裏アカ、つくってみた。

はる

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それ以来、イオリと頻繁にメッセージのやりとりをするようになった。 
  彼女は相変わらず俺の事をピアニストと信じ込んでおり、「ピアニストの 1 日の生活ってどんな感じですか?」「どういうところでピアノを弾くのですか?」と、とにかく質問攻めだった。
  俺はその度に、ピアニストの生活スタイルについてネットで調べ、「 1 日、 10 時間は練習してるよ」とか「バーやレストランで弾いたり、コンクールに出たりしているよ」といった回答をした。 
  最初こそ、何をやっているんだろうという気持ちがあったが、最近は、ピアニストの自分を演じられる事に、一人で悦に入るようになっていた。空想の自分を演じるのはなかなか悪くない。偽りの姿とはいえ、なりたいと思っていたピアニストになれているのだから。
  ネットの世界だからこそできる事だ。裏アカ様々だな、と思った。 
  そのうちに、お互いに " イオリ " 、 " 男爵さん " と呼び合うくらいには打ち解けてきた。
  俺のアカウント名は " メトロノーム男爵 " だから " 男爵さん " となった訳だが、どうせ呼ばれるなら、もう少しまともなアカウント名にすればよかったと少しだけ後悔した。 
  イオリはどうやら、一般的な高校生と比べて趣味嗜好が随分ズレている事がわかった。
  例えば、「最近の高校生って、どんな音楽聴くの?」とメッセージを送ると、「流行りの音楽は聴きません」という回答が返ってくる。 
 「え、じゃあ音楽は何も聴かないの?」 
  続けて、俺は問いかける。 
 「クラシックは聴きます。あと、男爵さんが弾いていた『恋するフォーチュンクッキー』のような、有名な J-POP は知っています。」 
  と、イオリから返信が来る。 
  まぁピアニストを目指しているくらいだから、そうかもしれないが、高校生なのにクラシックしか聴かないというのは、なかなか渋いなと思う。 
 「そうか。それだと、周りの友達と共通の話が出来ないんじゃないか?」 
  俺は心配になって聞いた。 
 「はい、その自覚はあります。それに対して何かを想う事はありませんが。」 
  なかなかマイペースな子だな。女の子同士だと、気を使って、友達と話題を合わせたりしそうなものだが。 
 「男爵さんは、どのような音楽を聞きますか?やはりピアニストなので、専らクラシックでしょうか?」 
  続けてメッセージがきた。まぁ確かにクラシックも聴くが、J-POPを聴くピアニストも普通にいるだろうから、ここは素直に答えてもいいだろう。 
 「俺は、クラシックも聴くし、それ以外も聴くよ。洋楽よりも邦楽が多いかな。」 
 「そうなのですね。何か推薦する曲はありますか?」 
  推薦って…。
  今時の若者だったら「推しの曲ある?」という言葉遣いをしそうなものだが。
  俺は、自分が高校生の頃に好きだった音楽を思い浮かべてみた。 
 「うーん、俺が 10 代のときは『 L'Arc ~ en ~ Ciel 』が好きだったよ」 
 「それは、演奏家の名前でしょうか?」 
  そんな訳無いだろ! 
 「いや、バンド名ね。」 
 「そうなのですか。恥ずかしながら存じ上げなかったので、学校で友人に聞いてみますね。」 
  こういった感じで、イオリは高校生らしからぬ言動で毎回俺を驚かせ、そのお陰で、俺らのやりとりはちょっとした漫才のようだった。 
  最初の方こそ、最上級の尊敬語を使って、これでもかというくらい謙遜した態度で接してくれていたのだが、やり取りを繰り返すうちにそれなりに砕けてきたと思う。それでも言葉遣いが丁寧なのは変わらないのだが。
  そんなイオリとのやりとりは、なんだか新鮮で、楽しかった。 
  ちなみに、後日イオリから、数人の友人に聞いたが、 L'Arc ~ en ~ Ciel を知らなかったという報告がきた。
  今の高校生、ラルクを知らないのか、と驚かされた。 
   
  ある日、イオリから「今度、もし宜しければお会いしませんか?」 というメッセージが届いた。
  突然の誘いに少し驚いていると、続いて 2 通目のメッセージが届いた。 
   「実は、親戚の方からクラシックの演奏会のチケットを 2 つ譲ってもらったのですが、周りにクラシックに興味のある友人がいないのです。チケットが勿体無いので、よかったら如何かなと思い、お声掛け致しました。」 
  なるほど、そういう事か。
  クラシックの演奏会…。
  音大を目指していた割に、演奏会といった類のものにはあまり行ったことがなく、行ってみたいという気持ちはあった。 お互い都内に住んでおり、偶然にもかなり家が近い事はわかっていた。 
  会うことに関して、俺は何ら問題を感じていなかった。
  むしろ、イオリがどんな子なのか、興味は日々増しており、会ってみたいという気持ちは大きかった。
  少なくとも、今はもう怪しい子という感じはしないし、俺の事をピアニストと信じ込んでいるので、ある程度「振り」をしておけばボロが出る事もないと感じている。 
  俺の中でのイオリは、言っちゃ悪いが、ボサボサの髪で、化粧もせず、眼鏡をかけて、休み時間も読書をしていそうなガリ勉のイメージだ。 
  俺はこう返信してみた。 
 「俺はいいけど、いいのか?会ってみたら怪しい奴かもしれないぞ?」 
  そう、俺は一向に構わないが、ネットで知り合った人とそんなに簡単に会おうとして良いのか、一応確認しておきたかった。
  イオリはまだ高校生だし、女の子だ。そこは、成人済みの大人として確認しておくべきだろう。 
  すると、イオリからすぐに返事が来た。 
 「男爵さんは、怪しい人ではないので大丈夫です。確信があります。」 
 「その確信はどこからくるんだ?」 
 「たとえTwitterだけのやりとりでも、その人の人柄は文章の端々から読み取れます。怪しい人だったらすぐにわかります。」 
 「そういうもんかな」 
 「そう思います。それに、何よりもちゃんとしていない人には、あんなに綺麗な演奏はできません。ピアノの音色は嘘をつきませんから。」 
  ちゃんとしていない人には、あんなに綺麗な演奏はできない。思わず読み返してしまった。
  俺は、「ちゃんとした人」なのだろうか。そもそも「ちゃんとしている」の定義って何だ。
  毎朝、決められた時間に起きて、満員電車に揺られて、会社に着いて、遅くまで仕事をして、終電に近い電車で帰る。 
  そこに自分の意志はなく、目的もなく、ただただ同じ日々を繰り返す。
  そんな俺は「ちゃんとした人」なのだろうか。 
  俺はイオリに返信した。 
 「よし、会おうか!」 
 「はい。」 
  それから、俺らは、待ち合わせの時間と場所を決めた。 
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