1 / 1
あかねの空
しおりを挟むあかねは、鏡の前で自分の顔をじっとみていた。見ていたというよりは、呆然としていたという方が正しいかもしれない。 白いドレッサーに据え付けられた、長方形の鏡。
それが今では端の方、手のひら一つ分を残して、後は割れていたり、ヒビが入っていたり、あかねが好んで使っていた頃の面影は、跡形もなく消えていた。
割ったのは、あかね自身だ。
彼女は5年前の春、事故にあった。
ひどい事故だった。その事故で、両親は死んだ。姉も、兄も、死んだ。
それだけなら、まだ救いはあったかもしれない。
あかねは可愛い娘だった。大きな二重瞼の目に、スッと通った鼻筋、形のいい輪郭。彼女はいつも注目の的だった。
それが、今ではみる影もないのだ。
事故は彼女を、美しい少女からおぞましい化け物に変えてしまった。
彼女の顔はえぐれていた。えぐられすぎていた。生きているのが不思議な程だった。
「ぁぁあ、、ゔぃああああ」
突然、あかねが唸り声をあげた。振り返って見ると、あかねは、どこから探し出したのだろうか、小さな手鏡を持っていた。
彼女はその鏡の中の化け物に、酷く怯えているようだった。
私は、いつものようにそれを取り上げた。
急いで、あかねの口に詰め物を入れた。そして、ドレッサーの近く作ってある、手製の檻の中に、あかねを押し込んだ。
彼女は暴れた。もごもごと、声に出せずに叫んだ。
これも、いつものことだった。
何か顔が映る物を見ると、彼女は発狂する。
最初は、それが自分であることを認めない。鏡を見たら、知らない、醜い化け物が映っている。彼女はそのことに対して怯える。ある程度時間が経つと、彼女はそれが自分自身であると悟るらしい。
そうなると、もう、止めようにも止められない。
彼女は暴れる。暴れて、叫んで、「お姉ちゃん、わたしを、殺して」と、私に向かって言うのだ。
あの日、あの事故の日、車を運転していたのは私だった。
夕方、茜色の空がフロントガラスいっばいに広がっていた。
眺めが良かった。家族の笑い声が心地よかった。気が緩んだ。
それがいけなかったのだろう。
病院で目が覚めて、両親も、兄も、死んでしまったと聞かされて、私は悲しくて仕方がなかった。申し訳なさの方が、勝っていたかもしれない。
しかし、妹が、あかねだけでも、生きていると知って、私がどれだけ救われたか。
事故後、初めて対面した時、あかねはもう、あかねではなかった。私は先生にも、看護師さんにも、何度も、何度も、あれが本当にあかねなのか確かめた。
あかねは、包帯の隙間から微かに出た口を震わせて、なにか言いかけていた。しかし、私は言わせなかった。これがあかねだと、この醜い化け物があかねだと、認めることはどうしても出来なかった。
あかねの治療と並行して、私の方も、カウンセリングやら何やら、色々していた。
祖父母や親戚は、私を責めなかった。私も、あかねも、一人で暮らしていける年齢だったが、いろいろ大変だろうと、引き取ると言ってくれる人もいた。 しかし、あかねの姿を見るや否や、皆一様に手のひらを返した。
それも仕方がないことだと思った。
カウンセリングは順調だった。あの頃の私は、まだ、自分を律する心があった。妹を、妹だと認めたくない自分。そんな自分を嫌悪し、あの娘を愛しようと努める気持ちが、段々と湧いてきていた。
何ヶ月か経って、また、あかねと会った。彼女の治療はこれで終わりだと、医者は言った。
私は、それを、トイレの便器に顔を突っ込んで聞いていた。
吐いてしまった。こんな人間が、いや、化け物でさえ、こんなに醜く、おぞしいものが、この世に存在してはいけないような気がした。
カウンセリングなど、人を愛する心など、実際役には立たない。私はそう思った。
心配しても助けはしない。他人なんて所詮こんなものだ。
治療が終わったのにいつまでも病院にいることはできない。
事故から半年経って、私はあかねと、二人で暮らすことになった。
あかねは最初のうち、努めて明るく振る舞おうとしていた。私もそれに応じた。
毎日散歩に出かけた。しかし、それも長くは続かなかった。
化け物が歩いている。そう言われて、私もあかねも何も言い返すことは出来なかった。そして、それを受け入れて生きられるほど強くなかった。
あかねは家に閉じこもった。
私も家にいた。そんな日々が続けば自然と二人の間には争いが増えた。あかねは、殺してくれと言う時以外、物を言わなくなった。そんな女が妹だと、私には思えなくなっていた。いや、本当はあの日、あの化け物を病院で見た日、私にとってのあかねは死に、あかねにとっての姉もまた、死んだのだと思う。
私は檻の中を覗いてみた。
あかねはぶるぶる震えている、何も言えない、何もできない。
この先の未来に希望はない。
なのに何故死なないのだろう。
あかねは私に、自分を殺せと言ってくる。しかし、本当に「を」なのだろうか、あかねは、本当は、「私も殺して」と、言っているのではないだろうか。
