小石の恋

キザキ ケイ

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本編

01.遭遇

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 はじめは、小石がことりと動くようなものだった。
 小石は何度もことりことりと動くので、ぼくはそうっと蓋をした。

 我ながら面白みのない人間であると思う。
 見た目は元より、生まれつき以外の部分を取り繕う気がなく、勉強はするけれど目立つ成績はとれず、運動もできないわけじゃないができるとも言えない、特技も特色もなくしゃべりもいまいち。
 日常会話しか発生しない家族と当たり障りのない生活。
 表面をなでることすらできないような波風立たない友人関係。
 そんな人生の中に突然現れた波紋が、彼だった。

 テンドウ先輩と呼ばれる彼は昔から無礼で不遜な人間だった。
 ちょっと見ないくらい背が高くて肩幅があって、いつも違う髪色をしていたので、彼の生息域で彼を知らずに生きることは難しかった。
 荒んだ雰囲気の仲間が常に周囲を取り囲んでいて、それでいて同じ学校の生徒だったからには、それなりに勉強ができたのだろう。成績が良いとは聞かなかったが、悪し様に言うものもいなかった。
 というか彼は、校内のタブー扱いだった。
 そんな彼と、面白みのない自分に接点などもちろんなかったが、なぜかぼくらは出会った。
 交通事故かのごとく降ってわいた災難のようなものだった。

「お」

 太くて低い声が思いのほか近くで聞こえて、振り向くと、大きな彼がいた。
 黄緑色が混じった黒髪は、彼にしては地味な色味だ。
 霞む視界でそう思いながら、近寄ってくる男を拒絶せず歓迎もしなかった。
 なぜならぼくはそのとき、吐いていたから。

「だいじょぶか? ぜんぶ吐けた?」

 彼は意外なほど優しい手つきでぼくの背中を撫でた。ちょっと強い。
 ぼくは弱々しく首を振った。
 おそらく食あたりだろうと思う。吐いても吐いても気持ち悪さが止まらず、始業のチャイムはずいぶん前に鳴っている。
 再び悪寒が込み上げて便器に顔を伏せたが、もう黄色い液体すら出ない。
 苦しい。口と鼻はもうぐしゃぐしゃだが、目頭からも嫌な味のする涙が出てきた。
 うめくぼくを撫でていた彼が異常な行動に出たのは、そのときだ。
 彼はぼくの喉に指をつっこんだのだ。

「うぁっ!?」
「ほら、ぜんぶ吐いちゃいな」

 他人に嘔吐を促されるのはもう二度とごめんだ。
 ことが終わって、とにかくそう思った。
 彼はなぜか甲斐甲斐しくぼくの世話をやいた。トイレの手洗いで顔を洗ったぼくにハンカチを貸してくれて、保健室まで送り届けてくれた。
 真っ青な顔でお礼を言ったら、ひらりと手を振って去っていった彼の背中に、ぼくの心臓が小石のように、ことり、と動いたのを覚えている。

 その後ぼくは家族に迎えにきてもらって、病院に行って薬をもらった。
 やはり食あたりだろうとのことだった。その後、原因とみられる惣菜の製造業者が全国ニュースに出ていた。

 数日後、借りたハンカチを洗って返すために上級生のクラスに出向いたが、彼はいなかった。
 おっかなびっくり近くの上級生に聞くと、彼は学校に来たり来なかったり、来ても教室にはほとんどいないという。
 教室にいないならどこにいるのかと思いながら歩いていると、彼は中庭にいた。学校案内で一度通りかかっただけの中庭は人気がなく、取り巻きもいない彼の周囲にはなんだか不可視の特別な空間が広がっているように思えた。
 触れなば刺されそうな空間の広がりに躊躇していたら、目が合った。

「お」

 彼の低い一文字を聞いたのは二度目だ。
 会釈すると、彼は横柄な態度で手招きした。彼の隣に行って、ハンカチを渡しながらお礼を言うと、横に座るように指示される。
 長居するつもりなんかなかったので迷ったが、断って殴られたら嫌なので座った。
 なぜか肩を組まれ、予想外に近い距離で顔を覗き込まれ、ぼくはびくびくしながら彼を見た。今日は金色の髪だ。

