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第二章
39.しばしの別れ
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いつの間にか、ベッドで二匹眠ってしまっていたらしい。
ぱちりと目を開けて、横を見る。
人型のレグルスがタビトにしがみつくようにして寝息を立てていた。
二匹の体には毛布がかけられている。誰かがかけてくれたのだろうか。
しかし何も身につけていない体は、生乾きだったこともあって冷えてしまっていた。
「くしゅっ」
タビトのくしゃみでレグルスが飛び起き、毛布を強く巻き付けられる。
「ごめんタビト! さむかった? カゼひいてない?」
「ちょっと冷えただけだよ。それよりレグルス、僕話さなきゃいけないことがあったんだった」
二匹は服を着て向き合う。
タビトが無事にアルシャウの子になったこと。
アルシャウの出身校である騎士学校に行くつもりであること。学校はここ副都にあるが、全寮制で寮に入らなければならないこと。
タビトが話し終えると、難しい顔をしたレグルスも口を開いた。
「そういうことだったんだ……」
「どうしたの?」
「オレも学校に行けって言われたんだ」
「そうなんだ! 同じとこかな」
「いや、ちがう。オレが行くのは首都だ」
首都────タビトの脳裏にうろおぼえの地図が浮かぶ。
レグルスの屋敷から副都まで車で二日。首都に行くには、副都から三日以上かかる。いくつかの山を迂回し、川を超えた先にある、この国で一番栄えている都市。
「はなればなれに、なっちゃう?」
無言の肯定が返ってきて、タビトは戸惑った。
勇んで決めた学校への入学意欲がみるみるしぼんでいく。
自分とレグルスのためになるならと、力をつけるために騎士学校へ行くことを選んだが、それはレグルスと離れるためじゃない。
ずっといっしょにいるためだ。
「レグルス、僕、騎士の学校はやめるよ。レグルスとおなじ学校にいく」
「いや……たぶんできない」
「どうして」
「首都の学校は『長の称号持ち』の子どもをあつめるところなんだ。『王』とか『首長』とか、そういうの。タビトはアルシャウの息子だから、あの学校には入れない」
レグルスは「草原の王」ラサラスの子息。
特別な学校へ行く責務があった。
それは「雪山の」タビトには入れない場所で、たとえば「山岳の王」の娘ブルーシアなどが在籍している。
一族の未来を背負う若者に英才教育を施すための学校。
支配されるだけの民は入れない。
「で、でもじゃあ、僕はここで待ってるよ。レグルスが帰ってくるのを待ってる。どれくらいで学校は終わるの?」
「卒業まで三年。たぶんそれまで、ここには戻ってこられない」
「そんな……」
三年間も離ればなれになってしまう。
タビトは戸惑うばかりなのに、レグルスはさみしいと駄々をこねる気配がなかった。
むしろ何かを決意したようなふうで、まなざしに強い光が宿っている。
「ずっといっしょって、いったのに……」
ぽろりとこぼれ落ちた言葉にハッとしたが、一度出たものは取り消せない。
慌てて取り繕おうとしたタビトを、レグルスが強く強く抱きしめた。
「うん、ずっといっしょだ。これから何十年だって、オレはタビトをぜったいに離さない。そのために今、少しだけ、それぞれの場所でがんばろう。そういうことなんだと思う」
「わかんない、わかんないよ」
「オレもタビトとはなれたくなんてないけど、でも、だいじょうぶだとおもう。だってタビトはオレのものだろ?」
離れていても、一緒にいなくても、タビトはレグルスのプライドメンバーだ。
必死に何度も頷くと、少しだけ鼻をすする音がして、抱かれる力が痛いほどになる。
「タビト、ずっとオレのものでいて。だれにもなにもあげないで。オレも、ほかにはなにもいらないから」
「うん……ぼくずっと、レグルスのものだよ」
「やくそくだ」
「うん、やくそく」
最後にもう一度だけ、背に回した腕に力を込める。
