1 / 1
第1章
しおりを挟む
死にたさのひとかけら
filare
「絶望するのは悪いことじゃない。弱いのは恥ずべきことじゃない。死にたいなんて言うのは弱いわけじゃないんだ。」
「死にたいっていうのは、今の私なりに考えると、それだけ疲れた証拠なんだ。それだけ何かに頑張ったってことなんだ。それだけ何かに堪えた証拠なんだ。誰にも知られずに、誰にも認められずにね。誰にもその思いを言えずに、誰に言っても無駄と思って、ひとりきりで抱え込んできた。誰かに迷惑を掛けたくないと思って、誰かに心配されたくないと思って、いろいろな重いものや暗いものや苦しいものを、ひとりきりで抱え込んでいた証拠なんだよ。私はそう信じているよ。」
「だから恥じることでもないし、それはあなたの弱さじゃない。それはあなたのせいじゃないし、誰のせいでもないんだ。誰を恨むべきでもないんだ。仮に未来の自分が精神を拗らせて病気になっていたとしても、それは自分を責めるんじゃなくて、むしろ誇りに思うべきなんだ。むしろ死にたいって思ったら、そのときに自分をほめるべきなんだよ。自分を受け入れるべきなんだ。難しいだろうけどね。」
自分でも気が付かないうちに、頬を冷たく透明な何かが伝った。
それが涙だと気付くまで、少しの時間を要した。
私の手の中にある色あせた手紙は、15年前のあの時を確かに思い出させた。
「泣いてもいいんだよ。苦しいって叫んでもいいんだよ。誰かに助けを求めてもいい。そんなにつらいのなら、ひとりで抱え込む必要も本当は無いんだ。誰一人として静寂の中で悩む必要なんてない。でも、それができないから辛いんだよね。それが出来ないからみんな自分を追い詰めていくんだよね。それができないからこそみんな自分で命を絶っていくんだよ。」
「未来の自分へ。」
それは確かに私の筆跡で、それは微かに幼さを示していた筆跡だった。
「元気ですか?いや、正直に言うと今の私にとって、未来の自分が元気でも病気でもどうでもいい。何もかもを投げ出してもいい。散々何かから逃げ回ってもいい。当たりくじを引けない人生だっていい。外ればかりの人生だっていい。それは関係ないから、どうだっていいから、ただ強く生きてほしいんだ。それが厳しいなら、せめてそこで生きていてほしいんだ。でもできれば、強く生きていてほしい。流されたりしないで、強く生きてほしいんだ。誰かを守りたいと思えたそのときに後悔しないように、強く生きてほしいんだ。生きていたいと思えたそのときに後悔しないように、強く生きてほしいんだ。」
私のかつての筆跡が思い出をよみがえらせ、この部屋の静寂の中に、確かに思い出を呼び返していった。
「元気かなんかよりも、自分が自分でいてほしいと思っている。たとえ病気でも強く生きている人はいるし、たとえ健康でも自分を持たずに流されている人もいるから。まあ、そんな事よりも、私はあなたが心配だ。今自分は死にたいと思っているか?消えたいと思っているか?いっそ自分自身なんて無くなっちゃえばいいと思っているか?それとも誰かのかわりに死ねたらどんなにいいかと思っているか?仮にそう思っていないなら、それは幸せなことで感謝すべきことだが、この手紙はたいしてあなたの役に立たないだろう……」
私は4畳半の狭い部屋で、色あせたアルバムをめくっていた。
秋の風が窓の外を冬色に染めていく。
山の方では、10月なのに雪が降っているという。
その写真の隙間から、この手紙が零れ落ちたのだった。
「この国は何と暗い国だろうか。成人年齢になっていない私が見てもそう思う。いじめられる可能性や不登校になる可能性を潜り抜けて義務教育を卒業したら、課題の量で忙殺される自称進学校や、授業するのか寝るために行くのかさえ分からないような底辺高校や、もしくは大学受験のためだけにあるような進学校に入る。やっと学生時代を終え、大人になり、やっと自由になれたかと思ったら、満員電車の洗礼を受けて、みんな同じ黒いスーツに身を包んで、過労やブラック企業が待っている。もしくはワークライフバランスなんてものを到底満たせないような非常勤ライフが待っている。それをくぐりぬけて定年になり、高齢者になったころには体の節々が痛んでいる。若いころにためていったやりたいことやしたいことなどできなくなっていく。寂しく孤独死するということだってあり得る。」
