青い炎

瑞原唯子

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1. 運命だと思ってあきらめて

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 今日、僕は同時にふたつの失恋をした——。

 悠人は純白の衣装を身にまとった新郎新婦に視線を送る。祝福に満ちたこの場には似つかわしくない無表情で。もっとも、普段から表情が乏しいので変に思われはしないだろう。
 もともと叶うことのない想いだった。そう承知して最初からあきらめていたにもかかわらず、胸の内で静かな激情の炎を燃やし続けてきた。心の奥底では一縷の望みを持っていたのかもしれない。
 しかし、それも断たれた。
 だからといって、簡単に気持ちを切り替えられるほど器用ではない。これからもこの想いを燻らせていくのだろう。仲睦まじい二人を誰よりも近くで見守りながら。

 +++

「楠悠人(くすのきゆうと)くんだよね?」
 国立有栖川学園中等部の入学式を終えて教室に戻ると、多くの生徒たちがわいわいおしゃべりを始める中で、悠人はひっそりと自席につく。そのとき、ひとつ前の席に見知らぬ男子が座って声をかけてきた。色白の中性的な顔に人なつこい笑みを浮かべている。入学式の前には別の男子が座っていたので彼の席ではないはずだ。わざわざ悠人に話しかけるためにここに座ったのだろうか。いぶかしく思いながら眉をひそめる。
「そうだけど……」
「僕は橘大地(たちばなだいち)。名前、似てるだろう? クラス名簿を見て気になってたんだ」
 似ているといえるかどうかは微妙なところだが、そう言いたい気持ちはなんとなくわかった。だが、こんなことを嬉しそうに言ってこられても返事のしようがない。口をつぐんだままじとりと冷ややかな視線を送っていたが、彼はまるで意に介することなくニコッとして言葉を継ぐ。
「君のことは悠人って呼ぶよ。僕のことは大地って呼んで」
「…………」
 初対面の同級生にこれほど馴れ馴れしくされた経験はなく、戸惑いを隠せない。たいていのひとは不機嫌そうにしていれば離れていくし、必要最低限のことしか話しかけてこなくなる。今までそうやって他人との交流を避けてきた。なのに、彼は仏頂面の悠人にすこしも怯む様子はない。
「悠人は外部生だよね。小学校は私立?」
「……だったら何? 見下しているのか?」
「まさか、中等部から入る方が難しいし」
 思わずムッとして聞き返したが、彼は何のてらいもなく答えた。
 その質問に他意などなかったに違いない。自分が劣等感から過剰反応してしまっただけだ——悠人はそのことを自覚してきまり悪さに目を伏せた。有栖川学園では、中等部の八割くらいが初等部からの内部進学だと聞いている。話からすると大地は初等部からの内部進学生なのだろう。そして、悠人はその初等部を受験して不合格になっていたのだ。
 悠人の一族は代々多くの警察官僚を輩出しており、悠人もその役目を期待されていた。物心ついたころからそう言い聞かされ、有栖川学園への入学も当然のように定められていた。しかし、悠人は何もかも勝手に決められることに反発し、受験の面接時にひとことも発しなかったのである。それが幼い悠人にできる唯一の抵抗だったのだ。
 当然ながら有栖川学園は不合格となり、私立の小学校に通うことになった。そのことで悠人は父親に見限られた。もうおまえには何も期待しない——凍りつくような冷たい目でそう言われ、実際、話しかけられることもなくなった。父親の期待はすべて従順で優秀な弟が背負っている。
 有栖川学園の中等部を受験したのは悠人自身の意思だ。決して父親の関心を取り戻そうと思ったわけではない。不合格という心の棘を取り除きたかっただけである。それでも心のどこかでは期待していたのかもしれない。父親が合格を知っても何も言ってくれないことに、ひそかに落胆していたのだから。

