50 / 84
第一部 春
48 リオン・オセアンのマイホーム
しおりを挟む
「ただいま」
玄関の扉を開けるとリビングのほうから、あっ、パパだ、と楽しげな声が飛び跳ねてきた。
バタバタ、と廊下を走ってくるのは、四歳の男の子。オセアン家の長男であり、亡き妻の忘形見であり、俺の自慢の息子だ。
「パパ~! おかえりぃぃぃ」
「ただいまぁぁぁ」
俺は息子を抱き上げると、さらにぎゅっと抱きしめた。頭の匂いを嗅ぐ。お風呂から上がったばかりなのだろう。花のような石鹸の香りがする。息子は満面の笑みを浮かべて、ねえ、ねえ、とばかりに声をかけてくる。幼稚園でのことを話したいらしい。
「今日ね、僕ね、逆上がりできたよ!」
「すっごいじゃないかっ!」
俺は大仰にびっくりしてやると、高笑いする息子を抱き直した。リビングに足を踏み入れると、花のような香りが、さらに家のなかに漂っていた。たまらない良い香りだなあ、と思っていると、脱衣所から妹が出てきた。「あ、お兄ちゃんおかえり」
「ただいま、お風呂いい?」
「うん、いいよ」
妹は濡れた髪の毛をタオルドライしながら、にっこりと笑う。年齢は俺より五歳下の二十二歳。こんなに可愛くて綺麗なのに、まだ嫁にいけてないのは、おそらく俺と息子のせいだ。マジでごめん、妹よ。
妹は幼稚園で保育士をしていて、俺の息子を面倒見るくらい仕事で慣れてるから大丈夫だよ、と言ってくれた。それと、結婚のことは、男の人からのアプローチはいっぱいありますから御心配なく、これでもモテるんだからねっ、と釘を打たれていた。どんな男が妹をアプローチしているのか気になりまくるが、まあ、いいだろう。
とりあえず、いまは幸せだから。
だが、それは取り繕っているにすぎない。なぜなら、過去のオセアン家は、悪魔に呪いをかけられたんじゃないかと疑うほど、不幸つづきだったからだ。
両親は俺が十五歳のときに他界している。二人とも戦場で活躍する料理人であったが、敵国の襲撃にあってこの世を去った。
俺は妹を育てるため、すぐにパルテール学園の料理人となり働いた。そして、俺は生徒と恋愛して結婚するが、幸せは長くはつづかなかった。
妻は息子を産んで間もなく体力が消耗し、亡くなってしまった。息子と過ごせたのは、たったの一年。
儚くも幸せな一年だった。
医者に訊いたところ、産み落としたあとに亡くなる女性はまれにいるらしい。それがたまたま俺の妻だった、と言えば綺麗に話はまとまるが、とても納得いくものでもなく。俺は人生を呪い絶望していた。
しかし、息子の笑顔を見ていると、くよくよなんてしてる場合じゃない。がんばって働いて育てるんだ、妻の分まで、そう誓っていた。そんななか……。
新しい妻をもらったらどうだ?