「こんな社会で私たちは生きているんだ。仕方なく生を享けたからには生きていくんだ。でも、そのうちのどこかで交通事故や自然災害にあって命を失っているかもしれない。誰もが還暦を迎えられるわけじゃないし、誰もが大人になるまで生きられるわけじゃないからね。飢えや貧困がなくなったこの時代には、誰もが100年近く生きられると思っている人も多いだろうけど、それは絶対に真実にはならない。」
「いったい誰がこの世界に私を産み落としたのか?この苦しみと悲しみと憎しみが飛び交うこの醜い世界に?それは紛れもない両親が性行為をして一瞬の気持ちいい快楽のために私を産んだのだけれど、こんなに世界が暗いものだからこそ『反出生主義(アンチナタリズム)』なんてものがあるくらいだし、私も今から変えられるものなら生まれてきたくはなかった。でも生まれてしまった以上、私はここから死ぬまで抜け出せない。――「自殺」という方法をとらない限りは、私はいつまでここにいられるかはわからない――死ぬまで抜け出せないのだから、どうせなら死にたいと思わずに、生きたいと思って、生きるべきだという【理想論】は、私にももちろんあなたにもわかるはずだ。」
「よく自殺防止のために年取った人が学校に呼ばれて、『あなたたちがここに生まれてきたこと、ここに生きていることは奇跡なんですよ!そして同じ教室で同じことを学んでいるのも奇跡なんですよ!』などと宗教の説教みたいな話を聞かされてきた。もしくは『親より先に死ぬのは親不孝だ!精一杯生きなさい!』なんて言ったりもする。でも彼らは何もわかっていない。奇跡だろうと何だろうと私は今ここにいるし、この手紙を読んでいる時点であなたもここにいる。さっき言ったような人生の途中(まあ、この表現にも私は異議があるが)で自殺をしたりしないで、また誰かに殺されたりもしないで、また、災害や戦争や銃撃戦やテロリズムや交通事故に巻き込まれたりしないで、ここにあなたはいる。そしてここに私はいる。それはかけがえのない事で、感謝すべきことで、それでもう奇跡なんですよね。でも、それは奇跡だから感謝しろというよりかは、感謝できる社会を本来は作るべきなんですけどね、そこは大人たちは何もしないんですよね。」
あの頃の、ひたむきに生きていた自分が、あの頃の、健気に生きていた自分が、私に何かを訴えてくる。
私の心にあった何かを和らげていく。
「死にたい」という感情に、「消えたい」という感情に、支配されていた今を変えていく。
「その話をする前に、まずは形式的に近況を書いておきますね。こんなところは正直どうだっていいんです。読み飛ばしてもらってもいいんです。少しだけ過去の自分があなたの時間を奪います。お付き合いしなくてもいいんですよ、あなたが忙しいならば。」
この家だけは、世界から隔絶された温もりを持っている。
この手紙を持つ手だけは、誰かの凍った心を解凍できるくらいの温かさを持っていた。
「……私は今日、慣れ親しんだわけでもない中学校を卒業しました。大人たちはここから新しい生活が始まるというけれど、通う学校が変わったくらい何も変わらないとは思いますが……」
中学時代、あの輝いていた時代に、私は人には知られない影をもって生きていた。
思えば周りには春が来ているのに、私にはその季節は秋だった。
何かを悟り、級友が知らない何かを知っていたように、私は大人ぶっていた。
何かを悟っていて、それゆえに級友の輪の中には入れずにいた。
手紙の隙間から、証明写真のような無表情な写真がこぼれて落ちた。
これは確かに中学時代の制服で、これは確かに私だった。
卒業アルバムの写真はみんな笑っているのに、私だけは、教室の隅で何かを探して、何かに追われて生きていた。
何かというのは本で、活字で、それは決して級友が「おもしろい!」とは言わないようなものだった。
いわゆる「陰キャ」という今の言葉で済ましてしまえばいいのかもしれない。そんなものだった。
この地面を少しずつ揺らしているような、そしてそれが地球中を巡回しているような、そんな憎しみや怒り。
