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第三章 新たなる展開
3-11 スケートと電子顕微鏡
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ところでボストンの冬は大分寒いのです。
20世紀初頭ですし、大西洋には氷山が結構流れていた時代ですので、私が元居た温暖化していた21世紀と比べると平均気温で数度の違いがあります。
ボストンは、緯度的には北海道の室蘭と一緒で、冬の最低気温も室蘭や函館に似ていますが、小氷河期の終わりですのでまだ全体的に寒いのです。
ボストンでは1月から2月が最も寒かったですね。
一番寒いときは氷点下15度まで下がりました。
帝都ではそんなに下がることは無かったように思います。
但し、同じマサチューセッツ州でも内陸部に入るともっと寒い筈です。
ボストンは結構雪も多く、50センチ以上の積雪も例年よくあることのようです。
この時代スキーも徐々に流行り出していますが、ボストン近郊にはスキーができるような場所はありません。
元々平坦な土地柄ですから、山地へは北か西へ行かなければならないのです。
但し、気温が氷点下にまで下がることからスケートはそこかしこでできます。
米国ではスケート靴が高いので未だにお金持ちの道楽的な扱いなのですが、オランダなどでは運河を使った交通の道具として庶民にもかなり浸透していました。
そこで私はスケートを流行らせてみようと思い、たまたま知り合った商工会議所の会頭に話を持ちかけました。
スケート靴を生産し、それを貸し出して、レンタル料として稼ぎませんかと言うお誘いです。
スケート靴の部品製造は、靴屋さんと鉄工場に依頼しました。
それぞれで製造した品を私の宿舎に納品してもらい、組み合わせてフィギュアスケート靴を産み出すのです。
11月からあちらこちらで注文生産を始めてもらい、12月の中旬には色々なサイズで千足ほどの準備ができました。
実際のところ、靴にしろ、スケートのブレードにしろ、そのままでは仕上がり精度が余り良くなかったので、納品の時点でかなり手を入れています。
錬金術で調整していますので簡単な作業ではあるのですが、この調子ではこれらの業者がスケート靴を商品として売り出しても商売にはならないかもしれません。
そんなことは別にしても、一応のスケート靴の準備ができましたので、後はスケート場の準備です。
百年も後ではアイスアリーナ等の立派な室内リンクも用意できるのでしょうが、この時代にそのような設備はオーバーテクノロジーにすぎます。
従って、屋外のリンクになりますが、ボストン・コモン(ボストン中心部にある公園)のフロッグ・ポンドとケンブリッジ・コモンの広場がその候補になりました。
ケンブリッジ・コモンの方は水を撒く労力と予算の確保が難しいということで、結局ボストン・コモンのフロッグ・ポンド(カエル池?)が1916年1月からスケート場としてオープンしました。
スケート靴のレンタル屋さんは商工会議所の肝いりで、とある興行主が始めました。
当座のスケート靴千足は、私から寄付していますが、補修や整備は業者任せになります。
少なくとも私が留学中はできるだけ抑えた金額で市民に貸し出して、還元して欲しいとお願いしたことにより低料金での貸し出しが始まり、冬場のボストン市民の憩いの場所になったようです。
子供や若い男女が多いのが特徴ですね。
これもノブレス・オブリージュの一つではないかと考えています。
帝国に戻ってからも同様のことをしなければなりませんが、帝都では屋外で天然のスケートリンクは無理ですね。
東北地方か北海道・樺太辺りが最良の候補地でしょうか。
その際には、長野辺りにスキー場を開き、スキーのレンタルも併せて始めることになりそうです。
◇◇◇◇
ハーバード大学における学業の方ですが順調にこなしています。
3月には三回生の受講を終えて、4月からは四回生に組み込まれると予め通知を受けましたので、3月末をめどに二つの論文を作成中です。
先進の知識を余り広めるわけには行かないのですが、それでも物性物理と電磁気学の分野でいくつかの先見の明を匂わす程度の論文を提出しておきました。
数十年もしたらその価値がわかるかもしれませんが、おそらく現段階では余程の天才でもなければその評価が難しいもののはずなのです。
それとは別に、第一次大戦と共にやってくるであろう或るモノについての対策の一環で電磁気学の分野で少し時を進めようと考えています。
