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しおりを挟む「感染するRデータを自ら呼んで無事に生き延びるなんて実績、財団じゃあ表彰ものだろうね! 実に便利な人材じゃないか。Rデータに対する良い『餌』になるんだから」
餌。
ふわ、とアルエットの髪が揺れた。
無表情のまま、彼女は左手を持ち上げる。
「アルエット!」
椅子を蹴るようにして立ち上がったレンは、二人の間に割って入る。
幸いシオを発動させることなく、アルエットはすぐ左手を下ろしてレンを見た。
何やってるんだと言おうとして、言葉を飲む。
その赤い瞳に鮮烈なまでの怒りを浮かべて、アルエットは「だって!」と声を荒げる。
「餌って言った! レンを、餌って。私はーー」
「アルエット、違う。違うから」
泣き出しそうに震えた声に、レンは静かに繰り返す。
薄い肩をそっと押して、ミーティアとアルエットを引き離す。
「逆だ。主任は、俺がそういう評価を下されないようにって動いてくれてるんだって」
「………………」
「そもそも俺の上司がそれを良しとする人だったら、俺はとうにそういうものとして財団で扱われてると思うけど」
殆ど腕の中に収まるほどの距離で、アルエットはレンを見上げる。
怒りをぶつけるべき相手が違うことは、辛うじて理解してもらえたらしい。
レンは「主任も」と振り返る。
「アルエットを煽ってどうすんですか。腹立ってんのは分かりますけど、当たり散らすなら軽率な行動を取った俺にするべきでしょう」
ミーティアは肩を竦めて、どすんとソファに腰を下ろした。
「まー、そういうわけさ。レン君の活用法を確たるものにすれば、対策班は黙ってない。動画を元に感染するRデータの話を知っているかい? 十八人の死者を出した近年最悪の被害事例だ」
イグナートが語ったものと同じだろう。
動画を見た人間を介してRデータが感染し、多くの死者を出した事件。
ミーティアは眼鏡を少しずらして疲れたように目頭を押さえた。
「対策班からも死者が出たのは対処でしくじったからじゃない。対策班所属のデータ保有者が、Rデータを呼ぶために動画を見たからなんだよ」
感染するRデータ。
本体を捉えられないまま被害は広がり、財団が取るべき手段は数えるほどもなかったに違いない。
そしてその犠牲の元、Rデータは破壊された。
「ウロ様くらい可愛いものさ。レン君なら寝てる間に全部終わるだろう。だけどね、その一度の実績でレン君はそういうものとして評価される。結末なんてわかりきったものだよ。予言するけど、まともな死に方はしないだろうね」
生きている間、ずっとRデータに対する囮として扱われる。
或いは、シオの『必ず』を覆すものに食われる。
「イグナート・セナスはあの動画の件に現役で関わった数少ない人間の一人だ。最も効率的に安全に対処を行う方法なんてすぐ考えつく。ウロ様の件をレン君に任せたのも、十中八九君を対処に巻き込むためだろう」
まんまとしてやられたという発言は、ここに起因するのだろう。
ミーティアは腹立たしげに息を吐く。
調べて欲しいとレンにデータを渡したイグナート。
是非貴方に頼みたい、と言った彼はどんな顔をしていただろうか。
「さて、状況は理解してもらえたかい? そーいうわけだから、今レン君が調査班としてRデータの対処に当たるのは大変よろしくない。私としては研究室に籠ってせっせとお仕事してもらえるとありがたいんだけどね。ほら、うちの研究員は本職で忙しいんですって色々言い訳も効くだろう?」
ウロ様の対処が終わらない限り、遅かれ早かれレンには対策班への協力要請が出されるだろう。
如何にミーティアが二ルフェリアの家系であっても、それを突っぱねるほどの権力は有していない。
何だかんだと理由をつけ、出動を先延ばしにして耐えるくらいしか手がないのだ。
「そして、アルエット・セルバーク。君は本来対策班所属の人間だ。レン君との活動が見込めない以上、君は君の上司に指示を仰ぎなさい」
ミーティアはただ冷ややかにそう口にする。
アルエットは敵ではないのに、決して相容れないものに決別を言い渡すように声は鋭く響く。
少女はレンの傍で弱く首を振った。
「私は、レンのセットだもん。ここにいる。ここに、いたい」
「おや、私の記憶では君は、レン君の『仮のセット』ではなかったかな?」
「……主任!」
いくら何でも言い方がある。
けれどミーティアは咎めたレンに対して、憐れむように僅かに眉を下げた。
「レン君。君も、絆されるものではないよ。『白い手』の少女は対策班から切っても切り離せない。今後も一緒にいてどうなるか、わからないわけじゃないだろう」
「……セットになれと言ったのは主任でしょう」
「私ではないよ。私は全く反対の立場だと言っただろう」
そうだ。
一番最初に、ミーティアは確かにそう明言していた。
いやそもそも、アルエットとの仮セットという関係に文句があったのはレンも同じだ。
言うなればこの状況は願ってもない。
押し付けられた厄介事を片付けるチャンスなのに。
「だと、しても。アルエットが対策班でやっていけるようになるまでは、調査班として活動するという話だったはずです。ここで対策班に帰れって言うのは」
それなのに何故アルエットを庇っているのか、自分でも理解出来ない。
レンは困惑しながら、それでも何とか理由を探した。
ミーティアは静かに頷く。
「あのトークショーの配信は、財団でも確認済みだ。アルエット・セルバークは不安要素なく、レン・フリューベルの指示に従い行動が出来ていたと判断された。まだ少し訓練は必要だろうが、十分『対策班として運用可能』だろうね。加えて元々セットにと名乗りを挙げていた新人の少年も、いくつか現場を経験して問題行動が減ったとか。近々セットとして対策班に迎えられるんじゃないかという話だよ」
まだ正式な話ではないけどね、とミーティアは締め括った。
それはつまり、定められていなかった期限が、いつの間にか来ていたことを意味する。
それ以上レンには重ねる言葉もない。
アルエットは確かに当初に比べて言うことを聞くようになった。
知識は足りないけれど、言われた通り教科書を読む努力くらいはする。
心配ではあるけれど、彼女と正式にセットになるのがカイトだとしたら、多分そう悪いことにはならないだろう。
「……そう、ですか」
「別に個人的な交流までどうこう言うつもりないよ。彼女が心配なら、たまに勉強を教えてあげるのも良いだろう」
元々レンは研究員で、アルエットは対策班所属の人間だ。
仮である以上、別れは当然のことである。
それがたまたま色々重なって混乱しただけで、本来はとやかく言うことではないのだ。
笑って成長を祝って、手を離すべきで。
ぎゅうと唐突に左手を握られて、レンははっとアルエットを見た。
縋るような、切羽詰まったような、酷く危うい表情のまま彼女は唇を噛む。
何か言いかけて、結局何も言わずにアルエットは手を離した。
離したくはないと訴えるように絡められた指が、最後に解ける。
レンは、その手を掴もうとはしなかった。
そのまま逃げるように、アルエットは研究室を飛び出して行く。
撃たれることを恐れる子鹿のように、迷いなくただ必死に見えた華奢な背中。
それを、かける言葉もなく見送った。
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