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57 私たちが帰る方法
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凛とした慎ましやかでおっとりした声は、さらに言葉を続けた。
「オーロラ」
「はいっ……」
「あなたは、随分とカルムに好かれたようね」
真顔をわずかに崩し、彼女が微かに口角を上げて目を細めた。これこそが本当の神だと、思わず目眩がしそうなほどのオーラだ。
冥界の女王ということは分かっている。しかし、彼女はまるで凪の夜に静かに輝く月の女神のようだった。
――何か返さなきゃっ……。
うっとりしかけていたが気を取り直し、口を開こうとした。だが、私よりも先に見た目と相反する純真な声がそれを遮った。
「どうして分かったんだ?」
ロキオの問いかけを受け、ヘルルはそっと彼女の目の前の机に置かれたものを指さした。
そこに置かれていたものは、向こう側が透けて見えるほど美しい球体の水晶だった。
「胡散臭いな、すげー!」
すっごく失礼かと思いきや、褒める発言もするものだから、私の心臓は何度も誤作動を起こしそうになる。
一方、ヘルル様はそんな私たちを見つめて、なお目を細めるのだった。
とりあえず怒ってはいないみたいで一安心だ。私はホッとバレないように息を吐き、机の上の水晶に目を向けた。
そのとき、ふとある予感が過ぎった。
――待って……その水晶ですべてが見えるということは、私たちがモーズに嘘を吐いたこともバレてるんじゃっ……!
私はロキオの服とも言えぬ服を、クイクイっと引っ張った。そして、振り返った彼へ手短に囁いた。
「ロキオ、モーズのところも水晶で見られてるはずよ。謝ろう」
ロキオは私の言葉を受け、「あっ!」と驚き声を上げた。すると、その様子に不審を抱いたヘルル様が声をかけてきた。
「どうしたの?」
気付けば彼女の横には、ラティと呼ばれていた男性が立っていた。いつの間に……なんて思う暇もなく、私はアンニュイな彼女の無垢な瞳を受け、意を決して口を開いた。
「ヘルル様……大変申し訳ございません。実は私たち、結婚の報告だと嘘をついてここに来たんですっ……」
頭を下げていたが、それでも怖くてギュッと目を閉じる。「えっ……」という彼女の柔らかい驚き声が耳に届き、自分でも驚くほど申し訳なさが募った。
しかし、いつまでも頭を下げるわけにもいかない。恐る恐る目を開け顔を上げる。
すると、私の目に飛び込んできたのは、クラッカーを手に持ち茫然とこちらを見つめるヘルル様だった。
「ヘ、ヘルル様……?」
「あなたたち、結婚の報告に来たわけではないの?」
「ああ」
「は、はい……」
沈黙が流れた。非常に気まずい。
だが、この静寂を打ち破ったのはほかでもないヘルル様だった。
「せっかくお祝いしようと思ったのに、残念だわ」
ヘルル様は物悲しげな表情を浮かべると、美しい動作で隣に立つラティという男性が手に持つトレーにクラッカーを戻した。
その凄まじいギャップに堪えきれなくなったのだろう。罪悪感を覚える私をよそに、隣にいたロキオが大爆笑を始めた。
「ロキオ、無礼よ」
ゾッとするほど冷ややかな視線が、隣で爆笑する彼に注がれる。だが、その視線はすぐこちらに流れた。
堪らず、ギュッと拳を握る。
だが、私と目が合ったとき、その瞳は鋭さの代わりに柔らかさが滲んでいた。
――どうして……。
「オーロラ」
「はいっ……」
「そんなに警戒しなくていいわよ。あなたはロキオと違って良い子ね。ここに来た本当の理由を聞かせてくれるかしら?」
「っ……! 承知しました」
なんて優しい女神様だろうか。咎めることも無く、私の事情を聞いてくれるだなんて。
私はそんな感動を覚えながら、ヘルル様にこれまでの経緯を説明した。
「要するに、この露出狂があなたを巻き込んでここに来たのね?」
「俺の色気を変態と一括りにするなんて――」
「ちょっと黙っててっ!」
ロキオの発言を私が小声で叫び止める一方で、ヘルル様は頬に指先を添わせ考え事をするように空を見つめていた。
私はそんな彼女に誠心誠意をこめた願いを告げた。
「ヘルル様、戻る方法を教えていただけないでしょうか?」
私がそう告げたところ、辺りは静寂に包まれた。すぐに何かしらの言葉が返ってくると思ったのに。
――そう簡単には教えられないということかしら?
