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怯える女装男子
僕が向かうのはもっぱら、この辺で一番大きな繁華街だ。
学校の近くの街も好きだけど、知り合いを見かけるかもしれなくて怖い。
その点この街なら人が多すぎて、たとえ知人とすれ違ってもわからない。
今日もメインストリートを適当に冷やかして、デパコスの新作を眺めるウィンドウショッピングのつもりだった。
バイトしてない男子高校生の少ないお小遣いではプチプラコスメしか買えないので、高価なものは見るだけで満足するしかない。ごく短時間の滞在だった。
それなのに帰り道、僕は変なのに捕まってしまった。
「なぁ、いいだろ? 連絡先教えてよ」
比較的人通りの少ない路地に追い込まれ、逃げ道を塞がれる。
立ちはだかるのは見知らぬ男で、僕はさっきからこいつにしつこくナンパされていた。
眉を下げて首を振って、拒否の意思表示をしても離れていってくれない。
精一杯の早歩きで振り切ろうとしても難なくついてくる。
終いには強引に腕を引っ張られ、こうして迫られる状況に陥ってしまった。
「あの、困ります……」
普段は出さないようにしている声を出しても、男は去っていかなかった。
僕が男であることにも気づいてないみたいだ。
「連絡先教えてほしいだけじゃん、何がダメなの?」
「いえ、あの……」
「教えてくれたら放すから、こっち向けよ」
壁に押し付けられた腕を振り切る力がない。
僕は男だけど、自分より大柄な男性に押さえつけられたら動けなくなってしまうひ弱な存在で、危機に陥るまでそれを自覚すらしていなかった。
連絡先を教えてしまおうか、そうすればこの恐ろしい状況を抜け出せる。
震えながら頷こうとして────不意に腕が解放された。
「……え」
目の前に立ち塞がっていた男が横にずれて、その向こうにもう一人男が立っている。
ナンパ男より背の高いその人は、とても冷たい目で男を見下ろした。
「なっ、なんだてめぇ。邪魔すんな!」
「ちょっとやりすぎだよ、オニーサン。その子ずっと嫌がってるじゃん」
「うるせぇな、てめぇに関係ねぇだろ!」
ナンパ男はあろうことか、長身の男に殴りかかった。
危ない、でも僕にはどうしようもできない。咄嗟にぎゅっと目を閉じると、鈍い音がした。
「いっ……痛ぇえ!」
「もっと痛くしてあげてもいいよ?」
「てめ……お、覚えてろよ……!」
何が起こったんだろう。
さっき助けてくれた男の人は無事だろうか。
ばたばたと走り去る音が聞こえて、僕はそろそろと目を開ける。
僕の前に立っていたのは予想に反して、あのナンパ男じゃなかった。
「大丈夫?」
問いかけられ、咄嗟に何度も頷く。
「良かった。あいつ、この辺で強引に女の子から連絡先もらおうとする有名なやつなんだ。怖かったでしょ」
そうだったのか。そんな人もいるんだ。
僕はまた頷いて、深く俯いた。涙腺が緩む。涙が零れそうになって、目元を強く押さえた。
怖かった、本当に。
でも泣きたくない。ろくに抵抗できなかったけど、僕はか弱い女の子じゃないんだから。
必死に涙を堪えていると、肩にあたたかいものが触れた。
ずり落ちかけたストールを男が直してくれる、そのぬくもり。
「もう大丈夫だよ」
「……っ」
我慢しきれず決壊した涙を、その人は受け止めてくれた。そっと体を寄せて、彼の胸に抱き寄せられる。
まるで周囲から僕の泣き顔を隠すような仕草だった。
幸い涙はすぐに止まったので、彼から身を放す。
なんだかとても恥ずかしい姿を晒してしまった。
それにたぶん、目の周りのメイクが崩れて大変なことになってる。
この小さなハンドバッグにはお直し用のメイク道具は入ってない。どろどろの顔で帰るしかないか……と諦めたとき、ウィッグの上から頭に何かが乗せられた。
「それ、被って帰りな」
「え……」
僕の頭には少し大きいキャップが被せられていた。
顔を隠すすべのない僕のために、これを貸してくれるというのだろうか。
ぽかんと呆けていると、彼は背を向けてしまった。