もしかすると第一次大戦中に感染が拡大した可能性もあるスペイン風邪のパンデミック問題です。
史実では日本でも感染が広がり、全国民の半分近くが感染した可能性もあるとか。
でもその原因が永らくわからなかったのです。
前々世では、アラスカの永久凍土から発見されたルーシーと呼ばれる少女の遺骸から得られたサンプルを元に、所謂鳥インフルエンザの変異種ではないかと推測されていますが、少なくとも発症当時は見えないウィルスの存在に気付ける人は居ませんでした。
当世の光学顕微鏡では精々500倍までの精度にしか上げられないのです。
光学顕微鏡の分解能はその仕組み上の問題から理論的におよそ2000オングストローム(200ナノメートル)とされていますが、インフルエンザウィルスの大きさは80~120ナノメートルですので、光学顕微鏡ではどうやっても発見できないのです。
従ってスペイン風邪の流行に先立って電子顕微鏡を試作しておいて、対策の一つとしてはどうかと考えたわけです。
一応帝国国内においては、飛鳥製薬で想定されるH1N1インフルエンザウィルスのワクチンの開発に内々で努めさせては居ますが、こればかりは実際の発症患者から検体を得てからでなければ本格的な開発はできません。
現段階では予想されるH1N1インフルエンザウィルスになり得る可能性のあるウィルスを鳥などから採取して種々の試行錯誤を行っている段階です。
その作業にも電子顕微鏡は大いに役立つと思います。
既に飛鳥製薬や飛鳥医科大学にはP4レベル擬きの研究施設が設置され、危険な細菌や微生物の検証・対策の研究が行われています。
但し、この件については対外的には秘匿しています。
余りに先進的な知識は、場合により諸刃の刃という凶器になり得るからです。
731部隊で有名な関東軍防疫給水部本部のように戦争に細菌を利用しようという輩が居ますので彼らに知られてはならないのです。
まぁ、将来的には、少なくとも非人道的な人体実験を繰り返すような部隊の存在そのものを消してしまいたいと考えていますけれどね。
電子顕微鏡の開発は、確か磁場のレンズ効果の発見から始まり、電子顕微鏡の開発自体は1930年代と記憶しています。
それに先立つこと十数年ですのでそれほど早いという訳でもないでしょう。
但し、必要な部品が揃えられるかどうかが問題ではありますけれどね。
場合によっては部品の一部を日本から取り寄せる荒業が必要かもしれません。
まぁ、状況を見ながら慌てずに進めましょう。
電子顕微鏡は種々試行錯誤しつつ、既存の素材を組み合わせて何とか1916年4月には何とか組み上げました。
苦労したのはモニターとなるブラウン管の試作でしょうか。
電子顕微鏡は、目で直接覗くわけでは無く、ブラウン管に映像処理するモノなのです。
ブラウン管自体は、1907年にはロシアで受像装置として生み出されています。
まぁ、このロシアで生み出されたCRTは初期の試作品ですから、映像精度が悪く、かなりちらつきの多い代物です。
ですから種々改良して、比較的綺麗な受像装置を何とか造り上げたのです。
但し、余りに綺麗な映像処理を行うと別の問題も起きてしまいます。
電子顕微鏡もモニターCRTも、あくまで大学に認知して貰うだけの品ですので、精度や仕上がり程度は恣意的にかなり抑えたモノですし、製法を秘匿するために主要部分はHAMの工房で自作したモノです。
とは言いつつもそれなりに科学の進展に寄与するために、論文の中ではかなり突っ込んだ理論的側面や製造に関する注意事項などを盛り込んでいますので、相応の能力有る人物ならば再試作も応用製作も可能となるはずです。
勿論特許は米国と帝国の双方に申請しましたよ。
米国で開発を進展し、外貨を稼がれてはたまりません。
帝国においては、飛鳥精機辺りで製造させるつもりでおり、1916年5月には詳細な図面と製造工程を記載した書面を船便で送付しています。
実のところ、これはそうしたモノを送ったという振りであって、中身は少々偽装しています。
仮に誰かがこれを入手してその内容を実践しようとしても必ず失敗します。
大学に提出された論文と比較精査しても、送付された図面や書面が偽装されたモノかどうかを見分けることは至難の業です。
私がそのように配慮した結果であり、盗難対策が十分なされて居るわけです。
スパイ対策であり、仮想敵国に対する安全保障対策でもあるのです。
本物は、私が帰国する際に、本国へ持ち帰れば済む話です。
実用機の製造が1年半程遅れたところで大勢に影響はありません。
因みにスペイン風邪の流行は、1918年頃に始まったと言われています。