「ん、今日は元気そーだね」

 そのときもぼくの中の小石は、ことり、と鳴ったのだった。
 それから彼とすれ違うと、横柄な態度で手招きされ、隣に座るよう強要された。
 一度など、担任教師に呼ばれているときに手招きされて、ジェスチャーで拒絶して立ち去ったら、次に会ったとき脅されて今日が命日かと思った。

「なんで無視したの? 昨日」

 無視したのではない。断ったのだ。

「俺より先公のが大事なんだ?」

 そりゃあそうだろう。学校における教師とは絶大な権力がある。それが世間一般ではただのくたびれたオッサンであろうとも、ここは学校の中なのだ。

「なんで名前呼んでくんないの?」

 なぜぼくが顔見知り程度のクソ怖い上級生の名前を呼ばなければならないのだろう。

「呼ばないならずっとこのままだから」
天道てんどう先輩」
「下の名前」
「え……それはほんとに知らないですごめんなさい」

 目を丸くして謝ると、先輩も目を丸くして、それから腹を抱えて笑った。
 笑ってくれたので許されたと思ったが、その後はぼくがきちんと彼を「いたる先輩」と呼べるまで練習と称して、しばし拘束された。怖くてちょっと泣いた。

律紀りつきはかわいいなぁ」
「かわいくないです。ふつうです」
「リツって呼んでいい?」
「やめてください」
「リツ~」
「……」

 何が彼の気にさわったのか、もしくは気に入ったのか、ぼくは先輩に絡まれるようになってしまった。
 学校一やばい先輩に絡まれるぼくに近づくものなどいない。
 当たり障りない会話をするだけの友人はみな離れ、担任にもやや遠巻きにされ、逆に変なやつが寄ってくるようになった。
 つまるところ、至先輩の取り巻きだ。

「律紀、なんで先輩に気に入られてんの?」
「ぜんぜん心当たりがない」
「ふーん。まぁ態度見てりゃ好かれたいわけじゃなさそなのはわかっけど」
「嫌悪される心当たりしかない。嫌われてるから絡まれてるって言われた方が納得」
「……なんか律紀ってちょっとおもしろいな」

 なぜか取り巻き連中にも気に入られてしまい、ぼくはすっかり学校一やばい人たちの一団に加えられてしまった。
 ぼく自身がそう思ってなくても、ぼく以外の全員がそうだと思っていたら、それが真実になってしまうのだ。ぼくはすっかり不良だと思われるようになってしまったのだ。

「リツ、メシ食お」
「ひとりで食べます」
「なんでよ、いっしょに食おって言ってんじゃん」
「ひとりで食べますと言ってます」

 ぼくが頑なに誘いを断るので、至先輩は心底不思議そうに首を捻った。
 彼は決して万人受けするタイプではないのに、なぜだか、何かを願ったり命じたりすればすべて叶うと思い込んでいるところがあるようだった。
 そんな先輩に逆らうほうが良くない結果を招くと、あぁこのときのぼくに誰かが忠告してくれていたら。

「リツ、意外といっぱい食うね」

 ぼくは確かに断ったはずだが、先輩はぼくの隣に座り、ぼくの手元を覗き込みながら体重を押し掛けてくる。
 重い。うっとうしい。
 しかし学校の食堂という場所はある意味公共空間なので、隣に座るなと言っても拘束力はない。せいぜいぼくが席を移動する自由があるだけだが、隣のやつががっちりとぼくの肩を掴んで体重を掛けているので逃げられそうにない。

「……今日は母が忙しくて弁当もらえなかったんで」
「じゃあいつもより多いの? 少し手伝おうか?」
「いえ。いつもより少ないのであとでパンも食べます」

 そう言って味噌汁をすすると、先輩はまた不思議そうに目を丸くして、それからなぜかぼくに食べ物を分け与えるようになった。
 毎日のようにぼくの隣に陣取り、コンビニのおにぎり一個とか、サンドイッチのひと切れとか、からあげとかチョコとか、なぜか枝豆を数個とか。
 枝豆が好きらしいけど、そんな高校生実在してるんだろうか。まさかもう飲酒しているんじゃなかろうな。
 とはいえ弁当や学食だけでは足りないことが多いぼくは、飲み込めないものを感じながらも、ありがたく施しを受け取った。
 そうしたらなにか勘違いされたのか、先輩はますますぼくに粘着してくるようになった。

