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◼️番外編 はぐれやさぐれ藤十郎
甲斐の国で揺れている
しおりを挟む織田信長という大きな存在がいなくなって、事態は混沌とした様相を帯びてきた。他に匹敵する勢力がいない今、誰が織田信長の跡を継ぐかというのが日本中の注視の的だった。信長には討ち死にした信忠のほかに嫡出の男子が十人いる。その中で跡継ぎを決めるのは家臣団で一致していたが、一方で「自身の立場をより高くしたい」という思惑をあらわにする人もいる。
五十里(約二〇〇km)を取って返し明智光秀を倒した中国方面大将の羽柴秀吉。彼は家臣団の中で抜きん出た功績を上げたが、席次まで抜きん出ることに懸念を持つ者もいた。そのような思惑をはらみつつ清洲城での評定、いわゆる清洲会議が開かれた。
この会議の参加者は柴田勝家、丹羽長秀、羽柴秀吉、池田恒興の四人で、滝川一益は間に合わず欠席。徳川家康は委任状を出して欠席していた。
信長の子や孫ではない。
この四人、加えて二人が今後を左右する。
織田信忠の子でまだごくごく幼い三法師が後継者と定められる。直系ということで順当な決定だがまだ幼児である。信長の子の信雄と信孝が後見役に付き、傅役に掘秀政、柴田勝家、丹羽長秀、羽柴秀吉、池田恒興が執権として付くことになる。
執権というのは正式な役ではあるが、鎌倉時代に北条氏が権勢を誇った例を見てもわかるように、天下人(鎌倉時代でいえば将軍)の役を代行でき、万事掌握することもできる立場である。
四人の執権が立っているのだが、三法師を懐かせた上であからさまに執権筆頭になろうと他の懐柔にかかった秀吉と、古参の宿老である柴田勝家の間では鋭い対立が起こる。もちろん、秀吉が欲しいのは執権筆頭以上のものだった。
本能寺から二ヶ月後の天正十年の八月、藤十郎は再び甲斐の地に足を踏み入れていた。
そこは盆地の端っこで、すぐ前に雄大な山並みが広がっている。北方には赤岳、西には甲斐駒ヶ岳、北岳などが見られる。爽快な、心が洗われるような景色だと藤十郎は思う。
「これほどきれいな景色なのに、心はちいとも晴れんがや」と空にぽつりとつぶやく。
武田氏が滅びた後、甲斐の地を巡って北条氏直と織田勢が対立することになった。信長は既に亡くなっているのでこの方面は徳川家康が攻略の担い手となる。武田氏は北条氏との結縁があり、氏直は武田信玄の外孫だった。そのことから武田の遺領を受ける権利があると主張して譲らなかったのである。
このままでいたら相模まで侵攻されるという危機感があっただろう。織田信長がいなくなったことで、家中が弱体化すると見越しての行動だったかもしれない。
今回の戦で藤十郎は父の惣兵衛忠重ではなく家康直属として参陣した。惣兵衛は後から援軍としてやって来るだろう。別行動になった理由は明らかではないが、先頃の感情的なしこりが影響していなかったとはいえない。忠重も藤十郎が手に負えなくなったと感じて、その性分を知っている家康に預けたとするのも考えられることだろう。
氏直は甲斐の若神子城(現在の山梨県北杜市)に本陣を置き、家康勢は新府城(現在の韮崎市)に陣を置いて双方が対峙している。藤十郎は家康の家臣・鳥居元忠の隊に配された。鳥居元忠は家康が今川家にいた頃から側に付いた古参の家臣なので、すでに水野の御曹司の噂は知っている。高天神城でも陣を同じくしている。しかし、それだけに自分の配下となると、はなからやや警戒している様子である。よく言えば気を遣っているとも見えるのだが。
藤十郎はこのところむすっとした表情が張り付いてしまったようだ。礼儀は守るものの、とっつきやすい雰囲気ではない。家康は総大将なので、目をかけつつも側に寄ってくることもない。少し離れてしまえば、兜甲冑の下で細かい表情など分からない。それでも、藤十郎の表情は変わらなかった。
この戦では家康勢が高天神城のときと同様に若神子城への補給路を早々に断ち、氏直を追い詰める。また北条方に付いていた真田昌幸や木曽義昌が翻意して家康方に付くなどの離反もあり、北条方にとって形勢不利になっていく。
そのような中、若神子城から十里(約四〇km)離れた黒駒(現在の笛吹市)に鳥居元忠隊が派遣される。北条氏忠と氏勝の隊が進出していたからである。二人とも北条の一族で氏直の家臣である。
ここで両軍は交戦することになるのだが、藤十郎は思わぬ暴走をしてしまう。
鳥居元忠が攻撃にかかろうと出立する際、藤十郎に知らせなかった。
そして、藤十郎が気づいたときには一行は出発していた。
「いかん、いかんがや」と藤十郎は慌てて身なりを整え在所を飛び出した。馬が一頭、「ひーん」と主に呼びかける。藤十郎は馬を撫でながらさっと跨がる。
なぜわしに知らせないんでや?
怒りの導火線に火が点いていた。
あっという間に元忠の隊に追いつくと、藤十郎は馬に乗ったまま元忠の前に出る。そしてに怒りに任せて啖呵を切った。
「なにゆえわしに知らせず出立したのでや。抜け駆けではないか!」
「知らせとらんかったのか?貴殿はまだ初陣から間もないゆえ、後方で備えとってくれるものと思うたがや」と元忠が返す。しかし、藤十郎はその言に自分がないがしろにされたという感を強くする。いや、癇を強くしたのだ。
元忠をキッと睨み付けた。
「かようなことをされて、信義なぞのうなった。今後一切貴殿の指図は受けぬわっ!」
そう吐き捨てると、馬を駆って味方の勢を通り過ぎ、そのまま敵陣に突っ込んでいく。唖然としていた鳥居元忠もはっと我に返ると、皆に叫んだ。
「行くぞっ!皆、一気にかかれえ!」
藤十郎がはからずも先頭を切ってかかっていったのは北条氏忠の陣だった。藤十郎のすぐ後に三宅康貞という者が続き、二騎で一気に攻め入った。元忠本隊がそれに続く。
この急襲に北条勢は大混乱となる。急報を受けて北条氏勝勢が救援に駆けつけるが、これもバッサバッサと倒されていった。ふたつの隊は逃げるように退却していった。
藤十郎はここでも鑓を振るいまくった。
もう人を殺めることにためらいはなくなっていた。元忠とのいさかいで感情が爆発したというのもある。そして敵しかいないところに一番手で突っ込んでいく興奮も知った。一番鑓とはよくいうが、ひとつの戦で一度しかできないこと。戦うということの醍醐味ではないか。怒ったり興奮したりと忙しいが、この人はそのように考えたのである。
この戦いは『黒駒の戦い』といわれ、甲斐の北条攻め(天正壬午の乱)の中でも特筆すべき快勝となった。以降、九月には藤十郎の父惣兵衛の隊など援軍も到着したのだが、事態は膠着したまま日が過ぎていく。夏の盛りだったのが、もう晩秋になろうとしていた。
その後十月二七日、織田信雄が調停に入る。甲斐・信濃は家康に、上野国(こうづけのくに)は氏直に。家康の娘を氏直に嫁がせる等の和議が整った。このとき北条との交渉役を努めていたのは家康に近侍していた井伊直政だった。本能寺の時に伊賀越えを家康とともにした若武者である。
北条との和議が成立したことを報告すると、家康は安堵の表情を見せて直政を労った。
「真にようやってくれた。これで憂いのもとが晴れたでや」
直政も大役を無事に努めたことに、家康以上に安堵していたようだ。
「身に余るお役目でしたが、つつがなく整い何よりにございました」
家康はうん、うんとうなずきながらもまた思案顔になる。
「いかがされましたか。まだ何か」と直政が尋ねる。
「うむ、内輪の和議もはからんといかんで、いかがしようかと思うてな」
「ああ、鳥居どのと水野どのの若武者の件でございますか」
「さよう、さよう」と家康が答える。
「お屋形さまが万事差配されると思うのですが、機を見て私からも若武者どのに話してみてもよろしいでしょうか」と直政が言う。
家康はパッと目を見開いてそれに賛同する。
「おお、してやってくれ。おぬしなら話せることも多くある」
十月二九日、人質として北条から預かった大道寺孫九郎という人を、人質にせず返すとして北条方まで送り届けることにした。
家康はその送り役に鳥居元忠と水野惣兵衛、藤十郎親子らを充てた。すでに藤十郎には元忠に詫びを入れさせ、元忠もよくない行いだったと応じた。後から参陣した惣兵衛も息子の振る舞いに愕然とし元忠に詫びをいれたが、「もう済んだこと。戦いには勝ったのだし」と気にしていなかった。
その三人をともに行かせることで、後でしこりが残らないようにしようとしたのだ。
北条氏直との交渉はまとまり、あとは帰国するばかりである。
そのようなある朝、藤十郎が宿所でごろんと寝そべっていると突然自分の名を呼ばれた。あまり出くわしたことのない声だったので、藤十郎はふっと起き上がって声の主の居る方角を見た。若い男だった。
見覚えがあると藤十郎は思った。
「お休みのところ失礼いたす。拙者、井伊直政と申す。貴殿と少々話がしたいと思うてな」
藤十郎はハッと思い出した。
家康の側にいつも付いている若者だ。以前は見なかったので、最近出仕したのだろうと思っていた。
「ここでよろしいか」と藤十郎は尋ねる。
「ああ、今は風も穏やかでええ具合だで、外を歩かんか」
藤十郎はささと身なりを整え、直政について外に出る。空気は冷たく陽もまだ低い。辺りの木々が穏やかな風に葉を揺らしている。遠くの山々を仰ぎ見れば朱赤に染まり、青い空と見事な対照をなしている。
藤十郎はぽつりとつぶやくように言う。
「黒駒の……早駆けのことか」
直政はうなずく。
「貴殿はもう、お屋形さまからも惣兵衛どのからもしこたま言われたはずだで、そのような話はせんよ。ただ、これからのことをよう思案した方がええと思うてな」
「これからのこと……」
「無論、これからどうなっていくかなど解るものではない。さような時に何が肝要かといえば、やはり己の軸を持っておくことではないかや。大鑓も、それを扱う人間の軸がぶれとったら使い物にならんがや」
「確かに……今はぶれておるのやもしれん」と藤十郎はうつむく。
「耳が痛いかもしれぬが、貴殿は甘えとる」
穏やかな口調だが鋭い言葉だ。
藤十郎は苦い薬を飲んだときのような表情になる。それを見て直政は話し続ける。
「貴殿はこの上なく恵まれとるのだで。お家は安泰、父母とも健在。病もせず、何不自由なく育ち、今や豪気あふれこの上なく強い武者となった。何も不足しとるもんはない。
その仏頂面はいったいどこから来たのでや。
お屋形さまの生い立ちを聞いたことがあろう。幼いうちに母と生き別れ、父と死別、元服も人質として預けられたところでしてもらう。さような者の寄る辺なさを、貴殿は思うたことがあるか」
藤十郎は何も答えられない。
「わしも貴殿が羨ましゅうて仕方ない。しかし、これはわしに与えられた道だで。それを進むしかない。貴殿もそうだ。己の道を早よ見つけなさるがよい」
一陣の風が二人の頬を撫でて通りすぎていった。
藤十郎は風に揺れる。
揺れない人を見て、揺れている。
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