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放浪者六左衛門、三村家の居候になる
六左衛門を狙うならず者
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ばつの悪さを抱えたまま、六左衛門は日々を過ごしていた。おさんと艶かしい関わりを持ってしまった。それで気が動転している。それに加えて、三村一族を襲った悲運について思えば思うほど、何かもやもやとした気分になるのだった。身体がなまらないよう鑓を振りながも、気はどうしてもそぞろになってしまう。
「おぬしはまだまだ無の境地に達しておらんのう」
六左衛門は鑓の手を止めて、そう言った親成の方を見た。
「無の境地ですか」
「さよう。おぬしはなぜ一番鑓を入れるため駆けるのか、名誉や恩賞か」
「なぜか……わしにもわからん。主家のない根無し草となれば、鑓働きで生きるしかない。それに、うまくは言えぬが、一番鑓を入れんがため駆けているときは、何やら命の火が燃えている気がする」
水を運んできたおとくが思わず言葉をはさんだ。
「それだけ人を殺めるということではございませんか」
親成がおとくのほうを向いて言った。
「おとくのいうことはその通りじゃ。しかし、戦は起こる。起これば勝たねばならぬ。武士というのは、いや戦はどんなにきれい事を言っても戦うのがさだめ。六左のように血気盛んに先を進む者がいなければ、軍は勝てぬ」
「六左様は人を殺めるのがお好きですか」
「いや……」と六左衛門が口ごもる。
「おとく、わしもそうじゃが、戦うのは一種、男の性なのだ。ただいたずらに人を殺めるというばかりではない。みずからも命を危険にさらすものだからこそ、ともに戦った同志は刎頸の友になるという利点もある。六左もそんな出会いをしてきたのだろう。その種の情は女子には理解し難かろうが」
「はい、まったくわかりませぬ」
親成はうなずいた。
「おとくが申すのもわかるのじゃ。わしもおとくも、一族の生き残りじゃからのう。兄弟が、親子が、場合によっては妻や使用人まで討たれる。そのような思いをすれば、太平を世を望むのも当然じゃ。わしも同じ。しかし、人を殺めた業は残る」
「業」と六左衛門はつぶやく。
「わしは身内を見捨て、毛利を取った。一族にとっては仇敵なんじゃ。その咎は生涯負わねばならぬ」
そう言う親成の瞳は澄んでいた。諦め切ったようにも見える静かな表情である。
「お屋形様、恐れながらそれは致し方のないことでございます。今は生き残った方々の世話をされて、領民のために尽くしておりまする。私だってお世話になっておりますけえ」
おとくが一生懸命に語るのを、親成は微笑んで聞いた。
「おまえは本当に健気な娘じゃ」
ずっと腕組みをしていた六左衛門がかっと親成を見た。
「じゃから他の武将のように仏の慈悲は乞わぬと、乞うてはなるまいとひたすら只管打座されておるのか」
「然り」
六左衛門がたまらず吐き捨てるように言う。
「そんなことあるかいやっ、お屋形様のせいではないんじゃ」
親成は遠い目をしていた。
「わしは親宣とも何度も話した。そして、わしらの血筋は終わらせようと決めた。裏切り者として生を全うし、余生は成羽の民と身を寄せてくれる者のために使おうとな。親宣は自分なりに考えて妻を離縁し、子を出家させた。そして成羽と名乗ることにした」
「そこまでせんといけんのか」
「……おぬしはいい。戦に数多走れども、鑓と刀以外、何も背負っとらん。おぬしはいい」
六左衛門は何も言えなかった。
「言うたら三村丸っちゅう船は傾きかけとったけえ、それを何とかしようと必死だったんじゃ。倅には……元親との確執もひっくるめて、わしは何でも話しとったけ、余計に何とかせないけんと思うとったじゃろ。結局は短い人生じゃったのに、つくづく可哀想なことをした。おぬしの父はどうじゃ」
「どたわけ、どたわけとお叱りはたくさんいただいたがのう」
親成はふむふむと頷いた。
「おぬし、太閤殿下から知行を得た時に父親から横鑓を入れられたのではないかと言っておったな。それで西国に流れたと」
「わしは奉公構の身ですけえ」と六左衛門はうなだれたように言う。
「さにあらず。わしがおぬしの父ならば、やはり横鑓を入れる」
「えっ、なぜでしょうや」と驚いて六左衛門は聞き返す。
「太閤はおまえと父の関わりを断とうとしたんじゃ。そして様子を見て後で潰し合いをさせる。今一つ信用できない、かつ手強い相手によく使う手じゃ。そのまま受けておったら、おぬしは使われるだけ使われて、終いに父を攻め滅ぼす先陣を切らされておったやもしれん。父としてできることは、どんな手を使っても止めさせる以外にない。奉公構は方便に決まっとろうが」
「そんなことはちぃとも」
「おぬしの父は分かっておる。そうすればおぬしがまた発奮して、どこぞで名を上げるに違いないとな。また、それを心から願う。そういうもんじゃ」
「そうですかいのう」
「何しろ若年のみぎり、兜もせずに一番鑓を入れて、かすり傷一つ負わなかったのじゃろ。放っておいても死にゃせんと安心しとったのかもしれぬわ」