空から降る冷たい雨のような、遠くから吹く冷たい風のような、そんな悲しみや苦しみ。
それらを知らずに、温かい温室の中で、日が当たる温室の中で、笑っていた級友たち。
私はそれを知っていたから、そこに入ることは出来なかった。
「15年後の自分を想定してこの手紙は書かれていまして、第一学校側からの指示が『30歳の自分へ』というものなのでこればかりはどうしようもなく、それまで生きる前提でこの手紙は書かれています。私は『大人になって、結婚して、こどもを授かって、それなりの仕事に就き、【普通に】生きている私』など最早想像していませんし、第一それが普通だとしてもそうできない人を私は知っていますから……」
15年前の私は、この15年の間に何があったかなんてもちろん知らないだろう。
それでも、この世界のゆがみやくぼみを知らないような、この世界は清純な空気で満たされていると信じているような、そんな純粋な子供が思い描くような自分なんていうものにはなれていないことには変わりなかった。
いまの私が、『大人になって、結婚して、こどもを授かって、それなりの仕事に就き、【普通に】生きている私』になれていないのは確かだった。
あの頃の級友が思い描いていたような、輝かしい人生だったり、楽しみと嬉しさに満ちた人生だったりを、私は送れていないのは確かだった。
ときどき、趣味で級友のSNSというものを見てみることがある。
美味しい料理、綺麗な景色、それらに囲まれている彼女たちは幸せそうに見えている。
ただ、いまでも私はあの輪の中には入れない。
あの「作られた幸せ」の中に私は入れる自信がない。溶け込める自信がない。
「私は教室の隅で論文や学会誌を読むのが趣味でして、それはなかなか気持ちいいものだったんですが、どうしても私は何かに抗っていたんです。それは大人たちが作り上げた既成の価値観や、この社会の闇をなす意味のない秩序と言ったものでした。もちろん校則に反抗すると面倒だったのでそうはせずにいましたが……」
あの頃の私は、そして今日の私も、何かに抗いながら、何かを探しながら生きてきた。
抗っているものは過去の自分の言う通り既成概念や縛られている秩序といったものだろう。
その探しているものは、いまだに見つかっていないし、そもそも何なのかすらわかっていないほどだ。
結婚相手でも天職でもなく、また素晴らしい住居でも莫大な富でもなく、また称賛に値するような地位や名声でもなく、それでは一体全体何なんだろう。
「さて、本題に入ろう。死にたい理由は理屈ではないし、構ってほしいから言っているわけでもなければ、その人の心が弱いからそう言っているのではない。それはいろいろなものに苦しんで、抑圧されて声が出せなくなった自分の、最後の心からの叫びなんだ。辛い事や苦しい事があると、最初はこれくらいは耐えられると思うでしょう?でも、だんだんそれが溜まり溜まって、だんだん耐えられなくなっていくと同時に周りに言えなくなって、言えなくなったものがまた溜まって、最後には苦しいとか辛いとかいう感情もなくなって、ここからいなくなりたいとか、楽になりたいとか、もういっそ死にたいという感情だけが残るんだ。」
「繰り返す。大事なことだと思うから、何度でも繰り返す。絶望するのは悪いことじゃない。弱いのは恥ずべきことじゃない。死にたいなんて言うのは弱いわけじゃないんだ。」
「死にたいっていうのは、今の私なりに考えると、それだけ疲れた証拠なんだ。それだけ何かに頑張ったってことなんだ。それだけ何かに堪えた証拠なんだ。誰にも知られずに、誰にも認められずにね。誰にもその思いを言えずに、誰に言っても無駄と思って、ひとりきりで抱え込んできた。誰かに迷惑を掛けたくないと思って、誰かに心配されたくないと思って、いろいろな重いものや暗いものや苦しいものを、ひとりきりで抱え込んでいた証拠なんだよ。私はそう信じているよ。」
「心を病んでいる人は弱い人じゃない。それだけ繊細な人なんだ。心を病んでいる人は、それだけ臆病者なんかじゃない。それだけ傷つきやすい人なんだ。だから自分を恥じなくてもいいんだ。」