そのように学園長からの勧めもあった。しかしなかなか、気持ちの整理ができなくて、断った。
それでも、これ以上、妹に甘えていたらマズい。妹の婚期を逃す可能性がある。そろそろ息子も大きくなってきたから、新しいお嫁さんをもらってもいいかな、と最近では思う。
そんなことを考えていると、妹が俺に近づき腕を伸ばしてきた。息子の抱っこを代わってくれるみたい。
「寝かせちゃうね」
「たのむ」
えー! パパと一緒に寝る、と駄々をこねる息子だが、妹のおっぱいに顔を埋めると笑顔になっていた。言葉と行動が矛盾してやがる。やれやれ、将来有望かも。
可愛らしく微笑む妹は、ぎゅっと息子を抱きなおすと寝室にいった。
俺はネクタイを緩め、ジャケットを脱いでクローゼットにしまう。さらに、スラックスも脱いで下着姿になると風呂場に向かった。
「ふぅ……やっぱりこの瞬間が幸せだな」
ちゃぽん、と湯船に浸かり、今日を振り返ってみる。
ふはは、思わず笑みがこぼれる。
頭のなかによぎったのは、転校生ルナにくすぐられて爆笑しているマリエンヌの姿。
あんなマリエンヌは今までみたことがない。
彼女は高等部の女子寮に入ってから顔見知りになったのだが、クールビューティーでスタイル抜群、学生じゃなかったら、デートに誘うレベルのいい女だ。
今の俺は、すぐに妻はいらないが、男としはまだまだ現役の身体。たまには純粋に女を喜ばせてあげたい欲求に駆られることもある。シンプルに、人生を謳歌して楽しみたいのだ。このためには……。
マリエンヌ・フローレンス、彼女はいい、セクシーだ。
彼女はまったく笑わない。たまに、ベニーちゃんがバカなことをやって、それに対して笑うくらい。まあ、そこが面白いし、冷酷とスマイルのギャップ萌えが、お兄さんにとってはたまんないんだよなぁぁぁぁ。
ブクブクブク、と俺は湯のなかで息を吐いた。
やがて、ばしゃんと湯船から顔を上げて首を振った。いかん、いかん、学生に手を出してはダメだ、リオン・オセアン。自粛をしろ。これは業務命令だ。もしも万が一、女子生徒に手を出すにしても、卒業後、みんなが忘れたころにしたまえ、と学園長からの通達が下りている。
なんだそりゃ?
って感じだが、実際、恋仲になる先生と生徒が一定数いるらしい。学園長の言うことには真実味があった。たしかに俺の前妻が生徒だったし、いまだって気になる女子生徒がいる。マリエンヌのことはもちろんだが、転校生のルナスタシア・リュミエール、彼女だけは別格でほっとけない。
今日のお昼休みのことだ。
俺は池の魚に餌をあげるため、購買部によってパンの耳をもらいにいったのだが、すでになくなっていた。そんなことは初めてだった。貴族が通う超名門、パルテール学園にパンの耳をもらう生徒なんかいるわけがない。
びっくりした俺は、どんな生徒がパンの耳を? と購買部のお姉さんに尋ねると、見かけない子、新入生か転校生かも、という答えが返ってきた。
転校生……。
もしや? と思いながら歩き、広場の噴水を抜けようとすると、マリ、ベニー、そして、転校生ルナがベンチに座って昼食を摂っていた。微笑ましい光景だったので、盗み見るように遠くから眺めていると、やっぱりルナの手にはパンの耳が入った袋を持っていた。
転校生ルナスタシアの外見は優雅だが、貧乏なんだなと察した。マリからおにぎりをもらうと、大粒の涙をこぼしながら食べていた。見ているこっちも泣きそうになった。と同時に、ルナスタシア、彼女の過去に何があったのか疑問に思った。
結局、今日は池の魚には俺の弁当の米粒をあげておいた。池のなかでうごめく魚たちが、口を開けてパクパクやっている光景は、最初はちょっとキモかったが、餌をあげているうちに、面白くなってきた。俺は仕事のうえでも、女子生徒たちに食堂で飯を食わせてやっているが、池で魚に餌をやる光景と重なって見えてきた。
ほら、もっと食え……。