「それは、眼病で兜が邪魔だったんじゃ」
親成は先日、その話を聞いて大笑いしたのだった。
「従順だろうが、悪党だろうが、子はいつまでも子なんじゃ。請け負うてもよいが、父上は今もおぬしを待っているはずじゃ」
六左衛門は思ってもいなかったことを指摘されて、戸惑っていた。
父がそんなことを考えているとは思ったこともなかった。ただただ自分が憎いばかりだと、そう思いこんでいたからである。胸がざわざわとする心地であった。隠居して弟らの誰かに継がせてしまえばいいのだ、いやいやわしが帰って支えてやらねば……などと頭はやじろべえのように行ったり来たりを繰り返した。
しかし、親成の言葉は身に染みた。
この頃から、成羽の周辺に見慣れない男らが頻繁に現れるようになった。野盗は夜に村外れや山で旅人を襲うのが常であるが、この男らは農家に入って畑を荒らしたり、卵や鳥を盗んだりと猪のような真似をする。猪の仕業でないことは見た者の話で分かったが、食糧の収奪だけでは済まないのではないか、もっとひどいことが起こらねばよいが、と皆が心配した。親成は六左はじめ家中の者に村の警固を命じた。特に夜間は村の境界辺りに多く配置するようにした。
「こんな所まで野盗が集団で入ってくるとは、解せぬがのう。とにかく皆で力を合わせて守るしかない」
敵はすぐに姿を見せた。それも真昼間にである。
ちょうど六左衛門と親良が見回りをしていたところ、木陰から数人が飛び出してきたのである。六左衛門は敵の様子を瞬時に見てとった。六人か、しかも顔をほとんど覆っているところを見ると、ありゃ刺客のようじゃ。なかなか手強い。
親良を後ろに下げて、六左衛門は敵との間合いを取りながら、一人がかかってくるのを待つ。じりじりと近寄りつつ、六左衛門は鑓、相手は刀を中段に構えて睨み合う。すると、「カーン」と金属音が響き刀を構えていた者が思い切り後ろに跳び下がった。六左衛門が二、三歩踏み込んだがそのときにはもう皆逃げ出していた。
親良がすぐに追おうとするのを制止して、「親良殿、深追いは無用じゃ」と低い声で六左衛門が言った。これまで親良が聞いたことのないような、凄みのある声だった。
「しかしあやつ、鉄砲も持っとったぞ」と親良が訴える。
「鉄砲は急襲に対するには向かんが……まぁ刺客じゃの。わしを狙っておったんか」
「白昼堂々と挑発してくるとは、大胆なもんじゃ。それをあっという間に鑓だけで追い払う六左はすごいな」
六左衛門はそれほど楽観的ではない。冷静に分析していた。
「いや、鑓で間合いをとれたから時間を稼げたが、あの退き方を見れば、いずれにしても脅しじゃろう。本当に殺すつもりならば、いくらでもやり方はある。そうなったら、とても太刀打ちできぬ」
「そんなふうには見えんかった」
六左衛門はまだ若い親良を見た。この少年もいつかは三村家の先陣を切って戦に出なければならない。それならば、お手盛りな稽古ではなく実戦にも耐えられる力を身につける必要がある。
「ひとつ教えしてしんぜよう。刀を抜くときはやるかやられるか、必ず決着をつけるということことじゃ。じゃけ、わしは刀をあまり抜かん。戦で正々堂々正面切って戦うのであれば、何が何でも勝とうと思うが、平時無闇に人は斬らぬと決めておる」
「兵法者のような言いようじゃな」と親良が言う。
「そんなに気取ったものではない。己への戒めじゃ」
そういうと、六左衛門は遠い目になった。親良はおそるおそる聞いた。
「六左は戦以外、襲われた時以外に人を殺めたことがあるのか」
六左は親良をじっと見た。
「ある。何度も刀を抜いた。たいていは短気を起こしてな」
「……」
「怖いか。しかし、安心せい。三村家中でそのようなことをするつもりはない」
この男は正直者だ。それは本当に決めているのだろう。
「六左は、女子供を斬ったことはあるか」
「ない。しかしそれはたまたまじゃ。最後まで抵抗する敵の中に女子供がいれば、厭でも斬らねばなるまい。それだけではない……武器を持たぬ民に乱暴狼藉を働く輩も多い。親父殿はよう分かっておるだろうが、どんな大義があっても、所詮戦は非道なものじゃ」
「わしはおぬしが好きじゃ」
親良の言葉に六左衛門は驚いた。
「おぬしは正直者じゃ。それに、根は優しい」
「もったいないお言葉にござりまする」
六左衛門はひょうげた調子で返したが、すぐに真顔になった。
「わしは他所者で、しかも奉公構の身じゃ。それでも快くお抱えいただけたのは身に余ること。皆さまに信頼いただけるよう、つとめなければなりませぬな」
まだ元服前の、親良のあどけない顔を見ていると、どうも調子が狂う。べらべら喋りすぎたと思う。
六左衛門は館に戻ると、さっそく親成に先ほどの件を報告した。
「お屋形様、申し訳ない。ならず者風情を六人ばかり逃してしもうた」
親良が慌てて申し開きをする。
「父上、違うんじゃ。わしは足がすくんでしもうて……六左は悪くないんじゃ」
「親良殿、それは違う。わしゃ殺すつもりじゃった」
「そうじゃの。手練の者に生半可に向かったら間違いなくやられたろうの。睨み合いで済んだならばよい。策を考えねばな。親良を守ってくれたこと、礼を申す」
