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第5章 起死回生のバスソルト
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街を散々歩き回った花穂は、少し緊張した面持ちでハーブガーデン・コイウラに戻ってきた。
遅い午後、東屋に向かう途中のおばあちゃんたちに出くわし、花穂は手を振る。
「お嬢ちゃん、出かけてたのかい?」
「ちょっと疲れた顔をしているねぇ」
「おばあちゃんたちはこれからお茶ですか?」
笑顔で応じると、二人の老婆は自慢げにバスケットを掲げて見せた。
「今日はジンジャーとアップルのお茶だよ。はちみつをたっぷり入れて飲むとあったまるよ」
「お菓子は胡桃とオレンジピールのビスコッティだよ。わたしたちにはちょっと固いけど、若い子の歯ならバリバリ食べられるだろう?」
「あ、わたしは今日は……」
マオさんと話をしなくては。ちゃんと、話し合わなくては。
そういう心構えでいたからお茶を楽しむ気分にはなれなくて、断ろうとした。だけどおばあちゃんたちは両側から花穂の手を握って、東屋に引っ張っていく。
「いいから、いいから。どうせ店はお休みだよ」
「昨日から臨時休業だってさ。部屋に籠もって何やらブツブツ呪文を唱えてるよ」
「そう……ですか」
あの魔法使いの部屋で、何か作っているのかな。
「だからマオなんぞほっぽって、寄っておいで。そのうち出てくるからさ」
「そうそう。何事にも終わりはあるんだ。楽しめるときに楽しまないといけないよ」
終わり――そうだ、もう終わりにしないと。こんな中途半端な存在で、生きているのは。
決心しなくては。
ポットからジンジャーとアップルのお茶をカップ三つ分注いで、一つを花穂に渡してくれた。はちみつをひと匙掬うと、もっともっととはやし立てられ、スプーン三杯分を入れてお茶を飲む。
甘くて温かくて、ちょっとだけジンジャーの刺激がピリッとして……強ばっていた気持ちが綻んだ。
「お嬢ちゃんの休養は、そろそろ終わりかねぇ」
「そうだね。人生、休んでばっかりではいられないからね」
二人は顔を見合わせて、頷き合う。
ああ、そうか。ラウレアさんが言っていた、花穂がここに辿り着いた理由。
答えをくれたのはおばあちゃんたちだ。人生には休養が必要だって。
「そう……ですね。ずっとお休みってわけには、いかないですもんね」
「ま、わたしたちはまだまだ、休暇を楽しむさ」
「そりゃあ、そうだよ。これまで長い、ながぁい間、生きてきたんだから」
「嫌なこともたくさんあった。辛いことも、殺したいくらい人を憎んだこともあったさ」
「でもまぁ、いいこともあったね。そのときには気づかなかった些細な幸せも」
二人は顔を見合わせてニカッと笑う。なんてチャーミングなおばあちゃんたちだろう。こんなふうに年を重ねることができたらいいなと花穂は思う。そして、彼女らを見ていると少しだけ、生きることへの恐怖が薄らぐ。
ほっとしたら、なんだか気が緩んで目が潤むのを感じた。花穂は慌ててビスコッティを囓る。ざくざくと嚙むたびに胡桃の香ばしさとオレンジピールのほろ苦さが口の中ではじけた。
「おばあちゃん、ビスコッティおいしい。ジンジャーとアップルのお茶も。わたし、おばあちゃんたちとお茶をするの、大好きだった」
大好き、だった。わざと過去形で言った。楽しい時間と決別するために。
「わたしらも、若い子と話すのは楽しかったよ」
「そうとも。若返った気分だったさ」
しわくちゃの顔で少女のように笑って、二人は揃って花穂を見つめてきた。
「ありがとう、花穂ちゃん」
声を揃えて言う。初めて、名前を呼ばれた――ダメだ、我慢した涙がまた零れそう。
花穂はお茶を飲み干して、立ち上がった。それから深く深くお辞儀をして、おばあちゃんたちに別れを告げた。