そんなふうな、ほんのりとしたサディズムが俺の心を陶酔させていたのを覚えている。それからは、昼寝をしたり、本を読んだり、釣りをしたりしながら夕方まで過ごした。食堂で夕飯を用意する仕事が待っている。
夕刻、学園の校庭を歩いていると、何やら騒然としていた。大勢の生徒たちが体育館のほうに走っていく姿が見られた。いつも穏やかなパルテール学園なだけに、珍しいこともあるのだと思いながら、体育館のほうに身体を向けると、かすかに歌声が聞こえてきた。思わず、俺の足は動き出していた。
美しい歌声に近づくに連れて、俺の頭のなかで妻の学生時代の姿が蘇ってきた。演劇部で歌を唄っている可愛い女子生徒の姿だ。まさか、妻の生まれ変わりか? いやいや、バカな妄想だ。と苦笑いしながらも、俺は体育館まで歩いていくと、そのなかをのぞいた。そこには、ひとりの少女が唄っていた。顔を見て驚いた。転校生だった。ルナスタシア・リュミエール。
彼女の歌声は、天使だった。
俺の心は一瞬で奪われた。亡き妻に一目惚れした状況とまったく同じだったからだ。
ああ、このような奇跡がまた……。
俺は、ふわりとのぼせそうになる頭で淡い思いをめぐらせていると、脱衣所に人の気配がした。「お兄ちゃん、まだ?」
妹が何か言いたそうに立っていた。どうした? と俺が聞き返すと、あの……と言って口ごもっている。俺は湯船から上がると、タオルを置いてくれ、と頼んだ。妹が、はい、と答えるとつづけた。
「お兄ちゃん、私なんだか疲れちゃった」
「またか?」
「うん、今夜もやってくれないかな? ダメ?」
「いいよ、今日は気分がいいんだ」
「へー」
「っていうか、風呂からあがりたいんだが……」
「あっ、ごめん」
脱衣所から妹が出たのを見計らって、俺は風呂から出た。タオルドライして部屋着に着替える。衣類は妹が用意してくれたものだ。いや、それだけじゃない、家事のすべては妹がしてくれる。俺は料理は得意だが、家ではなかなかやらない、それだけにたまに料理をすると、妹も息子も喜ぶ。だから、休みの日はよく作ってる。三人で買い物に行くと、街ゆく人から夫婦に見られることもある。妹は満更でもなく喜んでいるが、それじゃあダメなんだ。そろそろわかってくれ、妹よ。
しかし……俺は妹に甘えている。すごく仲良しなんだ。
こんなふうに、ソファに横たわる妹の肩や腰、そして、白肌の柔らかい脚をほぐしてやっていると、本当の妻に見えなくもない。というか……、女を癒してあげることに、妹も妻もない。平等に扱ってやらないと。
「今日もがんばったな」
俺がそう妹の耳もとにささやいてやると、んんっ、と言葉ともならない甘い声をあげた妹が身体を震わせた。やがて、落ち着いてから妹は言った。
「お兄ちゃん、今日はなんだかテンション高いね。良いことあったの?」
ああ、そうつぶやきながら、妹の臀部をグリグリと手のひらで圧迫してやる。あぁぁん、と喘ぐ妹は、「そこ、気持ちいい」とささやいた。俺はもみもみしながら説明した。
「演劇部に良い感じの歌姫が入部したのさ」
「へー、歌姫なんてお兄ちゃんが一番好きなタイプじゃん」
「だろ? なんか昔を思い出してしまった」
「お姉さんの歌、みんな聞いてたもんね~」
「ああ、あいつは歌姫だったからな」
「うん……」
ねえ、お兄ちゃん、と言った妹は、ごろんと仰向けに寝返ると、俺の顔をじっと見つめてきた。何か言いたそうに唇を噛んでから、口を開いた。
「その歌姫の子が好きなの?」
いや、と言った俺は小さくかぶりを振ってから、
「わからない」
と答えた。
すると、いきなり妹が抱きついてきた。
ドキッとした。
だが、いつものことなので、だんだん気持ちは落ち着いてきた。とりあえず、妹の肩を優しくなでてやる。そんな俺の心境を察してか、妹は快活に言い放った。
「じゃあ、好きな人ができるまで、一緒にいようね」
にっこりと笑う妹は、チュッと俺の頬にキスをすると、おやすみと言って立ち上がった。
「おやすみ」
そう言い返した俺の顔を、妹はさらっと流し目で見やると、寝室に歩いていった。
ん?