「じゃあさ」
「おい橘、ここ俺の席だぞ」
 大地が話を続けようとしたそのとき、入学式前にその席に座っていた男子が割り込み、大地の背中に腕をのせて体ごと寄りかかってきた。怒っているのではなく冗談っぽくじゃれている感じだ。彼も内部進学生で大地と親しくしていたのだろう。大地ものしかかられながら軽く笑っている。
「悪い悪い。なあ、僕と席替わってくれない?」
「やだよ。入学早々、先生に怒られたくないし」
「じゃあ、先生の許可もらってきたら替われよ」
 どうしていきなり席を替わろうとしているのだろう。しかも先生に許可をもらうだなんて本気なのか? 悠人には大地の考えていることがさっぱりわからない。しかし、彼と話している男子は特に疑問もなく受け止めていた。
「おまえの席どこだっけ?」
「そこのいちばん後ろ」
 大地が窓際の方を指さして答えると、彼は目を輝かせた。
「マジで? すげぇ、特等席じゃん!」
「譲ってやるから感謝しろよ」
「感謝するのはおまえだっつーの」
 二人は笑いながらじゃれつくようにヘッドロックしあう。
 その光景を、悠人は邪魔だなと思いながら醒めた目で眺めていた。昔からこういう子供じみた騒々しさが苦手だった。この学校なら落ち着いているだろうと期待していただけに、失望を禁じ得ない。
 そうこうしているうちに担任が教室に入ってきた。おしゃべりしていた生徒たちはバタバタと自席へ戻っていく。大地も立ち上がり、悠人を覗きこみながら「またな」と声をかけると、悠然とした足取りで明るい窓際へと戻っていった。

「悠人、おはよう」
 翌朝、大地は本当に席を替わってもらったらしく、窓際ではなく悠人の前の席に座っていた。笑顔で挨拶され、悠人はついと眉間にしわを寄せて自席につく。
「どうしてその席にこだわるんだ?」
「悠人と仲良くなりたいからだよ」
 しれっとそう答えるが、悠人をからかっているだけで別に理由があるのだろう。こんな言葉を真に受けるほど純真無垢ではない。しかし、きのうの話からすると担任の許可はもらっているはずで、そうだとすれば自分がとやかく言うことでもない。ただ、こんなわがままが通ったことをすこし不思議に思う。
「どうやって先生を説得した?」
「そのまま言っただけだよ」
 その答えがよくわからず怪訝に眉を寄せると、大地はくすっと笑った。
「楠くんと友達になりたいから席を替わりたいって。まあ、ほかの人なら認められなかったかもしれないけどね。僕はこう見えて橘財閥の跡取り息子だからさ。先生たちが勝手に気を遣ってて。ときどきこうやって利用させてもらってる」
 あっけらかんと語られたその内容に、悠人は目を瞠る。
 まさか有名な大財閥の跡取り息子だとは——同級生とも普通にじゃれあっていたし、人なつこいし、そんなふうにはとても見えなかった。ただ、悪びれもせず平然とわがままを押し通すあたりは、確かに大金持ちの御曹司らしいと納得もした。
「席さ」
 無意識に嫌悪感をにじませていた悠人をじっと見つめ、大地は切り出す。
「君の隣にしようか前にしようかすこし迷ったけど、前にして正解だったよ。振り返ればこんなに間近で顔が見られるんだから。たとえ君がどれだけ嫌がったとしてもね」
 含みのある挑発的な物言いをして、口もとを上げる。悠人の表情はけわしくなった。
「……おまえ、何を企んでいる?」
「悠人と仲良くなりたいだけだよ」
「どうして僕なんだ」
「さあ、運命だと思ってあきらめて」
 大地はきれいな笑みを浮かべて言った。
 何が運命だ——悠人の苛立ちはつのる。彼が何を考えてこんなことをしているのかわからない。仲良くしたいから席を替わったなど信じられるはずもない。橘財閥の御曹司ともなればすり寄ってくる人も多いだろうが、その彼の方が何も持たない悠人にすり寄るなどありえない。理由が思いつかない。
 名前が似ているというそれだけの理由で目をつけられた。仲良くしたいわけではなく暇つぶしのおもちゃとして。そう考えると納得がいく。これまでの傍若無人ぶりからして、拒絶したところで簡単にあきらめてくれるとも思えない。彼が興味をなくすのを待つしかないのかもしれない。
 平穏な学生生活が遠のいていく予感に、悠人はにっこりと微笑む元凶の男をいまいましげに睨めつけた。
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