上 下
156 / 276
4部 女神の末裔編

精霊契約2

しおりを挟む
 この道のりを幼い頃に走ったことがある。なぜこんなところを見つけたのかわからないが、もしかしたら導かれたのかもしれない。

 砂漠に囲まれた国。どこへ行っても変わらない風景だったが、一ヶ所だけ気に入っている場所があったのだ。

 導かれるままに見つけた場所で、そこは涼やかな風が吹いていた。

「そうだ、ここだ……」

 精霊に見せられているだけなのはわかっているが、それでもそこに同じ場所は存在する。当然だとすら思えたし、だからこそ城下しか見せられないのだろうとも思う。

「この風は、幼い頃に俺を導いたのは風の精霊か」

 彼をここへ導いた存在。ここだけに吹く涼やかな風。常に感じていたものは、風の精霊ではないのか。

 答えを求めるように前を向けば、小さなつむじ風が起きる。

(間違いなく、ここにいる)

 精霊がここにいることはわかったが、どうすれば応えてくれるのか。なにかを試されているのか、見定めているのかのどちらかだろう。

(精霊が求めていることを理解しないといけないのかもな)

 風を属性にもつこの精霊が、一体なにを望むのか。ヴェルトは真剣な表情で考え始めた。

 一度振り返って城下を見る。ここから見えるところにヒントはないかと思ってのこと。

 それだけだったのだが、目の前に広がる光景に驚いて言葉を失った。

 今まで通ってきた懐かしい城下。幼い頃に見たままの風景は、いつの間にか別物に変わっていた。ヴェルトが見たこともない風景。

(なんだ、これ……)

 自分が国を抜け出した頃も酷いと思った。原因は王位争いだと思っていたのだ。

 自分は争いたかったわけではないが、勝手にヴェルトを支持する者がいたことも事実。支持者がヴェジュとその支持者と勝手に争っている。

 あくまでも、勝手になのだ。ヴェルトは王位を継ぎたいとは思っていないのだから。

「俺が国を捨てればいいと思ってた。そうすれば、少なくとも民の生活は戻ると」

 間違えていたのかもしれない。初めてそう思った。思ってしまったのだ。

 国を出た頃よりも酷くなった城下の様子は、想像以上に心を揺さぶるものだった。彼なりの民を思う気持ちが、この瞬間に溢れ出す。

「教えろ、これはなんだ……」

 絞り出すように言われた言葉。絶対に揺るがないと思っていた気持ちが、少しずつ揺らぐのを感じながらヴェルトは問いかける。

『彼の国の現状だ』

 粘り強く待てば、精霊は応えてくれた。ようやく問いかけに応えてくれたと思う気持ちと、これならいいという判断なのかと思う気持ち。

 交差する様々な思考。うざったいと思うほどに止まらない。

「……今、か」

 けれど、彼は冷静に考えることができる。どれだけ様々な思考で荒れようが、しっかりと落ち着かせることができた。

 わかっていたからこそ、精霊は言葉をかけたのだ。

 この一言だけで、彼は想像以上のことを考える。可能性のすべてを考え、自ら答えを出す。

 シュスト国にずっといた精霊は、ヴェルトという人間をずっと見ていた。彼だけではなく、すべてを見ていたのだが、その中で一番気に入ったからこそ自分の元へ案内したのだ。

 そして彼は今、気付いてここにいる。考える姿を見ながら、精霊はさらに気に入ったと笑っていたことをヴェルトは知らない。

 精霊が見守る中、ヴェルトは珍しくも頭をフル回転させていた。これほど考えたのは、いつぶりだろうかというほどだ。

(あの兄は、とにかく王位を求めてたっけ。どうしてかは知らねぇけど)

 初めて会ったときから、王位は譲らないとハッキリ言われたほどだった。睨みつけてくる兄との初対面は、確か神殿へ行ったあとだったなと思いだす。

 シュスト国の王族は、必ずミヤーフ神殿へ行く習わしがある。そこで精霊の巫女と会うためと言われているが、会えたことはないと言う。

(会えたことはねぇ……ん? 俺、誰かと会ったな)

 習わし通りに、当時は護衛騎士などいなかったことから、父親の護衛騎士数人と向かった神殿。

 フリア島と呼ばれる小さな島がアーリアス大陸にはあり、決して大きくはない精霊の集うミヤーフ神殿がある。初代国王もここで精霊の巫女と接触したと言われていた。

 実際に精霊がいるのかもわからなければ、精霊の巫女と会えたという話も聞かない。

 けれど、ヴェルトはそこで誰かと会ったと思いだす。

 誰だったか思いだそうとするが、何分幼い頃のこと。しっかりと思いだせるのは、黄緑色の髪だけだった。

(リーシュはまだ巫女じゃねぇ。母親は……俺が神殿に行った頃には死んでるはず)

 正確なことはさすがにわからないが、リーシュの母親は幼い頃に亡くなったと聞かされている。だからこそ、自分が会ったあとだと思っていた。

 それに、と思う。リーシュの母親なら会ったことがあるだけに忘れない。もっと違う人物だったはずだ。

(あれは誰だったんだ……)

 誰だかわからないが、もしかしたらあれが原因かもしれないと思う。

 ヴェルトは特になにかを言ったりはしなかったが、護衛騎士に関してはわからない。父親の護衛騎士だったことから、主となり国を治める王へ報告していたはずだ。

(聞いてたか盗み聞きしていたか)

 結果として、自分が精霊の巫女と会ったと勘違いされた可能性は高い。

(それで王位を取られると思った、なんて……あり得る兄上だな)

 あいつはバカだからと盛大なため息をつく。傍迷惑な勘違いとすら思ったほどだった。

 バカで愚か者というのがヴェルトの評価。それでも王位を望まなかったのは、縛られるのが嫌いだったからだ。

「……フッ。だから、お前なのか?」

 なぜ風の精霊が自分の元にいたのか。思わぬところから答えを見つけたと笑う。

『そうだ。自由を求める者よ』

 自由を求めるが、誰よりも愛しい者のためなら自由を捨てることもできる者。

 風の精霊が彼を気に入った理由はそこにあった。

「風か……悪くねぇ」

 自分にぴったりかもしれないと思った辺りで、彼の思考は再び国へと戻っていく。現在どうなっているのか、知ろうと思ったのだ。

「……なんで考えてんだ」

 思考を戻してすぐ、自分で突っ込んでしまう。なぜ捨てた国を心配しているのかと。

『国ではなく、民が心配なのだろ。王位を捨てたままでも、民は救えるのではないか?』

「……確かに。それもそうだな」

 反論しようとしてみたが、まったく思いつかなかった。むしろ精霊の言うことはごもっとだと思ってしまったほど。

 同じで考えるからいけないのだ。別に考えればいいだけのこと。






しおりを挟む

処理中です...