仇討ちの娘

サクラ近衛将監

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第二章 共に生きるために

2ー14 加賀藩邸の彩華

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「私は、必ずしも朝廷に属するものではございませんが、それでも権大納言を得て公家扱いはされております故、相応の情報は入って参ります。」

「であろうのう。
 儂は、特段に朝廷との結びつきを強化して幕府に手向かいいたすような意図は持たぬ。
 上皇様は余りに幕府に楯を突きすぎるし、今上天皇は余りに幕府に寄りすぎる。
 儂は、そのようなお二人には興味はないが、実のところ宗徳殿には興味がある。
 飄々ひょうひょうとして掴みどころのない人物と言うのが、儂の細索の報告じゃ。
 品よく、武芸を収め、今また政治には関心を寄せては居らずとも、情報はしっかりと得ておる様子。
 仮に、彩華が居らずば、我が娘、我が孫の一人なりとも嫁がせたい人物じゃと思うておった。
 そうして、儂が京を訪れたい最も大きな理由は、寺社仏閣であり、公家を中心としたみやびの文化じゃ。
 それを我が目で確かめ、我が領地金沢でその再興或いは発展を期したいのじゃ。」

「昨日、彩華とも良く話し合ってございます。
 前田様がお望みであれば、卯月うげつ下旬又は皐月さつき上旬まで祝言は待つということで決めておりまする。
 その間、彩華を前田様のお手元にて養育していただければと存じております。」

「相わかった。
 宗徳殿の都合で良き日を選び、知らせてくれればよい。
 参勤はそれに合わせて都合いたす。
 そうして本日只今より、彩華を我が藩邸で預かる。
 彩華の身柄は、来年初夏の時期に儂自らが松倉宗徳の元へしかと送り届けよう。
 しかし、良き男じゃ。
 我が跡継ぎで欲しかったなぁ。」
 
 上座に座った内裏雛だいりびな二人が揃って前田公にお辞儀をした。

 ◇◇◇◇

 宗徳は、三次と吉野を連れて加賀藩邸を辞去した。
 お咲と八太はそのまま彩華のお付として加賀藩邸に残ることになっていた。

 吉野は岡崎へ、宗徳と三次は京へ戻ることになっていた。
 その日から、彩華は姫と呼ばれる身分で加賀藩上屋敷に住まいすることになった。

 無論、生活の大部分がこれまでと一変してしまった。
 しかしながら、変わらない部分もある。

 朝まだ暗いうちに身支度をして、寝所の庭先に降り、真剣を構え鍛錬をするのである。
 その習慣はお咲が知っており、傍らの縁側にはいつもお咲がついていた。

 刀は前田綱紀から拝領した備前長船である。
 結納の儀が終わり、玄関先まで宗徳を見送った彩華に、綱紀がたずねたのである。

「さて、これよりしばらくは我が屋敷に逗留とうりゅうすることになるが、何か必要な物があるかな?」

 彩華の当座必要なものは、長持ち二つに分けられ、結納の品と一緒に藩邸へ運び込まれていた。

「はい、叶うならば剣をお借りしとうございます。」

「ほう、剣とは、また、思いもかけぬ望みじゃな。
 身を守る小太刀か懐剣が望みか?」

「いえ、大刀を・・・。」

「大刀?」

 しばし、口を開けたまま声を発せない綱紀であったが、やがて思い出したように言った。

「そうか、そなたは先頃評判になった仇討の折に、目録まで取った仇をただの一刀の元に斬り捨てたと聞いたな。
 剣術が好きか?」

「いいえ、剣術が好きなわけではございませぬが、宗徳様の元へ嫁ぐならば、我が身は自分で守らねばいつの日か宗徳様の重荷になってしまいます。
 そのために、これまで鍛錬を続けて参りました。
 これからこの藩邸内で暮らす身であれば、我儘わがままも申せないとは存じますが、せめて朝餉あさげの前の剣の鍛錬だけは続けとうございます。」

