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0.3%未満の悪魔
3:鼻血
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目を覚ます度に絶望した。
まだ解決策が思い付いていないことに絶望した。
時間が経つのが怖かった。
僕には一般公開されていない残り時間が知らされていたから。
狂いそうだった。でも狂ってる暇もなかった。
僕が出来なきゃ人類の半分が死ぬ。
僕のせいで三十億人が死ぬ。
僕が殺すことになる。
毎日吐いていた。
でもとっくに食事の味なんかしなかったし、脳が動く栄養さえ入れば何でも良かった。
常に震えて視線が動き続けていた、思考が加速されて身体が思考に追いついてなかった。
突然手を上げて身体が硬直することがあった。筋肉への信号がバグって変な挙動をするようになった。でもほっとけば動くようになるし、考える分には関係なかった。
脳を酷使し過ぎて常に脂肪を燃やして糖を作るために、痩せこけているのに体温は上がりっぱなしだった。
毎日解熱剤を飲んで、気絶する以外の眠り方を忘れた。
起きたら当然のように作業を継続した。
それでも僕はアン・ドゥ・メタルの調整を考え続けた。
マザーの確定予測演算を超えて、人類をみんな救い出すために。
人類滅亡という悪魔に勝つために、戦い続けた。
しかし、十四歳の時に成功したアン・ドゥ・メタルの最適化を最後に人類生存確率は変動しなかった。
そして十九になったくらいの頃。
僕は大学を歩いていた。一応名目上僕もここの学生だった。一度も授業を受けていなかったが大学内の設備の使用やデータベースを閲覧するために籍を置いていた。
まあ父の研究所の方が全てにおいて上位のものを使えたから、本当に籍を置くだけの状態だったが。
ここの研究室でアン・ドゥ・メタルの増産実験を行うということで見に来ていた。
まあ内容は僕が十歳の時に捨てた案だったが、何かしらのきっかけにならないか見に来た。
結果としては何も得られなかったが、もう藁にも縋るくらいに僕は追い詰められていた。
限界は近かった。
相変わらず身体は震えていた。
ストレスもあって筋肉が硬直し、ずっと首を傾げて肘が伸びなくて両手は常に胸あたりで固定されていた。
表情筋も麻痺し、常に眉をしかめていた。
意思とは関係なく、突然奇声を発することもあった。自分の声に自分で驚いていた。
瞳孔を閉じられず瞬きを忘れるので目は真っ赤。
目の下はクマで真っ黒で、髪の毛はほぼ白髪だった。
多分、壊れかけ……いやもうとっくに壊れていたんだと思う。
悪魔に取り憑かれていたんだ。
人は、三十億人の命を背負うとこうなるんだ。
三十億人の命から逃げられないと、こうなる。
それでも僕は、僕は移住計画を――――。
そんな時、突然だった。
進行方向ほぼ正面、端末で何かを熱心に見ながら歩いてくる人影。
美しく伸びた金色の髪。
影を落とすほど長く上向きのまつ毛。
透き通るような青く蒼く碧い瞳。
呼吸の度に周囲の空気まで柔らかくする桜色の唇。
健康的な手足を滑らかに動かし。
身体の全体が輝いているような、世界中の色彩を一人だけに集めたみたいな。
優雅に歩く、一人の女性だった。
網膜から視神経を通って脳に到達した瞬間に脳内シナプスが駆け巡り、彼女を捉えることに全リソースを割いて。
僕はその瞬間にアン・ドゥ・メタルも移住計画も、人類の命の重さも悪魔も何もかも全てを忘れた。
目を、脳を……いや僕は彼女に心を奪われた。
未だかつて使ったことのなかった脳細胞が一気に刺激されてパチパチと脳が広がる音が聞こえた。
頭の中でこの事象を説明するために様々な方程式や仮説や類似事象の論文を一気に出そうとして。
脳がオーバーヒートして、脳細胞を破壊するほど加熱され。
それでも彼女を捉えることがやめられなくて。
過剰に頭へ集まった血液は行き場をなくし粘膜を破裂させて。
鼻血を吹いて、僕は倒れた。
ここ、この瞬間だ。
明確な基準点を作るのなら、ここだ。
ここからだ。
この鼻血から僕の人生は始まった。
「――――…………ん……」
目を覚ますと、病院だった。
どうにも彼女が介抱し救急車を呼んでくれたみたいだ。
流石にもう帰宅していたようだったが。
どうにも、丸一日近く眠っていたようだった。
凄まじく頭がすっきりしている。
気持ちの良い目覚めだ。
身体の震えは消えていた。
硬直も解けていた。
世界に色がついたように見えた。