「じゃ、気をつけて」
そう言って振り返りもせず去っていく彼の背中は、すぐに雑踏に紛れて見えなくなってしまう。
頭に乗っている帽子に触れて、僕は今更ながら、これを彼に返す方法がないことに気がついて慌てたのだった。
それからも僕は女装をして繁華街に出かけ続けたけど、一つだけ変えた習慣がある。
やや大きめのバッグを持ち歩くことにした。
中には、借り物のキャップをいつも入れている。いつあの人と再会しても、これを返せるように。
その機会は割とすぐに訪れた。
「……っ、待って……!」
横断歩道を大きなストライドで渡っていこうとする、大きな背中に手を伸ばす。
なんとか服の裾を捕まえることができた頃には、僕はすっかり息が上がってしまっていた。
駅前の交差点のカフェで、窓ガラスの向こうにあの人の姿を探して一週間と少し。
背が高くて体格が良くて、あとは服と、派手な金髪、ぼんやりと記憶されている顔立ち、そして手元に残された男性もののキャップ。
たったこれだけの手がかりで彼を探すのは至難の業に思えた。
でも今日、ふと見つめた彼の姿に、僕は無意識に走り出していたんだ。
間違いない。この人だ。うろ覚えの過去の僕が叫んでる。
「え、何?」
振り向いた彼にすぐ返事ができず、ぜぇぜぇと呼吸を整える。
元々走るのは苦手な上に、履いているのはおよそ走行に向いていない踵の高いブーツ。短距離でも疲れてしまった。
そうこうしているうちに、彼は僕の姿を上から下まで眺めて、あ、と気づいてくれたようだ。
「もしかして、この間の?」
「は、はいぃ……やっと、会えた……」
崩れ落ちそうになった僕を彼が支えてくれる。
そのまま横断歩道を抜けて、道の端へ寄った。僕は何度も深呼吸して緊張と息を整え、バッグに手を突っ込む。
「これっ、返したくて……あの、ありがとうございました!」
あの日僕を助けてくれた帽子。
怖かった記憶を、あたたかく嬉しい気持ちで塗り替えてくれた僕のヒーロー。
差し出した手の重みが消えて、そろそろと顔を上げると、気恥ずかしそうに破顔する彼と目が合う。
「俺のことずっと探してくれたんだ? ありがとね」
「い、いえ……」
「しかも走って追いかけてくれるなんて。このキャップ、気に入ってたから返ってきて嬉しいよ」
よかったらお礼させて、と言われ近くのカフェへ移動した。
お礼をしたいのはむしろ僕の方だったので好都合だ。
店に入るとき、ガラスの反射でウィッグがぼさぼさになっていることに気づき慌てて手櫛で整える。
恥ずかしい。こんな姿で彼に会うつもりはなかったのに。でも店に入ってすぐ化粧直しに席を立ったら、きっと失礼だろう。
あわあわと考えながら必死で髪を撫で付けていたら、ふと頭に触れるものがあった。
「大丈夫?」
彼が微笑みながら、僕の髪を梳いている。
その瞬間、まるで大風邪を引いたときみたいに頭と顔が熱くなった。
おかしいな。髪を触られることなんて、男友達とじゃれてれば珍しいことじゃないのに。どうしてこんなに照れてしまうんだろう。
チークの色で赤面をごまかせていればいいけど。
なんだか落ち着かない気持ちのまま飲み物を注文し、奥の方の席へ座る。
対面には、ここ数日毎日探し続けた彼。
なんだかそれだけで達成感がすごくて、僕は頬を緩めた。
「あの、改めて、この間は助けてくれてありがとうございました」
「いいよそんなの。あの男の行動が目に余っただけだから」
「でも……ぼ、わ、わたしは、嬉しかったから」
危ない、つい「僕」と言ってしまいそうになった。
この姿で他人と会話したことなどない。声や口調を偽るべきかどうかすら判断できないまま、なんとか一人称だけは女性として違和感のないものに方向転換できた。
彼は気にした様子もなくコーヒーをすすっている。
僕はやっと、恩人の彼を正面からまじまじと眺めることができるようになった。
「…………あ」
そして気づいた。
彼のことを僕は知っている。彼は同じ学校の生徒だ。
────溝渕(みぞぶち)くん。
