水野勝成 居候報恩記

尾方佐羽

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<勝成ゆかりの場所>

勝成ゆかりの場所(九州編その2)

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◆水野勝成ゆかりの場所(九州編その2)

 はい、前回に引き続き九州編その2です。
 勝成ゆかりの場所として、特に濃いのは熊本県です。その次は彼の最後の出陣になった地、長崎県です。そのふたつを今回書いて九州編を締めたいと思います。

<熊本県>
 熊本県については、「肥後の春を待ち望む」の紹介の部分でも書いています。もし、肥後の国人衆と城の情報を知りたい方は、その中に項目を設けてありますので、ご覧になってみてください。50人以上いますので再掲するには長すぎるのです。
 肥後で勝成が関わった城も多いです。国人一揆の際の城村城(山鹿市)、隅府城(わいふじょう、菊池市)、隅本城(熊本市)はお話にも出しています。
 立花宗茂(当時は左近宗虎)と勝成(六左衛門)が会話するさまを想像するのは激しく楽しかったです。

 さて、勝成と肥後の縁はそれだけではありません。肥後の国人一揆が起こって以降、九州の各地で反乱(一揆)が散発します。少なくとも、国守と来てよそから来た佐々成政を追い出すことができたのですから、勢いがつくのも仕方ありません。佐々成政は有能な武将でしたが、世渡り上手でないというか、ついていなかったな……と世俗的な同情を禁じえないのですが……秀吉の命で九州の各地に入った武将たちはその収拾に追われることになります。
 肥後はその後、小西行長と加藤清正が半分ずつ持つことになります。勝成はそのどちらにも加わって大いに活躍します。

 小西行長のもとで、勝成は志岐・天草の一揆鎮圧に参陣しました。どちらも熊本の天草市ですね。

 有明海に大きく突き出た天草半島は、目と鼻の先の対岸が島原なので、熊本ながら長崎との縁がかなり濃いように思います。地元の方、どうでしょう。

 その後、小西家を離れて勝成は加藤清正に仕えます。加藤清正はこてこての名古屋人ですから、勝成と話が盛り上がったのではないでしょうか。のちに勝成の実妹、かなが清正に嫁ぎますね。
 清正のところでは宇土城(宇土市、熊本市の南方です)の反乱が起こります。勝成も参戦します。

 いずれの反乱(一揆と同じ意味ですが、私は反乱の方が合っているように思います)も収拾しました。勝成はまるで反乱鎮圧隊長のようです。後世言われている、「喧嘩っ早くて飛び出した」だけではなく助っ人従軍の意味合いもあったのかもしれません。だとしたら……だとしても、ここで勝成はふと振り返って自分の立ち位置を考えたかもしれません。

「そうじゃのう……」

 そのずっとずっと後、秀吉も家康もいなくなって、加藤清正が築いた熊本藩は細川家が領することになります。1632年のことです。この引き取り、受け渡し役を勝成が息子の勝俊(長吉、勝重)と一緒にしています。加藤清正はもう20年以上前に亡くなっています。この肥後行きも感慨深いものがあったでしょう。立花宗茂の家臣、十時摂津(とときせっつ)の息子に摂津の消息を尋ねて、「息災です」と言われたことをわざわざ残しているのですから。

 清正に嫁いだ妹かなはこの時勝成に引き取られて福山にしばらく滞在したのちに、京都に移って生涯を終えることになります。

 「肥後の春を待ち望む」にも書きましたが、隈部親養さんのご著書「清和源氏隈部氏代々物語 文献集成」は本当に貴重です。九州平定がどのような性格のものか、「肥後國志」を中心にまとめられており、理解の助けになりました。ここでも紹介させていただきます。

 
<長崎県>
 島原の乱(長崎県島原市)について書かなければいけません。気が重い感じです。あ、長崎ばり好いとうと! 勝成が関わった部分で、ということです。

 少し前振りがいるかな。

 この乱は1637年末に始まり翌年まで続きましたが、このとき勝成はいくつだったと思います?
 73歳です(満年齢)。
 「肥後の春を待ち望む」で立花宗茂がぽつりと回想しているだけしか書いていませんが、この乱はたいへん悲惨な反乱でした。宗茂も70ぐらいのときに島原に行ったのでした。ふたりとも長老です。家光がぜひにと請うたのでしょうね。