なんだか、いつもの妹じゃないような女の視線を感じ、ゾクっとした。禁断の果実からただよう、危険な香りさえもする。思わず、ため息が漏れた。
「はぁ……妹も二十二歳か。もう大人の女だもんな……」
そろそろ、一緒の部屋で寝るのはやめたほうがいいかな、と思った。
玄関の扉を開けるとリビングのほうから、あっ、パパだ、と楽しげな声が飛び跳ねてきた。
バタバタ、と廊下を走ってくるのは、四歳の男の子。オセアン家の長男であり、亡き妻の忘形見であり、俺の自慢の息子だ。
「パパ~! おかえりぃぃぃ」
「ただいまぁぁぁ」
俺は息子を抱き上げると、さらにぎゅっと抱きしめた。頭の匂いを嗅ぐ。お風呂から上がったばかりなのだろう。花のような石鹸の香りがする。息子は満面の笑みを浮かべて、ねえ、ねえ、とばかりに声をかけてくる。幼稚園でのことを話したいらしい。
「今日ね、僕ね、逆上がりできたよ!」
「すっごいじゃないかっ!」
俺は大仰にびっくりしてやると、高笑いする息子を抱き直した。リビングに足を踏み入れると、花のような香りが、さらに家のなかに漂っていた。たまらない良い香りだなあ、と思っていると、脱衣所から妹が出てきた。「あ、お兄ちゃんおかえり」
「ただいま、お風呂いい?」
「うん、いいよ」
妹は濡れた髪の毛をタオルドライしながら、にっこりと笑う。年齢は俺より五歳下の二十二歳。こんなに可愛くて綺麗なのに、まだ嫁にいけてないのは、おそらく俺と息子のせいだ。マジでごめん、妹よ。
妹は幼稚園で保育士をしていて、俺の息子を面倒見るくらい仕事で慣れてるから大丈夫だよ、と言ってくれた。それと、結婚のことは、男の人からのアプローチはいっぱいありますから御心配なく、これでもモテるんだからねっ、と釘を打たれていた。どんな男が妹をアプローチしているのか気になりまくるが、まあ、いいだろう。
とりあえず、いまは幸せだから。
だが、それは取り繕っているにすぎない。なぜなら、過去のオセアン家は、悪魔に呪いをかけられたんじゃないかと疑うほど、不幸つづきだったからだ。
両親は俺が十五歳のときに他界している。二人とも戦場で活躍する料理人であったが、敵国の襲撃にあってこの世を去った。
俺は妹を育てるため、すぐにパルテール学園の料理人となり働いた。そして、俺は生徒と恋愛して結婚するが、幸せは長くはつづかなかった。
妻は息子を産んで間もなく体力が消耗し、亡くなってしまった。息子と過ごせたのは、たったの一年。
儚くも幸せな一年だった。
医者に訊いたところ、産み落としたあとに亡くなる女性はまれにいるらしい。それがたまたま俺の妻だった、と言えば綺麗に話はまとまるが、とても納得いくものでもなく。俺は人生を呪い絶望していた。
しかし、息子の笑顔を見ていると、くよくよなんてしてる場合じゃない。がんばって働いて育てるんだ、妻の分まで、そう誓っていた。そんななか……。
新しい妻をもらったらどうだ?
そのように学園長からの勧めもあった。しかしなかなか、気持ちの整理ができなくて、断った。
それでも、これ以上、妹に甘えていたらマズい。妹の婚期を逃す可能性がある。そろそろ息子も大きくなってきたから、新しいお嫁さんをもらってもいいかな、と最近では思う。
そんなことを考えていると、妹が俺に近づき腕を伸ばしてきた。息子の抱っこを代わってくれるみたい。
「寝かせちゃうね」
「たのむ」
えー! パパと一緒に寝る、と駄々をこねる息子だが、妹のおっぱいに顔を埋めると笑顔になっていた。言葉と行動が矛盾してやがる。やれやれ、将来有望かも。
可愛らしく微笑む妹は、ぎゅっと息子を抱きなおすと寝室にいった。
俺はネクタイを緩め、ジャケットを脱いでクローゼットにしまう。さらに、スラックスも脱いで下着姿になると風呂場に向かった。
「ふぅ……やっぱりこの瞬間が幸せだな」
ちゃぽん、と湯船に浸かり、今日を振り返ってみる。
ふはは、思わず笑みがこぼれる。
頭のなかによぎったのは、転校生ルナにくすぐられて爆笑しているマリエンヌの姿。
あんなマリエンヌは今までみたことがない。
彼女は高等部の女子寮に入ってから顔見知りになったのだが、クールビューティーでスタイル抜群、学生じゃなかったら、デートに誘うレベルのいい女だ。
今の俺は、すぐに妻はいらないが、男としはまだまだ現役の身体。たまには純粋に女を喜ばせてあげたい欲求に駆られることもある。シンプルに、人生を謳歌して楽しみたいのだ。このためには……。
マリエンヌ・フローレンス、彼女はいい、セクシーだ。
彼女はまったく笑わない。たまに、ベニーちゃんがバカなことをやって、それに対して笑うくらい。まあ、そこが面白いし、冷酷とスマイルのギャップ萌えが、お兄さんにとってはたまんないんだよなぁぁぁぁ。
ブクブクブク、と俺は湯のなかで息を吐いた。
やがて、ばしゃんと湯船から顔を上げて首を振った。いかん、いかん、学生に手を出してはダメだ、リオン・オセアン。自粛をしろ。これは業務命令だ。もしも万が一、女子生徒に手を出すにしても、卒業後、みんなが忘れたころにしたまえ、と学園長からの通達が下りている。
なんだそりゃ?