レグルスも同じだけ応えてくれた。そして離れる。
それからはもう、赤子のように抱き合うことはなかった。
二匹とも新しい環境へ向かうための準備が忙しくなってしまったからだ。
触れ合ったぬくもりは消えてしまったが、胸の中はいつまでもあたたかくて、タビトは寂しく思わずに済んだ。レグルスも同じだといいと願う。
タビトに用意された準備期間は一週間と二日だった。
学校への入学はまだ先だが、幼い未就学生たちを寮生活に慣れさせるためのプログラムが先んじて始まるのだという。
タビトは身の回りの準備をアルシャウに整えてもらい、あとはひたすら勉強して過ごした。
座学が苦手だった養父から、入学前のアドバンテージはいくらあっても無駄にならないと口酸っぱく言われたためだ。
「俺たち大型ネコ科は、何もしてなくても肉体面は強く成長する。問題はメンタル管理、そして座学の成績だ。きつい訓練にシビアな評価基準、逃げ場のない寮生活と、ホネのないやつは早々にドロップアウトする」
腕を組んで威圧的に立つアルシャウは、狭い使用人宿舎でタビトにいくつもの知恵を授けてくれた。
「その点おまえは坊っちゃんのためにっていう精神的支柱がある。ほかの軟弱なやつらよりは踏ん張れるだろう」
「うん。僕、レグルスのためにがんばる」
「いい心がけだ。俺もサポートしてやるから、なにかあればすぐ手紙を書け。いいな」
「はいっ」
正式な名を「オウルネビュラ騎士学校」というそこは、生後三ヶ月から獣人を受け入れている。
騎士学校と銘打っているものの、学ぶ内容は体を動かすものだけでなく、基本的な学習から専門研究分野まで網羅されている。実技の授業の比重が大きく必修となっているが、卒業後の進路は兵士に限られていない。
ギリギリの成績で卒業し、文官となったアルシャウが好例だ。
「タビト。あの学校で過ごすにあたり、重要なことを教える」
「う、うん」
旅立ちの日、丈夫な布袋に少ない荷物を詰め終わったタビトは、かしこまって養父の言葉を聞いた。
「いいか、絶対にナメられるな」
「なめ……?」
「あなどられるな、ってことだ。誰の下にも見られてはダメだ。おまえの主はレグルス坊っちゃんだけなんだろ? 他のやつにナメられるってことは、坊っちゃんの格を落とすことになる」
レグルスの名が出て、思わず背筋が伸びる。
首都の学校へ入ることになったレグルスは、入学前にやるべきことがたくさんあるとかで、あの日から会えていない。
時折姿を見かけると、タビトの方へ走ってこようとして、いつも近くにいる誰かに止められ引きずられていってしまった。
寂しく思うけれど、タビトは耐える。
長いお別れだとしても、永遠のお別れではない。お互いに違う場所で力を尽くすだけだ。
「僕、ナメられないようにがんばる。でもどうすればいいの?」
「簡単だ。相手がおまえを見下していると判断できたら、殴れ」
「なぐっていいの?」
「いいわけないだろう。でもやるしかない。俺たちはそういう生き物だからな」
タビトは慎重に、頷いているのか首が揺れただけなのか判別つかないような動きで続きを促した。
「まぁ即暴力ってのは半分冗談だが」
「残りの半分は……?」
「トラって種族は放っておいても強く育つもんだ。トラ同士に優劣はあれど、他のケモノに負けるようなことはないし、あってはならない。常に力を示せ。おまえは特にナメられそうな見た目してるからな」
アルシャウの視線に、タビトも自身を見下ろした。
ラナからもらった人の姿は、オスのタビトにとって細すぎるらしい。なんといってもラナはメスだったのだから仕方がない。
ただ大型ネコ科獣人はメスでも背が高く筋骨隆々で、タビトのように細身なことはあまりないそうだ。
必然、大柄な他種族に見下される可能性が高まる。
物理的な身長の差などはどうしようもないとしても、内面まで見くびられることだけは避けろと、アルシャウのアドバイスはそういうことだ。
「僕の人型って、もう大きくならないのかな」