「優しくなりたいともしあなたが想っているとしたら、それだけで十分優しいんだよ。強くなりたいともしあなたが想っているなら、それだけで十分あなたは強いんだ。優しくない人は『自分は優しい』と思っているし、強くない人は『自分は強い』と思っているからね。」
「弱いっていうのは、自分を持っていないで、誰かの言いなりになることなんだ。たかだかその時代の人が決めたに過ぎない社会の規則や秩序に従って、従いすぎて、従順になりすぎて、そこから何もできなくなることなんだ。強いとか弱いとかいうのは決して」
filare
「絶望するのは悪いことじゃない。弱いのは恥ずべきことじゃない。死にたいなんて言うのは弱いわけじゃないんだ。」
「死にたいっていうのは、今の私なりに考えると、それだけ疲れた証拠なんだ。それだけ何かに頑張ったってことなんだ。それだけ何かに堪えた証拠なんだ。誰にも知られずに、誰にも認められずにね。誰にもその思いを言えずに、誰に言っても無駄と思って、ひとりきりで抱え込んできた。誰かに迷惑を掛けたくないと思って、誰かに心配されたくないと思って、いろいろな重いものや暗いものや苦しいものを、ひとりきりで抱え込んでいた証拠なんだよ。私はそう信じているよ。」
「だから恥じることでもないし、それはあなたの弱さじゃない。それはあなたのせいじゃないし、誰のせいでもないんだ。誰を恨むべきでもないんだ。仮に未来の自分が精神を拗らせて病気になっていたとしても、それは自分を責めるんじゃなくて、むしろ誇りに思うべきなんだ。むしろ死にたいって思ったら、そのときに自分をほめるべきなんだよ。自分を受け入れるべきなんだ。難しいだろうけどね。」
自分でも気が付かないうちに、頬を冷たく透明な何かが伝った。
それが涙だと気付くまで、少しの時間を要した。
私の手の中にある色あせた手紙は、15年前のあの時を確かに思い出させた。
「泣いてもいいんだよ。苦しいって叫んでもいいんだよ。誰かに助けを求めてもいい。そんなにつらいのなら、ひとりで抱え込む必要も本当は無いんだ。誰一人として静寂の中で悩む必要なんてない。でも、それができないから辛いんだよね。それが出来ないからみんな自分を追い詰めていくんだよね。それができないからこそみんな自分で命を絶っていくんだよ。」
「未来の自分へ。」
それは確かに私の筆跡で、それは微かに幼さを示していた筆跡だった。
「元気ですか?いや、正直に言うと今の私にとって、未来の自分が元気でも病気でもどうでもいい。何もかもを投げ出してもいい。散々何かから逃げ回ってもいい。当たりくじを引けない人生だっていい。外ればかりの人生だっていい。それは関係ないから、どうだっていいから、ただ強く生きてほしいんだ。それが厳しいなら、せめてそこで生きていてほしいんだ。でもできれば、強く生きていてほしい。流されたりしないで、強く生きてほしいんだ。誰かを守りたいと思えたそのときに後悔しないように、強く生きてほしいんだ。生きていたいと思えたそのときに後悔しないように、強く生きてほしいんだ。」
私のかつての筆跡が思い出をよみがえらせ、この部屋の静寂の中に、確かに思い出を呼び返していった。
「元気かなんかよりも、自分が自分でいてほしいと思っている。たとえ病気でも強く生きている人はいるし、たとえ健康でも自分を持たずに流されている人もいるから。まあ、そんな事よりも、私はあなたが心配だ。今自分は死にたいと思っているか?消えたいと思っているか?いっそ自分自身なんて無くなっちゃえばいいと思っているか?それとも誰かのかわりに死ねたらどんなにいいかと思っているか?仮にそう思っていないなら、それは幸せなことで感謝すべきことだが、この手紙はたいしてあなたの役に立たないだろう……」
私は4畳半の狭い部屋で、色あせたアルバムをめくっていた。
秋の風が窓の外を冬色に染めていく。
山の方では、10月なのに雪が降っているという。
その写真の隙間から、この手紙が零れ落ちたのだった。