クラスは違うけど同じ2年生で、スクールカーストで言えば上位に位置する派手な陽キャたちの一人……というか、そういう人たちをまとめるリーダーみたいな男子だ。
校則ゆるめな我が校において、校則違反で先生に怒られてばかりのグループ。
その頂点に君臨する溝渕くんは、両耳にこれでもかとピアスをじゃらじゃら付けて、金の髪をかっこよくセットした目立つ風貌だ。
高身長と、バスケで鍛えた大きな体躯で、先生すらあまり強気に出られない。
確か怪我をしてバスケを辞めてしまったと聞いたけど……スポーツ少年というには、どこか退廃的で危険な魅力を持つ同級生。
僕みたいな地味男子にとっては、密かな憧れの対象だ。
今日も彼は程よく着崩したルーズな格好で、遠くからでもよく目立った。だからこそ見つけられた。
近くから見る溝渕くんはたしかにモテそうなイケメンで、正面から見ると明るい茶色の双眸は三白眼なのがわかる。
一般に目付きが悪いと言われる特徴だけど、彼は例外らしい。涼やかな目元とかなんとか女子がきゃあきゃあ騒いでたっけ。モテるわけだ。
そこまで考えて、さぁっと血の気が引いた。
どうしよう。
誰にも言っていない女装という趣味が、学校一目立つ彼に知られてしまったら。
暴露、いじめ、リンチ……物騒な単語が一瞬で思考を駆け巡る。
いや落ち着け。溝渕くんが僕のことを知ってるはずがない。
一度も同じクラスになったことないし、接点ゼロ。かたやカースト最上位、かたやカースト下位をウロついてる地味で冴えないオタク。
制服とワンピースじゃ印象が全然違うし、化粧もしてるんだからわかるはずない。
でも、これ以上一緒にいたら男であることは……僕の姿が女装であることは、きっとバレてしまうだろう。
「あ、あの、本当にありがとうございました。ぼ、わたしは、これで」
「待って」
せめてここの代金だけでも支払ってお礼に代えさせてもらおう。
伝票を取って席を立った僕を、溝渕くんは引き止めた。
「もう行くの? 用事でもある?」
「あ、いえ、ぁ、その」
「……ごめん。嫌な男に迫られてるところを助けたのに、今度は俺がしつこくしちゃって。でもこれっきりにしたくない」
え、それってどういう意味?
溝渕くんは薄い色の瞳をすっと細めて、くしゃりと笑った。
「また会いたい。連絡先教えて?」
この申し出を僕は当然、断るべきだった。
だって僕のこの姿は仮初の、知られてはいけないものなんだから。
でもどうしてか断ることができなくて、僕のスマホには溝渕くんの連絡先が入ってる。
あの笑顔と、不思議と甘く感じる声に抗えなかったとしか言いようがない。
ふわふわした心地で家に帰ってきて、両親が帰宅する前に化粧を落として靴と服を隠して、ベッドにばふっと倒れ込んだ。
「どうしよ……」
女の子の格好で溝渕くんと出会ってしまった。
連絡先まで交換して。
また会いたいって言われた。
どういう意味なんだろう。僕が男の姿のままなら、気が合いそうだとか友達になろうだとか……もしくはパシリにできそうとか、子分にされるとか、そういう可能性がある。
でも僕は溝渕くんの前で、我ながら完璧に女の子の格好だった。
危ないところを助けてもらって、再会してお礼を言って、それで終わりのはずだったのに……また会おうと約束させられてしまった。
恋愛経験どころか、女子と接する機会すらない僕には、彼のようなイケメンモテ男がどういう理由で女の子と交流しようとするのか想像すらできない。
「……やっぱり断ればよかった……いっそ今からでも、」
メッセージアプリの連絡先に、溝渕くんの名前がある。
それを削除しようと、震える指先で触れようとして……ピコン、と通知が来た。
びっくりして跳ね起きた拍子に壁に頭をぶつけ、悶絶する。
「うぅ……なんだよぉ。……えっ、溝渕くん?」
スマホ画面には、溝渕くんからのメッセージが表示されていた。
今日のお礼と共に添えられていたのは、「いつ空いてる?」という、当然のように次の機会を求める文言で。
「ど、ど、どうしよ……」
既読をつけてしまった以上返信を書かなければならず、僕は再び頭を抱えて悶絶するしかなかった。