って感じだが、実際、恋仲になる先生と生徒が一定数いるらしい。学園長の言うことには真実味があった。たしかに俺の前妻が生徒だったし、いまだって気になる女子生徒がいる。マリエンヌのことはもちろんだが、転校生のルナスタシア・リュミエール、彼女だけは別格でほっとけない。
今日のお昼休みのことだ。
俺は池の魚に餌をあげるため、購買部によってパンの耳をもらいにいったのだが、すでになくなっていた。そんなことは初めてだった。貴族が通う超名門、パルテール学園にパンの耳をもらう生徒なんかいるわけがない。
びっくりした俺は、どんな生徒がパンの耳を? と購買部のお姉さんに尋ねると、見かけない子、新入生か転校生かも、という答えが返ってきた。
転校生……。
もしや? と思いながら歩き、広場の噴水を抜けようとすると、マリ、ベニー、そして、転校生ルナがベンチに座って昼食を摂っていた。微笑ましい光景だったので、盗み見るように遠くから眺めていると、やっぱりルナの手にはパンの耳が入った袋を持っていた。
転校生ルナスタシアの外見は優雅だが、貧乏なんだなと察した。マリからおにぎりをもらうと、大粒の涙をこぼしながら食べていた。見ているこっちも泣きそうになった。と同時に、ルナスタシア、彼女の過去に何があったのか疑問に思った。
結局、今日は池の魚には俺の弁当の米粒をあげておいた。池のなかでうごめく魚たちが、口を開けてパクパクやっている光景は、最初はちょっとキモかったが、餌をあげているうちに、面白くなってきた。俺は仕事のうえでも、女子生徒たちに食堂で飯を食わせてやっているが、池で魚に餌をやる光景と重なって見えてきた。
ほら、もっと食え……。
そんなふうな、ほんのりとしたサディズムが俺の心を陶酔させていたのを覚えている。それからは、昼寝をしたり、本を読んだり、釣りをしたりしながら夕方まで過ごした。食堂で夕飯を用意する仕事が待っている。
夕刻、学園の校庭を歩いていると、何やら騒然としていた。大勢の生徒たちが体育館のほうに走っていく姿が見られた。いつも穏やかなパルテール学園なだけに、珍しいこともあるのだと思いながら、体育館のほうに身体を向けると、かすかに歌声が聞こえてきた。思わず、俺の足は動き出していた。
美しい歌声に近づくに連れて、俺の頭のなかで妻の学生時代の姿が蘇ってきた。演劇部で歌を唄っている可愛い女子生徒の姿だ。まさか、妻の生まれ変わりか? いやいや、バカな妄想だ。と苦笑いしながらも、俺は体育館まで歩いていくと、そのなかをのぞいた。そこには、ひとりの少女が唄っていた。顔を見て驚いた。転校生だった。ルナスタシア・リュミエール。
彼女の歌声は、天使だった。
俺の心は一瞬で奪われた。亡き妻に一目惚れした状況とまったく同じだったからだ。
ああ、このような奇跡がまた……。
俺は、ふわりとのぼせそうになる頭で淡い思いをめぐらせていると、脱衣所に人の気配がした。「お兄ちゃん、まだ?」
妹が何か言いたそうに立っていた。どうした? と俺が聞き返すと、あの……と言って口ごもっている。俺は湯船から上がると、タオルを置いてくれ、と頼んだ。妹が、はい、と答えるとつづけた。
「お兄ちゃん、私なんだか疲れちゃった」
「またか?」
「うん、今夜もやってくれないかな? ダメ?」
「いいよ、今日は気分がいいんだ」
