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第六章 ロック
2 4月6日 17:50──
しおりを挟む「ここか……」
ロックは、つぶやいた。
『相談室』
と、表記された扉を見つめている。
ジャケットの内側からスマホを取り出し、メールをチェックした。
『放課後、カウンセリングをしますので、相談室に来てください』
送信者は、白峯梨沙だった。
ロックは露骨に嫌な顔をすると、スマホをジャケットのなかにしまい、扉に近づく。ウィン、と自動的に開く扉の向こうには、ひとりの美しい白衣の女性が立っていた。
「あら、もう授業が終わったのね……」
リサは手もとにある水吹きで、シュー、シューと観葉植物の葉っぱに水をかけていた。モンステラの深い緑の葉の上に、たっぷりと水滴が宝石のように光り輝いている。
部屋のなかに歩みを進めていたロックは、すーと深く呼吸をした。
「ラベンダーですか?」
ロックの何気ない質問に、リサは、うふふと笑った。
「わかるの? 鼻が利くのね」
「アロマは好きなんだ。しかもこのラベンダーは深いな……市販に売られているものではないんじゃない? 自然由来の香りがする……そう高級なホテルラウンジに香るような」
ドテラよ、とリサは答えた。
ふぅん、とロックは感心しつつ、もくもくと煙を吐き出すアロマディフューザーを見つめた。水吹きを窓際に置いたリサが、さっとロックに歩み寄り、モダンデザインの椅子をひいた。
「さあ、ここに座って、カウンセリングをはじめるわね」
「……すぐ終わる?」
「ええ、あなたが一曲、歌うくらいの時間よ」
知ってるの? とロックは訊いた。「僕の歌を?」
リサは、こくりとうなずいた。
「ライブの動画を見たわ。すごいわね~もうアイドルって感じ」
「それほどでもないよ」
ロックは、少しだけ頬を赤く染めた。
おや? いつもの女子生徒から褒められている反応とは違っている。何か心境の変化があったのだろうか。リサは椅子をひいて座ると、すらりと足を組んだ。スカートのなかに見える黒いストッキングが、なんとも大人っぽい色気を放っている。
「神楽くん」
「なに?」
「いま二年生ね、高校は卒業したいかな?」
まあね、とロックは答えた。目線は自分の左手の爪に落ちている。よく磨き上げられた爪の表面には、きらきらと艶めくネイルアートが施されていた。綺麗ね、というリサの声に、ロックは顔をあげた。
「先生のネイルだって、よき」
「あら、私のネイルを見てくれたの?」
「うん、かわいい」
さらりと大人の女性を褒めたロックは、また自分の爪に視線を落とす。
爪にこだわりがあるの? とリサは、微笑みながら訊いた。
「爪が長いとコードを握れないから……」
「コードってギターのこと?」
「うん、右手の爪は弦をひっかけるから長いほうがいいけど、左は短いほうがいいんだ」
リサは、じっとロックの左手に注目した。
「あなた、左利きね?」
「うん。よくわかったね」
「ほんの微かに……指にペンだこがあるわ」
え? といってロックは左手を見つめた。
「あ、ほんとだ。すごいや」
「精神科医はあらゆるところを見なきゃいけないから、自然と観察力が増したのかも」
「じゃあ、僕が今、なにを考えているかわかる?」
うーん、これ? といったリサは、すらりと足を組み直した。スカートのなかが、チラッと見えて、ロックは目を丸くした。
「な、なんでわかるの?」
うふふ、とリサは答えをはぐらかした。
「神楽くん。あなたはみんなからはロックって呼ばれてるわね、どう思う?」
「どうって、六輔のロックからきているんだよ、まあ気に入ってるけど」
「じゃあ、そのあだ名をつけた人が今、どうなっているか知ってる?」
──わたしのことだ……。
病院でしょ? とロックは答えた。
ええ、といったリサは腕を組んで胸を寄せた。
「お見舞いに行かないの?」
「いけるわけない……あんなことがあったのに……」
「なにがあったの?」
「凛は僕たちのまえで飛んだんだ。蝶を捕まえているように見えた。それで……」
「落ちたのね?」
こくり、とロックはうなずいた。
リサは、艶めいた黒髪をかきあげる。クラクラするほどの大人の色気が、つんとロックの嗅覚を刺激している。本能に目覚めた彼は、頬を赤く染めた。
「ねえ、ロックくん」
「はい……」
「天宮凛さんはいじめにあってたわね」
「し、知らないです」
「ウソ、あなたはよく知っているはず……先生に教えてくれないかな?」
知らないですってば、とロックは震える唇を噛み締めた。
──知っているくせに……。
「本当に、僕は……知らない……」
「あら残念、もし教えてくれたら先生が、いいこと、してあげようと思うんだけど……」
リサはワイシャツの上のボタンを、プチンとはずした。綺麗な鎖骨が見えて、ロックの体温が上昇していく。額からは大粒の汗が流れ落ちた。
──いいぞ、リサ、もっとやれ!
「ぼ、僕はやってない! 見てもいない! 逃げ出したんだ……だからなにがあったのかは本当に知らないんだ」
「誰が関わっているの?」
陽キャの女子たち……とロックはつぶやいた。
リサは、ニヤリと笑うと、ワイシャツのボタンをとめる。はちきれそうな胸の膨らみが、たわわんと白いシャツのなかに包み込まれていた。
あわてたロックは、え、え、え、と口のなかでどもった。
「先生、いいことは? あの、その……してくれないの?」
「ええ、いいわ、じゃあ左手をだして」
はい、といってロックは左手をテーブルに置いた。
すると、リサはスカートのポケットから、小さな小瓶を取り出した。
「ラベンダーのオイルで手をマッサージしてあげるわね」
「あ、ありがとう」
リサは、小瓶の蓋を開けると傾け、手のひらに一雫のアロマを垂らす。そして、ロックの手をマッサージしていった。とても気持ちがいいのか、みるみるうちにロックの顔が恍惚とした表情になり、気持ちいです、気持ちいいです、とだらしない声を漏らしつづけ、こくり……。
ロックは、あまりの気持ちよさに眠りについた。
すると、リサは電気を消した。視界は暗闇の落とされ、あたりは何も見えない。
──いったい何が起きているのだろうか……?
……。
「さあ、これでカウンセリングは終わりです」
ぱっと部屋の明かりがついた。
ロックの手を離していたリサは、すっと席を立ちあがる。
いまだ、夢心地のなかにいるロックは、ゆらゆらと頭を振っている。トントン、と肩をリサに叩かれ、やっと我に返った。秒で立ち上がり、さっと頭をさげる。
「あ、ありがとうございました」
うふふ、いいのよ、といったリサは、手のひらで扉を示した。
「さあ、もういっていいわよ」
は、はい、とロックはいうと、そそくさと扉に向かい、またリサに振り返って頭をさげると部屋を出ていった。
ふぅ、とため息を吐いたリサは、椅子をひいて座った。
机の上にあるタブレットに指先を触れる。白い画面のなかには、ロックの顔写真がついたカルテが映っていた。
【 精神異常 】
リサの指先が弾きだした答えが、データ化されている。
わたしはリサが、次に放つであろう言葉を、安易に予測できた。
「ダメね……」
やはり、そうつぶやいたリサは、ふと窓の外を眺めた。
世界は赤く染まり、カラスの歌が響いていた。ああ、夕日が沈む。
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