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第3章 エルダーフラワーのお茶をもう一杯
§7§
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翌日の午後、花穂は教えられた住所を頼りに街を歩いていた。
目的地に近づくにつれ、パンが焼けるほわほわとしたにおいが漂う。住宅街の中にぽつんと白い立方体のような建物が現れた。表札にはブランジュリー・ラウレアと手書きの文字で記されていた。
一見、何の店だかわからない外観だ。白い壁に小窓が開いていて、そこには季節の花が飾られている。木製の扉を開いて中に入ると、赤と黒のスタイリッシュな雰囲気だ。パンのショーケースだけは年代物で、木枠はすり切れていた。
ラウレアは白い三角巾に真っ赤なエプロン姿で現れた。この間のエレガントな様子とは違うキュートな出で立ちで、これもまた、よく似合っていた。
「いらっしゃいませ。あら、あなたは」
「はい、花穂です。今日はお忘れ物を届けにきました。それから、おいしいパンを買って帰りたいです」
ラウレアは包みを開いて確認し、マオからの短い手紙を読んで頷いた。
「ありがとう、取りに行かなければと思っていたの。パンはどうぞ、好きなものを選んで。もうすぐ焼き上がるものもあるから、少し待っていただける?」
「ええ、もちろん」
壁際には赤いスツールが三つ置いてある。焼き上がりを待つ客のためのものだそうだ。ラウレアはそのひとつを花穂に勧めて、陶器のマグカップにコーヒーを注いで出してくれた。
「素敵なお店ですね。ショーケースもレトロで可愛い」
「ありがとう。以前は父が女子大の近くに店を出していたんだけど、体調を悪くして店を閉めたの。だけど惜しんでくださるお客様が多くて」
彼女は父親からパン作りを習い、店舗は老朽化もあり移転して新たに開店したのだと言う。
「店名も変えたのは父の提案なの。元の名前は……」
「こうふく堂……ですか」
頭に浮かんだ店名を、恐る恐る口にしてみた。するとラウレアは嬉しそうに声を弾ませる。
「あら、花穂さんもお客様だったの?」
「あ……えっと、よくは覚えてないんですけど」
「無理もないわ。だって、あなたはハーブガーデン・コイウラに辿り着いたんですものね」
ふふ、と意味深に笑う。この人は、あれがどういう場所が知っているのか。
もしかしたら、彼女もすでに命を落としているとか……。
「あのっ、あの……たいへん失礼な質問なんですけど……」
「はい、なんでしょう」
「ラウレアさんって、生きてます?」
思い切って訊いてみた。ラウレアはきょとんと目を丸くして、花穂を見つめている。長い睫が瞬きのたびに上下する。
ラウレアは急に顔を近づけてきて、破顔した。くしゃっと笑うと途端に親しみやすい表情になる。
「ごめんなさい、笑ったりして。ええ。生きているわ。今はね、毎日とっても充実しているのよ。今日も新しいパンの試作をしていて……よかったら、味見してくれる?」
言いながら焼き上がったばかりのブリオッシュをカットして手渡してくれる。
生地はチョコレートとのマーブルで、ほのかにオレンジの香りがする。とてもおいしいと伝えると、ラウレアは花のように笑みを咲かせた。
「花穂さん、自分が死んでいるんじゃないかって、不安なのね」
見事に心の中を言い当てられ、花穂は動揺してコーヒーを零しそうになる。それを微笑んで見つめて、ラウレアは静かな、しかし力強い声で言った。
「あなたは生きている。それから、モアさんもね」
「本当に……?」
「わたしにはあなたを傷つけないように嘘をつく義理はないわ」
冷たく突き放すように言う。こういうときには優しい言葉よりもかえって信用できるような気がした。たぶんこの人は、それを心得ているのだろう。