彼女らの休暇が、これからも長く続くように。慕わしい笑顔で、ハーブガーデンに迷い込む人を和ませてくれることを祈って。
遅い午後、東屋に向かう途中のおばあちゃんたちに出くわし、花穂は手を振る。
「お嬢ちゃん、出かけてたのかい?」
「ちょっと疲れた顔をしているねぇ」
「おばあちゃんたちはこれからお茶ですか?」
笑顔で応じると、二人の老婆は自慢げにバスケットを掲げて見せた。
「今日はジンジャーとアップルのお茶だよ。はちみつをたっぷり入れて飲むとあったまるよ」
「お菓子は胡桃とオレンジピールのビスコッティだよ。わたしたちにはちょっと固いけど、若い子の歯ならバリバリ食べられるだろう?」
「あ、わたしは今日は……」
マオさんと話をしなくては。ちゃんと、話し合わなくては。
そういう心構えでいたからお茶を楽しむ気分にはなれなくて、断ろうとした。だけどおばあちゃんたちは両側から花穂の手を握って、東屋に引っ張っていく。
「いいから、いいから。どうせ店はお休みだよ」
「昨日から臨時休業だってさ。部屋に籠もって何やらブツブツ呪文を唱えてるよ」
「そう……ですか」
あの魔法使いの部屋で、何か作っているのかな。
「だからマオなんぞほっぽって、寄っておいで。そのうち出てくるからさ」
「そうそう。何事にも終わりはあるんだ。楽しめるときに楽しまないといけないよ」
終わり――そうだ、もう終わりにしないと。こんな中途半端な存在で、生きているのは。
決心しなくては。
ポットからジンジャーとアップルのお茶をカップ三つ分注いで、一つを花穂に渡してくれた。はちみつをひと匙掬うと、もっともっととはやし立てられ、スプーン三杯分を入れてお茶を飲む。
甘くて温かくて、ちょっとだけジンジャーの刺激がピリッとして……強ばっていた気持ちが綻んだ。
「お嬢ちゃんの休養は、そろそろ終わりかねぇ」
「そうだね。人生、休んでばっかりではいられないからね」
二人は顔を見合わせて、頷き合う。
ああ、そうか。ラウレアさんが言っていた、花穂がここに辿り着いた理由。
答えをくれたのはおばあちゃんたちだ。人生には休養が必要だって。
「そう……ですね。ずっとお休みってわけには、いかないですもんね」
「ま、わたしたちはまだまだ、休暇を楽しむさ」
「そりゃあ、そうだよ。これまで長い、ながぁい間、生きてきたんだから」
「嫌なこともたくさんあった。辛いことも、殺したいくらい人を憎んだこともあったさ」
「でもまぁ、いいこともあったね。そのときには気づかなかった些細な幸せも」
二人は顔を見合わせてニカッと笑う。なんてチャーミングなおばあちゃんたちだろう。こんなふうに年を重ねることができたらいいなと花穂は思う。そして、彼女らを見ていると少しだけ、生きることへの恐怖が薄らぐ。
ほっとしたら、なんだか気が緩んで目が潤むのを感じた。花穂は慌ててビスコッティを囓る。ざくざくと嚙むたびに胡桃の香ばしさとオレンジピールのほろ苦さが口の中ではじけた。
「おばあちゃん、ビスコッティおいしい。ジンジャーとアップルのお茶も。わたし、おばあちゃんたちとお茶をするの、大好きだった」
大好き、だった。わざと過去形で言った。楽しい時間と決別するために。
「わたしらも、若い子と話すのは楽しかったよ」
「そうとも。若返った気分だったさ」
しわくちゃの顔で少女のように笑って、二人は揃って花穂を見つめてきた。
「ありがとう、花穂ちゃん」
声を揃えて言う。初めて、名前を呼ばれた――ダメだ、我慢した涙がまた零れそう。
花穂はお茶を飲み干して、立ち上がった。それから深く深くお辞儀をして、おばあちゃんたちに別れを告げた。
彼女らの休暇が、これからも長く続くように。慕わしい笑顔で、ハーブガーデンに迷い込む人を和ませてくれることを祈って。
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