「へー」
「っていうか、風呂からあがりたいんだが……」
「あっ、ごめん」
脱衣所から妹が出たのを見計らって、俺は風呂から出た。タオルドライして部屋着に着替える。衣類は妹が用意してくれたものだ。いや、それだけじゃない、家事のすべては妹がしてくれる。俺は料理は得意だが、家ではなかなかやらない、それだけにたまに料理をすると、妹も息子も喜ぶ。だから、休みの日はよく作ってる。三人で買い物に行くと、街ゆく人から夫婦に見られることもある。妹は満更でもなく喜んでいるが、それじゃあダメなんだ。そろそろわかってくれ、妹よ。
しかし……俺は妹に甘えている。すごく仲良しなんだ。
こんなふうに、ソファに横たわる妹の肩や腰、そして、白肌の柔らかい脚をほぐしてやっていると、本当の妻に見えなくもない。というか……、女を癒してあげることに、妹も妻もない。平等に扱ってやらないと。
「今日もがんばったな」
俺がそう妹の耳もとにささやいてやると、んんっ、と言葉ともならない甘い声をあげた妹が身体を震わせた。やがて、落ち着いてから妹は言った。
「お兄ちゃん、今日はなんだかテンション高いね。良いことあったの?」
ああ、そうつぶやきながら、妹の臀部をグリグリと手のひらで圧迫してやる。あぁぁん、と喘ぐ妹は、「そこ、気持ちいい」とささやいた。俺はもみもみしながら説明した。
「演劇部に良い感じの歌姫が入部したのさ」
「へー、歌姫なんてお兄ちゃんが一番好きなタイプじゃん」
「だろ? なんか昔を思い出してしまった」
「お姉さんの歌、みんな聞いてたもんね~」
「ああ、あいつは歌姫だったからな」
「うん……」
ねえ、お兄ちゃん、と言った妹は、ごろんと仰向けに寝返ると、俺の顔をじっと見つめてきた。何か言いたそうに唇を噛んでから、口を開いた。
「その歌姫の子が好きなの?」
いや、と言った俺は小さくかぶりを振ってから、
「わからない」
と答えた。
すると、いきなり妹が抱きついてきた。
ドキッとした。
だが、いつものことなので、だんだん気持ちは落ち着いてきた。とりあえず、妹の肩を優しくなでてやる。そんな俺の心境を察してか、妹は快活に言い放った。
「じゃあ、好きな人ができるまで、一緒にいようね」
にっこりと笑う妹は、チュッと俺の頬にキスをすると、おやすみと言って立ち上がった。
「おやすみ」
そう言い返した俺の顔を、妹はさらっと流し目で見やると、寝室に歩いていった。
ん?
なんだか、いつもの妹じゃないような女の視線を感じ、ゾクっとした。禁断の果実からただよう、危険な香りさえもする。思わず、ため息が漏れた。
「はぁ……妹も二十二歳か。もう大人の女だもんな……」
そろそろ、一緒の部屋で寝るのはやめたほうがいいかな、と思った。
0
あなたにおすすめの小説
【完結】転生したら悪役令嬢だった腐女子、推し課金金策してたら無双でざまぁで愛されキャラ?いえいえ私は見守りたいだけですわ
鏑木 うりこ
恋愛
毒親から逃げ出してブラック企業で働いていた私の箱推し乙女ゲーム「トランプる!」超重課金兵だった私はどうやらその世界に転生してしまったらしい。
圧倒的ご褒美かつ感謝なのだが、如何せん推しに課金するお金がない!推しがいるのに課金が出来ないなんてトラ畜(トランプる重課金者の総称)として失格も良い所だわ!