「失礼ついでに、もう一ついいですか」
ええどうぞ、とばかりにラウレアは肩を竦めて微笑んで見せる。
「マオさんとは……どういうご関係なんでしょう」
「そうね……古い友人といったところかな。気になる?」
「えっ、えっと……いえ、その……」
モアがマオに恋をしているとは言えない。だけど今ここで気になると答えれば、花穂がマオを好きでいるみたいではないか。そんな無用の誤解は避けたい。万が一、モアの耳にでも入ったら、彼女は裏切りだと感じるかもしれない。
「優しいのね、花穂さん。モアさんに伝えてもらえる? わたしはマオのことはまったくタイプじゃないって」
すべてを見透かしたような目をして、ラウレアは破顔する。
「わたしはね、十代の頃、毎日死んでいたの」
穏やかな表情のまま、ラウレアは声のトーンを落とす。
「毎日毎日、心の中で自分を殺していた。お恥ずかしい話だけど……まぁ、そういう時期もあったということ。それだけのことよ。過ぎ去ったあとだからこんなふうに言えるのだけれど」
肩を竦めて笑うラウレアに影は感じない。だけど、どこか達観したような静かな存在感は、毎日死を見つめていた日々から生まれたのかもしれない。
「あの頃は身体は生きているけれど、心は死んでいたんだと思う。だからマオに出会ったの」
「だから、出会った……?」
「そう。ハーブガーデン・コイウラはね、そういうちょっと危うい者が辿り着く場所なの」
死者とは限らない。だけど完全な生者とも違う。そんな不安定な端境にいる人たちが見つけ出す場所。ラウレアはそう捉えているらしい。
「マオさんは、そういう人たちを癒やしているんですね」
「そうね……」
ラウレアは言葉を濁し、肩を竦めた。賛同できない、という目をして。
「わたしには、あなたのほうが人を癒やす力があると思うけれど」
「えっ? いや、そんな、わたしは何も……」
「何かをするとか、しないとかじゃないの。あなたはそういう存在」
とても自然な感じにウインクをして、ラウレアは真面目な顔をしてさらに距離を詰めてきた。
「あなたは親切で優しい。それは素晴らしいことよ。誇ってもいい」
「だけどね、自分の気持ちまで殺してそうしてはいけない。自分を殺すのは、生きて行く上で一番罪深いことよ」
かつての自分がそうだった。そう言いたげにラウレアはゆっくりと瞬きをした。
「わ、わたし、そういうふうに見えます……?」
「うーん。今はそんなことはない。だけど、以前のあなたはそうだったように思う」
「以前のわたし……?」
思い出せない過去の中の自分。どんな性格で、どんな生活を送っていたんだろう。
考え込む花穂に、ラウレアはコーヒーをもう一杯注いでくれた。
「花穂さんは、コイウラに辿り着いたわりには地に足が着いている。だけど他のお客さんはもっと曖昧な存在でしょう」
ラウレアは、花穂よりも多くの客を見てきたのかもしれない。曖昧で危うい者たちを。
彼女はそこから生還し、毎日パンを焼いている。
ラウレアは、花穂よりももっと多くの客を見てきたのかもしれない。曖昧な存在、危うい者たちが辿り着く場所。彼女はそこから生還し、毎日パンを焼いている。
「花穂さんは影がくっきりしている。だから大丈夫」
言われて、足元に視線を落とす。色褪せたジーンズと、くたびれたスニーカー。その下の影は確かに自分はここにいるのだと示している。
「花穂さん。ひとつだけ忠告する。マオは善人だけど正直過ぎるというか、彼の言うことは真理だけれど、場合によっては正しくはないのよ」
ラウレアの言わんとしていることがわからず、花穂は首を傾げる。ラウレアは少し考えてから、再び口を開いた。
「危ういの、彼自身も。ハーブガーデン・コイウラを創り出した張本人だからね」
創り出した……? あの広大なハーブガーデンを?
あれは彼の土地で、一から種を植えて築き上げた……ということ?
