氷の宰相補佐と押しつけられた厄災の花嫁

瑞原唯子

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第4話 彼女なりの努力

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「あの、今日はいつごろ帰ってきますか?」
 いつものように宰相補佐の仕事のため朝から王宮に向かおうとしたとき、見送りのアリアがそう切り出した。どこかそわそわした落ち着かない様子で。何かあるのだろうかと怪訝に思いながらもアイザックは淡々と答える。
「急ぎの仕事がなければ夕方までには」
「そうですか」
 その声には安堵の息が混じり、あからさまにほっとしている様子が窺えた。しかしながらその理由を言うつもりはないらしい。
「行ってらっしゃいませ」
「……ああ」
 ニコニコと笑顔で見送られ、アイザックは気になりつつも聞けないまま玄関をあとにした。

 今日は国王と宰相がいくつかの議題について内々に話し合う予定になっている。
 アイザックはその下準備を任されていた。きのうまでに資料をまとめて宰相のメイソンに確認してもらい、指摘された部分も修正しておいた。それをメイソンが最終確認して頷く。
「今日は君にも同席してほしい」
「承知しました」
 宰相補佐のアイザックはいつも同席するわけではない。むしろ呼ばれることのほうが少ないかもしれない。今日は久々に呼ばれたが、議事録をとる必要があるからで他意はないだろう。ただ——。

 絨毯が敷かれ、上質な調度品などで豪奢に設えられた王宮の一室。
 国王と宰相が内々に話し合うときはいつもここだ。中央には十数人が席に着けるほどの広く重厚なテーブルがあり、その一角に三人が座ると、あらかじめ用意した資料をもとに話し合いを進めていく。
 主に議論しているのは国王のフィリップと宰相のメイソンだ。宰相補佐のアイザックは傍らで議事録をとりつつ、資料に載せていないことを補足したり、意見を求められた折には答えたりしている。
 それはいつもと変わらない光景だった。いっそ不自然なくらいに。
 王命でアリアと結婚が決まってから初めて顔を合わせたにもかかわらず、陛下はそのことにいっさい言及せず、それどころかこちらを意識する素振りすらまったく見せないのである。仮にも娘を娶らせた相手なのに。
「では、そのように進めます」
「よろしく頼む」
 話し合いがまとまり、陛下は安堵したように小さく息をついた。
 そのとき目にした顔がすこし老け込んでいることに気付く。数か月前まではもうすこし張りがあったはずだ。そのあいだにあった心労の重なるような出来事といえば、やはり娘が生きて見つかった一件だろう。
 陛下にとって、アリアは厄災でしかないのだろうか——。
 アイザックは腹の底に冷たいものが落ちるのを感じながら、机の上に広げていた資料や筆記具などの荷物を淡々とまとめ、メイソンとともに部屋を辞した。

「失望したかね」
 執務室に戻ると、メイソンが席につきながらそう尋ねてきた。
 感情が顔に出ないためわかりにくいと評されることの多いアイザックだが、彼に言わせればわかりやすいらしいので、陛下をまえにして何を考えていたかはおおよそ見抜かれていたのだろう。けれど——。
「陛下の立場は理解しているつもりです」
 アリアが娘であることさえ公に認めていないのだから、言及できないのはわかる。せめて気にする素振りくらいは見せてほしかったと思うが、それはアイザックの身勝手な願望だ。自分の中だけでひっそり消化すべきものだと心得ている。
「あいかわらず君は聞き分けがいいな」
 メイソンは苦笑を浮かべて肩をすくめる。そしてさきほどの議事録に目を落とすと、そのまま顔を上げずに言葉を継いだ。
「陛下はずっと君たちのことを気にかけておられる。わたしも何度か尋ねられた」
「……そうですか」
 それが事実だとしても、アリアのことを純粋に娘として心配しているとは限らない。厄災として警戒しているだけかもしれない。もっともメイソンに尋ねてもたいした情報は得られないだろうが——。
「ちょっと待ってください。まさかあなたに相談したことまで筒抜けだったのですか?!」
「いや、そこはいっさい漏らしてないぞ。君の信頼を裏切るようなことなどするはずないだろう。もっともご両親のほうからいろいろ漏れている可能性はあるがね」
「…………」
 思わず遠い目になると、それを見たメイソンがおかしそうにハハッと笑った。
「わたしでよければ今後も相談に乗ろう。同じ公爵家の人間として、仕事仲間として、君の力になりたいと思っているのだ。もちろん陛下にも誰にも内容を漏らしたりしない」
「ありがとうございます」
 一応そう応じたものの、もうあまり相談しようという気にはなれなかった。