史実では日本でも1918年8月に流行が始まりました。
私が帰国するのは1917年9月上旬の予定ですので十分に間に合います。
20世紀初頭ですし、大西洋には氷山が結構流れていた時代ですので、私が元居た温暖化していた21世紀と比べると平均気温で数度の違いがあります。
ボストンは、緯度的には北海道の室蘭と一緒で、冬の最低気温も室蘭や函館に似ていますが、小氷河期の終わりですのでまだ全体的に寒いのです。
ボストンでは1月から2月が最も寒かったですね。
一番寒いときは氷点下15度まで下がりました。
帝都ではそんなに下がることは無かったように思います。
但し、同じマサチューセッツ州でも内陸部に入るともっと寒い筈です。
ボストンは結構雪も多く、50センチ以上の積雪も例年よくあることのようです。
この時代スキーも徐々に流行り出していますが、ボストン近郊にはスキーができるような場所はありません。
元々平坦な土地柄ですから、山地へは北か西へ行かなければならないのです。
但し、気温が氷点下にまで下がることからスケートはそこかしこでできます。
米国ではスケート靴が高いので未だにお金持ちの道楽的な扱いなのですが、オランダなどでは運河を使った交通の道具として庶民にもかなり浸透していました。
そこで私はスケートを流行らせてみようと思い、たまたま知り合った商工会議所の会頭に話を持ちかけました。
スケート靴を生産し、それを貸し出して、レンタル料として稼ぎませんかと言うお誘いです。
スケート靴の部品製造は、靴屋さんと鉄工場に依頼しました。
それぞれで製造した品を私の宿舎に納品してもらい、組み合わせてフィギュアスケート靴を産み出すのです。
11月からあちらこちらで注文生産を始めてもらい、12月の中旬には色々なサイズで千足ほどの準備ができました。
実際のところ、靴にしろ、スケートのブレードにしろ、そのままでは仕上がり精度が余り良くなかったので、納品の時点でかなり手を入れています。
錬金術で調整していますので簡単な作業ではあるのですが、この調子ではこれらの業者がスケート靴を商品として売り出しても商売にはならないかもしれません。
そんなことは別にしても、一応のスケート靴の準備ができましたので、後はスケート場の準備です。
百年も後ではアイスアリーナ等の立派な室内リンクも用意できるのでしょうが、この時代にそのような設備はオーバーテクノロジーにすぎます。
従って、屋外のリンクになりますが、ボストン・コモン(ボストン中心部にある公園)のフロッグ・ポンドとケンブリッジ・コモンの広場がその候補になりました。
ケンブリッジ・コモンの方は水を撒く労力と予算の確保が難しいということで、結局ボストン・コモンのフロッグ・ポンド(カエル池?)が1916年1月からスケート場としてオープンしました。
スケート靴のレンタル屋さんは商工会議所の肝いりで、とある興行主が始めました。
当座のスケート靴千足は、私から寄付していますが、補修や整備は業者任せになります。
少なくとも私が留学中はできるだけ抑えた金額で市民に貸し出して、還元して欲しいとお願いしたことにより低料金での貸し出しが始まり、冬場のボストン市民の憩いの場所になったようです。
子供や若い男女が多いのが特徴ですね。
これもノブレス・オブリージュの一つではないかと考えています。
帝国に戻ってからも同様のことをしなければなりませんが、帝都では屋外で天然のスケートリンクは無理ですね。
東北地方か北海道・樺太辺りが最良の候補地でしょうか。
その際には、長野辺りにスキー場を開き、スキーのレンタルも併せて始めることになりそうです。
◇◇◇◇
ハーバード大学における学業の方ですが順調にこなしています。
3月には三回生の受講を終えて、4月からは四回生に組み込まれると予め通知を受けましたので、3月末をめどに二つの論文を作成中です。
先進の知識を余り広めるわけには行かないのですが、それでも物性物理と電磁気学の分野でいくつかの先見の明を匂わす程度の論文を提出しておきました。
数十年もしたらその価値がわかるかもしれませんが、おそらく現段階では余程の天才でもなければその評価が難しいもののはずなのです。
それとは別に、第一次大戦と共にやってくるであろう或るモノについての対策の一環で電磁気学の分野で少し時を進めようと考えています。
もしかすると第一次大戦中に感染が拡大した可能性もあるスペイン風邪のパンデミック問題です。
史実では日本でも感染が広がり、全国民の半分近くが感染した可能性もあるとか。