親成がそれ以上追及することはなく、ならず者連中の出所を調べてみるとだけ言った。
真に聡い御仁じゃ、と感服しながら六左衛門は頭を深々と下げた。こんな片田舎の領主にしておくのはもったいない。もっとも、三村氏一族は備中だけでなく、備前・美作まで手中にした時期があったのだ。きっと親成殿も大いに貢献したのだろう。
一方、親良は居候の鑓構えの見事さに感動していた。あれは本物じゃ。天下無双の武者じゃ。
今まではバカ正直で快活な男ほどにしか思っていなかったのだから、かなり劇的な変化である。
さっそく、翌日から親良は六左衛門に鑓の稽古をつけてもらうこととなった。
「親良殿、あの腰つきではしっかりと前に出られぬ。戦場ではまず、己が身を守る力に加え、味方を守る余裕を身につけることが必要じゃ。攻めるのはその次じゃ。いずれ将となり軍を率いるんじゃからのう」
無謀な戦いをしてきた割に、まともなことを言う。これは自らの父にくどくどと言われていたことだった。今になってそんなことを思い出すとはのう、と六左衛門も苦笑いした。
一方、親成は刺客か野盗なのか判然としない一団について斥侯を出し探っていたところ、それが備前の宇喜多氏の手下であることを突き止めた。しかし、宇喜多の者がなぜ徒党を組んで怪しい動きをしているのか、それはわからない。親成も思案していた。
「なぜだ。成羽は毛利に臣従して久しい。毛利と宇喜多の関係を考えれば、毛利領のこの地で乱暴狼藉をはかるはずがない。おかしいのう。いや、待てよ」
毛利からもなにがしかの疑念を抱かれる覚えはない。ありていに言って、毛利の重鎮、小早川隆景は豊臣秀吉の重臣であるから、その目線は領地の片隅にはない。宇喜多が動いているとすれば別な理由だろう。
親成は六左衛門のことをふと思った。あやつは諸国で鑓働きをしとる。何がしか恨みを買っていることは十分に考えられる。
ついている側近も同様のことを考えたのか、心配そうに言う。
「六左が何か関わっているのでしょうか」
「あやつはいったい何をしてきたんかのう、聞いても肝心なことは言わぬしのう」
親成は鷹揚に構えていたが、きっぱりと言った。
「いずれにしても、家中の者を宇喜多に討たれるような愚は二度と犯すまじ。兄、家親が討たれた時の口惜しさ、今も忘れてはおらん」
六左衛門を放逐することはない、という結論だった。
「毛利から詮議がありましょうか」
「あっても大したことはない。宇喜多が動いているのだとすれば、また別の誰かが噛んでおるやもしれぬ」
別の誰か、そう考えた親成は搦め手から攻めてみることにした。
「いずれにしても、ちぃと手は打っておく方がよかろうのう」と親成はつぶやいた。
親成は吉川広家に書状をしたためた。広家は吉川元春の子で、いま吉川家の当主である。
六左衛門が吉川元春の臨終に居合わせた際、看取った息子、経言その人である。
三男だった彼は結局、兄を二人とも失い、はからずも吉川家の頭領となったのである。親成にとって、毛利一族の中で今も気さくに話ができるのは広家だけである。それに加えて、広家の若くして亡くなった正室は宇喜多秀家の姉であった。今回のことを尋ねるのに、これほど適した人物はいない。親成はすらすらと筆を運んだ。
家中、客分に六左衛門と申す者あり、宇喜多氏より追跡を受けること頻繁である。かつて九州征伐の際、放浪中の六左衛門は豊前小倉城に父君をお連れした。その折、父君が三村の名を告げられた縁から備中にとどまり、当家ひいては毛利家に忠義を尽くしている。当家も大事に六左衛門を遇しておる次第である。宇喜多氏に関わること皆無なり。その点お汲み取りいただき、われら三村の忠心変わらぬことゆめゆめお疑いなきよう。
元春の縁故を誇張した文面ではあるが、訴えかけるにはこれぐらい書かんとな。毛利の調略と比べれば可愛いもんじゃ。親成は文を見返して花押をゆっくりと記した。
この書状は広家に何らかの影響を与えたらしい。広家は六左衛門のことを鮮やかに思い出したからである。父元春の臨終の席にいた者、それだけではない。その直後に勃発した肥後の国衆一揆で一番鑓を果たした六左衛門のことは陣中の誰もが知っていた。
「あの猛者が成羽におるのか」
広家はみずから宇喜田秀家のところに赴き話をすると、親成に返書を書いた。
もっとも、親成が宇喜多秀家や吉川広家に働きかけたことは親良しか知らなかった。六左衛門が知るに至ったのは、親良がぽろっとこぼしたことによる。
「六左は父上にかわいがられておるからのう」
「それはどういうことか」
親良は最近、領内にならず者が現れなくなった理由を話した。諸悪の根源らしい六左衛門はあ然として聞いていた。
「三村に叛意ありと毛利に疑われたら、今度こそ根絶やしにされる。それを誰より分かっておるのがわが父じゃ。どう宇喜多や毛利に頼んだか知れんが、危険な行いであることは間違いない。父はそれほど六左に目をかけておるということじゃ」
親良に言われるまでもなく、それはわかっている。しかし思ったことは言わずにおれない性で、六左衛門はそのまま親成の元へ向かった。