なりふり構わず、我が道を邁進していると……おや?キング達の様子が?……おや?クイーン達も??
「クラブ・クイーン」マリエル・クラブの廃オタク課金生活が始まったのですわ。
*ハイパーご都合主義&ネット用語、オタ用語が飛び交う大変に頭の悪い作品となっております。
*ご照覧いただけたら幸いです。
*深く考えないでいただけるともっと幸いです。
*作者阿呆やな~楽しいだけで書いとるやろ、しょーがねーなーと思っていただけるともっと幸いです。
*あと、なんだろう……怒らないでね……(*‘ω‘ *)えへへ……。
マリエルが腐女子ですが、腐女子っぽい発言はあまりしないようにしています。BLは起こりません(笑)
2022年1月2日から公開して3月16日で本編が終了致しました。長い間たくさん見ていただいて本当にありがとうございました(*‘ω‘ *)
恋愛大賞は35位と健闘させて頂きました!応援、感想、お気に入りなどたくさんありがとうございました!
ワンチャンあるかな、って転生先で推しにアタックしてるのがこちらの令嬢です
山口三
恋愛
恋愛ゲームの世界に転生した主人公。中世異世界のアカデミーを中心に繰り広げられるゲームだが、大好きな推しを目の前にして、ついつい欲が出てしまう。「私が転生したキャラは主人公じゃなくて、たたのモブ悪役。どうせ攻略対象の相手にはフラれて婚約破棄されるんだから・・・」
ひょんな事からクラスメイトのアロイスと協力して、主人公は推し様と、アロイスはゲームの主人公である聖女様との相思相愛を目指すが・・・。
転生したので推し活をしていたら、推しに溺愛されました。
ラム猫
恋愛
異世界に転生した|天音《あまね》ことアメリーは、ある日、この世界が前世で熱狂的に遊んでいた乙女ゲームの世界であることに気が付く。
『煌めく騎士と甘い夜』の攻略対象の一人、騎士団長シオン・アルカス。アメリーは、彼の大ファンだった。彼女は喜びで飛び上がり、推し活と称してこっそりと彼に贈り物をするようになる。
しかしその行為は推しの目につき、彼に興味と執着を抱かれるようになったのだった。正体がばれてからは、あろうことか美しい彼の側でお世話係のような役割を担うことになる。
彼女は推しのためならばと奮闘するが、なぜか彼は彼女に甘い言葉を囁いてくるようになり……。
※この作品は、『小説家になろう』様『カクヨム』様にも投稿しています。
【完結】ヒロインに転生しましたが、モブのイケオジが好きなので、悪役令嬢の婚約破棄を回避させたつもりが、やっぱり婚約破棄されている。
樹結理(きゆり)
恋愛
「アイリーン、貴女との婚約は破棄させてもらう」
大勢が集まるパーティの場で、この国の第一王子セルディ殿下がそう宣言した。
はぁぁあ!? なんでどうしてそうなった!!
私の必死の努力を返してー!!
乙女ゲーム『ラベルシアの乙女』の世界に転生してしまった日本人のアラサー女子。
気付けば物語が始まる学園への入学式の日。
私ってヒロインなの!?攻略対象のイケメンたちに囲まれる日々。でも!私が好きなのは攻略対象たちじゃないのよー!!
私が好きなのは攻略対象でもなんでもない、物語にたった二回しか出てこないイケオジ!
所謂モブと言っても過言ではないほど、関わることが少ないイケオジ。
でもでも!せっかくこの世界に転生出来たのなら何度も見たイケメンたちよりも、レアなイケオジを!!
攻略対象たちや悪役令嬢と友好的な関係を築きつつ、悪役令嬢の婚約破棄を回避しつつ、イケオジを狙う十六歳、侯爵令嬢!
必死に悪役令嬢の婚約破棄イベントを回避してきたつもりが、なんでどうしてそうなった!!
やっぱり婚約破棄されてるじゃないのー!!