こうして不安な気持ちが心を過ぎる中、涼やかな声音が返ってきた。
「分からないの」
「えっ?」
「私、ここを出たことが無いから、出方を知らないの。ラティ、あなた知ってる?」
「いいえ、存じ上げません」
期待してラティという男性を見つめていた私は、膝から力が抜け崩れ落ちそうになった。
辛うじて踏ん張ってはいるが、絶望と焦燥を隠すほどの表情を取り繕う余裕はなかった。
「マジかよっ……やべーな」
さすがのロキオも焦りが生じたのか、余裕なさげに片目を細めて前髪を乱暴にかきあげている。
その様子を気の毒におもったのだろうか。ヘルル様が声をかけてきた。
「特別に冥界を好きに回っていい許可を出すわ。だから、自分たちで見つけてちょうだい。ラティ、案内してあげて」
「はい、承知しました。ヘルル様」
彼の返事に頷きを返すと、ヘルル様は「それじゃあね」と言って、おもむろに両手を椅子の両端に構えた。
そして、彼女はその椅子に座ったまま移動を始めた。
――えっ……もしかしてっ……!
驚いた。今までずっと椅子だと思っていたそれは、木製の車いすだったのだ。
机で車輪部分が隠れていてまったく気付かなかった。
彼女は細い腕で、顔色一つ変えることなく自力で車輪を回して移動し始めた。
私はその光景をただただ茫然と見つめることしかできなかった。
◇◇◇
ラティさんに一通り地図で冥界の地理について教えてもらった。その後、私は館の外に出て、ロキオとともに帰り道となりそうなところを探していた。
「見つかんねーな。冥界についてもっと調べとけば良かった。悪戯厳禁だし、ノーマークだったぜ」
どうして悪戯する気満々なのか。呆れてため息が出そうになりながらも、ふと気になったことを訊ねてみた。
「そう言えば、どうしてヘルル様にだけは絶対に手を出しちゃダメなの?」
このロキオを抑制させるほどの理由とは、いったい何なのだろうか。
手を出すことを推奨するわけではないが、彼女だけはダメだとあえて言われる理由がどうしても引っ掛かった。
「ああー……ま、知らなかったら気になるよな。皆が来たくない冥界でずっと人間たちの死を受け入れてるから……ってのが建前」
「建前? じゃあ、ほかの理由があるの?」
「ご名答。本当の理由は、かつて主神の妹を身を張って守ったことがあるからだ」
「まさか……」
咄嗟に口を衝いて出た声に、彼は私の思考を見透かしたように答えた。
「そう、車いすだったろ? 昔は歩けたらしいぜ」
彼女が車いすになった理由が、誰かを守るためだったなんて。あのどこか浮世離れした彼女の微笑が、なぜかふと脳内を過ぎった。
「主神の妹を庇って、歩けなくなった上ほかに、何か神の力の一部を失ったらしい。だから、主神が絶対にヘルルには手を出すなって警告してるんだ。手を出した代償がでかい理由も、それってわけ」
ロキオは話を聞いて呆然とする私の頭を、突然ツンツンと突いた。見上げると、赤紫色の瞳が私を見下ろしていた。
「オーロラ、ちょっと手分けして探さねー?」
「確かにそうね。その方が効率良さそう」
「じゃ、俺あっち探すわ。お前はそっち頼むわ」
ロキオはそう言うと、空を飛び始めた。私はそんな彼から背を向け、言われた通りの場所に向かおうとした。
すると、背後から「迷子にならないように、あんま遠くに行くなよ」と声が聞こえた。
私は分かったと答える代わりに手を振り返した。
こうして歩みを進めると、いつの間にか邸宅の裏にある庭に来ていた。
その庭園に咲いているのは、黒と白の薔薇だけ。冥界という場所においてぴったり過ぎるその圧巻の光景に、私は息を呑んだ。
――壮観だわ……。
白と黒と緑だけで構成された不思議の世界で、帰り道となりそうな場所を探してみる。
「って、こんなところにあるわけないわよね……」
見ても分かるかすら怪しい。
これと言った打開がなかなか見いだせず、苛立ちや焦りが心を急き立てる。
そのときだった。
「あら、オーロラ。ここに居たの?」
車いすに乗り、一人でどこかに移動していたヘルル様が声をかけてきた。
「オーロラ」