「なぜ、わしのような牢人のためにそこまでするのでしょうや。面倒があるならば、さっさと追い出せばよいものを」
親成は取り掛かっている書状の筆を動かしながら答えた。
「あぁ、おまえが小倉城で警固したこと、広家殿は覚えておったぞ。よろしくと文にあった。宇喜多は吉川と結縁しておるし、その筋の追手はもう来ん。何でおぬしが狙われとったんかはよう分からんがのう」
実は、六左衛門にはおぼろげながら追手の見当がついていた。しかし真偽は確かでないため、口にすることははばかられた。それにしても……。
「わしのためにそこまで」
「わしの頭はその程度には使えるんじゃ。まぁ、おまえは面白い。わしも退屈しないで済む」と、親成は自分の肩をもみながら、にこやかに応えた。
「それだけでござりましょうや」
親成はふと筆の手を止めて六左衛門を見た。そしてきっぱりと言った。
「おまえには犬死にしてほしくないんじゃ」
六左衛門は言葉を失った。静かな声であったが、重い言葉だった。
それ以上聞く必要はなかった。
「お屋形、かたじけない。お礼申し上げる」と六左衛門は深々と頭を下げた。
「おぉ、鑓の六左が殊勝なことを」
「からかわれますな」
ははは、と笑いながら親成は居候の顔をまっすぐ見る。
「六左、粗相は種々あったにせよ、諸国を長く、くまなく回ったおぬしの経験、人との解逅は決して無駄にはならぬと思う。ただやはり、さきほどの追手云々の話はともかくとして、おぬしが十年、二十年後にどうしていたいか、どのような人生を送りたいか思案するときが来ているのではないのか」
「十年二十年後……想像もつきませぬが」と六左衛門は空を仰ぐ。
「確かにこの乱世、思った通りに行くものではない。だからこそ、世の趨勢に左右されぬだけの信念が必要じゃ。そのような強い芯があれば、正道を進めよう」
「正道」
「おぬしは運がある。六左よ、それは何のための運じゃ」と親成は問う。
六左衛門は口を真横に結んで、噛み締めるような顔をする。
「それは……まだ分かりませぬ。分かりませぬが、ひとつ言えることは、放浪の果て、成羽に迎えていただいたことは自身随一の幸せということでござる」
「そうか、それは運というよりは縁じゃな」と親成はうなずいた。
六左衛門は三村家でこれまでの放浪生活とは全く異なる日々を送っている。
生国にいたときも、他家に仕官していたときもその基本は鑓働きであった。戦や一揆はいたるところで勃発しているから、どの家もまず戦で十分に働ける者を求める。豊臣秀吉の全国統一が成った後も、唐入りに出す人員として多くの牢人が仕官して渡海していた。しかし、三村越前守親成は六左衛門を客分――居候のことだが――として召し抱えた。唐にも出すことはなかった。周囲の混沌とした状況とは対照的に、平穏な日々が続いていたのである。
六左衛門は出兵して手薄になった成羽城下の警固を担っている。それを兼ねて近在の村を回り民の要望を聞く。普請や修繕が必要な場所が分かることもある。
「六左様、この前の大雨で橋が壊れとるんじゃ」
そんな声を聞くと、彼は視察した上で親成に報告する。親成は必要な人員を集め六左衛門を指揮役にし一気に修繕させる。彼は陽気に振舞いながら、皆を統率するのが上手だった。こうして民に直接接しているうちに六左衛門は皆から親しみを持って話しかけられるようになった。
皆は彼が鑓の使い手で剣の腕も確かなことを、野盗をバッサバサと倒したことを知っている。はじめは「鑓の六左」、「鬼六左」などと陰で呼ばれ皆怖れてもいたのだが、今では皆本人の面前で堂々とからかうほどである。これは親成のはからいであった。
戦えば無敵である。身体にも傷はほとんどない。やられる前にやるからだ。しかし明朗な性格ながら気性荒く、すぐに身内で切った張ったの沙汰に及んで出奔するのが六左衛門の常であった。だからこそ戦場で珍重されるのだろうが、周囲と軋轢を繰り返すばかりではいつか討ち死にか、野垂れ死にするしかない。
ここを出たらまた戦働きしか任されぬ。親成はそれをもったいないことだと思っていた。あやつの器はそんなものではないはずじゃ。乱暴な武者から一歩踏み出るために、一軍の将も平時は家臣や民を束ね、領国を治めることに腐心していることを知らねばなるまい。この片田舎でなにがしかを学んでもらうべきじゃ。
息子の親宣を亡くして生きる気力すら失いかけた親成は、このことに新たな情熱を見出すようになった。
そして、六左衛門によって心を動かされた者はもう一人いた。
おさんである。
彼女は六左衛門と一夜の契りを交わし、決定的な恋の病におちてしまった。肌を許す気になった時点で恋は始まっていたのだろうが、それは重くなるばかりである。気が付くと六左衛門のそばに行き、そうでなければ物思いに耽ることが増えた。本来の病は影をひそめているようだ。青白かった顔も血色がよくなり、一段と輝いているように見える。何より、その視線は雄弁であった。六左衛門を見つめる目はいつも熱っぽく潤んでいたのである。
