オレの愛しい王子様

瑞原唯子

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第11話 女

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「おい、いいかげん目を覚ませ」
 臀部を蹴られ、その痛みで創真は意識を取りもどした。
 どうやら朽ちた事務室のようなところに転がされているようだ。ライトグレーのタイルは砂や埃などで汚れており、壁はひび割れ、スチール製のロッカーは変形してところどころ錆びている。
 ガシャッ——。
 体を起こそうとして、両手が何かで拘束されているらしいことに気がついた。硬いものが手首に当たって痛い。背中側なので見えないが、おそらく手錠をかけられているのではないかと思う。
 そうだ、本屋のまえでいきなり黒いバンの男に襲われて……翼は?!
 ハッとして身をよじりあたりを見まわす。
 翼はそこから数メートルほど離れたところに立っていた。目出し帽をかぶった大柄の男に二の腕をつかまれ、そしてやはり背中側で両手を拘束されているようだ。創真と目が合うとふっと自嘲めいた笑みを浮かべる。
「すまないな、巻き込んでしまって」
「オレはいいからおまえだけでも逃げろ!」
「おっと、そうはいかないぜ」
 ふいに後ろからヒヤリとしたものが首筋に押し当てられた。状況と感触から考えて、ナイフのような小型の刃物で間違いないだろう。そのまま首根をひっぱり上げるようにして立たせられる。
「逃げたらこいつを切るぞ」
 そう言い、男はいったん刃先を翼に向けてから押し当てなおした。ちょうど頸動脈のあたりだ。切られたらきっと助からない。あらためてその冷たい刃を意識してぞくりと背筋が震えた。
「……おまえたちの目的は何だ」
 翼は眉をひそめ、自分の腕をつかんでいる男に横目を流して問いかける。
 男は目出し帽をかぶっているせいで顔の大半が隠れていたが、ふっと鼻先で笑ったのはわかった。さらに目つきをいやらしくして翼の耳元に顔を寄せていく。
「安心しろ。おとなしく従えば命までは取らないさ」
 ねっとりとそう言うと、ポケットから小さな鍵を取り出して翼の手錠を外した。そして乱暴に腕を引き、よろけた翼の鼻先に素早くサバイバルナイフを突きつける。
「脱げ」
 ドスのきいた声で命じ、空いているほうの手でスマートフォンを構えた。
 この状況を目にすれば、目的はともかく何をするつもりかはおおよそ察しがつく。本当は女だということも知っているに違いない。
「従うな!!!」
 創真は声のかぎりに叫んだ。
 翼が驚いたように振り向き、目出し帽の男もサバイバルナイフを握ったままチラリとこちらを一瞥する。直後、背後の男が苛立たしげに舌打ちして首筋のナイフにグッと力をこめた。
「おい黙れ」
「オレに構わず逃げろ!」
「このクソガキがっ!」
「ぐっ……!」
 首筋に鋭い痛みが走り、生ぬるいものがぬるりと伝い落ちていくのを感じる。さっそく切られてしまったことに少なからず驚いたが、いまのところ動脈にまでは達していないようだ。
「創真!!」
 しかし翼はこれまでにないくらい青ざめていた。
 その様子に、目出し帽の男はあからさまなくらい満足げに目を細め、あらためてサバイバルナイフを構えなおして警告する。
「下手な真似をするとオトモダチが死ぬことになる。その男はかなり短気だぞ」
「…………」
 覚悟を決めたのか、翼はすっと凜々しく背筋を伸ばしてコートを脱ぎ捨てた。ばさりと床に落ちて白い埃が舞い上がる。その様子を、目出し帽の男はスマートフォンを掲げて動画撮影していた。
 くそっ——!
 創真はくやしさに奥歯を食いしめる。
 きっと翼ひとりだったらどうにかして逃げられた。創真がついてきたばかりに足枷になってしまったのだ。いっそ見捨ててほしかったが、翼にそんな真似はできないだろうこともわかっていた。
 そのあいだにも翼はためらうことなくブレザーを脱ぎ捨て、ネクタイを外してシャツも脱ぎ捨て、靴も靴下もスラックスも脱ぎ捨てた。コートの上に次から次へと衣服が積み重なっていく。
「下着も全部だ」
 男は顎をしゃくり、ひとつ残らず脱ぐように促した。
 言われるまでもなくわかっていたのだろう。翼は表情を変えることなく長袖インナーを脱ぎ捨て、胸を目立たなくするコルセットも外し、最後の一枚となったボクサーパンツも淡々と脱いだ。
「これで満足か?」
 一糸まとわぬ姿のまま、凜然と男を見据えてボクサーパンツを落としながら言う。
 本当に、女だったんだ——。
 あまりにも場違いな感想が創真の頭に浮かんだ。