「いや、成長するはずだ。背が伸びたり、体重が増えたりな。だが元となった者と接触時間が少ないと、形を維持するためにあまり大きく変わらないことが多いと聞く」
「トラの姿がおっきくなっても、人型はちいさいまま?」
「そういうケースもある。そもそもトラ族は獣型と人型で体重が何倍も違ってくるからな、そこは地母神に祈るほかない」
「うん……」
しゅんとしおれたタビトに、アルシャウはワハハと笑ってがしがしと頭を撫でた。
「ま、獣型で強けりゃいいんだ。あ、そうだ、物理的なほうの舐め合いは存分に経験してこいよ」
「……毛づくろいのこと?」
「あーまぁ似たようなもんだ。毛づくろいよりちょい濃いめのやつな。トラはモテるぞ」
役に立ちそうな、立たなさそうななんとも言えない知識と心構え、あとは少しだけの荷物と衣類を携えて、タビトはラサラスの邸宅を旅立った。
揺れの少ない馬車の客車から外を眺めながら、別れの挨拶もできなかった主に思いを馳せる。
あの日の会話と抱擁がしばしの別れの合図だった。
あれより後に顔を合わせれば、きっと互いに引き止めてしまっただろう。二匹は出会ってからずっと一緒だったのだから。
(……そうでもないか。僕が自分から離れようとしたあのとき……それに、車が密猟団に襲われたとき)
ふるりと震えた腕をさする。
どちらのときもレグルスが追いかけてきてくれた。タビトをしっかと捕まえて、どこにも行くなと言ってくれた。
でも今度ばかりは追いかけてこない。
不意に景色が滲み、タビトは目をこすった。
泣いちゃいけない、これからタビトは一匹で、見知らぬ地の見知らぬ獣人の間を渡っていかなければならない。
決して弱さを見せてはいけないのだから。
「……ぉ~ぃ……」
ふと、車輪の回る音の合間に声が聞こえた。
恋しくて聞こえた幻聴かと思われたそれは、確実に近づいてきている。
タビトは危険も顧みず客車のドアを跳ね開けた。
「れ、レグルス!?」
「タビト! これっ、持ってって!」
たった一言、一瞬だけ加速した小さな獅子が何かを渡してきた。
それをしっかりと五指で掴み取る。
視線が絡んだのはほんの僅かな間だけだった。言葉を交わす余裕はなかった。タビトを乗せた馬車は止まることなく駆け抜け、レグルスはどんどん小さくなっていき、ゆるやかなカーブの向こうへ消えた。
「これ、ブランケットだ」
風圧でガタガタ揺れるドアをなんとか閉じて、手元に残ったものは薄茶色のブランケットだった。
レグルスのベッドにあった、昼寝をするとき使っていたもので、ところどころに金色の毛がついている。
ふわりと香ったのは、まだ懐かしいとは言えないレグルスのにおい。
「こんなの、余計にさみしくなっちゃう……」
ふわふわのブランケットに顔を埋め、タビトはほんの少しだけ涙した。
これからは絶対に泣かない。だからどうか今だけは見逃して。
親とも友人とも離れるには早すぎる齢の小さなトラは、確かな決意を胸に旅立ったのだった。
────オウルネビュラ騎士学校は副都の端に位置している。
副都の西側を流れる大河、その水流が削ってできた断崖の上に建てられた、堅牢な要塞のごとき学舎。
川の水を汲むことから始まる学生生活は、生徒の肉体精神両方を効率的に鍛えることに特化しており────……。
難しい文章が続くパンフレットを向かいの座席に放り出し、タビトは再び外へ目を向けた。
窓の向こうには、学校がもう見えている。
今にも崖下に落ちてしまいそうな、恐ろしげな立地の場所で、これからどんな生活が待っているのだろう。
そこにレグルスがいなくても、自分はがんばれるのだろうか。
「お客さん、着きましたよ」
馬車を引いてくれていたウマ獣人の御者にお礼を言って、車を出る。
布袋を背負い、片手にブランケットをしっかりと持って、人型の足でしっかりと地に降り立ったのは、二匹のネコ科。
「あれっ!? メイサ!」
「ぼくもう、びっくりされるのなれちゃった……」
「ごめん、ごめんね? そっか、僕がお世話しなきゃだもんね」
慣れ親しんだ獣人たちとの別れがつらくて、そばにいてくれたぬくもりにまで気が回っていなかったことを悔やむ。
