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第一章 仇を追う娘
1ー9 怪しき気配
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その日の稽古が終わるころには、腕が棒のようになっており、柄を握った手が強張って離せなくなるほどであった。
手足の強張りはその夜床に就いてからも続き、二日目は中段の構えすら覚束ないほどであったが、松倉はそれを強いた。
それでも何とか三日の稽古に耐えきった三人である。
一振りの斬撃は、斬らねば己が死ぬという意識を三人に芽生えさせていた。
仇討の覚悟とはそれほどのものであるということが、ようやく三人にもわかったのである。
これまでも死ぬ覚悟はできていた。
だがどこかに甘えがあった。
周囲が動いてくれるし、助太刀が居るということに安心し、自分たちが仇を討つという気概にやや欠けていた。
日中はほとんど剣を握り、その力が萎えるまでの稽古をすることが己を次第に強くした。
何よりも、一振りの斬撃を行う度に、必殺の意識が強くなっていったのである。
三日目、松倉は別れ際に言った。
「明日からは、そなたたちが伝馬町の白木屋に来なさい。
白木屋で人目につかぬ稽古をするでのぉ。
白木屋にしばらく逗留するつもりで着替えなども持ってくるがよい。
既に中屋敷用人には了承を得てあるでな。」
彩華は、中屋敷での稽古が陰から覗かれていることに気が付いていた。
中間風の若い男であるが、彩華の知らぬ男である。
時折、中庭にやってきては屋敷の陰から様子を伺っているのである。
松倉が人目につかぬ稽古といったのは、そう言った好奇の目を避ける目的もあるのかもしれないと彩華は思っていた。
「私たちが三人もお邪魔しては、白木屋に迷惑が掛かりましょう。
松倉様がこれまでこの中屋敷へ参られたように、今度は私どもが毎日伝馬町へ通います。」
その言葉に松倉は頭を振った。
そうして三人を手招いてわざわざ、庭の奥まった所へ行き、そこで声を潜めて話し出した。
必然的に三人は松倉に寄り添うほどに近づいた。
「そなた達が伝馬町へ日参することはならぬ。
そなたたちの動きは、既に仇である塩崎何某を支援する者によって監視されていると思いなされ。
白木屋に日参するような動きがあれば、道筋に網を張り、そなた達が襲われることにもなりかねない。
中屋敷の中にもそのような者が入り込んでいるし、屋敷の外にも監視の目がある。
一度限りならば、きゃつらの手配も間に合わぬだろうが、二度三度となれば相手も何かと策を弄しやすくなる。
よいか、これはそなたたちの戦と思われよ。
いついかなる時にも敵が襲い来ると考えよ。」
彩華は、まさか脱藩した塩崎にそのような力があるとは思えなかった。
「まさか、そのようなことが既に脱藩した塩崎にできようとは思えませぬが・・・。」
「塩崎一人にそれほどの力はなくとも、背後についている者には可能なのだ。
彩華殿、そなたたちが箱根の山中で襲われし時、何故、あのような遅い刻限にあの場を通りかかったのだ?」
「それは、予め三島の宿場に藩からのご指図が届くようになっていたのですが、それが少し遅れてあの日の四つ時になってようやく届けられたからにございます。
ために、宿の出立が出遅れました。」
「指図とは?」
「藩内でも塩崎の行方を探索していたのですが、江戸方面に逃走したという噂が多かったものの、京・大阪の線も捨てきれませんでした。
ために、岡崎を出立の際に城代家老様より、三島の宿を今津屋と指定され、そこで最新の情報を届けるとの約定があったためにございます。
本来なれば今津屋に私たちが到着した折には届いているはずの文が、翌日の朝、陽がかなり昇ってからようやく届き、やはり江戸方面が濃厚との知らせにございました。」
「中屋敷へ急ぐように指図はなかったか?」
「はい、ございました。
それ故、四つ半ばになっていましたが先を急いだのです。」
「その遅い出立が箱根山中の襲撃を招いた。
勘ぐれば、そのように仕向けられたとは思えぬか。」
「まさか、・・・。
そのようなことが?」
「あの浪人共は金で雇われた者であって、元々山賊を生業とする者ではない。
江戸方面からやってきて、小田原宿の中野屋という旅籠に、襲撃の前日を含めて二日泊まっておる。
そなた達の箱根通過の日に朝立ちしたものとわかっている。
今一つ聞こう。
藩から伴侍がつけられなかったのは何故じゃ?」
「それは、・・・。
城代家老様が私どもの親戚筋の同道を許さなかったからと聞いております。
母方の叔父の高村助左衛門、あるいは私の母方の従兄妹にあたる狭山謙吾の二人が名乗りを上げてくれたのですが、塩崎探索のために藩内ご多忙の折ゆえこれ以上の人は割けぬと申され、許しが出なかったそうにございます。
