【完結】高給アクターは夢を覗く

ユユ

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癒されたい看護師長

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バイクから降りてお礼を言った。

「ありがとうございました、陽史さん」

「気を付けてね、楓ちゃん」

行きはタクシーを使おうとしたら陽史さんがバイクに乗せてくれた。買い足したい調味料があるとかで出かけるついでだと。早朝5時だ。だけど私の依頼人の所まで回っていたら陽史さんの戻り時間が遅くなってしまう。断ったけど、早朝過ぎて道は空いているよと言われてお願いした。

普通なら行きも電車案件だけど方向音痴で乗り換えが苦手。特に複雑な駅は迷路だ。23区内から出て住んだことがなく、電車かバスで移動する生活をしてきた。でも何度も通った慣れた道でないと迷う。方向音痴は損だと思う。
仕事に向かうのに迷子で遅れたくないからタクシーを使おうとした。今回の目的地は大きな駅を経由しなくてはならなかった。リピート案件で、初回は啓太さんが送ってくれた。2回目は電車にして見事迷子になった。とにかく外に出てタクシーを拾った。だから最初からタクシーを使い、帰りを電車にして買い物でもして楽しんで迷子になることにしたのが今日だった。

スマホを手に取り、依頼主に電話をした。

「アクターの楓です。エントランスにいます」

ウィーン

オートロックマンションのガラスドアが開いた。
エレベーターに乗り4階ボタンを押した。
エレベーターを降りて404号室まで来るとドアは空いていた。

「おはようございます、『アクター』から参りました、楓と申します」

「おはようございます。どうぞ中へ」

リビングに行くといつもの香りがする。ラベンダーを使ったハーブティーだ。

「楓さんは何を飲みますか?」

「持参しています」

私はラベンダーティーが苦手だと言えず、仕事中に眠ったら困るから安眠効果のあるものは口にできないと以前説明をした。

「お食事は?」

「済ませました。こちらはご依頼の昼食です」

「ありがとう。アクターのお弁当が美味し過ぎて辛いわ。依頼しないと食べることができないもの」

「分かります。美味しいですよね」

「私も絶対味覚の持ち主になりたいわ」

「本人は良いことばかりじゃないと言っていました。外食があまりできないみたいです。一口入れた途端に“調味料が足りない、調味料の選定が間違っている、加熱の仕方が悪い”とかパッと浮かんでしまってがっかりするらしいのです」

「なるほど。それは大変だわ」

彼女は佐藤千花さんといって私立病院の看護師長として働いている、独身42歳。
佐藤さんの勤める病院は外科が中心で、それぞれ専門の名医のうちの1人と契約を結んでいる。脳外科の名医、婦人科系外科の名医、心臓外科の名医が執刀してくれる可能性がある。ただ この病院にかかれば担当してもらえるわけではない。他の病院で断られた病状を検討して受けるか決める。それに先生方は他の病院でも執刀するのでいつもいるわけではない。予約はいっぱいだ。別棟には美容外科病棟があって美容整形の名医が病院長の娘だ。そこは自由診療が基本で、お金さえあれば一般人の子から有名人まで通う。
まあ、つまり儲けている病院の看護師長ならストレスも大きいのだろう。

時々、管理夜勤をしなくてはならず、睡眠障害気味なのに夜勤明けは悪化してしまう。
睡眠導入剤を使っていたがそれでも効果はイマイチだった。手段があるのなら飲まずに治したいと希望して別の病院に診てもらったけど精神的なものは急には治らないと言われて通院するも大して良くならず、アクターを知って私を指名してくれた。

ふと壁際のローキャビネットを見ると、いつまでも幼き日の女の子の写真が飾ってある。
佐藤さんには婚歴があり娘を産んだ。仕事、結婚、義父母との同居、妊娠出産と次々と負荷がかかり体調を崩した。仕事を辞めようかと思ったら夫が反対をした。看護師の給料があるのとないのとでは世帯年収がかなり変わる。子供も生まれてこれからお金がかかる。義父は定年退職をして退職金を全部住宅ローンの返済に充ててしまったし義母はずっと専業主婦。しっかりとした分離型二世帯住宅にはなっておらずプライベートな場所などなかった。赤ちゃんの夜泣きに誰も起きては来ない。育児休業の間は育児に家事に義父母に振り回される日々。

産休が終わり時短出勤で当分夜勤無し。それでも佐藤さんの疲弊は積み重なった。早く帰る分“時間あるだろう”といって何もかも妻に任せっきり。
娘が3歳半のときに倒れた。それでも夫と義父母は変わらなかったし働けと言う。固定資産税もあるし、ローンは完済していると言っても築40年以上。リフォームは必要だし外壁のメンテナンスも定期的にやらなくてはならない。家電や様々な物の買い替えが義父母の分までかかる。貯金はあまり貯まらない。3人とも節約タイプではない。いつまで生きるかわからないといって年に二回旅行に行っている。内一回は義父母だけ、もう一回は義父母と夫と義弟夫婦で行く。私は休みを合わせられないので行けない。だけどその費用は夫婦の貯金から。部屋に露天風呂が付いた高級旅館だったり、テーマパーク内のホテルだったり。貯まるわけがないのに。

当時の看護師長が相談に乗り離婚を決意。親権は取れなかった。佐藤さんには子供の預け先がなかった。母親は他界して父親は足腰が悪い上に持病もあって実家には弟夫婦が同居していた。とても出戻りは出来なかった。
保育所や夜間保育所を利用できるけど、佐藤さんは倒れてからまだ数ヶ月しか経っていない。それに睡眠障害の治療に心療内科に通っていたことや、治っていないことを指摘されてしまった。一方で夫は健康、義父母が常に家に居て持ち家。
結局、親権は夫、月に一回の面会に決まった。
初回の依頼のときに佐藤さんは詳しく話してくれた。

「そろそろ就寝しましょう」

「よろしくね」

寝室へ移動し、ベッドに入った佐藤さんの手を握った。

「楓さん、私が眠ったら帰って構わないから。そのまましばらく起きないのは実証済みだし。早朝過ぎて時間を潰したいならリビングでテレビでもみていていいし、眠かったら娘のベッドで寝てもいいからね」

「分かりました。帰りに靴下を買いに行くのでそれまでテレビをお借りします」

「CSも好きに見てね。日本映画、海外映画、ドキュメンタリーも追加しておいたから」

「お気遣いありがとうございます」

「おやすみ」

「おやすみなさい」

直ぐに佐藤さんは眠りについた。だけど私は2時間手を握り続けた。佐藤さんが寝返りをうつまで。

パタン

寝室の扉を閉めた。






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