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〜第6章〜ラドン編

63話

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 サエラがシオンにからかわれていた頃、ウロボロスとラスの足は人目のつかなそうな路地裏の中にいた。
 といってもこの地下都市には少数で生活しているシング族のほかに人はいない。無人の廃墟が建て並ぶところでは、大通りすら人目のつかないと表現されてもおかしくない。

 ここには本当にシング族しかいないのか。リメットの賑やかな商店街を懐かしく思い出す。
 気配の無さはメイズの道を歩くような、居心地の悪さを感じる。

「ラス。シング族以外の者と会ったことはあるか?」

 ウロボロスが問いかけると、ラスは「んーん」と口を閉ざしたまま声を鳴らし、顔を左右に振った。

「ドラゴンさんと、えっと、えるふ?さんは初めて」

 曖昧な記憶を掘り起こすような、曖昧で甘ったるい舌足らずな返答が返ってくる。
 エルフというものをシオンたちと会うまで知らなかったらしい。北方人なら会ったことはなくとも、名前だけなら知らぬ者はいないだろう。それほど有名な種族名のはずだ。

 地下都市では地上との交流は一切行われていないらしい。

 だがトールマンの家には地上でしか手に入らないはずの木製の置物が飾られていたので、なにかしらの地上との交流はあったと考えられる。
 しかし、それを大胆に聞くことはできない。それは地上に出たことがないという彼の言葉を疑う質問であり、深く干渉することを拒んだ彼の言葉に背く行為である。
 部外者であるウロボロスが踏み込んで聞ける内容ではないのだ。彼が何かしら隠していると確信していても。それがラスの誘拐された理由と関係があるのではという疑いを持っていても。

「どうしたの?」

「うにゃ、なんでもないよ」

 少数と言えど、人の目がなくなったためか。言葉数は少ないながらもはっきりとした口調で喋るラス。
 それになんでもないとウロボロスは穏やかに笑って返した。

「それで、見せたいというものはなんなのだ?」

 ウロボロスが思考の浮かんだ表情を隠し、新たな話題を差し出す。トールマンが外の人々と交流を持っているかなど、エルフのことも知らなかった彼女が答えられるはずもない。素早く考え事を頭の隅に追いやる。

 ラスはウロボロスの思案などつゆ知らず、えっとね、という口癖を何度か転がした。
 それを見てウロボロスは黄色い目玉をパチクリと瞬きさせる。
 どこからどう見ても、ラスは子供だ。取り繕った仕草などはしておらず、どれもこれもが自然体だった。

 白い髪と肌に真紅の瞳。確かに北方人らしからぬ特異な特徴を有しているが、それは彼女自身の特徴ではなくシング族という地下に住まう一族ゆえの特徴である。

 ならば彼女自体に特別な力でも宿っているのか?
 だがラスの魔力の内容量は一般人とさほど違いはない。少し魔力を持つ魔法使いの見習い程度だろう。
 魔力を見ることができるウロボロスが見立てた評価だ。当然エルフであるシオンとサエラより遥かに少ない魔力である。

( ラスは特別な力など全くない、普通の子だ。なぜ誘拐され、しかもあのような幽閉に近い残酷な真似をさせられたのだ?)

 そもそも魔力を持つ人間というのが珍しいと言われれば、実際そうなのだが。誘拐されるほど強い理由でもない。
 彼女の持つ魔力は魔法が使える程度には宿っている。しかしその大半は吸血鬼、あるいはエルフのように真っ赤に染まった瞳に集中している。

 ウロボロスの推測では、単にヒカリゴケのないエリアでも視野を働かせるために進化したシング族の能力だと考えていた。
 現に薄暗い路地裏でも、決して器用とは言えないラスが足元を気にせず歩みを地面に刻んでいる。

 目は夜目を操る猫のように見開いており、瞳孔も大きく変化していた。視力に魔力を使っているのだ。
 そんなラスが両手の小さな指を絡ませて、誰もいないのに囁き声でウロボロスの耳に顔を近づけた。

「ここでね、あの、おいしいものが取れるの」

「ほほぅ、おいしいものとな?」

「えへへ、ないしょ」

 はにかんだ笑顔。子供が言いたくて仕方ない秘密を頑張って守り抜くような無邪気な表情だ。
 はやくはやくと手を引く姿から、いつしかベタとガマ・・・正確にはアルファだった頃のことをフラッシュバックするように思い出した。

 彼女も、よく大きな獲物が捕れたときは驚かせようとギリギリまで成果を見せることは無かった。
 悪意のない、純粋に驚かせたいという感情が伝わってくる。

(考えられるとすれば・・・長の娘という立場のせいか?)

 この人見知りで少しばかり会話が苦手な少女が背負うものと言えば、それくらいしかない。トールマンと敵対する集団に人質、あるいは餌として誘拐されたと考えるのが妥当だろうとウロボロスは判断する。

 この短時間で妙に懐いてくれた少女の横顔を見上げる。トールマンにこんな風に甘えている様子はなかった。
 人の上に立つという立場のせいか?あまり親子らしいコミュニケーションは取っていないのかもしれない。
 
「ドラゴンさん、みてみて」

 するとウロボロスの目の前に触手が現れた。考え事をしていたウロボロスは驚き、その尻を地につけ座り込んでしまった。
 悲鳴も出ない。テカったぬめりが体液をまとっていることを見せつけている。
 よく見ればそれは触手ではなく、巨大なミミズであることがわかった。

「な、な、な、なんじゃこれ!?」

「おいしいもの」

 自信満々に言ったのは中型犬ほどある巨大なミミズを素手で掴んでいるラスである。
 人見知りでか弱い少女とは思えないワイルドさに、ウロボロスは戦慄した。
 そしてまた、夕食にそれが出てきたことにも戦慄した。

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