「リツ、あーん」
「いりません」
「ほら、リツ。あ~ん」

 唇に押し当てられたものを嫌々受け入れると、強引な手法に反してゆっくりとやわらかいものが口内に押し込まれる。
 これは「きつねうどんのきつね」である。
 きつねうどんをわざわざ学食で頼んでおいて、ほとんど準主役のきつね部分を他人に食べさせるやつがいるだろうか、いやいない。
 名店のきつねうどんで、お揚げがものすごくおいしいからひとくち食べてみて、という話ならわかるがここは質より量の学食である。しかも与えられるのはひとくちではなく一枚である。
 そして、きつねうどんのきつねを他人からあーんされて食べているやつがいたらそれは、親子か恋人か、というところだろう。
 ぼくは恋人であってもきつねうどんの準主役を譲る気にはなれないが、至先輩はそうでもないらしい。
 もっともぼくは先輩の恋人ではないので、余計に謎な状態になってしまう。

「おいしい? 足りる?」
「……おだしがしみてておいしいです。足りてます」
「そう? ふふ」

 横暴で粗雑な至先輩だが、時折こうしてやわらかい笑みを見せることがある。

「リツ、いっしょに帰ろ」
「いやです」
「あそこ行くよ。駅ビルのカフェ」
「……」
「一番大きいパフェ。食べたがってたろ?」
「……」
「奢るよ」

 薬物の違法売買で稼いでそうな先輩の奢りは危険じゃないかと思わないでもないが、先輩はたぶんヤクの売人じゃないし、ぼくが駅ビルのカフェのトリプルチョコバナナサンデーを食べたがっていることがなぜかバレていたので、仕方なく従った。
 先輩は申し訳程度にバニラアイスとブラックコーヒーを頼んで、ぼくが大きなパフェを黙々と食べるのをただ見ていた。
 パフェを食べるだけでは終わらないだろと思っていたが、やはりそのあとがあった。

「ゲーセン寄ってこ」
「おひとりでどうぞ」
「ゲーセンひとりで行くように見える?」

 見えない。
 パフェを奢ってもらった負い目もあったので、先輩についていった。
 表通りを少し外れた、少しだけ薄暗くて湿っぽいビルのゲームセンターに連れて行かれた。
 この街にはいくつもゲームセンターがあり、普通はこんなところには来ないはず。
 いよいよやばいか、と逃げる心づもりのぼくをてんで気にせず、先輩は楽しそうに筐体の間を歩き回り、二人でいくつかのゲームをやった。
 メダルゲーム、シューティング、ダンス、レース、最後はクレーンゲーム。
 先輩曰く、ここのクレーンゲームは理不尽な調整になっていなくて、素人でもまぁまぁ取れるらしい。

「ほら」

 見事先輩が獲得したぬいぐるみが、ぼくのほうに投げ渡された。
 慌てて受け取る。
 なんだか変な色のイルカのぬいぐるみだ。

「リツに似てるからあげる」
「似てない」
「似てるよ」

 イルカは心底ぼくに似てなかったけど、先輩に似たぬいぐるみはあった。
 妙に目つきの鋭いクマがいたのだ。
 大きさはイルカと同じ手のひらサイズで、ぎらぎらした目に、ニヒルな口元。茶色のまんまるい手はなぜか刃物を持っていて、頭に一本だけ黄色の前髪が縫い付けられてる。
 たぶんなにかのキャラクターの擬獣化グッズなんだろうが、奇抜なメッシュを入れられたところとか、凶悪な顔かたちが先輩にぴったりで、説明しながら少し笑ってしまった。
 そうしたら先輩はさくっとそのクマも獲得して、ぼくの学校カバンにイルカといっしょにつけてしまった。まぁまぁな大きさのぬいぐるみが二個もついている学生カバン。女子か。