おとくは一番側にいるのだから、それに気づかないはずがない。きよも同様に気づいている。きよは娘ほどに大切なおさんの恋を喜ばしく感じていたが、相手については心配していた。六左衛門がおさんを慕っている様子が見られなかったからである。
結局、惚れた腫れたは本人同士のことなので、皆見守るしかなかった。
「おぬしはまだまだ無の境地に達しておらんのう」
六左衛門は鑓の手を止めて、そう言った親成の方を見た。
「無の境地ですか」
「さよう。おぬしはなぜ一番鑓を入れるため駆けるのか、名誉や恩賞か」
「なぜか……わしにもわからん。主家のない根無し草となれば、鑓働きで生きるしかない。それに、うまくは言えぬが、一番鑓を入れんがため駆けているときは、何やら命の火が燃えている気がする」
水を運んできたおとくが思わず言葉をはさんだ。
「それだけ人を殺めるということではございませんか」
親成がおとくのほうを向いて言った。
「おとくのいうことはその通りじゃ。しかし、戦は起こる。起これば勝たねばならぬ。武士というのは、いや戦はどんなにきれい事を言っても戦うのがさだめ。六左のように血気盛んに先を進む者がいなければ、軍は勝てぬ」
「六左様は人を殺めるのがお好きですか」
「いや……」と六左衛門が口ごもる。
「おとく、わしもそうじゃが、戦うのは一種、男の性なのだ。ただいたずらに人を殺めるというばかりではない。みずからも命を危険にさらすものだからこそ、ともに戦った同志は刎頸の友になるという利点もある。六左もそんな出会いをしてきたのだろう。その種の情は女子には理解し難かろうが」
「はい、まったくわかりませぬ」
親成はうなずいた。
「おとくが申すのもわかるのじゃ。わしもおとくも、一族の生き残りじゃからのう。兄弟が、親子が、場合によっては妻や使用人まで討たれる。そのような思いをすれば、太平を世を望むのも当然じゃ。わしも同じ。しかし、人を殺めた業は残る」
「業」と六左衛門はつぶやく。
「わしは身内を見捨て、毛利を取った。一族にとっては仇敵なんじゃ。その咎は生涯負わねばならぬ」
そう言う親成の瞳は澄んでいた。諦め切ったようにも見える静かな表情である。
「お屋形様、恐れながらそれは致し方のないことでございます。今は生き残った方々の世話をされて、領民のために尽くしておりまする。私だってお世話になっておりますけえ」
おとくが一生懸命に語るのを、親成は微笑んで聞いた。
「おまえは本当に健気な娘じゃ」
ずっと腕組みをしていた六左衛門がかっと親成を見た。
「じゃから他の武将のように仏の慈悲は乞わぬと、乞うてはなるまいとひたすら只管打座されておるのか」
「然り」
六左衛門がたまらず吐き捨てるように言う。
「そんなことあるかいやっ、お屋形様のせいではないんじゃ」
親成は遠い目をしていた。
「わしは親宣とも何度も話した。そして、わしらの血筋は終わらせようと決めた。裏切り者として生を全うし、余生は成羽の民と身を寄せてくれる者のために使おうとな。親宣は自分なりに考えて妻を離縁し、子を出家させた。そして成羽と名乗ることにした」
「そこまでせんといけんのか」
「……おぬしはいい。戦に数多走れども、鑓と刀以外、何も背負っとらん。おぬしはいい」
六左衛門は何も言えなかった。
「言うたら三村丸っちゅう船は傾きかけとったけえ、それを何とかしようと必死だったんじゃ。倅には……元親との確執もひっくるめて、わしは何でも話しとったけ、余計に何とかせないけんと思うとったじゃろ。結局は短い人生じゃったのに、つくづく可哀想なことをした。おぬしの父はどうじゃ」
「どたわけ、どたわけとお叱りはたくさんいただいたがのう」
親成はふむふむと頷いた。
「おぬし、太閤殿下から知行を得た時に父親から横鑓を入れられたのではないかと言っておったな。それで西国に流れたと」
「わしは奉公構の身ですけえ」と六左衛門はうなだれたように言う。
「さにあらず。わしがおぬしの父ならば、やはり横鑓を入れる」
「えっ、なぜでしょうや」と驚いて六左衛門は聞き返す。
「太閤はおまえと父の関わりを断とうとしたんじゃ。そして様子を見て後で潰し合いをさせる。今一つ信用できない、かつ手強い相手によく使う手じゃ。そのまま受けておったら、おぬしは使われるだけ使われて、終いに父を攻め滅ぼす先陣を切らされておったやもしれん。父としてできることは、どんな手を使っても止めさせる以外にない。奉公構は方便に決まっとろうが」
「そんなことはちぃとも」
「おぬしの父は分かっておる。そうすればおぬしがまた発奮して、どこぞで名を上げるに違いないとな。また、それを心から願う。そういうもんじゃ」
「そうですかいのう」
「何しろ若年のみぎり、兜もせずに一番鑓を入れて、かすり傷一つ負わなかったのじゃろ。放っておいても死にゃせんと安心しとったのかもしれぬわ」
「それは、眼病で兜が邪魔だったんじゃ」
親成は先日、その話を聞いて大笑いしたのだった。
「従順だろうが、悪党だろうが、子はいつまでも子なんじゃ。請け負うてもよいが、父上は今もおぬしを待っているはずじゃ」
六左衛門は思ってもいなかったことを指摘されて、戸惑っていた。