「はいっ……」
「あなたは、随分とカルムに好かれたようね」
真顔をわずかに崩し、彼女が微かに口角を上げて目を細めた。これこそが本当の神だと、思わず目眩がしそうなほどのオーラだ。
冥界の女王ということは分かっている。しかし、彼女はまるで凪の夜に静かに輝く月の女神のようだった。
――何か返さなきゃっ……。
うっとりしかけていたが気を取り直し、口を開こうとした。だが、私よりも先に見た目と相反する純真な声がそれを遮った。
「どうして分かったんだ?」
ロキオの問いかけを受け、ヘルルはそっと彼女の目の前の机に置かれたものを指さした。
そこに置かれていたものは、向こう側が透けて見えるほど美しい球体の水晶だった。
「胡散臭いな、すげー!」
すっごく失礼かと思いきや、褒める発言もするものだから、私の心臓は何度も誤作動を起こしそうになる。
一方、ヘルル様はそんな私たちを見つめて、なお目を細めるのだった。
とりあえず怒ってはいないみたいで一安心だ。私はホッとバレないように息を吐き、机の上の水晶に目を向けた。
そのとき、ふとある予感が過ぎった。
――待って……その水晶ですべてが見えるということは、私たちがモーズに嘘を吐いたこともバレてるんじゃっ……!
私はロキオの服とも言えぬ服を、クイクイっと引っ張った。そして、振り返った彼へ手短に囁いた。
「ロキオ、モーズのところも水晶で見られてるはずよ。謝ろう」
ロキオは私の言葉を受け、「あっ!」と驚き声を上げた。すると、その様子に不審を抱いたヘルル様が声をかけてきた。
「どうしたの?」
気付けば彼女の横には、ラティと呼ばれていた男性が立っていた。いつの間に……なんて思う暇もなく、私はアンニュイな彼女の無垢な瞳を受け、意を決して口を開いた。
「ヘルル様……大変申し訳ございません。実は私たち、結婚の報告だと嘘をついてここに来たんですっ……」
頭を下げていたが、それでも怖くてギュッと目を閉じる。「えっ……」という彼女の柔らかい驚き声が耳に届き、自分でも驚くほど申し訳なさが募った。
しかし、いつまでも頭を下げるわけにもいかない。恐る恐る目を開け顔を上げる。
すると、私の目に飛び込んできたのは、クラッカーを手に持ち茫然とこちらを見つめるヘルル様だった。
「ヘ、ヘルル様……?」
「あなたたち、結婚の報告に来たわけではないの?」
「ああ」
「は、はい……」
沈黙が流れた。非常に気まずい。
だが、この静寂を打ち破ったのはほかでもないヘルル様だった。
「せっかくお祝いしようと思ったのに、残念だわ」
ヘルル様は物悲しげな表情を浮かべると、美しい動作で隣に立つラティという男性が手に持つトレーにクラッカーを戻した。
その凄まじいギャップに堪えきれなくなったのだろう。罪悪感を覚える私をよそに、隣にいたロキオが大爆笑を始めた。
「ロキオ、無礼よ」
ゾッとするほど冷ややかな視線が、隣で爆笑する彼に注がれる。だが、その視線はすぐこちらに流れた。
堪らず、ギュッと拳を握る。
だが、私と目が合ったとき、その瞳は鋭さの代わりに柔らかさが滲んでいた。
――どうして……。
「オーロラ」
「はいっ……」
「そんなに警戒しなくていいわよ。あなたはロキオと違って良い子ね。ここに来た本当の理由を聞かせてくれるかしら?」
「っ……! 承知しました」
なんて優しい女神様だろうか。咎めることも無く、私の事情を聞いてくれるだなんて。
私はそんな感動を覚えながら、ヘルル様にこれまでの経緯を説明した。
「要するに、この露出狂があなたを巻き込んでここに来たのね?」
「俺の色気を変態と一括りにするなんて――」
「ちょっと黙っててっ!」
ロキオの発言を私が小声で叫び止める一方で、ヘルル様は頬に指先を添わせ考え事をするように空を見つめていた。
私はそんな彼女に誠心誠意をこめた願いを告げた。
「ヘルル様、戻る方法を教えていただけないでしょうか?」
私がそう告げたところ、辺りは静寂に包まれた。すぐに何かしらの言葉が返ってくると思ったのに。
――そう簡単には教えられないということかしら?