「いいなぁ、そいつは。リツに思う存分くっつけて」

 なぜか先輩はクマを羨ましがっていた。
 それから時折、ぼくの放課後は至先輩に占有されるようになった。
 時折の時折、三年から一年までバラエティに富んだ取り巻きたちがいっしょになることもあったけど、ほとんどはぼくと先輩の一対一だ。
 正直いつだって逃げたいと思いながら同行するけど、ぼくも慣れてしまったのか、楽しいと思いながら別れることも多くなってきた。
 先輩は決してぼくを夜遅くまで連れ回すことはなかった。あんな見た目なのに。

「今日はゲーセンじゃないんですか?」
「ゲーセンだよ」

 そう言われてついていった先は明らかにゲーセンじゃなかった。
 見知らぬ空気が充満する雑居ビル。いわゆる、夜のお店ばかりのテナント看板。しかも地下。
 染みついてとれない煙草の匂いと、退廃的な雰囲気、意味があるのかわからないほど暗いオレンジ色の電灯。

「ゲーセンじゃないですよね?」
「あるだろ、ゲーム」

 ダーツとビリヤードじゃん。
 先輩は明らかに開店前の店に堂々と入っていって、大きな黒革のソファに座った。
 立ち尽くすぼくを隣に座らせて、あきらかに開店準備中のバーテンダーさんに目配せする。

「なんか出してやって」
「ちょ、先輩、お酒はぼく、」
「飲ませねぇよ。お酒はハタチから、だろ?」

 笑い混じりでからかい混じりで言われても嫌な気分になるだけだが、そんな仕草が呆れるほど似合う男。
 バーテンさんも断ればいいのに、仕方なさそうになにか作って持ってきてくれた。
 逆円錐のグラスにオレンジ色の飲み物が入っている。淡い照明しかない店内でもそれはキラキラ輝いて、しばし見惚れてしまった。
 ちらっとカウンターの向こうを見ると、バーテンさんが頷いたので、細いガラスの柄をそうっと持って、ゆっくりひとくち。
 おいしい。すっごくおいしい。
 柑橘系であることしかわからないぼくの貧弱な飲食経験でも、このジュースの優雅な甘酸っぱさは脳に直接届いた。こんなにおいしいオレンジジュースがあるんだ。

「先輩、これすっごいうまい」
「ふーん?」
「あ、知ってるか、そうですよね」

 恥ずかしい。この人がぼくをここに連れてきたんだから、おいしいことなんて承知のはずだ。
 でも至先輩はぼくを笑わなかった。

「いや、それは飲んだことねぇな。うまいの?」
「……はい」
「ちょっとちょうだい」

 そう言うと、至先輩はなんと、グラスに指を突っ込んだ。
 なんて、なんてことだ。
 薄オレンジの指が先輩の形のいい唇に運ばれて、おどろおどろしい肉感の舌がそれを迎え入れる。

「ん。うまいな」

 微かに口角を上げた至先輩の微笑みは、貴重で、凶悪で、色気が大爆発していた。
 見てはいけないものを至近距離で見てしまった気がしてうつむくと、先輩はくつくつと笑って「早めに飲めよ」と宣う。
 あとで知ったけど、お酒が入ってなくてもバーテンダーさんが技術を尽くして作ってくれるものをモクテルというらしい。楽しみ方はカクテルと同じで、あまり置いておくとおいしくなくなってしまうらしい。
 だからぼくは慌ててジュースを口に運び、泡が弾けるような爽やかな酸味をもう一度楽しんだ。
 強い視線を感じる。
 どうしても呼ばれているような気がして、空になったグラスからそろりと目を上げると、獰猛な双眸に射すくめられた。
 まるで野生の獣みたいだ。至先輩の目は。
 彼の指がぐいっとぼくの唇を拭っていく。わずかにオレンジの香りがする、太くてかさついた親指。

「リツ」

 薄暗くてよく見えないからと、ぼくは自分に言い訳をして目を伏せた。
 どんなに覗き込んだって、獣の目から感情を読み取ることはできない。そう心に言い聞かせた。
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