「この国は何と暗い国だろうか。成人年齢になっていない私が見てもそう思う。いじめられる可能性や不登校になる可能性を潜り抜けて義務教育を卒業したら、課題の量で忙殺される自称進学校や、授業するのか寝るために行くのかさえ分からないような底辺高校や、もしくは大学受験のためだけにあるような進学校に入る。やっと学生時代を終え、大人になり、やっと自由になれたかと思ったら、満員電車の洗礼を受けて、みんな同じ黒いスーツに身を包んで、過労やブラック企業が待っている。もしくはワークライフバランスなんてものを到底満たせないような非常勤ライフが待っている。それをくぐりぬけて定年になり、高齢者になったころには体の節々が痛んでいる。若いころにためていったやりたいことやしたいことなどできなくなっていく。寂しく孤独死するということだってあり得る。」
「こんな社会で私たちは生きているんだ。仕方なく生を享けたからには生きていくんだ。でも、そのうちのどこかで交通事故や自然災害にあって命を失っているかもしれない。誰もが還暦を迎えられるわけじゃないし、誰もが大人になるまで生きられるわけじゃないからね。飢えや貧困がなくなったこの時代には、誰もが100年近く生きられると思っている人も多いだろうけど、それは絶対に真実にはならない。」
「いったい誰がこの世界に私を産み落としたのか?この苦しみと悲しみと憎しみが飛び交うこの醜い世界に?それは紛れもない両親が性行為をして一瞬の気持ちいい快楽のために私を産んだのだけれど、こんなに世界が暗いものだからこそ『反出生主義(アンチナタリズム)』なんてものがあるくらいだし、私も今から変えられるものなら生まれてきたくはなかった。でも生まれてしまった以上、私はここから死ぬまで抜け出せない。――「自殺」という方法をとらない限りは、私はいつまでここにいられるかはわからない――死ぬまで抜け出せないのだから、どうせなら死にたいと思わずに、生きたいと思って、生きるべきだという【理想論】は、私にももちろんあなたにもわかるはずだ。」
「よく自殺防止のために年取った人が学校に呼ばれて、『あなたたちがここに生まれてきたこと、ここに生きていることは奇跡なんですよ!そして同じ教室で同じことを学んでいるのも奇跡なんですよ!』などと宗教の説教みたいな話を聞かされてきた。もしくは『親より先に死ぬのは親不孝だ!精一杯生きなさい!』なんて言ったりもする。でも彼らは何もわかっていない。奇跡だろうと何だろうと私は今ここにいるし、この手紙を読んでいる時点であなたもここにいる。さっき言ったような人生の途中(まあ、この表現にも私は異議があるが)で自殺をしたりしないで、また誰かに殺されたりもしないで、また、災害や戦争や銃撃戦やテロリズムや交通事故に巻き込まれたりしないで、ここにあなたはいる。そしてここに私はいる。それはかけがえのない事で、感謝すべきことで、それでもう奇跡なんですよね。でも、それは奇跡だから感謝しろというよりかは、感謝できる社会を本来は作るべきなんですけどね、そこは大人たちは何もしないんですよね。」
あの頃の、ひたむきに生きていた自分が、あの頃の、健気に生きていた自分が、私に何かを訴えてくる。
私の心にあった何かを和らげていく。
「死にたい」という感情に、「消えたい」という感情に、支配されていた今を変えていく。
「その話をする前に、まずは形式的に近況を書いておきますね。こんなところは正直どうだっていいんです。読み飛ばしてもらってもいいんです。少しだけ過去の自分があなたの時間を奪います。お付き合いしなくてもいいんですよ、あなたが忙しいならば。」
この家だけは、世界から隔絶された温もりを持っている。
この手紙を持つ手だけは、誰かの凍った心を解凍できるくらいの温かさを持っていた。
「……私は今日、慣れ親しんだわけでもない中学校を卒業しました。大人たちはここから新しい生活が始まるというけれど、通う学校が変わったくらい何も変わらないとは思いますが……」
中学時代、あの輝いていた時代に、私は人には知られない影をもって生きていた。
思えば周りには春が来ているのに、私にはその季節は秋だった。
何かを悟り、級友が知らない何かを知っていたように、私は大人ぶっていた。
何かを悟っていて、それゆえに級友の輪の中には入れずにいた。
手紙の隙間から、証明写真のような無表情な写真がこぼれて落ちた。
これは確かに中学時代の制服で、これは確かに私だった。