父がそんなことを考えているとは思ったこともなかった。ただただ自分が憎いばかりだと、そう思いこんでいたからである。胸がざわざわとする心地であった。隠居して弟らの誰かに継がせてしまえばいいのだ、いやいやわしが帰って支えてやらねば……などと頭はやじろべえのように行ったり来たりを繰り返した。
しかし、親成の言葉は身に染みた。
この頃から、成羽の周辺に見慣れない男らが頻繁に現れるようになった。野盗は夜に村外れや山で旅人を襲うのが常であるが、この男らは農家に入って畑を荒らしたり、卵や鳥を盗んだりと猪のような真似をする。猪の仕業でないことは見た者の話で分かったが、食糧の収奪だけでは済まないのではないか、もっとひどいことが起こらねばよいが、と皆が心配した。親成は六左はじめ家中の者に村の警固を命じた。特に夜間は村の境界辺りに多く配置するようにした。
「こんな所まで野盗が集団で入ってくるとは、解せぬがのう。とにかく皆で力を合わせて守るしかない」
敵はすぐに姿を見せた。それも真昼間にである。
ちょうど六左衛門と親良が見回りをしていたところ、木陰から数人が飛び出してきたのである。六左衛門は敵の様子を瞬時に見てとった。六人か、しかも顔をほとんど覆っているところを見ると、ありゃ刺客のようじゃ。なかなか手強い。
親良を後ろに下げて、六左衛門は敵との間合いを取りながら、一人がかかってくるのを待つ。じりじりと近寄りつつ、六左衛門は鑓、相手は刀を中段に構えて睨み合う。すると、「カーン」と金属音が響き刀を構えていた者が思い切り後ろに跳び下がった。六左衛門が二、三歩踏み込んだがそのときにはもう皆逃げ出していた。
親良がすぐに追おうとするのを制止して、「親良殿、深追いは無用じゃ」と低い声で六左衛門が言った。これまで親良が聞いたことのないような、凄みのある声だった。
「しかしあやつ、鉄砲も持っとったぞ」と親良が訴える。
「鉄砲は急襲に対するには向かんが……まぁ刺客じゃの。わしを狙っておったんか」
「白昼堂々と挑発してくるとは、大胆なもんじゃ。それをあっという間に鑓だけで追い払う六左はすごいな」
六左衛門はそれほど楽観的ではない。冷静に分析していた。
「いや、鑓で間合いをとれたから時間を稼げたが、あの退き方を見れば、いずれにしても脅しじゃろう。本当に殺すつもりならば、いくらでもやり方はある。そうなったら、とても太刀打ちできぬ」
「そんなふうには見えんかった」
六左衛門はまだ若い親良を見た。この少年もいつかは三村家の先陣を切って戦に出なければならない。それならば、お手盛りな稽古ではなく実戦にも耐えられる力を身につける必要がある。
「ひとつ教えしてしんぜよう。刀を抜くときはやるかやられるか、必ず決着をつけるということことじゃ。じゃけ、わしは刀をあまり抜かん。戦で正々堂々正面切って戦うのであれば、何が何でも勝とうと思うが、平時無闇に人は斬らぬと決めておる」
「兵法者のような言いようじゃな」と親良が言う。
「そんなに気取ったものではない。己への戒めじゃ」
そういうと、六左衛門は遠い目になった。親良はおそるおそる聞いた。
「六左は戦以外、襲われた時以外に人を殺めたことがあるのか」
六左は親良をじっと見た。
「ある。何度も刀を抜いた。たいていは短気を起こしてな」
「……」
「怖いか。しかし、安心せい。三村家中でそのようなことをするつもりはない」
この男は正直者だ。それは本当に決めているのだろう。
「六左は、女子供を斬ったことはあるか」
「ない。しかしそれはたまたまじゃ。最後まで抵抗する敵の中に女子供がいれば、厭でも斬らねばなるまい。それだけではない……武器を持たぬ民に乱暴狼藉を働く輩も多い。親父殿はよう分かっておるだろうが、どんな大義があっても、所詮戦は非道なものじゃ」
「わしはおぬしが好きじゃ」
親良の言葉に六左衛門は驚いた。
「おぬしは正直者じゃ。それに、根は優しい」
「もったいないお言葉にござりまする」
六左衛門はひょうげた調子で返したが、すぐに真顔になった。
「わしは他所者で、しかも奉公構の身じゃ。それでも快くお抱えいただけたのは身に余ること。皆さまに信頼いただけるよう、つとめなければなりませぬな」
まだ元服前の、親良のあどけない顔を見ていると、どうも調子が狂う。べらべら喋りすぎたと思う。
六左衛門は館に戻ると、さっそく親成に先ほどの件を報告した。
「お屋形様、申し訳ない。ならず者風情を六人ばかり逃してしもうた」
親良が慌てて申し開きをする。
「父上、違うんじゃ。わしは足がすくんでしもうて……六左は悪くないんじゃ」
「親良殿、それは違う。わしゃ殺すつもりじゃった」
「そうじゃの。手練の者に生半可に向かったら間違いなくやられたろうの。睨み合いで済んだならばよい。策を考えねばな。親良を守ってくれたこと、礼を申す」
親成がそれ以上追及することはなく、ならず者連中の出所を調べてみるとだけ言った。
真に聡い御仁じゃ、と感服しながら六左衛門は頭を深々と下げた。こんな片田舎の領主にしておくのはもったいない。もっとも、三村氏一族は備中だけでなく、備前・美作まで手中にした時期があったのだ。きっと親成殿も大いに貢献したのだろう。