でもその原因が永らくわからなかったのです。
前々世では、アラスカの永久凍土から発見されたルーシーと呼ばれる少女の遺骸から得られたサンプルを元に、所謂鳥インフルエンザの変異種ではないかと推測されていますが、少なくとも発症当時は見えないウィルスの存在に気付ける人は居ませんでした。
当世の光学顕微鏡では精々500倍までの精度にしか上げられないのです。
光学顕微鏡の分解能はその仕組み上の問題から理論的におよそ2000オングストローム(200ナノメートル)とされていますが、インフルエンザウィルスの大きさは80~120ナノメートルですので、光学顕微鏡ではどうやっても発見できないのです。
従ってスペイン風邪の流行に先立って電子顕微鏡を試作しておいて、対策の一つとしてはどうかと考えたわけです。
一応帝国国内においては、飛鳥製薬で想定されるH1N1インフルエンザウィルスのワクチンの開発に内々で努めさせては居ますが、こればかりは実際の発症患者から検体を得てからでなければ本格的な開発はできません。
現段階では予想されるH1N1インフルエンザウィルスになり得る可能性のあるウィルスを鳥などから採取して種々の試行錯誤を行っている段階です。
その作業にも電子顕微鏡は大いに役立つと思います。
既に飛鳥製薬や飛鳥医科大学にはP4レベル擬きの研究施設が設置され、危険な細菌や微生物の検証・対策の研究が行われています。
但し、この件については対外的には秘匿しています。
余りに先進的な知識は、場合により諸刃の刃という凶器になり得るからです。
731部隊で有名な関東軍防疫給水部本部のように戦争に細菌を利用しようという輩が居ますので彼らに知られてはならないのです。
まぁ、将来的には、少なくとも非人道的な人体実験を繰り返すような部隊の存在そのものを消してしまいたいと考えていますけれどね。
電子顕微鏡の開発は、確か磁場のレンズ効果の発見から始まり、電子顕微鏡の開発自体は1930年代と記憶しています。
それに先立つこと十数年ですのでそれほど早いという訳でもないでしょう。
但し、必要な部品が揃えられるかどうかが問題ではありますけれどね。
場合によっては部品の一部を日本から取り寄せる荒業が必要かもしれません。
まぁ、状況を見ながら慌てずに進めましょう。
電子顕微鏡は種々試行錯誤しつつ、既存の素材を組み合わせて何とか1916年4月には何とか組み上げました。
苦労したのはモニターとなるブラウン管の試作でしょうか。
電子顕微鏡は、目で直接覗くわけでは無く、ブラウン管に映像処理するモノなのです。
ブラウン管自体は、1907年にはロシアで受像装置として生み出されています。
まぁ、このロシアで生み出されたCRTは初期の試作品ですから、映像精度が悪く、かなりちらつきの多い代物です。
ですから種々改良して、比較的綺麗な受像装置を何とか造り上げたのです。
但し、余りに綺麗な映像処理を行うと別の問題も起きてしまいます。
電子顕微鏡もモニターCRTも、あくまで大学に認知して貰うだけの品ですので、精度や仕上がり程度は恣意的にかなり抑えたモノですし、製法を秘匿するために主要部分はHAMの工房で自作したモノです。
とは言いつつもそれなりに科学の進展に寄与するために、論文の中ではかなり突っ込んだ理論的側面や製造に関する注意事項などを盛り込んでいますので、相応の能力有る人物ならば再試作も応用製作も可能となるはずです。
勿論特許は米国と帝国の双方に申請しましたよ。
米国で開発を進展し、外貨を稼がれてはたまりません。
帝国においては、飛鳥精機辺りで製造させるつもりでおり、1916年5月には詳細な図面と製造工程を記載した書面を船便で送付しています。
実のところ、これはそうしたモノを送ったという振りであって、中身は少々偽装しています。
仮に誰かがこれを入手してその内容を実践しようとしても必ず失敗します。
大学に提出された論文と比較精査しても、送付された図面や書面が偽装されたモノかどうかを見分けることは至難の業です。
私がそのように配慮した結果であり、盗難対策が十分なされて居るわけです。
スパイ対策であり、仮想敵国に対する安全保障対策でもあるのです。
本物は、私が帰国する際に、本国へ持ち帰れば済む話です。
実用機の製造が1年半程遅れたところで大勢に影響はありません。
因みにスペイン風邪の流行は、1918年頃に始まったと言われています。
史実では日本でも1918年8月に流行が始まりました。
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