パスカルからの最後の宿題

尾方佐羽

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ブレーズ・パスカルの死

ブレーズからの宿題

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 物思いにふけっている兄の顔を見ながら、シャルロットはそっと尋ねてみる。
 ブレーズ・パスカルが発案し事業開始を見届けた事業についてである。
 パリの街に世界初の循環する乗合馬車を走らせる事業である。
 そして、それは彼が生涯最後に取り組んだ大計画だった。

「ブレーズはなぜ乗合馬車の事業を思いついて、実行したのでしょうね。不思議になりますの。あのころブレーズはよく裁判所に出向いていたでしょう。歩くのは疲れるし、貸馬車は高すぎる。だって、私がポール・ロワイヤルに駆け込んだときも、待たせていた馬車は相当なお値段でしたからね。それがきっかけなのかしら、と思ったのですけれど、あの方のことですから、きっともっと何か深い理由があったように思うのです。お兄様は聞いていらっしゃるのでは?」

 アルテュスはシャルロットの言葉を聞いて、しばらく考えた。
「この事業の計画を立てるにあたっては、彼とたくさん話をした。もちろんあまねく身分の人のためになるということが第一義的な目的だ。しかし、おまえが聞いているのは、ブレーズがそこまで熱心に取り組んだ理由ということだろう……」と言葉に詰まる。

 続きを待っているシャルロットの顔を見て、アルテュスはうーん、と唸ったあと、観念する。

「ブレーズがその理由を言っていたのか、実はよく覚えていないんだ。馬車事業の認可で煩雑な手続きが本当に多くて、あまり他の話ができなかったというのが正直なところだ」

 妹は兄に疑問符を投げる。

「お兄さまはずっとブレーズと一緒に作業をしていたのですから、誰よりもあの方の目的をご存じだと思っておりましたわ。もっとよく思い出してみて。何かふとした言葉から分かることがあるかもしれませんわ」とシャルロットは微笑みながら言う。
「そうだな……」とアルテュスもうなずく。

「でも、私たちすこし滑稽ですわね」とシャルロットは言う。
「滑稽?」
「だって、ブレーズがいなくなってから、ブレーズの跡を一生懸命辿っているわ。こんなことならば、生きているうちにもっと聞けたことがあったでしょうに」とシャルロットは目線を虚空に逸らす。

 アルテュスもうなずく。
「まったく、滑稽だ。彼の考えを辿るということなど、亡くなる前には想像もできなかった……でも、シャルロット……僕はこう考えるんだよ」
「どう?」
「こうやって跡を辿る作業は、もしかしたらブレーズから僕たちに出された宿題かもしれないよ」とアルテュスはにっこりと笑う。
 妹はああ、と納得したようだ。微笑んで同意する。

「そうね、宿題ですね」

 シャルロットとの話の後すぐに、アルテュスはふと思いついてクリスティアーン・ホイヘンスとピエール・ド・フェルマに手紙を書きはじめた。せっかくだから宿題を他にも投げてみようかと思ったのだ。

<故ブレーズ・パスカルが立案し、運行開始にいたったパリの乗合馬車事業を運営しております、私ことアルテュス・グフィエ・ロアネーズから謹んでお伺いします。

 ブレーズ・パスカルはいかなる目的を持ってこの事業に取り組んだと貴兄は思われるでしょうか。それをぜひお伺いしたい。もちろん、貴兄がブレーズならばこう考えただろう、という推測でさしつかえありません。

 これは乗合馬車事業を運営していく上で、私たちが気づいていない目的が故ブレーズ・パスカルにもしあったのならば、それを今後の事業に反映していきたいという趣旨のものであります。それを何か他の権益に転用しようという趣旨からではないことを強調させていただきます。

 また、それを数式で表していただいても結構。ブレーズほどではありませんが、さじを投げることもないでしょう。そのような観点も事業の継続推進に寄与するものと考えております。

 以上、貴兄にご理解とご助力を賜りますことを祈念しております。>

 アルテュスは同じ内容の手紙を二通したためて、それぞれオランダとトゥールーズに送ることにした。

「まぁ、ルーレットの問題ほどはっきりした答えは出ないかもしれないが」とアルテュスはつぶやいた。なぜか、少しだけ子どものように気分が高揚していた。
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