遠くの光に踵を上げて

瑞原唯子

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16. 実技試験

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「やっぱり朝の空気は気持ちいいな」
 ジークは両手を広げ、張りつめた空気を体の奥まで流し込んだ。まだ静かな通りの真ん中を、大きく闊歩する。
 隣のリックは、彼とは対照的に弱々しく歩いている。その髪にはまだ寝ぐせがついたままだ。
「なんか、くらくらする」
 眩しそうに目を細め、右手の甲を額につける。
 今朝、まだ日が昇らない時間に、いきなりジークがやってきて叩き起こされたのだ。朝の空気が吸いたくなったからおまえも付き合え、そんな理由だった。ジークのわがままに振り回されるのは馴れていたので、このくらいのことでは別に腹は立たない。しかし、やはり眠いのはどうしようもなく、しきりにあくびが口をついて出た。
「試験までにちゃんと目を覚ましておいた方がいいぞ」
 彼の睡眠時間を奪った張本人が忠告した。
 今日で試験三日目。最終日である。筆記試験を終え、あとは実技を残すのみとなった。実技試験というだけで詳しい方法はなにも聞いていない。
「実技って何をやるんだろう」
 リックはジークと肩を並べて歩きながら、不安をそのまま口にした。
「さあな。でも、どんな試験でも、俺は負けないぜ」
 リックとは対照的に自信に満ちた口調。ここのところの自主訓練の手ごたえが、彼に自信を与えていたのだ。

 アカデミーの門をくぐる。
 まだ早いので、いつもの朝とは様子が違い、ひっそりとしている。人の声はまったく聞こえない。聞こえるのは、自分たちの靴音と、ときどき遠くで小さく響く足音だけだ。
 ジークはまっすぐ教室に向かうと、勢いよく扉を開け放った。案の定、教室には人影は見当たらなかった。それを確認すると、鼻から大きく空気を吸い込み、満足げな表情を浮かべる。
「やった。一番乗りだ!」
 自分の声が教室に響くのを聞いた後、大またでまっすぐ自分の席へ歩いていった。
 リックは、彼の子供っぽさにやや苦笑いしながら、そのあとに続いて歩き出した。自席の机の上に鞄を降ろすと、何気なく窓の外に目をやった。ふいに、見なれた人物がその視界に飛び込んできた。
「あれ? アンジェリカだ」
 ジークもリックの視線を追い、窓の外を見た。そこには、後ろ向きで顔は見えなかったが、確かに彼女とわかる姿があった。
「どこへ行くんだろう」
 彼女は教室であるこちら側に背を向けて歩いていた。彼女の向かっている方には、ふたりともほとんど行ったことがない。
 彼女の向かう先を、目でまっすぐにたどる。校庭の外れ、大きな木が三本立っているさらにその奥。木々の隙間から、こじんまりとした三角屋根の建物が垣間見える。窓ガラスの代わりにはめ込まれたステンドグラスが、そこが教会であることを、ささやかながら主張していた。
 今までその建物に全く気がつかなかったというわけではないが、少なくともその存在は、今の今まですっかり忘れていた。そのくらい存在感のない場所だった。彼らだけでなく、他の生徒たちもほとんど近づくことはなかった。ひっそりと陰を落としている。
「今さら神だのみかよ」
 ジークは茶化そうと思ってそう言った。しかし、思いのほかその声はこわばっていた。
 彼が本気なのか冗談なのかわからなかったリックは、軽く笑って相づちを打つだけで、言葉は返さなかった。
 声がこわばってしまったことに、ジークは自分で驚きを感じていた。
 しかし、理由はわかっていた。
 首席入学の彼女が、まだ幼い彼女が、これだけやる気を見せているのだ。脅威を覚えないはずはない。そして、信仰心を持つものが祈るという行為は、瞑想より大きな効力を持つ。自分には真似できない方法で、魔導力を高めているという事実が、彼の焦りを増していた。
 もう小さくなったアンジェリカを眺めながら、しばらく立ちつくしていたかと思うと、勢いよく教室を飛び出した。リックは小走りでジークの後を追う。
「どこ行くの?」
 リックのその問いに、ジークは足を止めることも振り返ることもなく、ただ短く答えた。
「瞑想だ」