それの何が問題なのだろう。
花穂が疑問を口にする前に、ラウレアは言葉を継ぐ。
「あの人はほとんどのことを是としてしまう嫌いがあるの。それはね、一緒にいるととても居心地がいいのよ。だけどね、あの人の言葉を聞き過ぎると思ってもみない結果を招く、かも」
静かな口調で、ラウレアは予言めいたことを言う。
「わたしは捻くれ者だから、彼のそういうところに反発して……だから、ここにいるんだけどね」
いつの間にかお代わりのコーヒーまで飲み干してしまって、ずいぶん話し込んでいたのだと気づく。ただ、忘れ物を届けにきただけなのに。
「すみません、長居しちゃって」
「いいのよ、わたしのほうこそおしゃべりし過ぎたみたい」
少し名残惜しそうにしてくれたのが、嬉しかった。
「これも持っていらっしゃい。コイウラで採れたハーブを練り込んだパンよ。薄くスライスして、オリーブオイルで食べるとおいしいのよ、マオの好物。モアさんの好みは……そうね、ナッツたっぷりのハースブレッド」
花穂さんの好みはさっきのブリオッシュかな。ラウレアはまだ温かいパンをいくつかワックスペーパーで包んで、帆布バッグに入れて渡してくれた。手にしているだけで幸せな気持ちになる、パターと小麦の香りはおなかだけじゃなくて、心まで満たしてくれる気がした。くんくんと嗅いでいたら、ラウレアは笑って、それから独り言のように呟く。
「あなたならもしかしたら……マオのことを救えるかもしれない」
「えっ、救える……って」
「少し似ている。マオの大切な人に」
「あ……」
覚えている。最初にコイウラを訪れたとき、マオは言った。『おかえり』と――。
その人は誰なのかと、問うことはできなかった。ラウレアは教えてくれたかもしれない。だけど、答えはいつかマオの口から聞きたい。そう思った。
「またいらして、花穂さん。そしてコイウラとマオの様子を聞かせて。わたしは……あまりあそこには行けないの」
その言葉にはどこか祈りのような響きがあった。とても大切なお願いをされたような気がして、花穂は神妙な顔で頷く。
店先まで見送ってくれた彼女の影は、暮れ始めた太陽に照らされて長く伸びている。それは濃く力強く、ラウレアがここにいることを示していた。
目的地に近づくにつれ、パンが焼けるほわほわとしたにおいが漂う。住宅街の中にぽつんと白い立方体のような建物が現れた。表札にはブランジュリー・ラウレアと手書きの文字で記されていた。
一見、何の店だかわからない外観だ。白い壁に小窓が開いていて、そこには季節の花が飾られている。木製の扉を開いて中に入ると、赤と黒のスタイリッシュな雰囲気だ。パンのショーケースだけは年代物で、木枠はすり切れていた。
ラウレアは白い三角巾に真っ赤なエプロン姿で現れた。この間のエレガントな様子とは違うキュートな出で立ちで、これもまた、よく似合っていた。
「いらっしゃいませ。あら、あなたは」
「はい、花穂です。今日はお忘れ物を届けにきました。それから、おいしいパンを買って帰りたいです」
ラウレアは包みを開いて確認し、マオからの短い手紙を読んで頷いた。
「ありがとう、取りに行かなければと思っていたの。パンはどうぞ、好きなものを選んで。もうすぐ焼き上がるものもあるから、少し待っていただける?」
「ええ、もちろん」
壁際には赤いスツールが三つ置いてある。焼き上がりを待つ客のためのものだそうだ。ラウレアはそのひとつを花穂に勧めて、陶器のマグカップにコーヒーを注いで出してくれた。
「素敵なお店ですね。ショーケースもレトロで可愛い」
「ありがとう。以前は父が女子大の近くに店を出していたんだけど、体調を悪くして店を閉めたの。だけど惜しんでくださるお客様が多くて」
彼女は父親からパン作りを習い、店舗は老朽化もあり移転して新たに開店したのだと言う。
「店名も変えたのは父の提案なの。元の名前は……」
「こうふく堂……ですか」
頭に浮かんだ店名を、恐る恐る口にしてみた。するとラウレアは嬉しそうに声を弾ませる。