一方、親良は居候の鑓構えの見事さに感動していた。あれは本物じゃ。天下無双の武者じゃ。
今まではバカ正直で快活な男ほどにしか思っていなかったのだから、かなり劇的な変化である。
さっそく、翌日から親良は六左衛門に鑓の稽古をつけてもらうこととなった。
「親良殿、あの腰つきではしっかりと前に出られぬ。戦場ではまず、己が身を守る力に加え、味方を守る余裕を身につけることが必要じゃ。攻めるのはその次じゃ。いずれ将となり軍を率いるんじゃからのう」
無謀な戦いをしてきた割に、まともなことを言う。これは自らの父にくどくどと言われていたことだった。今になってそんなことを思い出すとはのう、と六左衛門も苦笑いした。
一方、親成は刺客か野盗なのか判然としない一団について斥侯を出し探っていたところ、それが備前の宇喜多氏の手下であることを突き止めた。しかし、宇喜多の者がなぜ徒党を組んで怪しい動きをしているのか、それはわからない。親成も思案していた。
「なぜだ。成羽は毛利に臣従して久しい。毛利と宇喜多の関係を考えれば、毛利領のこの地で乱暴狼藉をはかるはずがない。おかしいのう。いや、待てよ」
毛利からもなにがしかの疑念を抱かれる覚えはない。ありていに言って、毛利の重鎮、小早川隆景は豊臣秀吉の重臣であるから、その目線は領地の片隅にはない。宇喜多が動いているとすれば別な理由だろう。
親成は六左衛門のことをふと思った。あやつは諸国で鑓働きをしとる。何がしか恨みを買っていることは十分に考えられる。
ついている側近も同様のことを考えたのか、心配そうに言う。
「六左が何か関わっているのでしょうか」
「あやつはいったい何をしてきたんかのう、聞いても肝心なことは言わぬしのう」
親成は鷹揚に構えていたが、きっぱりと言った。
「いずれにしても、家中の者を宇喜多に討たれるような愚は二度と犯すまじ。兄、家親が討たれた時の口惜しさ、今も忘れてはおらん」
六左衛門を放逐することはない、という結論だった。
「毛利から詮議がありましょうか」
「あっても大したことはない。宇喜多が動いているのだとすれば、また別の誰かが噛んでおるやもしれぬ」
別の誰か、そう考えた親成は搦め手から攻めてみることにした。
「いずれにしても、ちぃと手は打っておく方がよかろうのう」と親成はつぶやいた。
親成は吉川広家に書状をしたためた。広家は吉川元春の子で、いま吉川家の当主である。
六左衛門が吉川元春の臨終に居合わせた際、看取った息子、経言その人である。
三男だった彼は結局、兄を二人とも失い、はからずも吉川家の頭領となったのである。親成にとって、毛利一族の中で今も気さくに話ができるのは広家だけである。それに加えて、広家の若くして亡くなった正室は宇喜多秀家の姉であった。今回のことを尋ねるのに、これほど適した人物はいない。親成はすらすらと筆を運んだ。
家中、客分に六左衛門と申す者あり、宇喜多氏より追跡を受けること頻繁である。かつて九州征伐の際、放浪中の六左衛門は豊前小倉城に父君をお連れした。その折、父君が三村の名を告げられた縁から備中にとどまり、当家ひいては毛利家に忠義を尽くしている。当家も大事に六左衛門を遇しておる次第である。宇喜多氏に関わること皆無なり。その点お汲み取りいただき、われら三村の忠心変わらぬことゆめゆめお疑いなきよう。
元春の縁故を誇張した文面ではあるが、訴えかけるにはこれぐらい書かんとな。毛利の調略と比べれば可愛いもんじゃ。親成は文を見返して花押をゆっくりと記した。
この書状は広家に何らかの影響を与えたらしい。広家は六左衛門のことを鮮やかに思い出したからである。父元春の臨終の席にいた者、それだけではない。その直後に勃発した肥後の国衆一揆で一番鑓を果たした六左衛門のことは陣中の誰もが知っていた。
「あの猛者が成羽におるのか」
広家はみずから宇喜田秀家のところに赴き話をすると、親成に返書を書いた。
もっとも、親成が宇喜多秀家や吉川広家に働きかけたことは親良しか知らなかった。六左衛門が知るに至ったのは、親良がぽろっとこぼしたことによる。
「六左は父上にかわいがられておるからのう」
「それはどういうことか」
親良は最近、領内にならず者が現れなくなった理由を話した。諸悪の根源らしい六左衛門はあ然として聞いていた。
「三村に叛意ありと毛利に疑われたら、今度こそ根絶やしにされる。それを誰より分かっておるのがわが父じゃ。どう宇喜多や毛利に頼んだか知れんが、危険な行いであることは間違いない。父はそれほど六左に目をかけておるということじゃ」
親良に言われるまでもなく、それはわかっている。しかし思ったことは言わずにおれない性で、六左衛門はそのまま親成の元へ向かった。
「なぜ、わしのような牢人のためにそこまでするのでしょうや。面倒があるならば、さっさと追い出せばよいものを」
親成は取り掛かっている書状の筆を動かしながら答えた。
「あぁ、おまえが小倉城で警固したこと、広家殿は覚えておったぞ。よろしくと文にあった。宇喜多は吉川と結縁しておるし、その筋の追手はもう来ん。何でおぬしが狙われとったんかはよう分からんがのう」
