アンリレインの存在証明

黒文鳥

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 背後に引っ込んだアルエットが、何故か酷く憂鬱そうに息を吐いた。
 予想通りリビングに入って来たのは、対策班のセットと依頼人の夫婦だ。
 そもそも依頼人に何かあっては元も子もない。
 上手いこと対策班と鉢合わせてくれたことは幸いと言うべきか。
 夫妻はレンとアルエットを見て、安堵したように「良かった」と呟く。

「申し訳ありません、妻がパニックになってしまって……。でもご無事で、本当に良かったです」

 心底申し訳なそうな夫の言葉に、レンは逆に頭を下げた。
 申し訳ないのはこちらである。
 アルエットの知識不足に、レンの注意不足。
 挙句うっかり加減せずにシオを発動したため、レンは即寝落ちという有様である。
 いえ、と言いかけたレンの言葉を対策班が遮った。

「全くお気になさることはございません。確認させて頂いた限り、彼らのミスであることは確実でしょう。寧ろこちらの不手際でご心労を重ねるようなことになり、誠に申し訳ない」

「…………」
 
 ほら来た。
 慇懃にそう言ったのは、対策班の片割れ。
 四十代くらいの背の高い男である。
 黒いコートではなく、執事服でも似合いそうな上品な所作が印象的だ。
 けれどグレーの髪をきちんとセットした彼は、対策班では指導役も務めているはずの超のつくベテラン。
 一介の研究員であるレンも、主任の愚痴やら何やらで彼のことを耳にする機会は多々あった。
 イグナート・セナス。
 いやあ、彼はね敵に回すもんじゃないよー。
 腐っても二ルフェリアの血族である主任がそうコメントするくらいである。
 財団においてかなり重要な地位にいるのだろう。
 対して、彼のセットはまだ年若い少年だった。
 背はレンより少し高く体格も割といいが、こちらはアルエットと同い年くらいだろう。
 焦茶色の猫っ毛に、生意気そうな青い眼。
 精悍な顔つきは落ち着きと謙虚さが備われば、なかなか見栄えもしそうであるが。
 露骨にこちらを見て鼻で笑う辺り、経験が足りないと見える。

「レン・フリューベル。詳しい報告は後で聞きましょう。状況は?」

 対策班が来て、後日仕切り直しの選択はない。
 イグナートの淡々とした言葉に、レンは状況を伝えようとして。
 ふと首を傾げた。
 現象点である妻は、泣き腫らした目をしてけれどここにいるというのに。
 
 Rデータの匂いは、ほとんど嗅ぎ取れないほどだった。
 
 どう考えても、これなら存在証明で片が付く程度の強度だろう。
 ほんの数分間のあの出来事の間に、これほど強度が落ちることがあるだろうか。
 レンは背後のアルエットをちらと窺った。
 シオはRデータと対しても、それを破壊することは出来ない。
 よって強度が落ちたというのなら、レンが意識を手放した一瞬でアルエットが保有データで触れたのであろうと思われた。
 彼女なら平気でやりそうなことだ。
 当人は隠れるようにレンの背中に張り付いたまま、心底つまらなそうにリビングの床を眺めている。

「どうしました?」

「あ、いえ。当初、Rデータの推定強度から存在証明では対処不能と判断。そちらに対処要請をさせて頂きました」

「当初、とは?」

 一聞いて十知るタイプの人である。
 レンはイグナートの視線を誘うように、背後のアルエットを再度見た。
 それだけで、恐らくは大体のところを察してくれたらしい。

「では現状は?」 

「……現状、存在証明で対処可能と思われます」
 
 レンの言葉に、はぁ!? と声を上げたのはイグナートのセットである少年だった。
 そりゃあまあ、対処要請しといてと言われるのは仕方がないことである。
 けれど実際そうなのだから、どうしようもない。
 イグナートは特に憤慨する様子もなく、「ではそれについても後日報告を」と頷く。

「証明が可能なのであれば、こちらはお任せしましょう」

「良いんですか?」

 多少の事情はあれ、この様である。
 任せてはいられないと全部持っていかれるのが当然だと思っていた。
 イグナートはレンの問いに怪訝な表情をする。

「レン・フリューベル。貴方の調査班としての活動は十分評価に値します。存在証明の精度は、財団トップクラスと言っても差し支えない。こちらは少々依頼が立て込んでいますから、貴方が『可能だ』と判断するのであれば任せるのが適当だと考えますが?」

 要は、クソ忙しいらしい。
 イグナートは有無を言わせぬ調子で依頼人夫婦に了承を得ると、自身のセットを流し見た。

「カイト・アクロイド」

「はいッ!」

 ぱっと姿勢を正した少年に、彼は「君もここに残りなさい」と指示した。
 それはやはり対等なセットに対した言い方ではない。
 或いはレンとアルエット同様、仮と付く関係なのかもしれない。

「え、でも」

「君に、彼らのフォローを頼みたいのですが」

 そういうの、いらない。
 まるでレンの心境を代弁するかのように、アルエットがぽつりと呟く。
 幸い二人には聞こえなかったようだ。
 カイトと呼ばれた少年は、フォローと言われて悪い気はしなかったらしい。
 けれどそれとイグナートに置いていかれるのは、また話が違うのだろう。

「でもオレは、調査班の尻拭いに来たんじゃないです。イグナートさんが次の現場に行くなら、オレも」

「カイト・アクロイド」

 イグナートは表情一つ変えずに、再び少年の名を口にした。
 相手を言い包め、自身の指示に従わせることに慣れた人間特有の圧だ。
 
「調査班の仕事を見学することも、君にとっては良い経験になるでしょう。それに彼らは今夜一度失態を犯している。財団の責任者として君に付いていてもらえると、とても助かるのですが」

「…………はい」

 カイトと一瞬目が合った。
 不貞腐れたように彼はレンを睨み、ふいと視線を逸らす。
 この少年を「責任者」として置いていかれても。

「いえ、あのお言葉ですが」

 それには及びませんと続くはずのレンの言葉を、イグナートはさっさと遮る。

「貴方は保有データの性質上、対処後の運転は差し控えた方が良いでしょう。カイト・アクロイドはこう見えて運転技能検定は二位で通過しています。その点は任せてもらって構いませんよ」

「これはご配慮、痛み入ります」

 レンは諦めて、礼を口にする。
 どう測ったところで、相手の方が何枚も上手である。
 不満げにアルエットがコートの袖口を引っ張ったが、どうしようもない。
 イグナートは「では」と踵を返し、

「宜しく頼みます」

 何故かレンに向かって、そう言った。
 
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