 ついに、実技試験のときがやってきた。
 ラウルによってクラス一同が集められた場所。そこは校舎の隅にあるヴァーチャルマシンルームのさらに奥、いつもは鍵のかかっている部屋。窓もなく閉塞感が漂っている。ラウル以外は足を踏み入れたのも初めてだった。そこにはヴァーチャル・リアリティ・マシン(通称 VRM)のコクピットがふたつ、少し距離をあけて、向かい合わせに置かれていた。そしてその2つの真ん中に大きな薄型のディスプレイが吊り下げられている。そして、縦横無尽に張り巡らせたケーブルが、物々しさをかもし出している。
 その雰囲気に圧倒され、みんな押し黙っていた。
 その沈黙を破ったのは、ラウルだった。
「実技試験の方法だが……」
 生徒たちの反応を確かめるように、少し間をおいて続ける。
「対戦方式で行う」
 依然、重苦しい静けさ。誰も口を開くものはいない。
「これは対戦用に改造した VRMだ。対戦の様子は上のディスプレイに映し出される」
 ラウルは腕を組み、ゆっくりと生徒の方へ向き直る。
「単に勝敗で評価するのではなく、試合内容で評価する。そのつもりで持てる力をすべて発揮して戦うように。いいな」
 相変わらずの威圧的で一方的な口調が、生徒たちに重くのしかかる。
 ラウルは左手に抱えていた青いファイルを開いた。紙をめくる音が、密閉された空間に反響する。その手を止め、上から下へざっと眺めると、口を開いた。
「入学時の順位で下から2人ずつ対戦していってもらう。まずはリックとザズだな」
「うわっ! いきなりだ!」
 下から二番目のリックが、動揺して声を上げた。その驚きぶりがおかしくて、アンジェリカは、彼に気づかれないように忍び笑いをした。
 リックはやや臆病なせいもあって、実戦形式というものが苦手だった。VRMでの自主訓練も嫌々やっていたくらいだ。ただでさえこんな状態なのに、今回はマシン相手ではなくヴァーチャルとはいえクラスメイトが相手なのである。自分が傷つきたくないが、他人を傷つけたくもない。そんな彼がこの試験を嫌がるのも当然だった。
 ジークは、いまにも泣きつかんばかりの表情を見せているリックの背中を軽く押した。
「腹くくって行ってこいよ。あんまりオロオロしてると相手になめられるぞ」
 意気揚々とコクピットに向かう対戦相手を横目で気にしながら、ジークはこっそり耳打ちした。
「あいつより、おまえの方が上なんだからさ」
 リックはちょっと困ったように笑った。
「そういうの、よけいプレッシャーだよ」
 ジークも彼につられて笑顔になる。そして白い歯を見せながら、こぶしを彼の脇腹に軽くひねり込んだ。
「いいから早く行ってこい」
 リックは少し笑って、コクピットへ小走りに駆けていった。

「へぇ、仲いいんだ」
 アンジェリカはきょとんとしながら、ジークを見上げていた。彼は視線を落とし、彼女をとらえたが、まっすぐ見つめてくるその視線に耐えかねて、すぐに目をそらす。
「いまさらなに言ってんだよ」
 彼女に対する返事というよりは、ひとりごとに近い感じだった。腕を組み、顔を少し上げると、まっすぐ口を結んだ。
 アンジェリカは、ジークとリックを交互に見た。
「だって今まで仲よさそうなところを見たことなかったんだもの。どうしてこのふたり、一緒にいるんだろうって思っていたわ」
 アンジェリカにそんなふうに思われていたのかと、ジークは思わず苦笑いしてしまった。

 ウィーン。
 シルバーメタリックのコクピットが、機械音を響かせながら、その口を大きく開いた。対戦予定のふたりは、長く傾斜の緩やかなライド部に身を横たえる。すると、開くときと同じように、機械音を響かせて、その口がゆっくりと閉じていった。
 ラウルがヘッドセットを装着し、スイッチを入れると、ディスプレイが白く光り、そして徐々にふたりの姿が映し出された。
「おおー」
 遠慮がちなどよめきが広がる。
 ラウルはヘッドセットのマイクを口元に引き寄せた。
「ふたりとも、準備はいいか」
 その問いに、ディスプレイの中のふたりの口が動いた。が、その声は聞こえない。
「ラウル。音声が切れてるんじゃねぇか」
 ジークはディスプレイを親指でさしながら、あきれた様子でラウルに問いかけた。ラウルはヘッドセットを少しずらた。
「そういうふうに作ってある。音声はここからしか聞こえない」
 そう答えると、ヘッドセットを人さし指で指し示した。
「案外しょぼいんだな」
 ジークはぽつりと言った。少しの驚きと落胆が、その声色からうかがえた。
 ラウルは、ジークの相手を切り上げた。ヘッドセットのマイクを親指と人さし指でつまんで固定すると、再びディスプレイの中のふたりを仕切り始めた。
「制限時間は五分間だ。準備はいいな」
 ふたりの様子を画面で確認すると、短く、歯切れよく、合図した。
「始め!」