「あら、花穂さんもお客様だったの?」
「あ……えっと、よくは覚えてないんですけど」
「無理もないわ。だって、あなたはハーブガーデン・コイウラに辿り着いたんですものね」
ふふ、と意味深に笑う。この人は、あれがどういう場所が知っているのか。
もしかしたら、彼女もすでに命を落としているとか……。
「あのっ、あの……たいへん失礼な質問なんですけど……」
「はい、なんでしょう」
「ラウレアさんって、生きてます?」
思い切って訊いてみた。ラウレアはきょとんと目を丸くして、花穂を見つめている。長い睫が瞬きのたびに上下する。
ラウレアは急に顔を近づけてきて、破顔した。くしゃっと笑うと途端に親しみやすい表情になる。
「ごめんなさい、笑ったりして。ええ。生きているわ。今はね、毎日とっても充実しているのよ。今日も新しいパンの試作をしていて……よかったら、味見してくれる?」
言いながら焼き上がったばかりのブリオッシュをカットして手渡してくれる。
生地はチョコレートとのマーブルで、ほのかにオレンジの香りがする。とてもおいしいと伝えると、ラウレアは花のように笑みを咲かせた。
「花穂さん、自分が死んでいるんじゃないかって、不安なのね」
見事に心の中を言い当てられ、花穂は動揺してコーヒーを零しそうになる。それを微笑んで見つめて、ラウレアは静かな、しかし力強い声で言った。
「あなたは生きている。それから、モアさんもね」
「本当に……?」
「わたしにはあなたを傷つけないように嘘をつく義理はないわ」
冷たく突き放すように言う。こういうときには優しい言葉よりもかえって信用できるような気がした。たぶんこの人は、それを心得ているのだろう。
「失礼ついでに、もう一ついいですか」
ええどうぞ、とばかりにラウレアは肩を竦めて微笑んで見せる。
「マオさんとは……どういうご関係なんでしょう」
「そうね……古い友人といったところかな。気になる?」
「えっ、えっと……いえ、その……」
モアがマオに恋をしているとは言えない。だけど今ここで気になると答えれば、花穂がマオを好きでいるみたいではないか。そんな無用の誤解は避けたい。万が一、モアの耳にでも入ったら、彼女は裏切りだと感じるかもしれない。
「優しいのね、花穂さん。モアさんに伝えてもらえる? わたしはマオのことはまったくタイプじゃないって」
すべてを見透かしたような目をして、ラウレアは破顔する。
「わたしはね、十代の頃、毎日死んでいたの」
穏やかな表情のまま、ラウレアは声のトーンを落とす。
「毎日毎日、心の中で自分を殺していた。お恥ずかしい話だけど……まぁ、そういう時期もあったということ。それだけのことよ。過ぎ去ったあとだからこんなふうに言えるのだけれど」
肩を竦めて笑うラウレアに影は感じない。だけど、どこか達観したような静かな存在感は、毎日死を見つめていた日々から生まれたのかもしれない。
「あの頃は身体は生きているけれど、心は死んでいたんだと思う。だからマオに出会ったの」
「だから、出会った……?」
「そう。ハーブガーデン・コイウラはね、そういうちょっと危うい者が辿り着く場所なの」
死者とは限らない。だけど完全な生者とも違う。そんな不安定な端境にいる人たちが見つけ出す場所。ラウレアはそう捉えているらしい。
「マオさんは、そういう人たちを癒やしているんですね」
「そうね……」
ラウレアは言葉を濁し、肩を竦めた。賛同できない、という目をして。
「わたしには、あなたのほうが人を癒やす力があると思うけれど」
「えっ? いや、そんな、わたしは何も……」
「何かをするとか、しないとかじゃないの。あなたはそういう存在」
とても自然な感じにウインクをして、ラウレアは真面目な顔をしてさらに距離を詰めてきた。
「あなたは親切で優しい。それは素晴らしいことよ。誇ってもいい」
「だけどね、自分の気持ちまで殺してそうしてはいけない。自分を殺すのは、生きて行く上で一番罪深いことよ」