それでも内々に叔父助左衛門が中間一人を江戸までつけてくれたのですが、沼津まで来た折に地回りのやくざといざこざに巻き込まれて怪我を負ったために、岡崎に返したのです。」
「おそらく、そのいざこざも、三島の宿に遅く届けられた文も仕組まれていたのだろう。
三島の出立が午後なれば間違いなくそなたたちは箱根宿で泊まったはず、ぎりぎりの遅立ちが可能な頃合いを見計らって岡崎からの指図が届けられたはず。」
「まさか、松倉様は御城代を疑っておいでなのですか?」
驚いたことに松倉は肯首した。
「何故に、斯波重四郎殿が三人の刺客に襲われたのか、その辺の事情は知っておるのか?」
「いえ、父が三人もの藩士に襲われるような理由に思い当たる節はありませぬ。」
「おそらくは重四郎殿は、背後に蠢く奴腹にとって知られてはならぬことを知ったか、あるいはその機会があったのだ。
それ故、密かに暗殺が企てられた。
三人の腕達者が襲えば、間違いなく襲撃はなると見込んだのだろうが、父上は予想外に強く、一人が死に、今一人が手傷を負った。
目撃者がいては面倒と弥吉殿も斬ろうとしたが、たまたま通りかかった者達が近づいたので慌てて逃走したに違いない。
本来であれば、闇から闇にそなた達の父の死を葬り、塩崎達は脱藩する気など無かったのであろう。
だが、弥吉に襲撃を見られた以上、表向き脱藩するしかなかった。
手傷を負った者を殺したのは塩崎だろうが、その塩崎も誰かに命じられて動いたのだろう。」
「それだけでは、御城代を疑う理由にはなりませぬ。
他にも家老職は居りますし、奉行など三役も高禄を食んでおられます。」
「別に高禄だから疑っているわけではない。
藩内で相応に力があるものは幾人も居ようが、そなた達に適切な指図が可能な者は城代家老ではなかったのか?
無論その側近が唆したにしても、城代がいなければ箱根山中の襲撃は無かったはず。」
「松倉様、では江戸藩邸にも御城代の息がかかった者がいると?」
「間違いない。
だから、用心しなさい。
流石にこの中屋敷で騒ぎを起こそうとは考えていないだろう。
仇討のため江戸に参ったそなた達が藩邸内で不審な死を遂げれば、藩侯水野殿の疑心を誘うことになる。
だが、藩邸外なれば秘密裏に事を運ぶことは可能だ。
木崎何某もその一派であった可能性もあり得る。」
松倉の言葉は途方もなく大きな陰謀が藩内に渦巻いていることを示唆していたが、彩華には思いもつかぬ話であり、ひたすら困惑していた。
松倉は彩華達の動揺を余所に夕暮れの迫る三田の藩邸を出て行った。
手足の強張りはその夜床に就いてからも続き、二日目は中段の構えすら覚束ないほどであったが、松倉はそれを強いた。
それでも何とか三日の稽古に耐えきった三人である。
一振りの斬撃は、斬らねば己が死ぬという意識を三人に芽生えさせていた。
仇討の覚悟とはそれほどのものであるということが、ようやく三人にもわかったのである。
これまでも死ぬ覚悟はできていた。
だがどこかに甘えがあった。
周囲が動いてくれるし、助太刀が居るということに安心し、自分たちが仇を討つという気概にやや欠けていた。
日中はほとんど剣を握り、その力が萎えるまでの稽古をすることが己を次第に強くした。
何よりも、一振りの斬撃を行う度に、必殺の意識が強くなっていったのである。
三日目、松倉は別れ際に言った。
「明日からは、そなたたちが伝馬町の白木屋に来なさい。
白木屋で人目につかぬ稽古をするでのぉ。
白木屋にしばらく逗留するつもりで着替えなども持ってくるがよい。
既に中屋敷用人には了承を得てあるでな。」
彩華は、中屋敷での稽古が陰から覗かれていることに気が付いていた。
中間風の若い男であるが、彩華の知らぬ男である。
時折、中庭にやってきては屋敷の陰から様子を伺っているのである。
松倉が人目につかぬ稽古といったのは、そう言った好奇の目を避ける目的もあるのかもしれないと彩華は思っていた。
「私たちが三人もお邪魔しては、白木屋に迷惑が掛かりましょう。
松倉様がこれまでこの中屋敷へ参られたように、今度は私どもが毎日伝馬町へ通います。」
その言葉に松倉は頭を振った。
そうして三人を手招いてわざわざ、庭の奥まった所へ行き、そこで声を潜めて話し出した。
必然的に三人は松倉に寄り添うほどに近づいた。
「そなた達が伝馬町へ日参することはならぬ。
そなたたちの動きは、既に仇である塩崎何某を支援する者によって監視されていると思いなされ。
白木屋に日参するような動きがあれば、道筋に網を張り、そなた達が襲われることにもなりかねない。
中屋敷の中にもそのような者が入り込んでいるし、屋敷の外にも監視の目がある。
一度限りならば、きゃつらの手配も間に合わぬだろうが、二度三度となれば相手も何かと策を弄しやすくなる。