必死に努力したのは無駄足だったのか!?ヒロインは一体誰と結ばれるのか……。
※この物語は作者の世界観から成り立っております。正式な貴族社会をお望みの方はご遠慮ください。
※この作品は小説家になろう、カクヨムで完結済み。
子供にしかモテない私が異世界転移したら、子連れイケメンに囲まれて逆ハーレム始まりました
もちもちのごはん
恋愛
地味で恋愛経験ゼロの29歳OL・春野こはるは、なぜか子供にだけ異常に懐かれる特異体質。ある日突然異世界に転移した彼女は、育児に手を焼くイケメンシングルファザーたちと出会う。泣き虫姫や暴れん坊、野生児たちに「おねえしゃん大好き!!」とモテモテなこはるに、彼らのパパたちも次第に惹かれはじめて……!? 逆ハーレム? ざまぁ? そんなの知らない!私はただ、子供たちと平和に暮らしたいだけなのに――!
社畜OLが学園系乙女ゲームの世界に転生したらモブでした。
星名柚花
恋愛
野々原悠理は高校進学に伴って一人暮らしを始めた。
引越し先のアパートで出会ったのは、見覚えのある男子高校生。
見覚えがあるといっても、それは液晶画面越しの話。
つまり彼は二次元の世界の住人であるはずだった。
ここが前世で遊んでいた学園系乙女ゲームの世界だと知り、愕然とする悠理。
しかし、ヒロインが転入してくるまであと一年ある。
その間、悠理はヒロインの代理を務めようと奮闘するけれど、乙女ゲームの世界はなかなかモブに厳しいようで…?
果たして悠理は無事攻略キャラたちと仲良くなれるのか!?
※たまにシリアスですが、基本は明るいラブコメです。
❲完結❳乙女ゲームの世界に憑依しました! ~死ぬ運命の悪女はゲーム開始前から逆ハールートに突入しました~
四つ葉菫
恋愛
橘花蓮は、乙女ゲーム『煌めきのレイマリート学園物語』の悪役令嬢カレン・ドロノアに憑依してしまった。カレン・ドロノアは他のライバル令嬢を操って、ヒロインを貶める悪役中の悪役!
「婚約者のイリアスから殺されないように頑張ってるだけなのに、なんでみんな、次々と告白してくるのよ!?」
これはそんな頭を抱えるカレンの学園物語。
おまけに他のライバル令嬢から命を狙われる始末ときた。
ヒロインはどこいった!?
私、無事、学園を卒業できるの?!
恋愛と命の危険にハラハラドキドキするカレンをお楽しみください。
乙女ゲームの世界がもとなので、恋愛が軸になってます。ストーリー性より恋愛重視です! バトル一部あります。ついでに魔法も最後にちょっと出てきます。
裏の副題は「当て馬(♂)にも愛を!!」です。
2023年2月11日バレンタイン特別企画番外編アップしました。
2024年3月21日番外編アップしました。
***************
この小説はハーレム系です。
ゲームの世界に入り込んだように楽しく読んでもらえたら幸いです。
お好きな攻略対象者を見つけてください(^^)
*****************
完璧(変態)王子は悪役(天然)令嬢を今日も愛でたい
咲桜りおな
恋愛
オルプルート王国第一王子アルスト殿下の婚約者である公爵令嬢のティアナ・ローゼンは、自分の事を何故か初対面から溺愛してくる殿下が苦手。
見た目は完璧な美少年王子様なのに匂いをクンカクンカ嗅がれたり、ティアナの使用済み食器を欲しがったりと何だか変態ちっく!
殿下を好きだというピンク髪の男爵令嬢から恋のキューピッド役を頼まれてしまい、自分も殿下をお慕いしていたと気付くが時既に遅し。不本意ながらも婚約破棄を目指す事となってしまう。
※糖度甘め。イチャコラしております。
第一章は完結しております。只今第二章を更新中。
本作のスピンオフ作品「モブ令嬢はシスコン騎士様にロックオンされたようです~妹が悪役令嬢なんて困ります~」も公開しています。宜しければご一緒にどうぞ。
本作とスピンオフ作品の番外編集も別にUPしてます。
「小説家になろう」でも公開しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる