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第一部 春

54 デューレ先生の授業 ①

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「マリ~! 好きな人ってだれ?」
 
 おっと、わたしは背後から、ぎゅっと抱きつかれて驚いた。声の主はルナだった。

 え? 

 そんなにスキンシップしてくる子だったかしら、ルナって? わたしは、ぶんっと首を横に振った。
 
「教えないっ」
「ええええ! 教えてよぉ、またくすぐるよ?」

 ルナの手がタコのようにうごめく。

「いやぁぁん、やめてぇぇ!」
 
 わたしはルナから、サッと離れた。この子のくすぐりは容赦ないからヤバイ! 昨日は食堂で悶絶した姿をリオンさん見られてしまい、恥ずかしい思いをした……めちゃくちゃ。

 しばらく、ルナとの鬼ごっこがつづく。はあ、はあ……この子、野生児みたい、さすが田舎育ちの娘ね。

 一方、メルちゃんはベニーのスカートをひっぱると、静かな声で話しかけていた。うふふ、聞こえているわよ。わたし、マリエンヌの聴覚は地獄耳だから。
 
「マリ先輩の好きな人、授業が終わったあとで教えてください」
「ああ、いいぞ」
「必ずです、よ」
「メル、なんか気合入ってるな」
「当たり前です! マリ先輩の好きな人の情報は貴重ですから」

 メルちゃん、どうした? 

 なぜ、わたしの好きな人が気になるの? この子も何を考えているのかわからないわね、まったく。それにしても、この乙女ゲームって百合要素もあったのかな? そんなこと、公式ファンブックには載ってなかったけど……ま、いっか。

 だって、乙女ゲーなんだから、うふふ。

 それに、無駄に考えると脳味噌が疲れてくることが、最近になってわかってきた。非論理的なことはスルー。右から左へ受け流すにかぎる。

「それでは、私はこれにて」
 
 手を振るメルちゃんと、二階の廊下で別れた。とぼとぼ、と二年生の教室に向かって歩くメルちゃんの後ろ姿は、亀のようにゆっくり。それなら、ベニーはウサギね、と思った。

 わたしたちは三階にあがった。

 自分たちの教室に入ると、朝っぱらから、ガヤガヤと教室は騒がしかった。退屈な授業を受ける前の、憂さ晴らし、のように思えた。それでも、違和感を覚えたのは、メリッサのまわりに例の取り巻きがいなくなっていたことだ。勘づいたベニーは叫んだ。
 
「うわぁぁ! メリッサぼっちだぞぉぉぉ」
「ちょ、ベニー、声がでかいってば、聞こえるわよ……」
 
 ぴくり、と反応したメリッサが顔をあげた。

 しかし、すぐに肩を落として、はあ、とため息をついている。悲しみに打ちひしがれているメリッサは、いじめっこの成れの果て。いじめの首謀者とバレたから、誰からも相手にされなくなった。心なしか、金髪ドリルはいつもの輝きを失い、暗い影を落としている。

 ざまあ……。というやつだろう。

 それと、目を見張ったのは、メリッサの取り巻きだったモブABCたちの立ち回りだった。

「昨日はごめんね~」

 なんて言って、ルナに近づいていた。すごく軽いノリで、ぺこりと謝罪。ふうん、なるほどね。今ではすっかりルナの歌に魅了、されていたわけか。
 
「演劇部の歌っすてきだね~」
「また聴きにいくね」
「ねえ、友達になろっ」

 虚心坦懐なルナは、うん、いいよ、とさっぱりした気持ちで答えると席についた。

 モブABCの手のひらの返しようは、世渡り上手と言ったところだろう。たしかに、人気がドン底に落ちたメリッサといるより、人気急上昇ちゅうのルナに近づいたほうが正解。窓際に座るメリッサは、ぽかーん、と空を眺める時間が多くなった、なんとも哀れね。

