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第三章
51.譲れない戦い
しおりを挟む「すげぇ……」
思わず漏れた誰かの一言は観衆の総意だ。
群れで暮らすライオンは一匹では弱いと思われがちだが、オスライオンは違う。プライドを守るために外敵や他のオスと戦うこともある、武闘派の肉食獣だ。
それを、白い獣が凌駕した。
トラなのに、縞模様すらほとんど見えない奇妙なトラが、ライオンに土をつけた。
誰も動くことができない時間はほんのわずかで、タビトはすぐにはっとしてレグルスを助け起こした。
「レグルスごめんっ! 首のとこ痛くない?」
「あ、あぁ。ほんのかすり傷だ、痛くないよ。……タビト、強くなったんだな……すごいや」
レグルスの賛辞は心からのものだった。
タビトは虚をつかれたように口を開け、徐々に笑顔を作る。
「うん……うん! 僕、レグルスのプライドメンバーにふさわしくなれるようにがんばったんだ!」
「オレのため?」
「そうだよ! レグルスが僕を守ってくれるって言ってくれたから、僕もレグルスを守りたいって思ったんだ」
「なんだ、そっか……」
嬉しそうに頬をこすり付けてくるトラも、レグルスと全く同じことを考えていたらしい。
「それならオレたち、お互いに守り合ってれば最強だな」
「うん! やっぱりレグルスは強いや。あの大きな口、僕気迫負けしちゃいそうだったもの」
「ホントか? オレのほうこそタビトの牙には怖気づきそうだったけどな」
互いの健闘を称え合いながら体を起こし、被毛についた土埃を払っていると、タビトの瞳が気になった。
「タビト、その目の色さ……」
「まだわたくしの挑戦が終わっておりませんわ」
鋭い声に振り返るとブルーシアが立っていた。
タビトを睨む視線は、憎悪すら含まれていそうなほどきつい。
「レグルス様が負けてしまったのなら、わたくしも訓練免除を賭けて戦ってもいいはずですわ」
「しかしタビトは今の戦いで消耗しただろう。誰か代わりに」
「訓練免除の決まりは、一番強いものとの勝負でしょう? 二番目以下では話になりません」
タビトを引かせようとした教師の言葉すら遮るブルーシアは、ここでタビトと戦えなければ今後もずっと禍根を残すような気がした。
「先生、僕がやります」
「大丈夫なのか、タビト」
「はい」
オスライオンを下した獣型のトラとは戦えないだろうと、人型へ戻る。
二つ足の姿だとタビトは小柄で、ブルーシアはタビトより背が高かった。
しかし相手は女子で、なによりレグルスの許嫁で。
ケガをさせてしまう可能性が高いからと、部分獣化もしないことに決めた。
それが「侮った」と取られるなど、タビトは予想もしていなかった。
「わたくし程度なら、そのやせっぽちな姿で事足りると、そういうわけなの?」
「そうじゃ、ないけど」
見下ろされ、見下される視線に足が震える。
一度負けた相手に再び挑むことなんてめずらしくない。
いまだに養父アルシャウには勝てないし、級友との訓練でも勝った負けたは日常茶飯事だ。
その意識の切り替えが、ブルーシア相手にはうまくできない。
人の手足でも生半可な相手に負けるほど弱くない。
しかしタビトはすでに全力で戦った後で、ブルーシアには殺意にも似た闘気が漲っていた。
「本当に神経を逆撫でしてくれるわね、庶民の分際で……っ」
「違う、僕は、ちがうっ」
「何が違うと言うの? トラのくせに色も縞模様もない、どこのものともわからない、オスのくせに他種族に媚びる異端め!」
「ぼくは……」
的確に繰り出される蹴りの合間に、身軽さを生かした拳が飛んでくる。
避けるばかりで反撃しないタビトの様子に背後がざわつきはじめた。
タビトの動きは明らかに鈍い。
肘をぶつけ合うように組み合って、二人の顔が近づいた。
怨念の宿る金の瞳にびくりと肩を振るわせたトラの赤を帯びた銀の両目には、隠しきれない怯えがある。
「気味が悪い見た目は、まぁいいでしょう。あなたが選んで生まれたわけじゃないものだわ。そうよね? でも……わたくしたちの座を奪おうとするのはあなたの意思。どうしてライオンのプライドに固執するの?」
「違う、固執なんて……ただ僕は、レグルスと」
「家名もない下等な者が、気安く貴き名を呼ぶな!」
腕を振り払われた動きで目を狙われ、なんとか避けた先で足を打たれた。倒れ込むには至らなかったが、隙には十分な体勢の崩れ。
そこへ強烈な蹴りが入り、タビトは為す術もなく地面に倒れる。
しかしブルーシアの攻撃は止まなかった。
「ふざけやがって、ふざけやがって!」
「うぅっ」
地に伏したタビトの脇腹は何度も蹴られ、体を丸めても背を蹴られる。
もはや手合わせなどではなかった。私怨による暴力。
それなら、それだからこそ────タビトは負けられなかった。
「ふざけてなんかっ、ない!」
タビトを打ち据えようとした足を捕らえ引き倒す。
地面に倒れ込んだブルーシアに素早く飛びかかり、もがく腕を払い除け、首を踏みつけた。
ぐうっと苦しげな声が漏れたメスを、色を濃くし赤に銀が散った眼がきつく見下ろした。
「誰がふざけてるって? 地位のある両親がいて、暮らしに不安がなくて、健康で未来もあって、強さも十分。ふざけてるのはどっちだ! そんなやつの戯れに負けるわけにはいかないんだ、僕は!」
「ぐぁ……っ、はな、せ」
ブルーシアは首を押さえつけている裸足にがりがりと爪を立てた。
皮膚が裂け血が流れたが、足はびくともしない。
「僕には何もない。親も故郷もなくした。養父の情けが絶たれればすぐにでもここを追い出される身だ。きみが欲しがっているものだって、元々きみのものだ。僕には何もない! そんな僕の唯一の持ちもの……強さだけは……侮られるわけにはいかないんだ!」
傷つけずに相手を制圧する方法をタビトはすでに学んでいた。首の特定箇所を圧迫し、意識を奪う。
ブルーシアはびくりと震え、脱力した。
静まり返った訓練場で誰もが息を詰めるなか、タビトはゆっくりと身を起こし、たっぷり時間をかけて「仕留めた獲物」の状態を見定める。
「勝ちました」
ぽつりと一言。
凍りついたように静まり返っていた空気が、ざわざわひそひそと動き始める。
教師は倒れ動かないブルーシアを確認し、タビトの勝利を宣言した。
ただ気絶までさせたのはやり過ぎていること、それから傷つけられた箇所を医務室で治療してもらうように言いつけられる。
「このくらいなら……」
「ダメだ。今すぐ行きなさい。誰かタビトを医務室へ」
「っ、オレが……!」
観衆の中からレグルスが飛び出してきたが、それを制する者がいた。
「あんたは同じ留学生のほうをしてやれ。タビトは俺が連れて行く」
リゲルに睨まれ、レグルスは怯む。
彼の言うことはもっともだった。
気絶から回復したブルーシアが万が一暴れたら、抑え込めるのはレグルスくらいだ。
リゲルは素早くタビトのケガを確認し、肩を貸した。
レグルスはそれを苦々しく見送ることしかできなかった。
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