こうして不安な気持ちが心を過ぎる中、涼やかな声音が返ってきた。
「分からないの」
「えっ?」
「私、ここを出たことが無いから、出方を知らないの。ラティ、あなた知ってる?」
「いいえ、存じ上げません」
期待してラティという男性を見つめていた私は、膝から力が抜け崩れ落ちそうになった。
辛うじて踏ん張ってはいるが、絶望と焦燥を隠すほどの表情を取り繕う余裕はなかった。
「マジかよっ……やべーな」
さすがのロキオも焦りが生じたのか、余裕なさげに片目を細めて前髪を乱暴にかきあげている。
その様子を気の毒におもったのだろうか。ヘルル様が声をかけてきた。
「特別に冥界を好きに回っていい許可を出すわ。だから、自分たちで見つけてちょうだい。ラティ、案内してあげて」
「はい、承知しました。ヘルル様」
彼の返事に頷きを返すと、ヘルル様は「それじゃあね」と言って、おもむろに両手を椅子の両端に構えた。
そして、彼女はその椅子に座ったまま移動を始めた。
――えっ……もしかしてっ……!
驚いた。今までずっと椅子だと思っていたそれは、木製の車いすだったのだ。
机で車輪部分が隠れていてまったく気付かなかった。
彼女は細い腕で、顔色一つ変えることなく自力で車輪を回して移動し始めた。
私はその光景をただただ茫然と見つめることしかできなかった。
◇◇◇
ラティさんに一通り地図で冥界の地理について教えてもらった。その後、私は館の外に出て、ロキオとともに帰り道となりそうなところを探していた。
「見つかんねーな。冥界についてもっと調べとけば良かった。悪戯厳禁だし、ノーマークだったぜ」
どうして悪戯する気満々なのか。呆れてため息が出そうになりながらも、ふと気になったことを訊ねてみた。
「そう言えば、どうしてヘルル様にだけは絶対に手を出しちゃダメなの?」
このロキオを抑制させるほどの理由とは、いったい何なのだろうか。
手を出すことを推奨するわけではないが、彼女だけはダメだとあえて言われる理由がどうしても引っ掛かった。
「ああー……ま、知らなかったら気になるよな。皆が来たくない冥界でずっと人間たちの死を受け入れてるから……ってのが建前」
「建前? じゃあ、ほかの理由があるの?」
「ご名答。本当の理由は、かつて主神の妹を身を張って守ったことがあるからだ」
「まさか……」
咄嗟に口を衝いて出た声に、彼は私の思考を見透かしたように答えた。
「そう、車いすだったろ? 昔は歩けたらしいぜ」
彼女が車いすになった理由が、誰かを守るためだったなんて。あのどこか浮世離れした彼女の微笑が、なぜかふと脳内を過ぎった。
「主神の妹を庇って、歩けなくなった上ほかに、何か神の力の一部を失ったらしい。だから、主神が絶対にヘルルには手を出すなって警告してるんだ。手を出した代償がでかい理由も、それってわけ」
ロキオは話を聞いて呆然とする私の頭を、突然ツンツンと突いた。見上げると、赤紫色の瞳が私を見下ろしていた。
「オーロラ、ちょっと手分けして探さねー?」
「確かにそうね。その方が効率良さそう」
「じゃ、俺あっち探すわ。お前はそっち頼むわ」
ロキオはそう言うと、空を飛び始めた。私はそんな彼から背を向け、言われた通りの場所に向かおうとした。
すると、背後から「迷子にならないように、あんま遠くに行くなよ」と声が聞こえた。
私は分かったと答える代わりに手を振り返した。
こうして歩みを進めると、いつの間にか邸宅の裏にある庭に来ていた。
その庭園に咲いているのは、黒と白の薔薇だけ。冥界という場所においてぴったり過ぎるその圧巻の光景に、私は息を呑んだ。
――壮観だわ……。
白と黒と緑だけで構成された不思議の世界で、帰り道となりそうな場所を探してみる。
「って、こんなところにあるわけないわよね……」
見ても分かるかすら怪しい。
これと言った打開がなかなか見いだせず、苛立ちや焦りが心を急き立てる。
そのときだった。
「あら、オーロラ。ここに居たの?」
車いすに乗り、一人でどこかに移動していたヘルル様が声をかけてきた。
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