あの化け物は、私を本当に人殺しにさせたいのかもしれない。
いや、あの化け物からしたら私は殺人犯なのだ。
両親と兄を殺し、そして、あかねを殺した。
「あたし、あんたのこと、絶対に殺さないから」私はぬっと、あかねの方に顔を近づけてこう言った。
あんな化け物でも、殺せば捕まる。私はあの化け物に捕らえられているのに、私の時間は奪われているのに。
「しね、しね、しね、しね、」
私は小さく、しかし、あかねにはしっかり聞こえる声でこう繰り返した。
「 しね、しね、しね、」
これが本心だった。死んで欲しかった。
「しね、しね、しね、しね」
私は何十回目か呟いて、ふいに言うのを辞めた。変に大きく見開かれた目が、歪んだ口が、不気味に弧を描いた。あかねは笑っていた。口の詰め物のせいで声は聞こえない。もし、詰め物がなかったら、いひひひ、と、聞こえてきたのだろう。
私は立ち上がった。キッチンから、熱いお湯を持ってきた。まだ、あいつは笑っていた。
檻の間からゆっくりと、お湯を垂らした。檻は、人一人が体育座りをして丁度ぐらいの大きさに作ってある。
逃げ場はない。
湯が当たるごとに、身をよがらせているあかね。一滴一滴かかるごとに、彼女の体は痛みに反応している。それが私の心を安心で満たしていった。
コップ一杯分かけた。
かけ終わると、私はふいに、清々しい気持ちになった。
私はあかねを檻から出して、口の詰め物を取ってやった。
詰め物はよだれでグシャグシャだった。唾液が手に絡みついたが、そんなこと気にならなかった。
震える彼女の体を抱きしめてこう言った。
「愛してる」
夕方だった。微かに開いたカーテンから、茜色の西日がさしていた。
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
17歳男子高生と32歳主婦の境界線
MisakiNonagase
恋愛
32歳主婦のカレンはインスタグラムで20歳大学生の晴人と知り合う。親密な関係となった3度目のデートのときに、晴人が実は17歳の高校2年生だと知る。
カレンと晴人はその後、どうなる?
熟女愛好家ユウスケの青春(熟女漁り)
MisakiNonagase
恋愛
高校まで勉強一筋で大学デビューをしたユウスケは家庭教師の教え子の母親と不倫交際するが、彼にとって彼女とが初の男女交際。そこでユウスケは自分が熟女好きだと自覚する。それからユウスケは戦略と実戦を重ねて、清潔感と聞き上手を武器にたくさんの熟女と付き合うことになるストーリーです。
BL 男達の性事情
蔵屋
BL
漁師の仕事は、海や川で魚介類を獲ることである。
漁獲だけでなく、養殖業に携わる漁師もいる。
漁師の仕事は多岐にわたる。
例えば漁船の操縦や漁具の準備や漁獲物の処理等。
陸上での魚の選別や船や漁具の手入れなど、
多彩だ。
漁師の日常は毎日漁に出て魚介類を獲るのが主な業務だ。
漁獲とは海や川で魚介類を獲ること。
養殖の場合は魚介類を育ててから出荷する養殖業もある。
陸上作業の場合は獲った魚の選別、船や漁具の手入れを行うことだ。
漁業の種類と言われる仕事がある。
漁師の仕事だ。
仕事の内容は漁を行う場所や方法によって多様である。
沿岸漁業と言われる比較的に浜から近い漁場で行われ、日帰りが基本。
日本の漁師の多くがこの形態なのだ。
沖合(近海)漁業という仕事もある。
沿岸漁業よりも遠い漁場で行われる。
遠洋漁業は数ヶ月以上漁船で生活することになる。
内水面漁業というのは川や湖で行われる漁業のことだ。
漁師の働き方は、さまざま。
漁業の種類や狙う魚によって異なるのだ。
出漁時間は早朝や深夜に出漁し、市場が開くまでに港に戻り魚の選別を終えるという仕事が日常である。
休日でも釣りをしたり、漁具の手入れをしたりと、海を愛する男達が多い。
個人事業主になれば漁船や漁具を自分で用意し、漁業権などの資格も必要になってくる。
漁師には、豊富な知識と経験が必要だ。
専門知識は魚類の生態や漁場に関する知識、漁法の技術と言えるだろう。
資格は小型船舶操縦士免許、海上特殊無線技士免許、潜水士免許などの資格があれば役に立つ。
漁師の仕事は、自然を相手にする厳しさもあるが大きなやりがいがある。
食の提供は人々の毎日の食卓に新鮮な海の幸を届ける重要な役割を担っているのだ。
地域との連携も必要である。
沿岸漁業では地域社会との結びつきが強く、地元のイベントにも関わってくる。
この物語の主人公は極楽翔太。18歳。
翔太は来年4月から地元で漁師となり働くことが決まっている。
もう一人の主人公は木下英二。28歳。
地元で料理旅館を経営するオーナー。
翔太がアルバイトしている地元のガソリンスタンドで英二と偶然あったのだ。
この物語の始まりである。
この物語はフィクションです。
この物語に出てくる団体名や個人名など同じであってもまったく関係ありません。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる