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【番外編】もののふの末裔 吉川広家
自分のことは自分で決めたい
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寝所にもぐろうとする次郎五郎の許に長兄の元長から書状が届いた。父母と次郎五郎の会談が首尾よく進まなかったらーーと案じたのだろう。元長はそのような気遣いのできる人間だった。
「兄者はまこと、お節介じゃのう」
次郎五郎は書状を読み、寝間着姿で苦笑する。
個人的な煩悶はともかく、兄の気遣いは身に沁みる。誰も自分を邪魔になどしていない。それが分かっているのに悪態をついてしまった。
わしは言い過ぎた。
詫びを入れとかんといかんのう。
書状を見終えた段階で、次郎五郎は自らの矛を収めることに決めた。これ以上事態をこじらせるのはまったく本意ではなかったからである。
翌朝、次郎五郎は父が現れる前に広間できちんと控えている。
拗ねてはいるが、やさぐれているわけではない。父親のことは尊敬しているのだ。毛利きっての歴戦の勇将として名高い男である。自慢の父でないはずがない。
次郎五郎が苛立っているのは自身の行く末がよくわからないこと、そして吉川家の置かれた立場への漠然とした不満が原因なのだ。
それが彼をどうにもやりきれない気持ちにさせる。彼は目をつむって考えている。
父が現れる。改めて次郎五郎は父の前に座し頭を下げた。
「父上、昨夜はわしが過ぎたことを申してしもうた。お詫びいたす。どうにもむしゃくしゃして、心にないことまで口にしてしもうたんじゃ。お許しいただきたく」
父は目を見開いて息子をじっと見る。
「おう、殊勝な……」と言ったきり、何と言葉を継いだらよいか分からないようすだ。父が用意していたのは、まだ拗ねている息子を諭す台詞だったからだ。後から父の背後に座した母がすぐさま助け舟を出す。
「次郎五郎、分かってくれたんじゃの」
母は偉大である。
その一言で空気が一気に変わった。
頭を下げている次郎五郎にもその空気は伝わった。おそるおそる彼が頭を上げると、すでに父母は穏やかな風でそこにいた。
父はぽつり、ぽつりと話し始める。
「わしゃ、いくらか分かる気がするんじゃ。おそらく、わしも同じように思うとったけえな」
次郎五郎は何か答えた方がいいのか迷ったが、黙って父の話を聞く。
「おまえがこたび養子に出んと動いとったんは……おのれのことはおのれで決めたいと思うたゆえじゃろう」
次郎五郎は口の端をきゅっと結ぶ。
その言葉は正鵠を射ている。
父は息子の様子を見て、さらに続ける。
「わしもそうじゃ。父から命じられる前に、わしゃこうしたいと願い出てきた。かか殿と夫婦になるんも、吉川に養子に入ると決めたんもわしじゃ。おまえを見とったら、その頃のわしを思い出してのう」
「父上も?」と次郎五郎は思わず声を上げる。
元春はうん、うんとうなずく。
「長子でなければ他家にゆく。それが理じゃというのはよう飲み込んどった。じゃが、それではおのれの根っこがのうなるような気がしとった。されば、おのれでその行く先を決めたい。おのれで決めたことならば退くわけにいかん。じゃけえ、わが母のさとである吉川ならばええんじゃなかろうかと、父上に言上したんじゃ」
次郎五郎はそれまで元春が吉川に養子に入ったいきさつを聞いたことがなかった。その後父は吉川の頭領の座を奪う形になったので、祖父である毛利元就の計算ずくで養子入りをしたのだと考えていたのだ。
そう思うのも仕方がない。
毛利の祖父である元就は、二男の元春を吉川家、三男の隆景を小早川家に養子に出し、その家を継がせた。「継がせた」というのは一筋縄でいかなかったということである。血なまぐさい事件も起こり、元々の当主が廃される結末になったからである。
さらに元就は一女の五龍を宍戸家に嫁がせた。元春の妻のさと熊谷家もそこに加わる。
それらの家が毛利一門となって、のちに中国地方の覇者となる礎を築いたのである。
「さようないきさつがあったとは初耳でした。わしも何やらむしゃくしゃしとりましたが、今のお話で少し気が晴れましたけえ、小笠原の養子の件は反故で結構です。改めて父上が養子に出したいと思われる先がございましたらお知らせください」
次郎五郎がそう伝えると、元春はふっと笑った。
「わしゃ、おまえを養子には出さんよ」
「は?」と次郎五郎は思わず素頓狂に返す。
父の元春はここで急に話題を変えた。
少なくとも次郎五郎にはそのように思えた。
「おまえは、大江広元(おおえのひろもと)という名を存じておるか」
次郎五郎は目を丸くした。
何やら話が飛んでおる気がするんじゃが。
「もちろん存じております。毛利家の祖にございます」
「さよう、ではその祖先がいかにして今の毛利につながる家を築いたか知っておるか」と父はたたみかけるように問う。どこか楽しそうにも見える。
「そ、それは、鎌倉の府にて政所別当(まんどころべっとう)を任され、政務の中枢におったと……」
次郎五郎はしどろもどろになる。
だいぶ昔にそのようなことを教わったような気がするが、もう四百年も前の歴史に過ぎない。具体的な印象が浮かぶわけではない。それに父は今毛利ではなく、吉川家の当主である。生まれたときから吉川である子どもにしてみれば、熱心に覚えないのも仕方がない。
「ああ、それぐらいは分かっとるじゃろ」と元春は笑う。
次郎五郎は父の投げた問いかけの真意が分からず、戸惑っていた。
「父上、養子の話では? なにゆえ毛利のご先祖の話をされるのじゃ」
吉川元春はしばらく天井を見上げてから、言葉を発する。
「わしらは、いつどこで命を落とすかわからん。常にそのような心持ちでおらんといかん。
しかし、武士はなにゆえ戦っておるのかと思い耽るようになった時分があったんじゃ。それも、かか殿に求婚し吉川に養子に入ることになった頃かのう」
次郎五郎はまだきょとんとしている。
父の回想なのは分かるのだが、もう子を戒めるために言っているのではないらしい。
父はまだ話を続ける。その手には『吾妻鏡』の巻物が一巻握られている。いつの間に手に取ったのだと次郎五郎はまだ目を丸くしている。
「さようなことを思ううちに、わしゃ口羽(通良)を通じて『太平記』を手に入れ、書写させてもらうようになったんじゃ。何やら面白うてのう。武士の世がどのように今に至るのか、あれを見れば分かる。そしてこの『吾妻鏡』も縁あって大内家からわしの手元に来た。わしゃ読みふけった。何しろこれにはわしらのご先祖のことが書いてある。しばらく貸すけえ、読んでみるとええ」
どうやら、『吾妻鏡』の綴本を読めというのが話の内容のようだ。
小笠原家の話はすっかりどこかに行ってしまった。
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