鎌倉もののふがたり

尾方佐羽

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第二章 頼朝も知らぬこと 長江義景と三輪

夫婦は海の社にいく

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 三輪が御所から自宅に下がったのは正月の三日だった。
 頼朝の妻、政子が引き留めたこともあったので、年を越すまでは詰めていたのだ。ただ、その後の出仕は控えさせてほしいと依願し、しばらく家に控えることになった。当然正月の祭事など一切なく、祈祷や経の音ばかりが鎌倉じゅうに響いている。

 三輪は御家人である長江義景の妻であり、三浦義澄の妹である。
 義澄、三輪きょうだいの父は三浦介義明、相模国の東にあたる半島(現在の三浦半島)全域に勢力を広げる豪族だ。頼朝の東国武士挙兵の求めに応じて早々に参じた一党の長である。ここは頼朝が本拠を置く鎌倉に最も近いが、大倉府を開くのも三浦氏の助力がなければ決して叶わないことだっただろう。
 三浦介義明は頼朝の父、源義朝が相模国に勢力を広げたときの協力者でもある。その由縁もあり子の頼朝にもすぐ手を貸したのだ。この人はたいへん長命で八十九歳まで生きたが、その最期は老衰ではない。主城の衣笠城(現在の神奈川県横須賀市)で合戦となった際、一族を逃した後盾になって討ち死にしたのである。
 まさに「もののふ」の名に違わぬ死に様だった。
 義明亡き後は義澄が三浦の一党を率いている。この頃には頼朝の妻政子の父である北条時政、梶原景時、さきに挙げた畠山重忠などと並ぶ御家人衆の筆頭格となっている。
 三浦氏の一族、そして縁を結んだ者たちは皆、「三浦党」として結集し堅固なつながりを持つ。三輪の嫁いだ長江家もその列に加わっている。
 長江義景はもともと、「鎌倉」という地名のもとになった豪族、鎌倉氏の一族だ。そして義景は半島に所領を得てから地名の長江(長柄)に姓を変えた。この頃は家を継ぐ者以外、生家の姓を受け継がずに所領の名を苗字とする例が多かった。

 長江の屋敷は大倉御所から15里(約8キロ)ほど半島を下った山間の地にある。御所から小山の続く細い道を南に上り下りして進んでいくと田浦(現在の横須賀市田浦、半島の東京湾側)に抜ける道に行き当たる。三浦党が古くから行き来している交通の要所であるが、そこに屋敷があるのだ。

 三輪は途中で岩に腰かけて一休みする。
 そこは高台になっているのでたいへん見晴らしがいい。三輪のお気に入りの場所だ。木々の向こうにかすかながら相模湾が見下ろせる。
 空は曇っているがまだ明るい。時おり陽光がぼんやりと現れ、海面をきらきらと輝かせている。三輪はそれをちらりと見る。そして、ふぅとひとつため息をついて、また歩き始める。

 そこから屋敷はさほど離れていない。
 三輪は木戸をくぐる。
 長江の屋敷は広いが豪奢なものではない。板塀(いたべい)に木戸の入口を抜けると、入って右手に小さな離れがあり、その奥に馬をつないでいる。左奥には平屋の母屋がある。その手前には小さな畑のある庭があり、にわとりも飼っている。

 夫の太郎義景が妻を迎えた。
「お帰り、下がってきたか。武衛さまのご様子はいかがか」
 三輪は市女笠(いちめがさ)を外すと、首を横に振る。
「いいえ、まだずっと眠っておられます」
「そうか、目を覚ましてくださるとよいのだが……」と夫はつぶやく。
 三輪もうなずきながら母屋を見渡す。すべてが整然と片付けられている。義景はちょうど愛用の弓をきれいに拭いていたらしい。一式が整然とした部屋の中に並べられていた。
 彼女は普段御所に詰めているので、炊事や掃除などは年配の使用人が担っている。それにしても、これまで見たことがないほどきれいに片付いていた。それがどのような意味を持つか、三輪には痛いほどわかる。

