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◼️番外編 はぐれやさぐれ藤十郎
いとこと伯母の還らぬ時間
しおりを挟む子どもだった国松はすくすくと、予想にたがわず腕白に成長していった。
ただ、彼が成長していく歳月は平時ではない。元号でいうならば永禄から天正にかけて、日本全体が天下統一の大戦に突入していく稀有な動乱の時でもあった。
その先端に織田信長がいる。
尾張と三河を平定し、このときは越前と交戦を控えていた。また、将軍足利義輝が倒れた後、足利義昭を奉じて京都に入り、畿内を射程に定めていた。その張りつめた空気を少年はじきに身近に感じるようになる。そして、憧れの人が全国に名を轟かせていくのをわがことのように喜んでいた。
彼が年長の従兄弟と初めて会ったのは、信元に対面して二年ほど経った頃だった。
国松は書の手習いをしていた。あまりその分野の修養を好まない少年が筆を放り出しかけた時に客人が来たというので、いそいそとして出迎えに飛び出した。
そこには、従兄弟と伯母がいた。
伯母は時おり訪ねてきていたし、従兄弟がいる話も聞いていたが、もっと歳が近いものかと思っていた国松は少し落胆した。一緒に遊べる歳ではなさそうだ。父とさほど変わらないようにも思えた。子どもにとっては、ある程度の年齢を越えた者は皆一様に大人だと解釈するものだ。
すでに国松を知っている父の姉、於大が自分の息子を紹介する。
「国松、こちらが私の子である三河守、徳川家康です。そなたとは、二十以上年齢が離れとるで、いとこというより伯父と言ったほうがよいかもしれませぬな」
国松ははてなという顔をして、問い返す。
「徳川?はて、於大さまは久松だみゃあ、久松ではないのですきゃあも」
於大は子どもの疑問を想定済みだった。
「国松、この子はわたくしの最初の嫁ぎ先の松平家で生まれたが、独り立ちして家を興すことが認められたのです。それが徳川という家。久松とも松平とも違うが、どの家とも縁があるのです。もちろん水野の縁戚でもある」
国松は、分かったような分からないような様子でキョトンとしている。もっとも、少年に一から十まで覚えてもらう必要はない。それはとうに成人している家康もよく承知していた。
「国松どの、お初にお目もじいたす。貴殿の話は母からも、惣兵衛どのからもよう聞いておりますで、先がまことに楽しみなこと。これから幾久しゅう交誼をいただくよう、お願い申す」
子ども向けのあいさつと思えないほど、丁寧な言葉である。一人前に扱われたように思えて、国松はにっこりして同じような言葉を返す。
「三河守どの、きょうしゅくしごくでござる。せっしゃこそ末長くよろしくお願い申す」
これは型通りの挨拶だが、文字通り国松と家康は長く交誼を持つことになるだろう。この時はそれがどのようなものか分かるはずもなかった。
於大だけは二人のやりとりを微笑ましく幸せそうに眺めていた。国松はそれで座を離れたが、於大は甥の後ろ姿を追いながら家康に言う。
「まあ、国松はおまえさまには子ぐらいの年だで、ようしてやってちょうでぇませ」
その言葉に、脇にいた惣兵衛忠重はうーんと思案顔をする。
「姉上、あの子は何と言うたらええんか……放たれた矢のようだで、上手い具合に的に向かえばしめたものだが……その辺りは難儀かもしれませぬ」
「よほど手こずっとる様子だみゃあ。まあ、うまく御されるとよい」と於大は笑う。
すると、障子をすっと開いて国松がひょいと顔を出す。まだ立ち去っていなかったのだ。
「弓矢より、鑓がええで。三間はある鑓。矢よりよほど強い」
於大はきっとした顔で、少年を見る。
「国松、父上の御ことばにちゃちゃを入れるなど、百年早い」
強い伯母の口調に少年は一瞬たじろぐが、負けてはいない。すぐに切って返す。
「百年も経ったら、わしも伯母上ももう生きとらんがや」
於大はつかつかと国松に近寄り、そのほっぺたを思い切りつねった。
「ぎゃっ、痛ってぇ」と国松は顔をしかめて叫ぶ。すると於大は国松に顔を極限まで寄せて低い声で言った。
「今後かような物言いをしたら、もっと痛い目に遭いますで、ゆめゆめお忘れなさるまじ」
目が釣り上がったその形相は鬼のように恐ろしく、さすがの国松もべそをかきながら、「あい、わかりましてございますぅ」と謝るしかない。
叔父と従兄弟のもとから帰る途中、家康はくすくすと笑いながら母に言う。
「いやあ、母上と国松のやりとりはどえりゃあ面白かった。久しぶりに腹の底から笑いましたぞ」
於大は慌てて弁明する。
「あの子は強く言わんと屁とも思わぬ。怖がられるぐらいでちょうどええで」
「わしもあのように、母上に頬を思い切りつねられてみたかった」と家康がつぶやく。
於大は泣き笑いのような不思議な表情になった。しかしすぐ気を取り直して家康の顔を覗き込んだ。
「ほう、いつでも力いっぱいつねらせてもらいましょうぞ」
「くわばらくわばら、薮蛇だもんでいかん」と家康は笑って駆けていった。
於大は駆けていく息子の背中をまぶしく眺めている。供は付いているが息子と二人で外を歩ける喜びを噛みしめていた。なぜなら、つい先頃までそれは夢にも叶わないことだったからだ。
於大は十四の歳に松平広忠に嫁いで、じきに第一子の家康(幼名は竹千代)が生まれた。
女性にとって、初めてのお産というのは一生忘れ得ないものであろう。どんどん大きくなる腹部も、ときどき動き回る胎児の振動も、陣痛が波のように押し寄せるのも、それを上回る産むときの激痛も、通らなければ感じることのできないものである。まだ少女の年齢である於大にとってはなおさら強く感じられたことだろう。
彼女は生まれてきた男児を飽かずに眺める。そうしていると痛みのことなどかき消えていくようだった。
しかし、母子の幸福な時間はあっという間に飛び去っていった。なぜなら、子が数えで三歳のとき、母は家を出ていかなければならなくなったからだ。
於大の兄である水野信元が織田信長と同盟を結んだのがその理由である。三河岡崎城を主城とする松平家は今川氏に臣従していた。今川氏と敵対する織田氏は同様に敵である。そこと結んだ水野氏との縁は早々に断たねばならなかった。そのあおりをまともに食らったのが於大と家康の母子だった。於大は離縁され水野家に戻された。そして、子の家康は松平家に残された。子がいちばん可愛らしく、また母をいちばん恋慕う時分である。
母子が再会するまでには歳月を待たなければならなかった。
於大はしばらく水野忠政の築いた刈屋城下の椎ノ木屋敷に暮らしたのち、久松俊勝に再嫁した。久松家には後添として入ったが、事情をよく承知している俊勝は於大を大切に扱った。
椎ノ木屋敷では悲嘆に暮れていた於大だったが、夫の理解も得て、幼い家康に文を書いたり年頃に合った着物などを送ることも許された。
しかし、家康の方は変転流転に見舞われる。
数えで六歳のときには、今川家に人質に出されることになったが、その途中で織田家の人質に換えられる。さらわれたというのが定説になっている。織田家の家臣の家で二年ほど過ごしたが、今度は父の広忠が亡くなった。そこで家康の行く先が再び取り沙汰される。広忠の嫡子は家康しかいなかったからである。幼き岡崎城主は今川家と織田家の人質交換で、今度は今川の人質になる。交換となったのは織田信秀の長子の信広である。
子どもを人質として預けるのは、この時代の武家では珍しいことではなかったし、有事以外は乱暴に扱われることもなかった。しかしあちこちに移され、実父も死んでしまった家康の不安は相当なものだっただろう。
母の於大は息子の境遇を悲しみ、変わらず文を送っていた。それが寄る辺なき身の家康には大きな慰めになったはずだ。そして、駿河・遠江の太守である今川義元のもとで学ぶことは多かった。武芸はもとより、連歌や能など京の雅な文化、漢籍を学んだりもした。義元の重臣には太原雪斎(たいげんせっさい)という禅僧がおり、各国からも高僧が訪れていた。二度の遣明使を務めたことでも名高い策彦周良(さくげんしゅうりょう)も駿河を訪問し義元と交誼をはかったという。
家康は武士の男子に必要な教養や武芸、たしなみといったものを学ぶことができた。それで寄る辺なさが消えたわけではなかったが、今川家に一人前にしてもらったという感謝はずっと抱いていた。
この間に家康は自身の行く末について縷々考えた。