実は、六左衛門にはおぼろげながら追手の見当がついていた。しかし真偽は確かでないため、口にすることははばかられた。それにしても……。
「わしのためにそこまで」
「わしの頭はその程度には使えるんじゃ。まぁ、おまえは面白い。わしも退屈しないで済む」と、親成は自分の肩をもみながら、にこやかに応えた。
「それだけでござりましょうや」
親成はふと筆の手を止めて六左衛門を見た。そしてきっぱりと言った。
「おまえには犬死にしてほしくないんじゃ」
六左衛門は言葉を失った。静かな声であったが、重い言葉だった。
それ以上聞く必要はなかった。
「お屋形、かたじけない。お礼申し上げる」と六左衛門は深々と頭を下げた。
「おぉ、鑓の六左が殊勝なことを」
「からかわれますな」
ははは、と笑いながら親成は居候の顔をまっすぐ見る。
「六左、粗相は種々あったにせよ、諸国を長く、くまなく回ったおぬしの経験、人との解逅は決して無駄にはならぬと思う。ただやはり、さきほどの追手云々の話はともかくとして、おぬしが十年、二十年後にどうしていたいか、どのような人生を送りたいか思案するときが来ているのではないのか」
「十年二十年後……想像もつきませぬが」と六左衛門は空を仰ぐ。
「確かにこの乱世、思った通りに行くものではない。だからこそ、世の趨勢に左右されぬだけの信念が必要じゃ。そのような強い芯があれば、正道を進めよう」
「正道」
「おぬしは運がある。六左よ、それは何のための運じゃ」と親成は問う。
六左衛門は口を真横に結んで、噛み締めるような顔をする。
「それは……まだ分かりませぬ。分かりませぬが、ひとつ言えることは、放浪の果て、成羽に迎えていただいたことは自身随一の幸せということでござる」
「そうか、それは運というよりは縁じゃな」と親成はうなずいた。
六左衛門は三村家でこれまでの放浪生活とは全く異なる日々を送っている。
生国にいたときも、他家に仕官していたときもその基本は鑓働きであった。戦や一揆はいたるところで勃発しているから、どの家もまず戦で十分に働ける者を求める。豊臣秀吉の全国統一が成った後も、唐入りに出す人員として多くの牢人が仕官して渡海していた。しかし、三村越前守親成は六左衛門を客分――居候のことだが――として召し抱えた。唐にも出すことはなかった。周囲の混沌とした状況とは対照的に、平穏な日々が続いていたのである。
六左衛門は出兵して手薄になった成羽城下の警固を担っている。それを兼ねて近在の村を回り民の要望を聞く。普請や修繕が必要な場所が分かることもある。
「六左様、この前の大雨で橋が壊れとるんじゃ」
そんな声を聞くと、彼は視察した上で親成に報告する。親成は必要な人員を集め六左衛門を指揮役にし一気に修繕させる。彼は陽気に振舞いながら、皆を統率するのが上手だった。こうして民に直接接しているうちに六左衛門は皆から親しみを持って話しかけられるようになった。
皆は彼が鑓の使い手で剣の腕も確かなことを、野盗をバッサバサと倒したことを知っている。はじめは「鑓の六左」、「鬼六左」などと陰で呼ばれ皆怖れてもいたのだが、今では皆本人の面前で堂々とからかうほどである。これは親成のはからいであった。
戦えば無敵である。身体にも傷はほとんどない。やられる前にやるからだ。しかし明朗な性格ながら気性荒く、すぐに身内で切った張ったの沙汰に及んで出奔するのが六左衛門の常であった。だからこそ戦場で珍重されるのだろうが、周囲と軋轢を繰り返すばかりではいつか討ち死にか、野垂れ死にするしかない。
ここを出たらまた戦働きしか任されぬ。親成はそれをもったいないことだと思っていた。あやつの器はそんなものではないはずじゃ。乱暴な武者から一歩踏み出るために、一軍の将も平時は家臣や民を束ね、領国を治めることに腐心していることを知らねばなるまい。この片田舎でなにがしかを学んでもらうべきじゃ。
息子の親宣を亡くして生きる気力すら失いかけた親成は、このことに新たな情熱を見出すようになった。
そして、六左衛門によって心を動かされた者はもう一人いた。
おさんである。
彼女は六左衛門と一夜の契りを交わし、決定的な恋の病におちてしまった。肌を許す気になった時点で恋は始まっていたのだろうが、それは重くなるばかりである。気が付くと六左衛門のそばに行き、そうでなければ物思いに耽ることが増えた。本来の病は影をひそめているようだ。青白かった顔も血色がよくなり、一段と輝いているように見える。何より、その視線は雄弁であった。六左衛門を見つめる目はいつも熱っぽく潤んでいたのである。
おとくは一番側にいるのだから、それに気づかないはずがない。きよも同様に気づいている。きよは娘ほどに大切なおさんの恋を喜ばしく感じていたが、相手については心配していた。六左衛門がおさんを慕っている様子が見られなかったからである。
結局、惚れた腫れたは本人同士のことなので、皆見守るしかなかった。
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