「失礼します!」
 午後の仕事をきりのいいところで終わらせて帰り支度をしていると、若い文官が焦った様子で飛び込んできた。一目散にメイソンのところへ向かい、書類の束を差し出しながら今日中に承認がほしいと泣きついている。
「いまから今日中などと言われても困るのだがね」
「無理は重々承知していますが、どうかお願いします!」
「……仕方ない。今後は不手際のないように頼むぞ」
「ありがとうございます!」
 文官は希望を見出したようにパッと顔をかがやかせて一礼し、慌ただしく執務室をあとにした。それを静かに見送ったメイソンは、やれやれとばかりに深く溜息をついてアイザックに目を向ける。
「できれば君にも手伝ってもらいたいのだが」
「…………」
 そう来るだろうとは思ったが——今朝アリアが見送ってくれたときのことを思い出し、うっすらと眉を寄せる。アイザックがいつごろ帰るのか気にしていたし、夕方までに帰ると聞いて安堵していた。
「もしかしてこのあと予定があるのか?」
「ある……のかもしれませんが……」
「早く帰るよう言われているのだな」
「明確には言われてないので大丈夫です」
「いや、それなら帰りたまえ」
 重要な予定があるならともかく、本当に予定があるかどうかさえもまだわからない状態だというのに、メイソンにすべて押しつけて自分ひとり帰れるわけがない。
「宰相を補佐するのがわたしの役目です」
 そう告げると、メイソンはふっと目元をゆるめて顔を上げた。
「本来なら君は結婚休暇中なのだから、遅くまで仕事をさせるわけにはいかんよ。奥方が待っているならなおのこと。妻と良好な関係を築くのも君の仕事のひとつだ」
「……承知しました」
 納得したわけではないが、そこまで言うのならと帰らせてもらうことにした。
 途中で止まっていた帰り支度を急いで済ませて立ち上がり、メイソンに一礼すると、いつもより早足になるのを自覚しながら執務室をあとにした。

「お帰りなさいませ!」
 スペンサー邸の玄関ではアリアが待ち構えていた。いつもより声がはずんでいて、表情も明るく、それでいてどこかそわそわした様子も見てとれる。
「お仕事で疲れているとは思うんですけど……その、お茶しませんか?」
「ああ」
 結婚して以降、たびたびお茶の席に呼ばれるようになったが、いつもは母から声をかけられており、今回のようにアリアからというのは初めてである。おそらくそこで何か特別なことがあるのだろう。
 帰ってきて正解だった——。
 そうでなければ何かの準備が無駄になっていたかもしれないし、この笑顔も曇っていたかもしれない。仕事があるにもかかわらず帰るよう諭してくれたメイソンに、いまさらながら心の中で感謝した。

「アイザック様、こちらに座ってください」
 やわらかな陽光で明るい室内。その窓際のテーブルにはお茶の支度が調えられつつあり、アリアはすでに席についていた。隣には母のイザベラもいる。アイザックも呼ばれるまま用意された席に腰を下ろした。
「どうぞ、お召し上がりください」
 紅茶がそそがれると、こころなしか緊張した面持ちでアリアが勧めてきた。
 白い皿にはスコーンが山積みになっている。ケーキやマカロンといった華やかな菓子がひとつもなく、スコーンのみというのはめずらしい。しかもいささか小さくて不揃いに見えるのは気のせいだろうか。
 ただ、アイザックは見た目には頓着しないほうだ。
 紅茶を一口飲み、スコーンを半分に割ると、クロテッドクリームとストロベリージャムをのせて口に運ぶ。ほんのりあたたかいほろほろとした素朴なスコーンに、濃厚なクリームと甘酸っぱいジャムがよく合っていた。
「どうですか?」
「美味い」
 率直に答えると、アイザックの様子をじっと観察していたアリアは、ほっとしたように息をついて顔をほころばせた。
「そうでしょう」
 向かいのイザベラが得意げな顔で口をはさむ。
「アイザックはケーキよりもスコーンが好きなのよって話をしたら、アリアがあなたのために作るんだって言い出してね。おいしく出来るよう頑張ったのよ。あなたにはもったいないくらいの出来た妻だわ」
 彼女が選んで用意したのではないかとは思ったが、まさか自ら作っていたとは——。
 隣のアリアに目を向けると、いきさつを暴露されたことが恥ずかしかったのか、あるいは賞賛されたことで恐縮しているのか、ほんのりと頬を赤らめながらうつむいていた。
「料理人の方がわかりやすく教えてくれたので……お母さまも協力してくれましたし……」
 それでも作ったのはアリアなのだ。
 形はすこしいびつだったものの味は文句のつけどころがなく、初めてとは思えないくらい上手くできていた。嫁いでからまだ日が浅いのに、こうして自ら行動を起こしていたことにも驚かされた。
「すごいな、君は」
 自然とそんな言葉が口をついた。
 しかし彼女にとっては思いもしない言葉だったらしく、びっくりしたように顔を上げた。頬にかかっていた透明感のある純白の髪がさらりと流れ、アクアマリンのような瞳がアイザックを捉えたかと思うと、ふわっと微笑む。
「アイザック様と仲良くなりたくて頑張りました」
「そうか……」
 どうせ形だけの夫婦だと思い、ろくに関わろうともしなかったアイザックと違って、アリアは最初から夫婦であろうと努力していた。同じ寝台で寝起きすることを求め、外出時には見送りと出迎えを行い、ティータイムには笑顔で話しかけ、時間が合えば寝台でも語らい、そのうえこんなことまで——。
「君の気持ちをありがたく思う」
 自分の薬指にはめられた結婚指輪に目を落としてそう告げると、何でもないかのように紅茶を口に運ぶ。視界の端にはうれしそうにはにかむアリアの姿が映っていた。
「もうすこし気の利いたことを言えればいいんですけどね」
 向かいでイザベラが仕方なさそうに肩をすくめる。その声には確かにあきれたような響きがあったものの、いつになくやわらかかった。アイザックはきまりの悪さを感じながらも素知らぬふりをして、再びスコーンに手を伸ばした。
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