かつての自分がそうだった。そう言いたげにラウレアはゆっくりと瞬きをした。
「わ、わたし、そういうふうに見えます……?」
「うーん。今はそんなことはない。だけど、以前のあなたはそうだったように思う」
「以前のわたし……?」
思い出せない過去の中の自分。どんな性格で、どんな生活を送っていたんだろう。
考え込む花穂に、ラウレアはコーヒーをもう一杯注いでくれた。
「花穂さんは、コイウラに辿り着いたわりには地に足が着いている。だけど他のお客さんはもっと曖昧な存在でしょう」
ラウレアは、花穂よりも多くの客を見てきたのかもしれない。曖昧で危うい者たちを。
彼女はそこから生還し、毎日パンを焼いている。
ラウレアは、花穂よりももっと多くの客を見てきたのかもしれない。曖昧な存在、危うい者たちが辿り着く場所。彼女はそこから生還し、毎日パンを焼いている。
「花穂さんは影がくっきりしている。だから大丈夫」
言われて、足元に視線を落とす。色褪せたジーンズと、くたびれたスニーカー。その下の影は確かに自分はここにいるのだと示している。
「花穂さん。ひとつだけ忠告する。マオは善人だけど正直過ぎるというか、彼の言うことは真理だけれど、場合によっては正しくはないのよ」
ラウレアの言わんとしていることがわからず、花穂は首を傾げる。ラウレアは少し考えてから、再び口を開いた。
「危ういの、彼自身も。ハーブガーデン・コイウラを創り出した張本人だからね」
創り出した……? あの広大なハーブガーデンを?
あれは彼の土地で、一から種を植えて築き上げた……ということ?
それの何が問題なのだろう。
花穂が疑問を口にする前に、ラウレアは言葉を継ぐ。
「あの人はほとんどのことを是としてしまう嫌いがあるの。それはね、一緒にいるととても居心地がいいのよ。だけどね、あの人の言葉を聞き過ぎると思ってもみない結果を招く、かも」
静かな口調で、ラウレアは予言めいたことを言う。
「わたしは捻くれ者だから、彼のそういうところに反発して……だから、ここにいるんだけどね」
いつの間にかお代わりのコーヒーまで飲み干してしまって、ずいぶん話し込んでいたのだと気づく。ただ、忘れ物を届けにきただけなのに。
「すみません、長居しちゃって」
「いいのよ、わたしのほうこそおしゃべりし過ぎたみたい」
少し名残惜しそうにしてくれたのが、嬉しかった。
「これも持っていらっしゃい。コイウラで採れたハーブを練り込んだパンよ。薄くスライスして、オリーブオイルで食べるとおいしいのよ、マオの好物。モアさんの好みは……そうね、ナッツたっぷりのハースブレッド」
花穂さんの好みはさっきのブリオッシュかな。ラウレアはまだ温かいパンをいくつかワックスペーパーで包んで、帆布バッグに入れて渡してくれた。手にしているだけで幸せな気持ちになる、パターと小麦の香りはおなかだけじゃなくて、心まで満たしてくれる気がした。くんくんと嗅いでいたら、ラウレアは笑って、それから独り言のように呟く。
「あなたならもしかしたら……マオのことを救えるかもしれない」
「えっ、救える……って」
「少し似ている。マオの大切な人に」
「あ……」
覚えている。最初にコイウラを訪れたとき、マオは言った。『おかえり』と――。
その人は誰なのかと、問うことはできなかった。ラウレアは教えてくれたかもしれない。だけど、答えはいつかマオの口から聞きたい。そう思った。
「またいらして、花穂さん。そしてコイウラとマオの様子を聞かせて。わたしは……あまりあそこには行けないの」
その言葉にはどこか祈りのような響きがあった。とても大切なお願いをされたような気がして、花穂は神妙な顔で頷く。
店先まで見送ってくれた彼女の影は、暮れ始めた太陽に照らされて長く伸びている。それは濃く力強く、ラウレアがここにいることを示していた。
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