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9章
14
微かに、ベッドが軋む音がした。
柔らかい毛布に包まったまま、アトリは酷く重い瞼を持ち上げる。
薄闇の中、ユーグレイはこちらに背を向けて灰色のローブを羽織った。
何時、だろうか。
気を抜いた瞬間にまた意識が沈みそうで、時刻を確認するのは早々に諦めた。
ユーグレイは静かに腰を上げて、それからアトリを振り返って眉を寄せる。
目を覚ますとは思っていなかった顔だ。
まだ寝ていろ、と彼は少し強い口調で言い切った。
「悪いが君が落ちた後も、好きなようにさせてもらった。普段と同じように動こうとすると怪我をする」
「ーーーーーー」
言われなくても動けねぇよ、とアトリはユーグレイを睨む。
当然のように音を紡げない喉は、質の悪い風邪を引いた時のように痛みを訴えている。
散々弄ばれた身体にはまだどろりとした快感が残っていた。
落ちた後も、と言うが一体どれくらいの間抱かれていたのだろうか。
好き勝手した方は疲労の気配さえなく平然としている。
「今日と言わず、しばらくの間は大人しくしていてくれ。昨日のようなことがあると、僕も気が気じゃない」
ユーグレイはただ淡々とそう言う。
責めるような口調ではないが、素直にそうだなと思えないのは意地を張っているからだろうか。
努力はするが、そもそも昨日の一件は不可抗力の部分も大きいのでは。
いや、大体その保護者みたいな発言は何なんだ。
お前また何か履き違えてんだろ、と訴えようにも悔しいことにその体力がない。
瞬きの数回で、意識が持っていかれそうになった。
自身が深い呼吸をしているのがわかる。
アトリは抗うように手元の毛布を掴んだ。
ユーグレイは行くのだろう。
話していないことがあると認めたくせに、何の弁解もせずに。
アトリが目を覚まさなければ声もかけなかったに違いない。
「…………今、君に、話せることは何もない」
アトリが何を問い質したいのか、ユーグレイはわかっているはずだ。
その上でそう言うのであれば、きっと多少のことでは口を割らないだろう。
全く理不尽だ。
ユーグレイは少しだけ身を屈めて、アトリの手を取った。
青年の指の跡が残る手首に、彼は唇を寄せる。
痺れるような微かな痛み。
痕跡を塗り潰すように肌に散る深い赤に、アトリは目を瞑った。
「僕たちは自身の意思で、観測実験に関わると決めた。管理員の目もある。いっそ普段の哨戒任務より危険は少ないだろう。たった七日だ。終わったら、話をしよう」
「………………」
「不条理なことを言っている自覚はあるが、今は、それで納得して欲しい。アトリ」
馬鹿だな。
それじゃあ、その選択に「君が関係している」と言っているようなものだ。
きっとそう複雑な話ではない。
ユーグレイはアトリの手をそっと下ろして、労わるように頭を撫でてくれる。
髪に差し込まれる指先が心地良くて、アトリは目を閉じたまま小さく息を吐いた。
「すまない。僕は、結局、君が大切で仕方がないらしい。君がこうやって守られることを望まないと理解しているが、今回は、今回だけは我儘を通させてくれ」
ユーグレイは懇願するように、そう囁く。
名残を惜しむように、彼の指先が首筋を辿っていった。
ああ、もう眠ったと思われているのか。
実際半分くらい夢の中のような心地だが。
すまない、と繰り返された謝罪を確かに聞いた。
そうやって本心を口にされてしまうとどうしようもない。
0地点の観測実験。
ユーグレイとクレハが望んで関わる理由など、一つしかなかった。
それを「視る」のであれば、恐らくアトリの方が適正が高いのだ。
皇国の使節団がアトリの異常性に気付いている可能性は低い。
それでも、ユーグレイとクレハが参加を拒否することで適任者探しが始まればどうなるかわからない。
そしてアトリ自身は、魔術行使に大きなリスクを負っている。
だから、だろう。
「………………アトリ」
もう良い。
そんな風に思い詰めたように名前を呼ばれると、苦しい。
ユーグレイの指先が離れて行く。
気配が、遠くなる。
わかった。
納得はしないし腹は立つが理解はした。
でもそれはそれとして、ユーグレイに行って欲しくない。
ここに、いて欲しい。
それこそ我儘なんだろうな、とアトリは伸ばしかけた手から力を抜いた。
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