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第3章~魔物の口~

33.5話「竜王と哀れな勇者2」

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『ぐぶっ』

 勇者の命乞いが妙に内臓に染み込んだ。それと同時に思い出すのはフラッシュバックする昔の記憶。
 我も昔は涙を流して命を惜しんだ。容赦なく首を切り落とされたのは悪夢でしかない。
 なぜ我が、奴らと同じことができようか。この勇者の命を奪う事に反射的に拒絶感を感じてしまった。
 胸を貫くような痛みを伴う感情は、自分のブレスを飲み込み内臓が焼かれる感覚よりも辛いものだった。
 焼けた喉や肺、周囲の肉と臓器を再生させてから我はもう一度勇者を見下ろした。

 勇者は吐瀉物を撒き散らしゲホゲホと咳き込んでいる。どうやら我のブレスによって放たれる有害な物質を吸い込んでしまったらしい。
 人間は貧弱であるが、ここまで脆いとは思わなかった。のたうちまわる姿を鬱陶しく感じ、我は虫のようにしぶといそれに魔法を飛ばすことにした。

『あぁ、うざいのぅ!「エクス・ヒーリング」ッ!「スリープ」ッ!』

 我が回復と睡眠を誘発させる魔法をかけると、勇者はしばらく咳き込むものの少しの間を置いて穏やかな寝息を立て始めた。
 折れた腕も、我の魔法を使えばすっかりと良くなる。人間は添え木など面倒な事をしなければならぬらしいが我には必要ないのだ。

『ふぅ』

 やっと大人しくなった害虫に、我はどうしたものかと疲労を感じるため息を吐いた。
 勇者は敵だ。そもそも人間が我に危害を加えてきたのだからその認識は間違っていない。
 なのになぜ・・・我は殺すのをためらってしまった。
 クソ、クソ、クソ。自己嫌悪で頭痛を感じる。結局勇者を殺す覚悟もなかったのか我は!

『・・・』

 とりあえず、この勇者をどうにかしよう。考えるのはそれからだ。我はハエのたかりそうな異臭を放つボロ雑巾を爪で掴み、鼻の穴に近づける。

『うげ、くっさ!』

 臭い!なんだこの臭いは!うげぇこんな臭いを放つ猿を我の住処に置いておけるか!
 まずは水で洗って、垢などの汚れを取る。それから飯も食わせて肉をつけさせ、あと我慢してるであろう糞や尿も吐き出させなければ・・・内臓にも汚れがたまっている。しっかりとした飯を食わせて全部丸洗いしなければ・・・。

 我はばっちい勇者をつまみながら、清潔にするため川へと向かった。




 ある程度綺麗にした後は藁の寝床に寝かせた。水洗いしている最中にまた腕が折れてびっくりしたが問題ないはず。多分。
 しばらくして勇者は目を覚ました。先ほどのドブネズミのような外見よりだいぶマシになったが、それでも目覚め、上半身を持ち上げる様子はアンデットそのものだ。こっわ。

 勇者は周囲の情報を集めるためか色々な場所に視線を向けていたが、それはいつしか我の方へと向かい・・・別の場所を見た。

『おいおい!我を無視するなっ!!』

 まさか我の偉大な姿を無視するとは思わななんだ。洞窟内を揺らすほどの大音量でツッコミを入れてしまう。

「わぁ。」

 あぁ!?声で勇者が吹き飛んだ!藁より軽いとはどういう事だお主!?我は急いで手を伸ばし紙切れのように飛んだ勇者を掴み取り、もう一度藁の上に乗せた。ふぅ、壁に叩きつけられ死なれても困る。
 というか少しは抵抗しろ。なすがままではないか。

『はぁ・・・』

「・・・ドラゴン。」

 「すごい。」「おっきい。」と言いながら勇者は我を見上げる。その姿はまるで我を初めて見たかのようだ。
 我は再び呆れのため息をついて勇者を見下ろした。

『何を言っておる。もう我の姿は見ただろうに』

「そうなの。」

『そうだ』

「・・・?。」

 なんだその疑問感丸出しの顔は。先ほど我に殺されかけた記憶などすでに抜け落ちているらしい。
 いや、もしかしたら見えていなかったのかもしれん。あの様子はまるでゴーレムのように、指示された任務を忠実にこなそうとしているだけに見えた。

 いわゆる洗脳・・・。意識が朦朧とし、夢心地の中で命令された言葉だけが頭の中で反響していたのかもしれない。
 それが死の瀬戸際に立たされて自意識が確立したのか、それとも我の魔法によって術式から解放されたのか定かではない。

『主、名はなんと申す?』

「なまえ?。・・・あるふぁ。」

 なぜ名前が数字なのだ?そう尋ねても返ってくるのはわからないという返答のみ。
 これはきな臭くなってきたぞ。人間側も一枚岩というわけではないらしい。
 考えられるのは、我を効率的に狩るために人工的に勇者を作り出そうとしているか、あるいは強力な戦士をかき集めまとめて洗脳しているか。嫌な想像ばかりが頭をよぎる。
 Aアルファということは、他にもいるということなのだろう。

『竜もそうだが、生命は雌雄の間に子を産むのだ。お主の親は何をしている』

「おや?。」

『お主を育てた者のことだ。知らんのか』

「・・・いっぱいいる。きょーかんさま。しんぷさま。きしさま。』

 淡々と呟くように名ではなく、役職を口にする勇者は表情を全く微動だにしない。なのに涙腺が崩壊したようにボロボロと涙を流している。
 大粒の涙はビー玉のように大きく、肌を伝って藁を濡らす。我は無意識のうちに大きな指で小さな目元を器用に拭ってやった。
 勇者は急に触られたことに首を傾げた。どうやら泣いていることにも気付いていない。記憶の奥底を封印されているのか、親の名すら覚えていないようだ。
 それでも本能は家族の温もりを覚えているのか、体では正直で悲しんでいるらしい。

 不憫なことだ。感情と身体が別離しているのだ。

『だぁあ!もう!泣くなと言ってるだろうが!我がいじめてるみたいではないか!』

「ないてないよ。」

『うるせえ!』

 我は猫が子供の首を噛み上げるように爪で勇者の首の布に引っ掛け持ち上げると、我の目玉くらいしかない小さな人間に向かって大声で伝えた。

『このままでは我が我慢ならん!貴様は人間に利用されているのだ!』

「りよう?。」

『そうだ!』

「りよぅってなに?。」

 ええぃクソ人間ども!単語ぐらい教育しろ!!成人女性が一般単語を知らんとはどういうことだ!?

『いいだろう、我が手取り足取り貴様を育ててやろうではないか!たかが人間の寿命など我にとってスズメの涙にすらならんわ!』

 これが我の勇者アルファとの出会いであった。
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