よいか、これはそなたたちの戦と思われよ。
いついかなる時にも敵が襲い来ると考えよ。」
彩華は、まさか脱藩した塩崎にそのような力があるとは思えなかった。
「まさか、そのようなことが既に脱藩した塩崎にできようとは思えませぬが・・・。」
「塩崎一人にそれほどの力はなくとも、背後についている者には可能なのだ。
彩華殿、そなたたちが箱根の山中で襲われし時、何故、あのような遅い刻限にあの場を通りかかったのだ?」
「それは、予め三島の宿場に藩からのご指図が届くようになっていたのですが、それが少し遅れてあの日の四つ時になってようやく届けられたからにございます。
ために、宿の出立が出遅れました。」
「指図とは?」
「藩内でも塩崎の行方を探索していたのですが、江戸方面に逃走したという噂が多かったものの、京・大阪の線も捨てきれませんでした。
ために、岡崎を出立の際に城代家老様より、三島の宿を今津屋と指定され、そこで最新の情報を届けるとの約定があったためにございます。
本来なれば今津屋に私たちが到着した折には届いているはずの文が、翌日の朝、陽がかなり昇ってからようやく届き、やはり江戸方面が濃厚との知らせにございました。」
「中屋敷へ急ぐように指図はなかったか?」
「はい、ございました。
それ故、四つ半ばになっていましたが先を急いだのです。」
「その遅い出立が箱根山中の襲撃を招いた。
勘ぐれば、そのように仕向けられたとは思えぬか。」
「まさか、・・・。
そのようなことが?」
「あの浪人共は金で雇われた者であって、元々山賊を生業とする者ではない。
江戸方面からやってきて、小田原宿の中野屋という旅籠に、襲撃の前日を含めて二日泊まっておる。
そなた達の箱根通過の日に朝立ちしたものとわかっている。
今一つ聞こう。
藩から伴侍がつけられなかったのは何故じゃ?」
「それは、・・・。
城代家老様が私どもの親戚筋の同道を許さなかったからと聞いております。
母方の叔父の高村助左衛門、あるいは私の母方の従兄妹にあたる狭山謙吾の二人が名乗りを上げてくれたのですが、塩崎探索のために藩内ご多忙の折ゆえこれ以上の人は割けぬと申され、許しが出なかったそうにございます。
それでも内々に叔父助左衛門が中間一人を江戸までつけてくれたのですが、沼津まで来た折に地回りのやくざといざこざに巻き込まれて怪我を負ったために、岡崎に返したのです。」
「おそらく、そのいざこざも、三島の宿に遅く届けられた文も仕組まれていたのだろう。
三島の出立が午後なれば間違いなくそなたたちは箱根宿で泊まったはず、ぎりぎりの遅立ちが可能な頃合いを見計らって岡崎からの指図が届けられたはず。」
「まさか、松倉様は御城代を疑っておいでなのですか?」
驚いたことに松倉は肯首した。
「何故に、斯波重四郎殿が三人の刺客に襲われたのか、その辺の事情は知っておるのか?」
「いえ、父が三人もの藩士に襲われるような理由に思い当たる節はありませぬ。」
「おそらくは重四郎殿は、背後に蠢く奴腹にとって知られてはならぬことを知ったか、あるいはその機会があったのだ。
それ故、密かに暗殺が企てられた。
三人の腕達者が襲えば、間違いなく襲撃はなると見込んだのだろうが、父上は予想外に強く、一人が死に、今一人が手傷を負った。
目撃者がいては面倒と弥吉殿も斬ろうとしたが、たまたま通りかかった者達が近づいたので慌てて逃走したに違いない。
本来であれば、闇から闇にそなた達の父の死を葬り、塩崎達は脱藩する気など無かったのであろう。
だが、弥吉に襲撃を見られた以上、表向き脱藩するしかなかった。
手傷を負った者を殺したのは塩崎だろうが、その塩崎も誰かに命じられて動いたのだろう。」
「それだけでは、御城代を疑う理由にはなりませぬ。
他にも家老職は居りますし、奉行など三役も高禄を食んでおられます。」
「別に高禄だから疑っているわけではない。
藩内で相応に力があるものは幾人も居ようが、そなた達に適切な指図が可能な者は城代家老ではなかったのか?
無論その側近が唆したにしても、城代がいなければ箱根山中の襲撃は無かったはず。」
「松倉様、では江戸藩邸にも御城代の息がかかった者がいると?」
「間違いない。
だから、用心しなさい。
流石にこの中屋敷で騒ぎを起こそうとは考えていないだろう。
仇討のため江戸に参ったそなた達が藩邸内で不審な死を遂げれば、藩侯水野殿の疑心を誘うことになる。
だが、藩邸外なれば秘密裏に事を運ぶことは可能だ。
木崎何某もその一派であった可能性もあり得る。」
松倉の言葉は途方もなく大きな陰謀が藩内に渦巻いていることを示唆していたが、彩華には思いもつかぬ話であり、ひたすら困惑していた。
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