上 下
40 / 62

39話 桃源郷

しおりを挟む
「アレル~」

 うん? この声は……? 

 ポカポカした心地よい感覚の中で、声が聞こえた方に目を向けると、湯煙の中に二つの人影が見えた。
 それがだんだんとこちらに近づいてくる。ぼんやりとした靄の中、姿を現したのは裸体のミラン、そしてエルナだった。
 僕の目がまん丸になる。
 二人が無事だったという事実よりも、二人が惜しげもなく裸体をさらけ出していることに驚きを隠せない。

「どどどどうしたの!? なななんでここここに!?」

 慌てすぎて舌がうまく回らない。緊張と裏腹になにかを期待してしまう自分がいる。

「どうでもいいじゃない、そんなこと。それよりも体を洗ってあげる!」
「わたくしもお手伝い致しますの」と笑顔の二人。

 なんですと!? 

 二人は僕にピタリと寄り添い、恥ずかしげもなく足を絡ませ、体を優しく撫で始める。 彼女達の絡む柔肌の肉感が気持ちいい。
 温泉でこの状況……ここは桃源郷なのか……魔界には桃源郷が実在するのか。身も心も気持ちよくて、思考が定まらない。なんかどうでも良くなってくる。

「アレル!」

 ん? 幸せの中、僕を呼ぶ声に導かれてそちらを見る。
 ルンとノーファか。
 彼女達もいつのまにか温泉に浸かっており、バシャバシャとお湯の中を走り寄ってくる。
 あの様子はルンもノーファも僕にくっつきたいんだな。可愛い奴らだ。愛でてやるか。

「早くこっちにおいで~」

 駆け寄る二人は近くで見ると、下着姿だった。

「なにしてるんだよ、早く脱ぎなよ」

 ルンは腕を組み、僕の前で仁王立ちする。額に怒りの青筋を立てている。

「どうしたんだよ? そんな怖い顔して。みんなで気持ち良くなろうよ!」
「このアホ! 目を覚ませ!!!」

 ルンは僕の脳天に踵を振り下ろす。見事な踵落としが炸裂した。
 その衝撃で桃源郷の世界が歪む。

 次に目を覚ましたときは、最初と同じように温泉に浸かっていた。いつのまにか辺りは薄暗くなっており、ミランもエルナもいない。

 あれ!?

「やっと、起きたか。荒療治成功やな」

 目の前にバスタオル姿のルンとノーファが立っていた。

「さっきのは一体……?」
「アレルはサキュバスに淫夢を見せられていた」
「サキュバス!?」

 ノーファは魔法で白色の灯りを温泉の中央に飛ばした。温泉全体が明るく照らされる。

「あそこにおるやろ?」

 ルンはツインテールを解きながら、ある方向を指差した。
 そこには人に近しい生物が数人いた。
 肌の色は青く、二本のツノが生えているが、ルックスは可愛らしい。ただ、どこか怯えた表情を露わにしている。

「あんたがなかなか戻ってきいひんから、様子見に来たらあいつらにやらしい夢見せられとったんやで。びっくりしたわ。せやけど、ちょっと危ないとこやったんやで。あいつらは淫夢見せて、男の魔力奪うのが習わしみたいなもんやからな」

……そうなのか……夢だったのか……。

「やけど、うちがしばいたったから、あいつらびびってこっちに寄ってこーへんわ。せやからもう心配いらへんわ」

 ルンは意地悪そうな笑みを浮かべ、口を開く。

「それにしても、あんた、どんな淫らな夢見てたん?  間抜けな顔やったけど」

 先程までの桃源郷が頭に浮かぶ。

「べべべつになんだって言いだろ!」

 本当のことを言ったら、ミランを崇拝しているルンにしばくを通り越して殺されかねない。
 ルンはその碧眼をジト目にして、
「やらしいやっちゃ」とひと言吐き捨てた。

「それに~さっきからうちらがこんなセクシーなかっこやのに平然としたふりして、堂々と見るやなんてあんたも策士やなあ」

 ルンは、八重歯をキラリと見せて、またまた意地悪そうな笑みを口元に浮かべた。

「べべべつにそういうつもりじゃななないよ!」

 それは本当だ、桃源郷がリアル過ぎて、今まであまり気にならなかっただけだ。
 だけど、そう言われると改めて意識してしまう。自然とつられるように目が二人に引き寄せられる。

「こら! 急にガガ、ガン見すんな! このアホ! 早く出てけ!」

 ルンはお湯をバシャリと僕の顔にかける。
 温泉の蒸気の中、青髪を下ろしている女の子は顔を恥ずかしそうに赤らめていた。

「ご、ごめん!」

 ルンとは対照的にノーファは表情を微動だにさせない。彼女はルンが何を恥ずかしがっているのかすらわかっていないかもしれない。
  
 僕はこれ以上この場にいたら、身の危険を感じ、サキュバスの温泉を逃げるようにあとにした。
しおりを挟む

処理中です...