 また、さきにも書きましたが、島原は現在の長崎県、そこの一揆に呼応して天草でも戦いの火蓋が切られました。天草はさきにも書いた通り、熊本県です。天草の一揆の頭領がよく知られている天草四郎時貞です。2エリアの合同軍といいましょうか。
 島原の乱というよりは、「有明海の乱」のほうがしっくりくるかもしれません。

 さて、島原の乱の史実から少し離れます。
 これをご覧いただいている方の中には、山田風太郎さんの「魔界転生(てんしょう)」を読まれた方がいるかもしれません。あれは映画にもなっていて、たいへん有名な小説です。私にはグロテスクでした。本を読んでいて吐きそうになったのは、この本と「ゴルディアスの結び目」(小松左京さん)でしょうか。前者は「転生」の、後者は「空間の膨張と消失」のロジック(読者が納得する)を綿密に物語として立てる必要があってグロテスクになっているのだと私は解釈しています。余談。

 「魔界転生」の主役は柳生十兵衛ですが、悪役のひとりは天草四郎時貞です。悪役はもう死んでいて「転生」するわけです。このテーマはアルファ様に投稿されている方には親しみやすいものではないでしょうか。佐藤浩市さんの十兵衛、いいですねえ(私観)。
 「ああ、確かに無念な死を迎えた人の代表格だなあ」と私だけではなく、多くの人が納得するでしょう。「島原の乱」の主導者ですから。

 天草四郎というと、キリシタンのイメージですね。いや、本当にそうなのですが。でも、この反乱は当初、キリシタンの反乱ではなく、領主の松倉氏の苛政に抵抗するものでした。だから、キリシタン弾圧というのはひとつの要素ではありますが、参加していたのはキリシタン以外もいたわけです。松倉氏は……覚えていますか。大坂夏の陣で大和衆として参陣した松倉重政です。その子の代でこの反乱が起こりました。

 勝成にとっては大和方面の仲間だったのです。だから、一も二もなく出陣したでしょう。

 本格的な衝突がはじまったのが1537年12月です。有名な原城の籠城戦です。ここで苦戦した藩と幕府上使の板倉重昌からなる一揆討伐軍は総攻撃をかけますが圧倒的敗北を喫します。討伐軍の犠牲は4000人とも言われ、板倉重昌も討ち死にします。

 そこで翌1538年になって、九州の諸大名と勝成ら福山藩が原城に集結するのです。
 福山藩からは総勢5600、例として柳川の立花宗茂は総勢5500を率いて参陣しています。都合、討伐軍は12万にものぼりました。幕府上使は松平信綱(老中)です……おっと、これでは戦の解説で終わってしまいますね(その方がいいのかな、でも、ゆかりの地なので)。

 勝成さんに説明してもらいましょう。
「2月8日に私と勝俊は船で出立しました。23日、有馬に到着して28日に総攻撃をかけようと軍議していましたが、27日に原城ににわかに火の手が上がり、諸将がわれさきにと突撃していきました。勝俊、私も突撃し一番旗を上げましたが、(城内の抵抗は激しく、福山の勢にも)手負い、討ち死にする者が多数出ました」
(「日向守覚書」より、日は旧暦。意訳さわ)

 本当は「じゃろう」にしたいのですが、将軍家光に献上した文書ですので……ちょっと面白くないですね。

 戦には面白さは必要ないですね。

 ご存知の方も多いと思いますが、原城の籠城軍は極度の飢餓状態に陥っており、この総攻撃で全滅しました。主導者、天草四郎時貞の首はポルトガル商館にさらされたと言われています。

 原城跡(長崎県南島原市)の周辺からは現代も人骨が発見されています。
 そして、その人骨は一体としてきちんと揃うものがないそうです。


 以上、九州編でした。
 さて、次がゆかりの場所最後かと思います。
 愛知県です。

<続く>
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