 いじめなんてするもんじゃない。しばらく、ぼっちで反省しなさい、メリッサ。

 さて、と。

 わたしは席に着いて、警戒するように腕を組んだ。そろそろ、彼らが来るからだ。
 
「あ、来たぞマリ! ソレイユとロックが」

 ベニーが知らせてくれたけど、そんなもの、見なくてもわかる。

 いい香りがするからだ。

 これはロックの汗の匂いだ。

 彼は朝から拳闘部にて自主トレでもしていたのだろう。シャワーも浴びずに来るから、野性的な匂いが、ぷんぷんする。しかも、わたしのすぐ後ろに、ドガっと座るからどうしても匂いが、ぽわわわん、とただよってきてしまう。ああん、やめて、この男臭い匂い……た、たまらない、ヤダァ、頭がくらくらしてくるじゃない。

「なあ、ソレイユ、数学の答え教えてくれよ」
「ん? これかい?」

 懇願するロックに対してソレイユは、ぱっとノートを手もとで開いた。綺麗な数式が書かれてあった。
 
「それそれ! ちょっと見せろ」
「かまわないが、問題を自力で解けないとテストのときに困ることになるが、いいのか?」

 ソレイユの持っていたノートをひったくるロックは、机の上でコピーアンドペースト。ソレイユの問題の回答を丸写しにした。鉛筆を走らせながら、言い訳をつぶやく。
 
「いいんだよ、そんなもん、追試を受ければいいんだ」
「また、ギリギリ合格を狙うつもりか?」
「ああ、粘ればセンコーも教えてくれたりするからな」
「……うーん、だが、今回の担任はちょっと無理かも」
「ん?」

 ガラガラ、扉が閉まる音が響く。

 教室に入って来たのは、デューレ先生だった。眼鏡を光らせながら、すたすたと歩き教団の前に立つ。そして、また機械的に生徒の名簿をとる。

 今日のみんなは静かだった。

 私語を慎み、デューレ先生に呼ばれると、「はい!」と元気よく返事をした。少しでも数学の問題を易しく、または、問題数を多くしないで欲しいという願いもこめられていた。なんとも現金な生徒たち。
 
「それでは、授業を始めます」

 昨日の問題の答え合わせから始まったけど、幸いにもノートを回収されなかった。そのかわり、誰か黒板へ回答を書かせるつもりだと、先生は告げた。その瞬間、えええ! という悲鳴があがったあと、しーん、教室は一気にお葬式のように粛々とした。
 
 俺を当てるな、僕を当てないで、わたしはやめて、他の誰かにしてぇぇぇ!
 
 生徒の心境はそんなところだろう。すると、デューレ先生は指先で眼鏡をあげた。きらり、とフレームが光る。
 
「じゃあ、ロック・コンステラくん、この方程式を解いてください。あと、円錐形の方は、そうだな……転校生、ルナスタシアくんが解いてください」

 そう言い放つと、先生専用の机の椅子を引いて、すとんと座った。お尻が小さくてキュートだと思った。また、眼鏡を指先であげる仕草なんて、眼鏡男子たる攻撃力を存分に発揮していた。

 ロックとルナは立ち上がると、黒板の前に立って回答を書き記した。

 ルナはチョークで書くことに慣れていた。ヴォワの村の子どもたちに勉強を教えていたのだ。さっさと書くと、にっこり笑って、終わりました、と先生に向かって言った。
 
 うん、正解だ、と数学教師は言ってから、ロックを見つめた。「君……昨日、寝てただろ?」
 図星だったロックは、すいません、と頭を下げた。
 
「でも、回答はわかるんで書けますよ」
「じゃあ、頼む」

 グギギ、グガガ、と黒板とチョークが擦れる奇怪な音が響く。
 
「はあ、はあ、書けました」
「はい、席に戻って」
「うっす」

 え? なにあれ?
 
 黒板には小学生の悪戯書きのような白い線が書かれてあった。解読不能だった。それでも、先生は、腕を組んで、うーん、と唸りながら解読をこころみた。
 
「うん、ロックくん正解だ、偉いじゃないか」
「へへん、だろ?」

 鼻をかくロックは椅子に深く座った。わたしは、先生、あれが読めるの? マジか? と思った。ロックが書いた白い数式を理解することは、古文書を解読するレベルに等しい。それなのに解いちゃうなんて、デューレ先生、なかなかやるわね。
 
「ルナスタシアくんの回答も正解です」

 やったー、なんて喜ぶルナは、かわいい笑顔を振りまいた。男子たちは、にやにやしてルナを見つめている。ホント、わかりやすいモブたちだった。
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