そういえばアルシャウが「メイサのメシ」とかなんとか荷物を追加していた。
「もうついちゃったのに言うのもなんだけど……メイサはいいの? 僕といっしょで」
「おにちゃ、しらないの? お庭とおウマはどこにでもいるんだよ」
「なるほど……」
どうやらメイサはこれまで通り、独力で仕事を見つけて生きていくつもりらしい。
たしかに、副都の中心部から離れたここには移動用の馬車ウマがいるだろうし、厩があればメイサの寝床があるも同然だ。
自分よりよほど独り立ちできている子ネコに、タビトは尊敬と一抹の寂しさを感じた。
「メイサ、たまには僕のとこにも来てね」
「おにちゃ、さみしいの?」
「……うん、実はけっこう……」
「しかたないなぁ」
子ネコはするりとタビトの両足に体をこすりつけ、肩まで駆け上った。
うなじを覆うように小さな毛玉が陣取っている。くすぐったいけど、あたたかい。
「ぼくのベッドをおいといて。その毛布以外で」
「あ、あぁ。このブランケットはレグルスのだから使わなくていいけど……これイヤなの?」
「イヤ。ライオンくさい」
ぷいっと顔を背けるメイサの露骨な態度に笑いながら、荷物を抱えて敷地へ足を踏み入れる。
悲しみや寂しさは消えていた。
ぱちりと目を開けて、横を見る。
人型のレグルスがタビトにしがみつくようにして寝息を立てていた。
二匹の体には毛布がかけられている。誰かがかけてくれたのだろうか。
しかし何も身につけていない体は、生乾きだったこともあって冷えてしまっていた。
「くしゅっ」
タビトのくしゃみでレグルスが飛び起き、毛布を強く巻き付けられる。
「ごめんタビト! さむかった? カゼひいてない?」
「ちょっと冷えただけだよ。それよりレグルス、僕話さなきゃいけないことがあったんだった」
二匹は服を着て向き合う。
タビトが無事にアルシャウの子になったこと。
アルシャウの出身校である騎士学校に行くつもりであること。学校はここ副都にあるが、全寮制で寮に入らなければならないこと。
タビトが話し終えると、難しい顔をしたレグルスも口を開いた。
「そういうことだったんだ……」
「どうしたの?」
「オレも学校に行けって言われたんだ」
「そうなんだ! 同じとこかな」
「いや、ちがう。オレが行くのは首都だ」
首都────タビトの脳裏にうろおぼえの地図が浮かぶ。
レグルスの屋敷から副都まで車で二日。首都に行くには、副都から三日以上かかる。いくつかの山を迂回し、川を超えた先にある、この国で一番栄えている都市。
「はなればなれに、なっちゃう?」
無言の肯定が返ってきて、タビトは戸惑った。
勇んで決めた学校への入学意欲がみるみるしぼんでいく。
自分とレグルスのためになるならと、力をつけるために騎士学校へ行くことを選んだが、それはレグルスと離れるためじゃない。
ずっといっしょにいるためだ。
「レグルス、僕、騎士の学校はやめるよ。レグルスとおなじ学校にいく」
「いや……たぶんできない」
「どうして」
「首都の学校は『長の称号持ち』の子どもをあつめるところなんだ。『王』とか『首長』とか、そういうの。タビトはアルシャウの息子だから、あの学校には入れない」
レグルスは「草原の王」ラサラスの子息。
特別な学校へ行く責務があった。
それは「雪山の」タビトには入れない場所で、たとえば「山岳の王」の娘ブルーシアなどが在籍している。
一族の未来を背負う若者に英才教育を施すための学校。
支配されるだけの民は入れない。
「で、でもじゃあ、僕はここで待ってるよ。レグルスが帰ってくるのを待ってる。どれくらいで学校は終わるの?」
「卒業まで三年。たぶんそれまで、ここには戻ってこられない」
「そんな……」
三年間も離ればなれになってしまう。
タビトは戸惑うばかりなのに、レグルスはさみしいと駄々をこねる気配がなかった。
むしろ何かを決意したようなふうで、まなざしに強い光が宿っている。
「ずっといっしょって、いったのに……」
ぽろりとこぼれ落ちた言葉にハッとしたが、一度出たものは取り消せない。