「御台さまには申し上げました。お止めくださいましたが」
 妻の言葉に義景はうなずく。
「御台さまはそうおっしゃるだろう。しかしもう、義兄(あに)上には了承を得た。ときがきたら、われら側についた10人、皆後に続くと」

 三輪は夫に優しい声で告げる。
「明日、明神さまに武衛(ぶえい、源頼朝のこと)さまの本復祈願に参りましょう」
「家に控えておったほうがよいのではないか」と夫は目を見開く。
「お参りしている方が気が紛れるかと存じます」と悲しげに三輪は微笑む。
「そうだな……よい考えだ」と夫はうなずく。
 それから三人の息子たちも母を出迎え、女中が用意していた食事をとる。この辺りは海の近くなので魚が豊富だ。とれたての魚介が膳に上がることも多い。この日も鯵(あじ)を焼いたものが出されていた。木戸をくぐる前からいい香りがしていた、と三輪は思い出し家族と手を合わせていただく。
 このようなありふれた日常もあと少しで終わるのだろう。
 大切にして過ごさなければならない、と思う。

 翌日から、夫妻は杜戸(森戸)大明神に祈願に訪れる時のみ、外に出ることにした。山を下れば歩いてもそう遠くはない。海に向かうのだ。
 通り道の一帯には縁者の住む館がいくつもあるが、そこに立ち寄ることはない。また、すれ違っても会釈をするだけで話すことはない。皆も今が常ならざる状態であることを承知しているのだ。

 ふと、道の脇にある馬場の厩(うまや)が目に入る。
 馬がのんびりと飼葉を食んでいる。

 いつもならばこの馬たちも、御所か鶴岡八幡宮に引き立てられているはずなのに。
 三輪はつながれている馬の姿を見て寂しく思う。
「杜戸と言えば、亀の前さまのことを思い出すな。あれはもう、何年前のことだったか」
「16年経ちました」
「そうか、あの時にはおまえにずいぶん酷な役目をさせてしまったが……まことに御台さまに問い質されたりすることはなかったのか」
「はい、一度もございませんでした」
「そうか……ならばよいのだが……あの件では義兄上もずいぶん悩まれていたのだ。北条からにらまれておったし……」
「はい……」と三輪は呟くように言う。少し考え込んでいるようだ。

 大明神の本殿は海を拝するように建っている。参道は平坦で、石段が九十九折(つづらおり)に続くということはない。すぐ本殿にたどり着けるのだ。夫婦は手水をし本殿に向かい、揃って礼をし手を打つ。

 夫婦は参詣が済むと海岸に下りていく。



 三輪は辺りに人がいないことを確かめると、思い立ったように夫に告げる。
「私はあのことを、御台さまに打ち明けようと思っております。武衛さまはもう、長くはないでしょう。そうなった今というのもどうかと思うのですが、御台さまに隠しだてをしたことは間違いございませんので……後で大ごとにならないとも限りませんから」

 波の音だけが辺りに響いている。

「そうか……おまえがそう決めているのならば仕方ないが、あれは三浦党が皆承知しておったことでおまえひとりの咎(とが)ではないのだぞ」と夫は困ったような顔になる。
「いいえ、御台さまに隠していたのは私にございます。もちろん、あなたさまや三浦党に関わりがあるなどとは言うはずもありませぬ」
 断固とした三輪の口調に、義景は苦笑してうなずくことしかできない。
 そして義景は背後の馬場から馬のいななきを聞いて振り返り、少し寂しげな顔をする。

「流鏑馬(やぶさめ)にも笠懸にも、もう……」と言いかけて、義景は沈黙する。そのようなことを言うのは未練がましいと思ったのだろう。

 波のさざめきに混じって、「うう……」という三輪のすすり泣きの声が響く。それが風に乗って流れていく。
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