 にっこりと笑った綱紀は言った。

「あいわかった。
 そなたは武家の娘としての覚悟がようできておるようじゃ。
 その律義さに免じてそなたに刀を下げ渡そう。
 後ほど、そなたの元へ届けさせる。
 明日の鍛錬には間に合うようにな。」

 その様な経緯で下げ渡された名刀であるが、彩華は最初に四半時も正眼に構えたまま不動の姿勢を取る。
 それから気を込めて剣を振るうが、一振りだけである。

 暫しの休息をとって再度一振りを試みる。
 四半時の間に五十回ほどの斬撃を振り、一休みをする。

 仇討をした頃は、三十回も行うと腕が上がらなくなっていたが、近頃は随分と楽になっており、振りも勢いを増したと自分でも感じている。
 更に陽が昇るまで足運びの鍛錬を行う。

 左右に或いは前後に一歩の半分ほどもすっと動くだけであるが、時折正眼に構えた剣を左右に僅かにずらす。
 撃ち込んできた相手の刃先を僅かにずらす鍛錬である。

 最初の頃は、仮想の敵が見えなかった。
 だが最近は、仮想の敵の撃ち込みを思い描くことができるようになっていた。

 身体を左にずらすときは右に刃先をずらすのだが、思い通りに身体が動くようになるまでは、実のところ随分とかかったものである。
 今は身体がその動きを覚えており、瞬時に動けるようになっている。

 そうして次にはたいかわしてからの斬撃を十振りほど行って、朝餉の前の鍛錬を終えるのである。
 鍛錬が終わるとお咲が手拭いを渡してくれる。

 以前ほどではないが、うっすらと汗をかいてしまうほどの運動量はあるのである。
 自室で着替えて待っていると奥女中の手で朝餉が用意されて、目の前に出される。

 岡崎では確かに下男や女中がいて色々と手伝ってはくれるが、専ら自分で何事もしていた。
 母郁代いくよしつけが厳しいこともあったが、武家の妻女は家の事ならば何でもできるようになりなされと言われて育ったからだ。

 掃除、洗濯、炊事と何でもこなしてきた。
 だが、ここでは奥女中がついており、何事も他人にゆだねなければならない。

 昨日、結納の儀が終わって割り当てられた自室に案内されるとすぐに、奥女中頭が数人の奥女中を引き連れてやってきた。
 この屋敷での身の処し方を教えにやってきたのである。

 色々と約束事はあるが、要は全てを奥女中に任せて余計な手出しはしてはならないということであった。
 奥女中頭のお雅おまさの背後に控えていたのが、彩華の付け女中であった。

 筆頭は四十がらみのやや小太りで『おかね』という。
 そのほかは、行儀見習いでご奉公に上がっている娘の様であるが、古参は少し年増になるお多恵たえ、藩邸に奉公を初めて二年半になり、もう半年で年季明けになるようだ。

 年若いのはおきく、お沙英さえ、おようであるが、お菊とお沙英は奉公に来て二年近くになるようだ。
 お葉はまだ一年足らずで年は十六歳である。

 お咲と同じ年齢であるが、経験はお葉の方が上である。
 お咲は、無論専属の奥女中として彩華に付き添っている。

 朝餉は卯の下刻うのげこく(午前7時頃)である。
 彩華が食事を終えると、女中たちが交代しながら台所で食事を戴く。

 その間、彩華は着替えをしなければならない。
 華やかな振袖衣装に着替えさせられるのである。

 運ばれた長持ちの中には白木屋の主伝兵衛が用意してくれた着物が十着ほども入っていた。
 母からもらった振袖も一緒に入っていたが、あつらえた反物に比べるとさすがにかすんで見えてしまう。

 今日の午後には、彩華の着物を誂えるために寸法を測ると言われていた。
 何しろ二百反の反物が運び入れられているのであるから、材料に困ることはない。

 加賀藩御用達の呉服屋がそのうち五十反を持ち帰って、新たに着物を作るようだ。
 五十着もの着物を一体どうやって着るのか見当もつかないが、とにかくそうなっているそうな。