学校の近くの街も好きだけど、知り合いを見かけるかもしれなくて怖い。
その点この街なら人が多すぎて、たとえ知人とすれ違ってもわからない。
今日もメインストリートを適当に冷やかして、デパコスの新作を眺めるウィンドウショッピングのつもりだった。
バイトしてない男子高校生の少ないお小遣いではプチプラコスメしか買えないので、高価なものは見るだけで満足するしかない。ごく短時間の滞在だった。
それなのに帰り道、僕は変なのに捕まってしまった。
「なぁ、いいだろ? 連絡先教えてよ」
比較的人通りの少ない路地に追い込まれ、逃げ道を塞がれる。
立ちはだかるのは見知らぬ男で、僕はさっきからこいつにしつこくナンパされていた。
眉を下げて首を振って、拒否の意思表示をしても離れていってくれない。
精一杯の早歩きで振り切ろうとしても難なくついてくる。
終いには強引に腕を引っ張られ、こうして迫られる状況に陥ってしまった。
「あの、困ります……」
普段は出さないようにしている声を出しても、男は去っていかなかった。
僕が男であることにも気づいてないみたいだ。
「連絡先教えてほしいだけじゃん、何がダメなの?」
「いえ、あの……」
「教えてくれたら放すから、こっち向けよ」
壁に押し付けられた腕を振り切る力がない。
僕は男だけど、自分より大柄な男性に押さえつけられたら動けなくなってしまうひ弱な存在で、危機に陥るまでそれを自覚すらしていなかった。
連絡先を教えてしまおうか、そうすればこの恐ろしい状況を抜け出せる。
震えながら頷こうとして────不意に腕が解放された。
「……え」
目の前に立ち塞がっていた男が横にずれて、その向こうにもう一人男が立っている。
ナンパ男より背の高いその人は、とても冷たい目で男を見下ろした。
「なっ、なんだてめぇ。邪魔すんな!」
「ちょっとやりすぎだよ、オニーサン。その子ずっと嫌がってるじゃん」
「うるせぇな、てめぇに関係ねぇだろ!」
ナンパ男はあろうことか、長身の男に殴りかかった。
危ない、でも僕にはどうしようもできない。咄嗟にぎゅっと目を閉じると、鈍い音がした。
「いっ……痛ぇえ!」
「もっと痛くしてあげてもいいよ?」
「てめ……お、覚えてろよ……!」
何が起こったんだろう。
さっき助けてくれた男の人は無事だろうか。
ばたばたと走り去る音が聞こえて、僕はそろそろと目を開ける。
僕の前に立っていたのは予想に反して、あのナンパ男じゃなかった。
「大丈夫?」
問いかけられ、咄嗟に何度も頷く。
「良かった。あいつ、この辺で強引に女の子から連絡先もらおうとする有名なやつなんだ。怖かったでしょ」
そうだったのか。そんな人もいるんだ。
僕はまた頷いて、深く俯いた。涙腺が緩む。涙が零れそうになって、目元を強く押さえた。
怖かった、本当に。
でも泣きたくない。ろくに抵抗できなかったけど、僕はか弱い女の子じゃないんだから。
必死に涙を堪えていると、肩にあたたかいものが触れた。
ずり落ちかけたストールを男が直してくれる、そのぬくもり。
「もう大丈夫だよ」
「……っ」
我慢しきれず決壊した涙を、その人は受け止めてくれた。そっと体を寄せて、彼の胸に抱き寄せられる。
まるで周囲から僕の泣き顔を隠すような仕草だった。
幸い涙はすぐに止まったので、彼から身を放す。
なんだかとても恥ずかしい姿を晒してしまった。
それにたぶん、目の周りのメイクが崩れて大変なことになってる。
この小さなハンドバッグにはお直し用のメイク道具は入ってない。どろどろの顔で帰るしかないか……と諦めたとき、ウィッグの上から頭に何かが乗せられた。
「それ、被って帰りな」
「え……」
僕の頭には少し大きいキャップが被せられていた。
顔を隠すすべのない僕のために、これを貸してくれるというのだろうか。
ぽかんと呆けていると、彼は背を向けてしまった。
「じゃ、気をつけて」
そう言って振り返りもせず去っていく彼の背中は、すぐに雑踏に紛れて見えなくなってしまう。