 その声に反応して、ふたりは同時に構える。
 先に動いたのはザズの方だった。目を閉じ、両手を前に伸ばし、呪文の詠唱を始める。それを見て、リックも同じポーズをとった。
「真っ向勝負か」
 ジークは腕を組みながら、冷静にディスプレイを見上げていた。アンジェリカも、隣で彼と同じように腕を組み、同じように見上げていた。
「どうかしら。それじゃ厳しいんじゃない?」
 彼女は感想を述べた。音声が入ってこないため、映像だけで推測するしかない。
 ザズの両手に光が集まってきた。一方のリックには何の変化もない。ザズのまぶたが勢いよく上がった。何かを叫ぶと、手にためたバスケットボール大の光球をリックに向かって放出した。
 それとほぼ同時に、ザズの足首から下と、そのあたりの地面一帯を厚い氷が覆った。ザズは突然、足の動きを封じられ、大きくバランスを崩した。両手をまわし、なんとか体勢を立て直そうとするが、耐えきれずにしりもちをついてしまった。
 彼の足をとどめたリックは、自分に向かってくる光球を避けようと、その身を斜めに引いた。しかし、呪文を唱えていたために動きが遅れてしまい、避けきれず、その半分が右肩に直撃する。その反動で体を後方に吹き飛ばされ、五メートルほど土の地面を土ぼこりをあげながら滑っていった。そして、倒れたまま右肩を押さえ、苦痛に歪んだ顔を見せた。
「あのバカ!」
 ジークは苦々しげに、その声をかみ殺した。
 ザズは足に熱を集め、氷を溶かそうとしているが、今までこんな経験がないため、なかなか思い通りにいかず、気持ちばかりが焦っている。
 リックは身をよじらせて、なんとか立とうともがいている。そして、ようやく片膝を立て上体を起こすと、歯を食いしばり、次の呪文の詠唱に入った。
「そこまで!」
 ラウルの声が響く。制限時間の五分が過ぎた合図だった。

 リックが小走りに戻ってくる。
「みっともない試合だったね」
 自らの試合をそう表現した。落ち込んだ様子でうつむき、短くため息をついている。
「いや、でも制限時間がなければおまえの勝ちだったさ」
 めずらしくジークがフォローをする。リックは疲れをにじませながらも、少し笑ってみせた。
「肩、痛いの?」
 右肩を押さえているリックの様子を、いぶかしげに覗き込んで、アンジェリカがたずねる。VRMの中では、五感のすべてはコンピュータから直接脳に信号が送られる。痛みを感じても、実際に肉体が損傷することはないはずなのだ。
「あ、今は痛くないけど」
 右肩を押さえていた手を外す。
「さっきあまりにも痛かったから、なんか、まだ痛みが残ってる気がして」
 そう言いながら、自分の試合を思い出し、身震いした。背筋に冷たいものが走るのを感じた。
「やっぱりプログラム相手とは全然違うよ。気持ちも、感覚も、痛みも」
 アンジェリカ、ジークの顔を交互に見て、さらに続ける。
「ふたりが戦うとどうなるか。想像するだけで身がすくむ思いだよ」
「ん?」
 そういってジークは腕を組み、少し考え込む。
「そうか。俺の対戦相手ってコイツだったんだ」
 自分の中で確認するかのようにつぶやいた。アンジェリカとリックが同時に驚いた顔を向ける。ジークはふたりの表情には気づかず、始まった次の対戦に見入っていた。
「なんで今まで気づかないのよ」
 脱力した声が、アンジェリカの口をついて出た。

 試験は順に進んでいき、残すは最後の一組のみとなった。
「アンジェリカ、ジーク」
 ラウルに名前を呼ばれて、一瞬、お互いの視線を絡ませると、そのまま無言でそれぞれのコクピットへ向かった。ラウルがスイッチを跳ね上げる。ディスプレイにふたりの姿が映し出された。ジークはやや緊張の面持ちだった。
「制限時間は五分間……始め!」
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