人質の役目はいつか終わることになる。その時には今川の家臣として岡崎城で生きていくのだろう。松平の嫡子としてその他の道はない。すると母の水野や久松とは戦わないといけない。久松で母は子を産んでいる。もう表向き縁は切れているから、何もためらわなくていい。しかし、今や松平との縁の方がよほど薄く感じる。数えの六つで出てきた城の姿はもうおぼろげになったし、頼るべき父もいない。今川の城代が長く入っている城に、どのような縁が残っているというのだ。
家康がこの時期に考えたことは、その先の変化を乗り切る原動力となった。実際、変化は意外な形で訪れたのである。
永禄三年(一五六〇)の桶狭間の戦い、それが家康の一大転機だった。尾張に侵攻してきた今川勢を織田勢が奇襲で打ち破ったこの戦いの詳細については記さない。結果として、これは織田信長にとって大きな前進となったが、それと同じぐらい家康にとっても大きな転機になったのである。
これで家康は今川家から離れることができたのである。
もちろんすぐにではない。家康が主君今川義元の死の報に触れて切腹しようとしたという話もある。しかし、空になった岡崎城に移ったときに織田と今川のどちらに付くか、思いきった決断をしなければならなくなった。義元の跡を継いだ氏真とのつながりは保っていたものの、三河岡崎を守るために今川より地理的に近い織田に付く方が有利なことは明らかだった。
桶狭間から一年後、家康は水野信元の仲介で織田信長との間で同盟を結ぶ。これを清洲同盟という。
水野信元が仲介をしたのは、政治的な思惑もあっただろう。三河岡崎の領主を取り込めばより磐石な体制が整うのは間違いない。しかし水野信元が出てきたのはそれだけではなかった。一人立ちしたばかりでまだ脆弱な領主である家康の後ろ楯になろうとした。そのような見方もできる。妹の於大と子の家康が引き離されたのも、もとは信元の決断によるのである。
何より、於大がこの段で兄に懇願せずにいられただろうか。もしそうなら、信元が妹の懇願を無下にできただろうか。
いずれにしても、ここで家康は織田信長、水野信元との関わりを持つようになったのである。それから家康は三河の一向一揆を制圧していく中で他の土豪とも結んで自身の基盤を築いていく。名を今川時代の永禄年間の後半までに、家康は東三河と奥三河をほぼ平定し、遠州攻略に取りかかった。その間に家康は出自の松平氏の家系を調べた上で自身の名を「徳川」に改姓した。そして、その名を持って朝廷から「三河守」を命じられた。
この改姓とのちの三河守拝命についてはその根拠から正当性までさまざまな見解があるようだが、ひとつだけいえるのは、家康がまったくしがらみのない新しい家を作ろうとしたということである。松平でも、久松でも、水野でも、もちろん今川でもない家をである。それは、家康の経歴を見れば推し量ることもできるだろう。
さて、家康の生い立ち話が長くなった。
国松と対面した頃、家康は遠州に拠点を移そうと決めたところだった。今川の勢力は弱くなったが、後ろには武田・北条という巨大な象が控えている。それはまるで波のようだ。押せば返し、引けば寄せてくる。ひとつの勢力を廃しても新たな敵がにゅうと表れるのである。
そして、武田・北条と交戦する場合を考えて、より地の利を生かせる場を選んだのだ。
三河の惣兵衛のもとを訪ねたのもその報告をかねてのことだった。母の於大はそれを知って同行したのである。このような機会がなければ母子がともに出かけることはない。いや、これまでは会うことすら叶わなかったのだから、親子にとってはたいへん幸せなことだっただろう。
ここまでは本当に長い道のりだった。
まだ赤子から幼児になりかけのころに別れて、再び会えた頃にはもう子は二十歳を超えていた。それほど間が開いてしまうと、どことなくぎこちなくなってしまう。それは仕方のないことなので、お互い一歩引いた態度を保ち続けているのだ。
国松を気安く叱責する母を見て、家康が羨ましいと思うのは自然なことである。真から妬ましく思うのではない。そのような幼年時代を過ごせなかったことを感傷的に思うのである。
それでも母は常に子のことを思っていたし、子は母の愛を十分に受け止め感謝していた。
叱責されている国松にその人生の機微がまだわかるはずはなかった。
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