頭に乗っている帽子に触れて、僕は今更ながら、これを彼に返す方法がないことに気がついて慌てたのだった。
それからも僕は女装をして繁華街に出かけ続けたけど、一つだけ変えた習慣がある。
やや大きめのバッグを持ち歩くことにした。
中には、借り物のキャップをいつも入れている。いつあの人と再会しても、これを返せるように。
その機会は割とすぐに訪れた。
「……っ、待って……!」
横断歩道を大きなストライドで渡っていこうとする、大きな背中に手を伸ばす。
なんとか服の裾を捕まえることができた頃には、僕はすっかり息が上がってしまっていた。
駅前の交差点のカフェで、窓ガラスの向こうにあの人の姿を探して一週間と少し。
背が高くて体格が良くて、あとは服と、派手な金髪、ぼんやりと記憶されている顔立ち、そして手元に残された男性もののキャップ。
たったこれだけの手がかりで彼を探すのは至難の業に思えた。
でも今日、ふと見つめた彼の姿に、僕は無意識に走り出していたんだ。
間違いない。この人だ。うろ覚えの過去の僕が叫んでる。
「え、何?」
振り向いた彼にすぐ返事ができず、ぜぇぜぇと呼吸を整える。
元々走るのは苦手な上に、履いているのはおよそ走行に向いていない踵の高いブーツ。短距離でも疲れてしまった。
そうこうしているうちに、彼は僕の姿を上から下まで眺めて、あ、と気づいてくれたようだ。
「もしかして、この間の?」
「は、はいぃ……やっと、会えた……」
崩れ落ちそうになった僕を彼が支えてくれる。
そのまま横断歩道を抜けて、道の端へ寄った。僕は何度も深呼吸して緊張と息を整え、バッグに手を突っ込む。
「これっ、返したくて……あの、ありがとうございました!」
あの日僕を助けてくれた帽子。
怖かった記憶を、あたたかく嬉しい気持ちで塗り替えてくれた僕のヒーロー。
差し出した手の重みが消えて、そろそろと顔を上げると、気恥ずかしそうに破顔する彼と目が合う。
「俺のことずっと探してくれたんだ? ありがとね」
「い、いえ……」
「しかも走って追いかけてくれるなんて。このキャップ、気に入ってたから返ってきて嬉しいよ」
よかったらお礼させて、と言われ近くのカフェへ移動した。
お礼をしたいのはむしろ僕の方だったので好都合だ。
店に入るとき、ガラスの反射でウィッグがぼさぼさになっていることに気づき慌てて手櫛で整える。
恥ずかしい。こんな姿で彼に会うつもりはなかったのに。でも店に入ってすぐ化粧直しに席を立ったら、きっと失礼だろう。
あわあわと考えながら必死で髪を撫で付けていたら、ふと頭に触れるものがあった。
「大丈夫?」
彼が微笑みながら、僕の髪を梳いている。
その瞬間、まるで大風邪を引いたときみたいに頭と顔が熱くなった。
おかしいな。髪を触られることなんて、男友達とじゃれてれば珍しいことじゃないのに。どうしてこんなに照れてしまうんだろう。
チークの色で赤面をごまかせていればいいけど。
なんだか落ち着かない気持ちのまま飲み物を注文し、奥の方の席へ座る。
対面には、ここ数日毎日探し続けた彼。
なんだかそれだけで達成感がすごくて、僕は頬を緩めた。
「あの、改めて、この間は助けてくれてありがとうございました」
「いいよそんなの。あの男の行動が目に余っただけだから」
「でも……ぼ、わ、わたしは、嬉しかったから」
危ない、つい「僕」と言ってしまいそうになった。
この姿で他人と会話したことなどない。声や口調を偽るべきかどうかすら判断できないまま、なんとか一人称だけは女性として違和感のないものに方向転換できた。
彼は気にした様子もなくコーヒーをすすっている。
僕はやっと、恩人の彼を正面からまじまじと眺めることができるようになった。
「…………あ」
そして気づいた。
彼のことを僕は知っている。彼は同じ学校の生徒だ。
────溝渕(みぞぶち)くん。
クラスは違うけど同じ2年生で、スクールカーストで言えば上位に位置する派手な陽キャたちの一人……というか、そういう人たちをまとめるリーダーみたいな男子だ。