慌てて取り繕おうとしたタビトを、レグルスが強く強く抱きしめた。
「うん、ずっといっしょだ。これから何十年だって、オレはタビトをぜったいに離さない。そのために今、少しだけ、それぞれの場所でがんばろう。そういうことなんだと思う」
「わかんない、わかんないよ」
「オレもタビトとはなれたくなんてないけど、でも、だいじょうぶだとおもう。だってタビトはオレのものだろ?」
離れていても、一緒にいなくても、タビトはレグルスのプライドメンバーだ。
必死に何度も頷くと、少しだけ鼻をすする音がして、抱かれる力が痛いほどになる。
「タビト、ずっとオレのものでいて。だれにもなにもあげないで。オレも、ほかにはなにもいらないから」
「うん……ぼくずっと、レグルスのものだよ」
「やくそくだ」
「うん、やくそく」
最後にもう一度だけ、背に回した腕に力を込める。
レグルスも同じだけ応えてくれた。そして離れる。
それからはもう、赤子のように抱き合うことはなかった。
二匹とも新しい環境へ向かうための準備が忙しくなってしまったからだ。
触れ合ったぬくもりは消えてしまったが、胸の中はいつまでもあたたかくて、タビトは寂しく思わずに済んだ。レグルスも同じだといいと願う。
タビトに用意された準備期間は一週間と二日だった。
学校への入学はまだ先だが、幼い未就学生たちを寮生活に慣れさせるためのプログラムが先んじて始まるのだという。
タビトは身の回りの準備をアルシャウに整えてもらい、あとはひたすら勉強して過ごした。
座学が苦手だった養父から、入学前のアドバンテージはいくらあっても無駄にならないと口酸っぱく言われたためだ。
「俺たち大型ネコ科は、何もしてなくても肉体面は強く成長する。問題はメンタル管理、そして座学の成績だ。きつい訓練にシビアな評価基準、逃げ場のない寮生活と、ホネのないやつは早々にドロップアウトする」
腕を組んで威圧的に立つアルシャウは、狭い使用人宿舎でタビトにいくつもの知恵を授けてくれた。
「その点おまえは坊っちゃんのためにっていう精神的支柱がある。ほかの軟弱なやつらよりは踏ん張れるだろう」
「うん。僕、レグルスのためにがんばる」
「いい心がけだ。俺もサポートしてやるから、なにかあればすぐ手紙を書け。いいな」
「はいっ」
正式な名を「オウルネビュラ騎士学校」というそこは、生後三ヶ月から獣人を受け入れている。
騎士学校と銘打っているものの、学ぶ内容は体を動かすものだけでなく、基本的な学習から専門研究分野まで網羅されている。実技の授業の比重が大きく必修となっているが、卒業後の進路は兵士に限られていない。
ギリギリの成績で卒業し、文官となったアルシャウが好例だ。
「タビト。あの学校で過ごすにあたり、重要なことを教える」
「う、うん」
旅立ちの日、丈夫な布袋に少ない荷物を詰め終わったタビトは、かしこまって養父の言葉を聞いた。
「いいか、絶対にナメられるな」
「なめ……?」
「あなどられるな、ってことだ。誰の下にも見られてはダメだ。おまえの主はレグルス坊っちゃんだけなんだろ? 他のやつにナメられるってことは、坊っちゃんの格を落とすことになる」
レグルスの名が出て、思わず背筋が伸びる。
首都の学校へ入ることになったレグルスは、入学前にやるべきことがたくさんあるとかで、あの日から会えていない。
時折姿を見かけると、タビトの方へ走ってこようとして、いつも近くにいる誰かに止められ引きずられていってしまった。
寂しく思うけれど、タビトは耐える。
長いお別れだとしても、永遠のお別れではない。お互いに違う場所で力を尽くすだけだ。
「僕、ナメられないようにがんばる。でもどうすればいいの?」
「簡単だ。相手がおまえを見下していると判断できたら、殴れ」
「なぐっていいの?」
「いいわけないだろう。でもやるしかない。俺たちはそういう生き物だからな」
タビトは慎重に、頷いているのか首が揺れただけなのか判別つかないような動きで続きを促した。
「まぁ即暴力ってのは半分冗談だが」
「残りの半分は……?」