卒業アルバムの写真はみんな笑っているのに、私だけは、教室の隅で何かを探して、何かに追われて生きていた。
何かというのは本で、活字で、それは決して級友が「おもしろい!」とは言わないようなものだった。
いわゆる「陰キャ」という今の言葉で済ましてしまえばいいのかもしれない。そんなものだった。
この地面を少しずつ揺らしているような、そしてそれが地球中を巡回しているような、そんな憎しみや怒り。
空から降る冷たい雨のような、遠くから吹く冷たい風のような、そんな悲しみや苦しみ。
それらを知らずに、温かい温室の中で、日が当たる温室の中で、笑っていた級友たち。
私はそれを知っていたから、そこに入ることは出来なかった。
「15年後の自分を想定してこの手紙は書かれていまして、第一学校側からの指示が『30歳の自分へ』というものなのでこればかりはどうしようもなく、それまで生きる前提でこの手紙は書かれています。私は『大人になって、結婚して、こどもを授かって、それなりの仕事に就き、【普通に】生きている私』など最早想像していませんし、第一それが普通だとしてもそうできない人を私は知っていますから……」
15年前の私は、この15年の間に何があったかなんてもちろん知らないだろう。
それでも、この世界のゆがみやくぼみを知らないような、この世界は清純な空気で満たされていると信じているような、そんな純粋な子供が思い描くような自分なんていうものにはなれていないことには変わりなかった。
いまの私が、『大人になって、結婚して、こどもを授かって、それなりの仕事に就き、【普通に】生きている私』になれていないのは確かだった。
あの頃の級友が思い描いていたような、輝かしい人生だったり、楽しみと嬉しさに満ちた人生だったりを、私は送れていないのは確かだった。
ときどき、趣味で級友のSNSというものを見てみることがある。
美味しい料理、綺麗な景色、それらに囲まれている彼女たちは幸せそうに見えている。
ただ、いまでも私はあの輪の中には入れない。
あの「作られた幸せ」の中に私は入れる自信がない。溶け込める自信がない。
「私は教室の隅で論文や学会誌を読むのが趣味でして、それはなかなか気持ちいいものだったんですが、どうしても私は何かに抗っていたんです。それは大人たちが作り上げた既成の価値観や、この社会の闇をなす意味のない秩序と言ったものでした。もちろん校則に反抗すると面倒だったのでそうはせずにいましたが……」
あの頃の私は、そして今日の私も、何かに抗いながら、何かを探しながら生きてきた。
抗っているものは過去の自分の言う通り既成概念や縛られている秩序といったものだろう。
その探しているものは、いまだに見つかっていないし、そもそも何なのかすらわかっていないほどだ。
結婚相手でも天職でもなく、また素晴らしい住居でも莫大な富でもなく、また称賛に値するような地位や名声でもなく、それでは一体全体何なんだろう。
「さて、本題に入ろう。死にたい理由は理屈ではないし、構ってほしいから言っているわけでもなければ、その人の心が弱いからそう言っているのではない。それはいろいろなものに苦しんで、抑圧されて声が出せなくなった自分の、最後の心からの叫びなんだ。辛い事や苦しい事があると、最初はこれくらいは耐えられると思うでしょう?でも、だんだんそれが溜まり溜まって、だんだん耐えられなくなっていくと同時に周りに言えなくなって、言えなくなったものがまた溜まって、最後には苦しいとか辛いとかいう感情もなくなって、ここからいなくなりたいとか、楽になりたいとか、もういっそ死にたいという感情だけが残るんだ。」
「繰り返す。大事なことだと思うから、何度でも繰り返す。絶望するのは悪いことじゃない。弱いのは恥ずべきことじゃない。死にたいなんて言うのは弱いわけじゃないんだ。」
「死にたいっていうのは、今の私なりに考えると、それだけ疲れた証拠なんだ。それだけ何かに頑張ったってことなんだ。それだけ何かに堪えた証拠なんだ。誰にも知られずに、誰にも認められずにね。誰にもその思いを言えずに、誰に言っても無駄と思って、ひとりきりで抱え込んできた。誰かに迷惑を掛けたくないと思って、誰かに心配されたくないと思って、いろいろな重いものや暗いものや苦しいものを、ひとりきりで抱え込んでいた証拠なんだよ。私はそう信じているよ。」
