鬼とドラゴン

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従兄弟

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 ティータイムが終わるとヴァンとサクラは並んでキッチンに立った。サクラはエプロンの紐を首にかけると背中をヴァンに向けた。

「結んで」

 ヴァンは腰紐のことだと理解して、さっと結んでやった。

「ありがとう」

 サクラはしっかり者だが、たびたびヴァンに甘える事があった。わがままとまではいかないが、簡単なお願い事をよくした。ヴァンはその度に面倒くさがらずに願いを聞いていた。実際イヤではなかった。ヴァンにとってはサクラは可愛い妹で、大抵の願いは叶えてあげたかった。

 料理はサクラがヴァンに指示を出すというかたちで手際よく進んだ。ヴァンは品ができる度に、おー、とか、わー、みたいな感嘆の声をあげて目を輝かせた。サクラが作る料理は華やかで、それでいて家庭的で、なんともいえない温かみをヴァンに感じさせた。ガニアンやヴァンでは作ることができない料理ばかりだった。

 夕食は結局小一時間程で出来上がった。テーブルに並べられた料理を前にしてヴァンは何度かつまみ食いを試みたが、全てサクラに防がれてしまった。ヴァンはそのディフェンス力にサクラの成長を感じ、感動した。

「見事だ!」
「なにがよ」


 そんなやりとりをしていると、ようやく二人の祖父が帰宅した。ガニアンはサクラがいることに喜び、夕食を作ってくれたことにさらに喜んだ。三人での食事は会話が弾んだ。サクラは普段はおしゃべりな子ではないが、会話が苦手というわけではなかった。サクラが会話を盛り上げたり、話題を振ってくれたおかげで楽しい食事になった。ただ、ヴァンが困ったことに、サクラはヴァンの失敗談が一番好きな話題のようだった。

「おじいちゃん聞いて。ヴァンったらね……」
 とサクラが話すと、
「こんなこともあったぞ……」
 という感じでガニアンも返す。
 その度にヴァンは弁解する必要があった。自信の名誉のために。


 食器洗いは例の暗黙のルールでガニアンが担当することになったので、二人はヴァンの部屋でチェスをすることにした。

 サクラは白のキングの前のポーンを二つ前に進めた。おそらくルイ・ロペスという基本的なオープニング定石を使うつもりだろう。それに対してヴァンはシシリアン・ディフェンスで対抗することにした。クイーンサイドを支配下に置く狙いだ。二人の力量は拮抗しているので、一瞬たりとも油断はできない。チェスは一度、形勢が傾くと決着までズルズルと進んでしまうような、よっぽどなミスをしない限り逆転劇が起こりにくいゲームなのだ。よって序盤から細心の注意を払わなければならない。

 もともとチェスはサクラがやり始めたものだった。メキメキと上達し、あっという間に家族にも友達にも勝負になる者がいなくなってしまった。レベル差がありすぎるとやる気がしなくなるようで、誰もサクラの相手をしたがらなくなった。寂しそうにしているサクラをみかねてヴァンが相手をするようになったのだ。もちろん勝負になるわけもなく、ヴァンの大敗だった。あまりにもコテンパンにしてしまったので、サクラはもうヴァンが相手をしてくれないと思ったが、ヴァンは何度も挑戦してきてくれた。しかもその度に確実に上達しているのがわかった。ようやくヴァンがサクラに一勝した頃には、ヴァンの部屋は定石本や棋譜の本だらけになっていた。今もそこら中に転がっている。サクラもそういう本は持っていたが、せいぜい2、3冊ぐらいだった。サクラは手当たり次第に本をあさるヴァンのやり方を不効率だと思っていた。一冊の本を何度も読み、深く理解した方が良い。しかし、結局のところ今では同程度の力量なので、あながち間違った方法ではないとヴァンのやり方を認めるようになっていた。結果につながる方法は一つではないので、どんどん参考にした方が良い。サクラはこの部屋にある本をいくつか拝借しようと思った。ヴァンは快く承諾するだろう。ライバルにも塩を送る懐の深い男なのだ。

 二人のゲームは、ヴァンが攻めきれず、サクラが受けきったことで勝敗が決した。

「ありがとうございました」

 二人の声が重なる。チェスプレーヤーにとって礼節は重要だ。もちろん始めのお願いしますも欠かしてはいない。

「さて、遅くなってしまったね。送っていくよ」

「うん。ありがとう。あの……、チェスの本借りていってもいい?」

「いいよ。好きなだけ選んで」

 ほらね、とサクラは思った。ヴァンは優しいのだ。

「ありがとう」
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