「トラって種族は放っておいても強く育つもんだ。トラ同士に優劣はあれど、他のケモノに負けるようなことはないし、あってはならない。常に力を示せ。おまえは特にナメられそうな見た目してるからな」
アルシャウの視線に、タビトも自身を見下ろした。
ラナからもらった人の姿は、オスのタビトにとって細すぎるらしい。なんといってもラナはメスだったのだから仕方がない。
ただ大型ネコ科獣人はメスでも背が高く筋骨隆々で、タビトのように細身なことはあまりないそうだ。
必然、大柄な他種族に見下される可能性が高まる。
物理的な身長の差などはどうしようもないとしても、内面まで見くびられることだけは避けろと、アルシャウのアドバイスはそういうことだ。
「僕の人型って、もう大きくならないのかな」
「いや、成長するはずだ。背が伸びたり、体重が増えたりな。だが元となった者と接触時間が少ないと、形を維持するためにあまり大きく変わらないことが多いと聞く」
「トラの姿がおっきくなっても、人型はちいさいまま?」
「そういうケースもある。そもそもトラ族は獣型と人型で体重が何倍も違ってくるからな、そこは地母神に祈るほかない」
「うん……」
しゅんとしおれたタビトに、アルシャウはワハハと笑ってがしがしと頭を撫でた。
「ま、獣型で強けりゃいいんだ。あ、そうだ、物理的なほうの舐め合いは存分に経験してこいよ」
「……毛づくろいのこと?」
「あーまぁ似たようなもんだ。毛づくろいよりちょい濃いめのやつな。トラはモテるぞ」
役に立ちそうな、立たなさそうななんとも言えない知識と心構え、あとは少しだけの荷物と衣類を携えて、タビトはラサラスの邸宅を旅立った。
揺れの少ない馬車の客車から外を眺めながら、別れの挨拶もできなかった主に思いを馳せる。
あの日の会話と抱擁がしばしの別れの合図だった。
あれより後に顔を合わせれば、きっと互いに引き止めてしまっただろう。二匹は出会ってからずっと一緒だったのだから。
(……そうでもないか。僕が自分から離れようとしたあのとき……それに、車が密猟団に襲われたとき)
ふるりと震えた腕をさする。
どちらのときもレグルスが追いかけてきてくれた。タビトをしっかと捕まえて、どこにも行くなと言ってくれた。
でも今度ばかりは追いかけてこない。
不意に景色が滲み、タビトは目をこすった。
泣いちゃいけない、これからタビトは一匹で、見知らぬ地の見知らぬ獣人の間を渡っていかなければならない。
決して弱さを見せてはいけないのだから。
「……ぉ~ぃ……」
ふと、車輪の回る音の合間に声が聞こえた。
恋しくて聞こえた幻聴かと思われたそれは、確実に近づいてきている。
タビトは危険も顧みず客車のドアを跳ね開けた。
「れ、レグルス!?」
「タビト! これっ、持ってって!」
たった一言、一瞬だけ加速した小さな獅子が何かを渡してきた。
それをしっかりと五指で掴み取る。
視線が絡んだのはほんの僅かな間だけだった。言葉を交わす余裕はなかった。タビトを乗せた馬車は止まることなく駆け抜け、レグルスはどんどん小さくなっていき、ゆるやかなカーブの向こうへ消えた。
「これ、ブランケットだ」
風圧でガタガタ揺れるドアをなんとか閉じて、手元に残ったものは薄茶色のブランケットだった。
レグルスのベッドにあった、昼寝をするとき使っていたもので、ところどころに金色の毛がついている。
ふわりと香ったのは、まだ懐かしいとは言えないレグルスのにおい。
「こんなの、余計にさみしくなっちゃう……」
ふわふわのブランケットに顔を埋め、タビトはほんの少しだけ涙した。
これからは絶対に泣かない。だからどうか今だけは見逃して。
親とも友人とも離れるには早すぎる齢の小さなトラは、確かな決意を胸に旅立ったのだった。
────オウルネビュラ騎士学校は副都の端に位置している。
副都の西側を流れる大河、その水流が削ってできた断崖の上に建てられた、堅牢な要塞のごとき学舎。
川の水を汲むことから始まる学生生活は、生徒の肉体精神両方を効率的に鍛えることに特化しており────……。