 着替え終ると生け花の師匠となる奥女中がやってきて、一刻ほど手習いをする。
 昼餉を食べて、採寸を行った後、藩邸の東側にある別棟に赴き、前田まえだ吉徳よしのり様にご挨拶をせねばならない。

 前田吉徳様は、二十三歳で綱紀様の三男であるが、養女になった彩華にとっては義兄にあたるお人だ。
 吉徳さまの母はご側室の預玄院よげんいん様である。

 奥方はまだいないので独り身である。
 そのほかにも綱紀様には女のお子が五人いらっしゃるが、いずれも他家に嫁がれている。

 何れも大名家の正室であるから、一年に二度ほどは加賀藩邸にお越しになることもあり、あるいは彩華がいる間にお会いできるやも知れない。
 綱紀様の御長男と次男は幼いうちに亡くなられたようだ。

 また五男にあたる利章としあき様は、既に親戚筋の大聖寺藩に養子に行かれ、現在は家督を継がれて藩主となっている。
 養母に当たる松嶺院しょうれいいん様とご側室の預玄院様には、昨日の内にご挨拶している。

 どちらも馥郁ふくいくとしたお顔の持ち主であり、おっとりとした話し方をされる方達である。
 このお二人はそれぞれおねやを辞退して久しいらしい。

 綱紀様に現在は特に決まったご側室はいないようである。
 もっとも、当に還暦を過ぎた年齢であるから、ご側室の要もないのかもしれない。

 これらの情報は全ておかねから予め知らされていた。
 本来ならば、御挨拶は昨日か今日の午前中に済ませるべきであったのだが、あいにくと吉徳様が他出されているということで、吉徳様の挨拶は今日の午後になったのである。

 吉徳様の朝の目覚めは相当に悪いらしく、いつもの上刻か下刻(午前9時から10時頃)になるらしいので、午前中の御挨拶は遠慮するとの取り決めがあるようだ。
 父親の綱紀殿がご老体にも拘わらず隠居しないのは、どうやらこの吉徳様の日頃の行いが悪いからではないかと予想された。

 八つ時前に、別棟である能登館に赴き、吉徳様にお会いした。
 驚いたのはすぐそばに坊主頭のわらべがいたことである。

 小姓ではなく、御居間坊主と呼ばれているようであるが、四六時中吉徳様のお側についているようである。
 十歳前後で顔立ちは整っているから、或いは吉徳様の寵童ちょうどうなのかもしれない。

 吉徳様はどことなく茫洋ぼうようとしたお人で、とても英邁えいまいな綱紀様のお子であるとは思えないほどの凡庸ぼんようさであった。
 御挨拶をしたが特段に尋ねられることも無く、すぐに辞去することになった。

 付き添ってくれたおかねが、藩邸内を一通り案内してくれた。
 加賀藩上屋敷は九万坪の敷地を有し、隣接するのは松平飛騨守様上屋敷、水戸徳川家中屋敷、榊原式部大輔様上屋敷、御先手組おさきてぐみ長屋などであるが、その中では群を抜いた広さを誇っている。

 この藩邸内に常時二千名以上の家臣や従者が住んでいるのである。
 主な楼閣の数だけでも二十を超えており、渡り廊下などで複雑につながっている。

 奥女中だけでも百人を超え、下働きの者を含めると三百名を超える女手がこの邸内にいるようだ。
 その女衆の頂点に立つのが奥方様の松嶺院様なのだが、実質の差配はほとんど奥女中頭のお雅が仕切っている。

 江戸家老は、奥田おくだ清明きよあき様、お側用人は中西なかにし蔵人くらんど様でどちらも鋭敏なお方と聞き及んでいる。
 加賀藩邸での二日目は何事も無く過ぎた。

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  By サクラ近衛将監

 
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