校則ゆるめな我が校において、校則違反で先生に怒られてばかりのグループ。
その頂点に君臨する溝渕くんは、両耳にこれでもかとピアスをじゃらじゃら付けて、金の髪をかっこよくセットした目立つ風貌だ。
高身長と、バスケで鍛えた大きな体躯で、先生すらあまり強気に出られない。
確か怪我をしてバスケを辞めてしまったと聞いたけど……スポーツ少年というには、どこか退廃的で危険な魅力を持つ同級生。
僕みたいな地味男子にとっては、密かな憧れの対象だ。
今日も彼は程よく着崩したルーズな格好で、遠くからでもよく目立った。だからこそ見つけられた。
近くから見る溝渕くんはたしかにモテそうなイケメンで、正面から見ると明るい茶色の双眸は三白眼なのがわかる。
一般に目付きが悪いと言われる特徴だけど、彼は例外らしい。涼やかな目元とかなんとか女子がきゃあきゃあ騒いでたっけ。モテるわけだ。
そこまで考えて、さぁっと血の気が引いた。
どうしよう。
誰にも言っていない女装という趣味が、学校一目立つ彼に知られてしまったら。
暴露、いじめ、リンチ……物騒な単語が一瞬で思考を駆け巡る。
いや落ち着け。溝渕くんが僕のことを知ってるはずがない。
一度も同じクラスになったことないし、接点ゼロ。かたやカースト最上位、かたやカースト下位をウロついてる地味で冴えないオタク。
制服とワンピースじゃ印象が全然違うし、化粧もしてるんだからわかるはずない。
でも、これ以上一緒にいたら男であることは……僕の姿が女装であることは、きっとバレてしまうだろう。
「あ、あの、本当にありがとうございました。ぼ、わたしは、これで」
「待って」
せめてここの代金だけでも支払ってお礼に代えさせてもらおう。
伝票を取って席を立った僕を、溝渕くんは引き止めた。
「もう行くの? 用事でもある?」
「あ、いえ、ぁ、その」
「……ごめん。嫌な男に迫られてるところを助けたのに、今度は俺がしつこくしちゃって。でもこれっきりにしたくない」
え、それってどういう意味?
溝渕くんは薄い色の瞳をすっと細めて、くしゃりと笑った。
「また会いたい。連絡先教えて?」
この申し出を僕は当然、断るべきだった。
だって僕のこの姿は仮初の、知られてはいけないものなんだから。
でもどうしてか断ることができなくて、僕のスマホには溝渕くんの連絡先が入ってる。
あの笑顔と、不思議と甘く感じる声に抗えなかったとしか言いようがない。
ふわふわした心地で家に帰ってきて、両親が帰宅する前に化粧を落として靴と服を隠して、ベッドにばふっと倒れ込んだ。
「どうしよ……」
女の子の格好で溝渕くんと出会ってしまった。
連絡先まで交換して。
また会いたいって言われた。
どういう意味なんだろう。僕が男の姿のままなら、気が合いそうだとか友達になろうだとか……もしくはパシリにできそうとか、子分にされるとか、そういう可能性がある。
でも僕は溝渕くんの前で、我ながら完璧に女の子の格好だった。
危ないところを助けてもらって、再会してお礼を言って、それで終わりのはずだったのに……また会おうと約束させられてしまった。
恋愛経験どころか、女子と接する機会すらない僕には、彼のようなイケメンモテ男がどういう理由で女の子と交流しようとするのか想像すらできない。
「……やっぱり断ればよかった……いっそ今からでも、」
メッセージアプリの連絡先に、溝渕くんの名前がある。
それを削除しようと、震える指先で触れようとして……ピコン、と通知が来た。
びっくりして跳ね起きた拍子に壁に頭をぶつけ、悶絶する。
「うぅ……なんだよぉ。……えっ、溝渕くん?」
スマホ画面には、溝渕くんからのメッセージが表示されていた。
今日のお礼と共に添えられていたのは、「いつ空いてる?」という、当然のように次の機会を求める文言で。
「ど、ど、どうしよ……」
既読をつけてしまった以上返信を書かなければならず、僕は再び頭を抱えて悶絶するしかなかった。
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