身体も軽い……、そうか僕は体調が悪かったのか。
でも、そんなことよりもだ。
彼女にお礼がしたかった。
いや、もっと彼女を欲しかった。
話してみたかったし、知りたかったし、知ってもらいたかった。
もう一度大学に行けば会えるだろうか……いや医師に聞けばわかるか? 流石に個人情報か……やっぱ大学で探し――。
そこで、病室にあった姿見鏡に僕の姿が映る。
「な……っ、僕はこんなに小汚かったのか……!」
思わず声が出る。
上下ともにボロボロの作業着。
首元がだるだるのTシャツ、しかも鼻血で赤黒いシミができている。
髪も白髪だらけでボサボサ。
眉間にはシワの跡。
目の下は慢性的なクマで痣みたいになっていた。
自分の容姿に関する美意識についてなんて、今の今まで考えたこともなかった……。
服装や髪型に関しては研究職の人間なんてみんなこんなもんだし、まあ震えとか硬直とかは客観的にはまずいとはわかっていたがどうでもよかった。
でも今日僕は美的感覚の基準が出来てしまった。
彼女は……美しかった。語彙力がなくて美しさを表現できないことが悔しくなるくらいに、本当に美しかったんだ。
彼女に会うのにこの姿……急激に恥ずかしくなってきた。
急遽無人の理容店に行って、散髪用オートマトンに任せて白髪染めと散髪をして。
部屋のクローゼットの中で一番まともな服、学会やら会見で着るために買った小綺麗でカジュアルな服を着て。
僕は再び大学へと足を向けた。
大学構内をうろうろとしていると、ベンチに座る彼女を見つける。
やっぱり光って見える。
いや厳密には発光しているわけがないのだが、なんか眩しい。
空気が柔らかく、温かい。
何やら彼女はずっと端末とにらめっこして、集中しているようだ。
声をかけようと近づく。
集中していて僕には気付いていないようだ。
とりあえずベンチの隣に座る。
いや座るのは変か、立ち上がる。
いや一回座ったのに立つ方が変か、もう一回座る。
あからさまに挙動不審になってしまう。
ダメだ一回ちゃんと声をかけないと、下手したら治安維持に通報されてしまう。
何を言おう、何て言えばいいんだ? いやとにかく実施だ。考えるだけじゃあ何も進まない、一回やってみた時の情報量は空想を凌駕する。
意を決して、僕は彼女の方を向いて。
「……かわ、可愛いですよ?」
何を言っていいかわからない僕は、率直な思いをそのまま口にする。
まだ解決策が思い付いていないことに絶望した。
時間が経つのが怖かった。
僕には一般公開されていない残り時間が知らされていたから。
狂いそうだった。でも狂ってる暇もなかった。
僕が出来なきゃ人類の半分が死ぬ。
僕のせいで三十億人が死ぬ。
僕が殺すことになる。
毎日吐いていた。
でもとっくに食事の味なんかしなかったし、脳が動く栄養さえ入れば何でも良かった。
常に震えて視線が動き続けていた、思考が加速されて身体が思考に追いついてなかった。
突然手を上げて身体が硬直することがあった。筋肉への信号がバグって変な挙動をするようになった。でもほっとけば動くようになるし、考える分には関係なかった。
脳を酷使し過ぎて常に脂肪を燃やして糖を作るために、痩せこけているのに体温は上がりっぱなしだった。
毎日解熱剤を飲んで、気絶する以外の眠り方を忘れた。
起きたら当然のように作業を継続した。
それでも僕はアン・ドゥ・メタルの調整を考え続けた。
マザーの確定予測演算を超えて、人類をみんな救い出すために。
人類滅亡という悪魔に勝つために、戦い続けた。
しかし、十四歳の時に成功したアン・ドゥ・メタルの最適化を最後に人類生存確率は変動しなかった。
そして十九になったくらいの頃。
僕は大学を歩いていた。一応名目上僕もここの学生だった。一度も授業を受けていなかったが大学内の設備の使用やデータベースを閲覧するために籍を置いていた。
まあ父の研究所の方が全てにおいて上位のものを使えたから、本当に籍を置くだけの状態だったが。
ここの研究室でアン・ドゥ・メタルの増産実験を行うということで見に来ていた。
まあ内容は僕が十歳の時に捨てた案だったが、何かしらのきっかけにならないか見に来た。
結果としては何も得られなかったが、もう藁にも縋るくらいに僕は追い詰められていた。
限界は近かった。
相変わらず身体は震えていた。
ストレスもあって筋肉が硬直し、ずっと首を傾げて肘が伸びなくて両手は常に胸あたりで固定されていた。
表情筋も麻痺し、常に眉をしかめていた。
意思とは関係なく、突然奇声を発することもあった。自分の声に自分で驚いていた。
