界の生き物が人間界に迷い込んだものだということを、初等部の先生が雑談がてら言っていた。
 ミステリアスなことは、なんらかの形で魔界が関係している、で、片付けられるんじゃないだろうか。

 高等部の実技については最初の三ヶ月は全体授業のあと、ノーファが基本的にマンツーマンでみっちり教えてくれた。毎回、無表情でたんたんとだったけど……。まあ、そのおかげで基礎的な魔力の制御はできるようになった。
 魔力で生み出せるものは火、氷、風、雷で、さらにこれを練魔したものを魔法という。魔法は古から伝わる魔法と自分で新しく生み出すオリジナル魔法がある。基本は古の七大悪魔が編み出した魔法を学園では身につけるのだが、尾の色……つまり魔力量で身につけることができる魔法も限られてもいるし、同じ魔法でも魔力量で威力が異なる。
 自分なりにオリジナル魔法を編み出すための練魔館という修練場も設けられている。
 その他に空間を作る、空を飛ぶ、なども魔石結晶に魔力を込めることで可能になる。
 あとは魔装だ。これは魔力を身にまとわせることで身体能力を大幅に向上させる。

 運動が苦手な僕には、座学よりも実技のほうが大変だった。なぜなら、実技には魔力の制御や魔法の習得以外にも体術や剣術もあったし、基礎体力をつける運動もあったからだ。
 だけど魔力を自在に扱えるようになると楽しくなった。病弱な人間だったときには考えられないことだ。

 そうして、一年があっというまに過ぎていった。しかし、すぐそこにバルサロッサの脅威は迫っていた……。
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