上 下
48 / 139

† 八の罪――剣戟の果てに(伍)

しおりを挟む

「まことに申し訳ございません! 茅原知盛は依然として行方知れず、空港には手を回しましたが、一向に情報がつかめずにいます」
 若者が深々と頭を下げているのは、豪奢な赤絨毯の一室。
「魔術で足取りを隠したか……まあ此方がその気になればいつでも見つけ出せる。捨て置け。それより、あれはいかがした?」
 手元の書物より軽く目線を上げ、男は目深に被った帽子越しに訊いた。
「案の定、喜多村氏が囮のほうに釣られました。今の二人があのお方を突破できる可能性は極めて低く、彼らの命運は決したかと」
「奴のことだ。土壇場で何をしでかすか知れたものではない。逐次、報告せよ」
 部下が退出すると、象山は本を閉じて苦笑する。
「所長殿も人がお悪い。あの男を放っておけば、彼らの元へゆくのは目に視えていたものを」
 彼の独白が吸い込まれてゆく部屋に、どす黒い気配が生じた。
「もう人ですらなくなってしまったようですがねえ」
 血塗れた老人の屍をつまみ上げて、栗毛の美青年が大げさに嘆息をつく。
「フッ、やはり人間とは儚いものよ。初代の一位にして日本支部の所長ともあろうお方とて、こうも呆気なく命を落とすとは」
 薄暗い空間に浮かび上がる、包帯の隙間から覗く双眸は、言葉とは裏腹に悲しんでいる様子がない。
「春は、雨で見られぬ日こそ桜のことを考えてしまう。年に一度の僅かな間だけ脚光を浴びるが、散る時は誰も気に留めない……英雄の最期も、花に似た虚しさか。しかし、嘆いてばかりもいられぬゆえな。やむを得ん、ここは悲しき事故で急逝された彼に代わって、この象山紀章が日本支部を預かる他ないか」
 変わり果てた沢城是清を見下ろし、朗々と象山は語った。
「所長亡き今、十位の三条桜花が出奔し、九位の喜多村多聞も加担。今や幹部は筆頭顧問たる御身のみ。本部からの代理を待つ猶予もない以上、自ずと答えは出ております」
 道化師もまた、恭しく同調する。窓の外が荒れ始めていた。
「いずれにせよ、信雄かれは必ず戻って来る。そういう者よ。もっとも――――」
 嘲け嗤うようにして、包帯男は続ける。
あれを倒せたら、の話だが」
 閃く稲妻が、醜く歪んだ横顔を照らし出した。


「人間みんな平等? 多数派こそ正義? 笑わせる。民主主義で代表者が選ばれた結果がこれか……愛と平和を掲げて異教徒を殺戮する信者と、まるで変わらない。目的と手段が逆転した虚栄の大国には、逆臣による世直しが必要だ。斃すべき相手は敵兵ではなかった。彼らとの戦争に導いた生天目筆頭執政官こそが、倒されるべき悪の根源なんだ。日本が生まれ変わるため、繰り返される愚行を断ち切るため、すべてを失った僕が謀叛人の烙印を一身に受けよう」
 行政省に侵入した国防陸軍きってのエリートは、息もつかせぬ内にガードマンを一蹴。執政官が不在であったため、部隊より持ち出した最新の小型地対地ミサイルで執政官官邸をロックした。生天目鼎蔵が利害のためなら人命も平然と犠牲にし得ると知る人質の職員や政府関係者は、絶望ですっかり青ざめている。
 しかし、ただ一人、このような状況にも関わらず、むしろ愉しんでいるかのように、苦笑いをこぼす若者がいた。

しおりを挟む

処理中です...