瞳孔を閉じられず瞬きを忘れるので目は真っ赤。
目の下はクマで真っ黒で、髪の毛はほぼ白髪だった。
多分、壊れかけ……いやもうとっくに壊れていたんだと思う。
悪魔に取り憑かれていたんだ。
人は、三十億人の命を背負うとこうなるんだ。
三十億人の命から逃げられないと、こうなる。
それでも僕は、僕は移住計画を――――。
そんな時、突然だった。
進行方向ほぼ正面、端末で何かを熱心に見ながら歩いてくる人影。
美しく伸びた金色の髪。
影を落とすほど長く上向きのまつ毛。
透き通るような青く蒼く碧い瞳。
呼吸の度に周囲の空気まで柔らかくする桜色の唇。
健康的な手足を滑らかに動かし。
身体の全体が輝いているような、世界中の色彩を一人だけに集めたみたいな。
優雅に歩く、一人の女性だった。
網膜から視神経を通って脳に到達した瞬間に脳内シナプスが駆け巡り、彼女を捉えることに全リソースを割いて。
僕はその瞬間にアン・ドゥ・メタルも移住計画も、人類の命の重さも悪魔も何もかも全てを忘れた。
目を、脳を……いや僕は彼女に心を奪われた。
未だかつて使ったことのなかった脳細胞が一気に刺激されてパチパチと脳が広がる音が聞こえた。
頭の中でこの事象を説明するために様々な方程式や仮説や類似事象の論文を一気に出そうとして。
脳がオーバーヒートして、脳細胞を破壊するほど加熱され。
それでも彼女を捉えることがやめられなくて。
過剰に頭へ集まった血液は行き場をなくし粘膜を破裂させて。
鼻血を吹いて、僕は倒れた。
ここ、この瞬間だ。
明確な基準点を作るのなら、ここだ。
ここからだ。
この鼻血から僕の人生は始まった。
「――――…………ん……」
目を覚ますと、病院だった。
どうにも彼女が介抱し救急車を呼んでくれたみたいだ。
流石にもう帰宅していたようだったが。
どうにも、丸一日近く眠っていたようだった。
凄まじく頭がすっきりしている。
気持ちの良い目覚めだ。
身体の震えは消えていた。
硬直も解けていた。
世界に色がついたように見えた。
身体も軽い……、そうか僕は体調が悪かったのか。
でも、そんなことよりもだ。
彼女にお礼がしたかった。
いや、もっと彼女を欲しかった。
話してみたかったし、知りたかったし、知ってもらいたかった。
もう一度大学に行けば会えるだろうか……いや医師に聞けばわかるか? 流石に個人情報か……やっぱ大学で探し――。
そこで、病室にあった姿見鏡に僕の姿が映る。
「な……っ、僕はこんなに小汚かったのか……!」
思わず声が出る。
上下ともにボロボロの作業着。
首元がだるだるのTシャツ、しかも鼻血で赤黒いシミができている。
髪も白髪だらけでボサボサ。
眉間にはシワの跡。
目の下は慢性的なクマで痣みたいになっていた。
自分の容姿に関する美意識についてなんて、今の今まで考えたこともなかった……。
服装や髪型に関しては研究職の人間なんてみんなこんなもんだし、まあ震えとか硬直とかは客観的にはまずいとはわかっていたがどうでもよかった。
でも今日僕は美的感覚の基準が出来てしまった。
彼女は……美しかった。語彙力がなくて美しさを表現できないことが悔しくなるくらいに、本当に美しかったんだ。
彼女に会うのにこの姿……急激に恥ずかしくなってきた。
急遽無人の理容店に行って、散髪用オートマトンに任せて白髪染めと散髪をして。
部屋のクローゼットの中で一番まともな服、学会やら会見で着るために買った小綺麗でカジュアルな服を着て。
僕は再び大学へと足を向けた。
大学構内をうろうろとしていると、ベンチに座る彼女を見つける。
やっぱり光って見える。
いや厳密には発光しているわけがないのだが、なんか眩しい。
空気が柔らかく、温かい。
何やら彼女はずっと端末とにらめっこして、集中しているようだ。
声をかけようと近づく。
集中していて僕には気付いていないようだ。
とりあえずベンチの隣に座る。
いや座るのは変か、立ち上がる。
いや一回座ったのに立つ方が変か、もう一回座る。
あからさまに挙動不審になってしまう。
ダメだ一回ちゃんと声をかけないと、下手したら治安維持に通報されてしまう。
何を言おう、何て言えばいいんだ? いやとにかく実施だ。考えるだけじゃあ何も進まない、一回やってみた時の情報量は空想を凌駕する。
意を決して、僕は彼女の方を向いて。
「……かわ、可愛いですよ?」
何を言っていいかわからない僕は、率直な思いをそのまま口にする。
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