「心を病んでいる人は弱い人じゃない。それだけ繊細な人なんだ。心を病んでいる人は、それだけ臆病者なんかじゃない。それだけ傷つきやすい人なんだ。だから自分を恥じなくてもいいんだ。」
「優しくなりたいともしあなたが想っているとしたら、それだけで十分優しいんだよ。強くなりたいともしあなたが想っているなら、それだけで十分あなたは強いんだ。優しくない人は『自分は優しい』と思っているし、強くない人は『自分は強い』と思っているからね。」
「弱いっていうのは、自分を持っていないで、誰かの言いなりになることなんだ。たかだかその時代の人が決めたに過ぎない社会の規則や秩序に従って、従いすぎて、従順になりすぎて、そこから何もできなくなることなんだ。強いとか弱いとかいうのは決して」
0
この作品は感想を受け付けておりません。
あなたにおすすめの小説
私の息子を“愛人の子の下”にすると言った夫へ──その瞬間、正妻の役目は終わりました
放浪人
恋愛
政略結婚で伯爵家に嫁いだ侯爵令嬢リディアは、愛のない夫婦関係を「正妻の務め」と割り切り、赤字だらけの領地を立て直してきた。帳簿を整え、税の徴収を正し、交易路を広げ、収穫が不安定な年には備蓄を回す――伯爵家の体裁を保ってきたのは、いつも彼女の実務だった。
だがある日、夫オスヴァルドが屋敷に連れ帰ったのは“幼馴染”の女とその息子。
「彼女は可哀想なんだ」
「この子を跡取りにする」
そして人前で、平然と言い放つ。
――「君の息子は、愛人の子の“下”で学べばいい」
その瞬間、リディアの中で何かが静かに終わった。怒鳴らない。泣かない。微笑みすら崩さない。
「承知しました。では――正妻の役目は終わりましたね」
サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします
二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位!
※この物語はフィクションです
流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。
当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。
冷遇王妃はときめかない
あんど もあ
ファンタジー
幼いころから婚約していた彼と結婚して王妃になった私。
だが、陛下は側妃だけを溺愛し、私は白い結婚のまま離宮へ追いやられる…って何てラッキー! 国の事は陛下と側妃様に任せて、私はこのまま離宮で何の責任も無い楽な生活を!…と思っていたのに…。
英雄一家は国を去る【一話完結】
青緑 ネトロア
ファンタジー
婚約者との舞踏会中、火急の知らせにより領地へ帰り、3年かけて魔物大発生を収めたテレジア。3年振りに王都へ戻ったが、国の一大事から護った一家へ言い渡されたのは、テレジアの婚約破棄だった。
- - - - - - - - - - - - -
ただいま後日談の加筆を計画中です。
2025/06/22
可愛らしい人
はるきりょう
恋愛
「でも、ライアン様には、エレナ様がいらっしゃるのでは?」
「ああ、エレナね。よく勘違いされるんだけど、エレナとは婚約者でも何でもないんだ。ただの幼馴染み」
「それにあいつはひとりで生きていけるから」
女性ながらに剣術を学ぶエレナは可愛げがないという理由で、ほとんど婚約者同然の幼馴染から捨てられる。
けれど、
「エレナ嬢」
「なんでしょうか?」
「今日の夜会のパートナーはお決まりですか?」
その言葉でパートナー同伴の夜会に招待されていたことを思い出した。いつものとおりライアンと一緒に行くと思っていたので参加の返事を出していたのだ。
「……いいえ」
当日の欠席は著しく評価を下げる。今後、家庭教師として仕事をしていきたいと考えるのであれば、父親か兄に頼んででも行った方がいいだろう。
「よければ僕と一緒に行きませんか?」
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる