みなしご白虎が獣人異世界でしあわせになるまで

キザキ ケイ

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第三章

47.昼食戦線

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 そそくさと身だしなみを整え、授業へ出る準備をする。
 今から出ればなんとか間に合う。
 レグルスたち留学生の授業参加は明日からだが、寮にひとりでいても暇だというので聴講させることにした。

「次の授業は絶対休めないんだ。知り合いが誰も取ってないから」
「なんの授業?」
「歴史だよ」

 開始のチャイムに紛れて教室へ滑り込む。
 多くとも20ほどしか座れない小さめの室内に生徒はまばらだ。
 一年次から必修である「全世界歴史」と違い、二年次以降の選択科目である「地方歴史」の授業は、はっきり言って人気がなかった。
 ただでさえ自分と自分の周囲のこと以外に興味を示さない肉食が多い学校で、肉食獣人以外の国の歴史に興味を持つ者は想像以上に少なかった。
 くわえて、恐らく定年間近である腰の曲がった教師は口調がゆっくりで聞き取りにくく、評判がいいとは言えない。
 しかしタビトはこの先生の授業が好きだった。
 去年で単位は十分に足りているのに、今年も履修登録したほどに。

「えー……今年度もよろしく。今日の授業は海の外の島の話から────」

 生徒からの評価など一切気にしない教師は、初授業の挨拶もそこそこに本題へ入った。
 去年度は一年かけて、陸地にある他の種類の獣人の国を学んだ。
 今後は海に隔てられた遠く島国を取り扱うらしい。
 海にはさまざまな海獣人が住んでいる。魚類人はずいぶん数を減らしたがまだ生き残っている。鳥獣人だけが暮らす大きな島がある────。

 決して快適とはいえない授業で、タビトはずっと胸を躍らせていた。
 これまで、とりたてて力のない平凡なトラにはありえないほどの大冒険をしてきた。
 母とともに生きた山、ラナと過ごした暗い場所、レグルスと暮らした屋敷。それ以外にも町や街道、副都や騎士学校。
 しかしこの授業を受けていると、世界はもっと広く、まだまだ知らないことがあり、まだ見ぬ場所がたくさんあると思い知らされる。
 すべてに赴くことはできないだろうけれど、いつか行きたいと思う場所は日に日に増えていく。
 まるで、見上げた夜空の暗さに目が慣れた頃、星がどんどん見えるようになっていくときのように。

 目を輝かせながら授業を聞くタビトを、レグルスは横目で眺めた。
 こんなに楽しそうな姿を見るのは初めてかもしれない。
 もちろん、自分といるときのタビトは楽しそうにしている。
 しかし未知の国や獣人の話を聞いている彼は、レグルスと過ごすのとはまた違った喜びを感じているようだ。
 学校に通うという選択は正解だったと思う一方で、僅かだが確実に嫉妬の感情がくすぶる。
 あまりにも狭量な己の心に、レグルスは苦笑するしかなかった。

「レグルス、笑ってたよね。あの授業おもしろかった?」
「うん。海の外の国のことなんて考えたこともなかったから」
「そうだよね、おもしろいよね! レグルスが気に入ってくれてよかった!」

 タビトは満足していた。授業の内容にも、レグルスの態度にも。
 相変わらず老教師のしゃべりは聞き取りにくいが、決して聞き取れないわけじゃない。そのうえレグルスも授業を気に入ってくれた。
 自分が好きなものを、自分が好きな人にも気に入ってもらえるのはとても喜ばしい。
 仲良しの級友が去年の半ばで脱落し、知り合いの受講者がいなくなってしまったぶん、嬉しさはひとしおだった。

 騎士学校では登校後の二時間目までが共通授業、三時間目以降が選択授業になっている。
 今日の時間割で言えば一時間目の実践戦闘学、二時間目の共通言語学はいつものクラスメイトと顔を合わせる。さっき受けた三時間目の地方歴史学からは選択制で、必要単位に足りるように好きな授業を組み合わせて受講できる。

「首都学園も同じ?」
「いや違う。授業は最初から最後まで同じクラスメイトと受ける。自分で授業を選んで受けるなんてことはできない」
「そうなんだ……嫌いな授業とかある?」
「もちろん。こっちならそういう授業は避けられるんだろ? 羨ましいな」
「全部じゃないけどね」

 苦手な科目や、眠くなる授業の話をしながら教室を出ると、走っていく生徒とぶつかりそうになった。素早く体を引く。

「タビト、大丈夫?」
「平気。それにいつものことだから」
「これが……?」

 レグルスは廊下の惨状に目を丸くした。
 まるで肉食獣に追い立てられる草食の群れのように、たくさんの生徒が同じ方へ向かっている。
 歩いているものが大半だが、走っているもの、小走りのもの、誰もが廊下の角へ吸い込まれていく。

「みんな食堂へ行くんだ。騎士学校うちは昼休みが一番慌ただしいんだよ。人気のメニューはすぐ売り切れちゃうから」
「人気のメニュー?」
「今日はシカ肉だったかな。日替わり肉とパン大盛りプレートは限定十食。他にもウシ肉トリ肉は走らないと買えない。のんびりしてるのはお弁当の生徒だ。というわけで、走るよレグルスっ!」
「えぇっ、オレたちも!?」

 筆記用具を小脇に抱えたまま走り出すと、戸惑いながらもレグルスがついてきた。室内履きのグリップを効かせ、しっぽを振ってバランスを取りながら、人波をするする避けながら走る。
 レグルスもぴったり後ろをついてきていた。さすがだ。
 まるで幼い頃のおいかけっこみたいだ。タビトは楽しくて仕方がなくなった。庭に迷い込んだ小鳥や小動物を一緒に追い立てた、楽しかったあの日々。
 興奮は足に伝わった。ざわざわと表皮が粟立つ。
 たまらなくなって、靴を蹴り飛ばすように脱いでいた。

「レグ、もっと速く!」

 振り返った夕焼けの瞳が驚愕に染まる。
 人型を保ったまま、脚だけを獣に変化させる術をレグルスは初めて見たのだ。さぞ驚いただろうと気づいたが、勢いづいた体は止まれない。
 風よりも速く駆け抜け、何人も抜き去ったタビトは食堂に着くなり二人分のセットを注文した。
 シカ肉のシチューは売り切れていたが、トリ肉たっぷりのラップサンドがまだ残っていた。一枚のトレーに二人分のサンドとスープを器用に載せ、これからさらに混み合っていく食堂を後にする。
 中庭にあるベンチに腰を下ろした。ここなら食堂の入り口を見渡せる。
 人混みを眺めていると、レグルスが転がり出てきた。
 ジャケットはよれて、髪はボサボサ。しっぽをぶんぶん振っていて不満をあらわにしている。どうやら昼休みの洗礼をたっぷり浴びてきたようだ。

「置いていくなんてひどいじゃないかタビト……」
「ごめんごめん。でもごはんは確保しておいたから」
「ありがと」

 食事を差し出し、代わりに一揃えの靴を渡される。
 タビトはきょとんとそれを見つめ、途中で脱ぎ捨てた自分の靴だと気づいた。恥ずかしさにはにかみ靴を受け取る。

「足、見せてくれるか?」
「いいよ」

 友人にも後輩にも触れさせない獣化した足をレグルスへ差し出す。
 足首のあたりをすくい取られ、まず重さに驚かれた。
 トラの後肢そのものの脚部は膝下まで白い毛に覆われている。肉球も爪もあり、膝からふっつりと人型へ戻る、奇異な形状。
 境目をさわさわ撫でられるとくすぐったくて仕方がない。タビトは笑いたくなるこそばゆさを必死に堪えた。

「すごいな。こんなことができるなら、実技は負けなしだろ」
「部分獣化なしでって先生に指示されることもあるから、そういうときはイマイチだけどね。ズルだって自分でもわかってるし」
「ズルなもんか! これは立派なタビトの個性で、武器だ。大型肉食獣が相応に強くて文句を言われる筋合いなんかない」

 レグルスの堂々とした言葉に胸があたたかくなる。
 今でこそ認められているタビトの部分獣化は、当初さまざまな議論に取り囲まれた。
 驚きや警戒だけならまだよかった。忌避され、嫌悪され、排斥されそうになった。感情を向けられるだけじゃなく、行動が伴ったことも一度や二度ではなかった。
 そんなとき力になってくれたのがリゲルやプロキオンなど友たちと、教師陣だった。
 部分獣化の危険性を認めつつ、過分な力を排除するのではなく共存し、いつかは凌駕することが、この学校に通う生徒たちの目標とすべき到達点だと説得してくれた。

 タビト自身が真面目で穏やかで、しかし獣型実技で負けなしということも幸いした。
  「文句があるなら勝ってみろ」とリゲルたちが凄むたび、タビトへ突っかかる生徒は減っていった。
 元々奇異な見た目を噂されていて、それに輪をかけて奇妙な形質を発揮したタビトを、嫌うものは一定数残った。
 悪意を向けられることは減ったが、事態が沈静化するまでに受けた傷は小さな痕になってタビトの心に残ってしまった。
 それなのに、レグルスが励ましてくれるだけでくすぶる不安が拭われる。

「あのね、やっぱりレグルスが会いに来てくれて、僕も嬉しい」

 会えないはずの主に会えて混乱して、一番伝えたい気持ちをまだ言えていなかった。
 レグルスは一瞬固まってからタビトの足を手放した。
 そっと手を引かれ、胸に抱き込まれる。

「レグルス、ごはん食べないとお昼休み終わっちゃうよ」
「うん。ちょっとだけ」
「しょうがないなぁ」

 分厚くなった肩をぽふぽふ叩いてやると、背後でライオンのふさふさしたしっぽがゆっくりと揺れた。
 タビトの白い尾も一緒に揺れた。
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