難しい文章が続くパンフレットを向かいの座席に放り出し、タビトは再び外へ目を向けた。
窓の向こうには、学校がもう見えている。
今にも崖下に落ちてしまいそうな、恐ろしげな立地の場所で、これからどんな生活が待っているのだろう。
そこにレグルスがいなくても、自分はがんばれるのだろうか。
「お客さん、着きましたよ」
馬車を引いてくれていたウマ獣人の御者にお礼を言って、車を出る。
布袋を背負い、片手にブランケットをしっかりと持って、人型の足でしっかりと地に降り立ったのは、二匹のネコ科。
「あれっ!? メイサ!」
「ぼくもう、びっくりされるのなれちゃった……」
「ごめん、ごめんね? そっか、僕がお世話しなきゃだもんね」
慣れ親しんだ獣人たちとの別れがつらくて、そばにいてくれたぬくもりにまで気が回っていなかったことを悔やむ。
そういえばアルシャウが「メイサのメシ」とかなんとか荷物を追加していた。
「もうついちゃったのに言うのもなんだけど……メイサはいいの? 僕といっしょで」
「おにちゃ、しらないの? お庭とおウマはどこにでもいるんだよ」
「なるほど……」
どうやらメイサはこれまで通り、独力で仕事を見つけて生きていくつもりらしい。
たしかに、副都の中心部から離れたここには移動用の馬車ウマがいるだろうし、厩があればメイサの寝床があるも同然だ。
自分よりよほど独り立ちできている子ネコに、タビトは尊敬と一抹の寂しさを感じた。
「メイサ、たまには僕のとこにも来てね」
「おにちゃ、さみしいの?」
「……うん、実はけっこう……」
「しかたないなぁ」
子ネコはするりとタビトの両足に体をこすりつけ、肩まで駆け上った。
うなじを覆うように小さな毛玉が陣取っている。くすぐったいけど、あたたかい。
「ぼくのベッドをおいといて。その毛布以外で」
「あ、あぁ。このブランケットはレグルスのだから使わなくていいけど……これイヤなの?」
「イヤ。ライオンくさい」
ぷいっと顔を背けるメイサの露骨な態度に笑いながら、荷物を抱えて敷地へ足を踏み入れる。
悲しみや寂しさは消えていた。
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冷徹で無表情な旦那様の言葉を、「俺に興味がないんだな! ラッキー、衣食住保証付きのニート生活だ!」とポジティブに解釈したルシアン。
彼はこっそり屋敷を抜け出し、偽名を使って憧れの冒険者ライフを満喫し始める。
「旦那様は俺に無関心」
そう信じて、半年間ものんきに遊び回っていたルシアンだったが、ある日クエスト中に怪我をしてしまう。
バレたら怒られるかな……とビクビクしていた彼の元に現れたのは、顔面蒼白で息を切らした旦那様で――!?
「君が怪我をしたと聞いて、気が狂いそうだった……!」
怒鳴られるかと思いきや、折れるほど強く抱きしめられて困惑。
えっ、放置してたんじゃなかったの? なんでそんなに必死なの?
実は旦那様は冷徹なのではなく、ルシアンが好きすぎて「嫌われないように」と身を引いていただけの、超・奥手な心配性スパダリだった!
「君を守れるなら、森ごと消し飛ばすが?」
「過保護すぎて冒険になりません!!」
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すれ違っていた二人が、甘々な「週末冒険者夫婦」になるまでの、勘違いと溺愛のハッピーエンドBL。
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「これでやっと安心して退場できる」
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オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。
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