 もちろん女であることは知っていたし、疑ってもいなかったが、普段は性別など意識していないので実感がなかった。女だとか男だとかいうのは関係なく、翼だから好きになったのだ。
 だがいまは否が応でも意識させられてしまう。白くすべらかな肌、やわらかそうな胸、なめらかにくびれた腰——全体的に肉付きが薄くてすらりとしているが、それでも十分に女だった。
「まさかこれで終わりだなんて思ってるんじゃないだろうな」
 その嘲笑まじりの声を耳にして現実に引き戻された。
 視線を移すと、目出し帽の男はスマートフォンを構えて動画撮影をつづけていた。そのまま翼のほうに大きく一歩近づいて、あらためてサバイバルナイフを突きつけなおし、顎をしゃくる。
「服の上にでも寝てもらおうか」
「…………」
 翼は眉をひそめて鋭い目つきで睨んだ。
 しかし男は愉快そうにせせら笑う。
「いまだに泣きもせず震えもせず強気な顔を見せるとはさすがだな。この気高い西園寺の王子様を、俺がいまからオンナにしてやるんだと思うとゾクゾクするぜ。声が嗄れるまでよがらせてやるよ」
「やめろッ!!!」
 創真はカッとして飛び出しかけるが、背後の男にがっちりと二の腕をつかまれていたせいで叶わなかった。必死に振り払おうとしてもびくともしない。はずみでナイフが食い込んで再びぬるりとしたものが首筋を伝っていく。
「創真、落ち着け」
 冷静にたしなめるその声で創真はようやく我にかえり、もがくのをやめた。しかし落ち着けるわけがない。砕けそうなほどギリギリと奥歯を食いしめていると、翼がぎこちなくもしたたかな笑みを向けてきた。
 まだ、翼は絶望していない——。
 そう確信して創真はすこしだけ冷静になれた。
 背後の男は苦々しげにチッと舌打ちすると、血に濡れたナイフを首筋から喉元のほうに移して、いまにも掻き切らんばかりに刃を立てて押しつける。
「さっさと言うとおりにしねぇと本当に殺すぞ」
「わかった」
 翼はすぐさま積み重なった服の上で仰向けになり、手足を投げ出した。
 目出し帽の男はニヤリとして腰元の鞘にサバイバルナイフを突っ込むと、翼をまたいで片方の膝をついた。空いたほうの手をねっとりと肌に這わせながら、上から下まで舐めるように撮影していく。翼は顔色も変えずじっと口を引きむすんでいたが——。
「いつまで我慢できるか見物だな」
「っ……!」
 無骨な手がうっすらと色づいた胸の頂をなぶると、大きく息を詰めた。
 その反応に男は気をよくしたように喉奥でクッと笑い、容赦なく攻め立て始めた。それでも翼は耐えていた。顔をそむけてしまったのでもう表情は見えないが、体をこわばらせているのはわかる。
「そろそろ喘いでもらおうか」
 男はにやついた声でそう言いながら膝裏を持ち上げる。
 クソッ——創真は見ていられずギュッと目をつむって顔をそむけるが、背後の男は凝視しているらしく、思いきり前のめりになりながらごくりと生唾を飲んでいた。
「うっ……ぁ……っ……」
 生々しい音がして、やがて抑えきれない声が漏れ始める。
 背後の男はますます興奮してハアハアと呼吸を荒くした。濡れた生ぬるい息が創真の頭頂部にかかる。吐きそうなくらい気持ち悪くて、殺したいくらい腹立たしくて、頭が沸騰しそうだ。
 オレは何をすればいい、何をすれば——。
 気がおかしくなりつつも必死に思案をめぐらせていると、創真の腕をつかんでいた手がふいに離れた。喉元のナイフも浮いている。どうやらポケットか何かをごそごそと探っているようだ。
 そっと視線を前に向ける。目出し帽の男はちょうど翼の脚から手を離したところのようで、膝立ちのまま体を起こし、舌なめずりをしながらズボンのファスナーを下ろそうとしていた。
 いましかない——!
 創真は後ろを一瞥し、男の顎に狙いを定めて全力で頭突きを食らわせた。
 あまりの痛さに涙がにじんだが構ってはいられない。後ろ手にかけられた手錠のせいでよろめきながらも、すぐに数歩離れて身構える。しかし男は気絶したのか受け身もとらずにのけぞって倒れた。
「ぐあっ!!!」
 つぶれた悲鳴に振り向くと、膝立ちになった男の急所を翼が仰向けのまま蹴り上げていた。即座に反対の膝で横っ面を蹴り飛ばし、倒れた男の腰元からサバイバルナイフを奪って突きつける。まるでフェンシングのような美しい構えで。
「この下衆が」
 埃にまみれて悶え苦しむ男を見下ろしながら、吐き捨てるように言う。
 その姿は崇高なまでに美しかった。すらりと引き締まった一糸まとわぬ後ろ姿、しなやかな姿勢、気品を失わない凜々しい横顔——創真は自分が置かれた状況も忘れて陶然と見とれていた。
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