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第二章 ヴァンパイアの呪い

30 クラリス『俺が結婚?』

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「それじゃあ、絶世の美女の血を吸いに行こうかぁ、クラリス」

 ニコッと笑うヌコさんは、そう言うと、パチンと指を弾いた。
 すると、どうしたものか。
 血だらけの呪縛霊となったヴァンパイアは、音もなく蒸発していく。
 まるで蝋燭の火が消えるように、スッと煙をあげ、その姿を消した。
 
 ──あ、あんな化け物が俺に取り憑いているのかよ……。
 
 俺は、恐ろしくなって、思わず頭を抱えた。
 
「うぁぁぁぁ!」

 怯える俺を見て、キララは引いていた。
 仕方ないだろ。怖いんだから……。
 かたや、キャンディはいつになく真剣な顔でこちらを見つめている。
 
 ──どした?  そんなに俺は滑稽に見えるか?
 
「勇者様……わたくしの血はいかがでしょうか?」
「え? キャンディの血?」

 はい、と答えたキャンディは、ゆっくりとこちらに近づいてくる。
 そしてそのまま、両手を差し出す。まるで、女神のようだ。
 
「吸ってくださいませ」
「……ほ、ほんとにいいのか?」
「はい。勇者様に血を吸われることは光栄ですわ」
「……うーん」

 困った俺はヌコさんのほうを、チラッと見る。
 すると、ヌコさんが、また俺の気も知らないで、にゃはは、と笑い出す。
 
「ガブってするつもりか? やめておけ、姫が血だらけになるだけだ」
「……え? じゃあ、どうしたら?」
「まず、キャンディが絶世の美女かどうか、確かめるんだ」

 あら、と言ったキャンディは、ふわりと金髪をかきあげた。
 セクシーな女の色気がムンムンで、本来の俺なら興奮するだろう。
 キャンディは、絶世の美女かと疑うよちはない。

「ヌコさん、キャンディは絶世の美女だろ、どう見たって」
「おーほほほ、勇者様ぁ、ありがとうございますわー! さあ、吸ってくださいませ~」
「……うむ」

 待て待て、と言うヌコさんは、指を俺の心臓に向けた。
 
「クラリスは今、胸がドキドキしているか?」
「……いや」
「それはつまりキャンディが近づいても、興奮していないということだ」
「……?  どいうことだ?」
「クラリス、おまえ戦闘以外は、点で鈍いな」
「はあ? なんだとぉ!」
「つまりな、ヴァンパイアが認めた絶世の美女じゃないとダメ、ということさ」
「……ってことは、キャンディの血を吸っても?」
「ああ、クラリスは呪われたままだ」
 
 ヌコさんが、ピシャリと言う。
 すると、突然、「いやですっ!」とキャンディは叫んだ。
 
「勇者様ぁ、わたくしでドキドキしてくれなきゃ、いやですわぁ!」
「お、おい、キャンディ……?」

 キャンディは泣きながら、俺に抱きついた。
 甘い香りのする綺麗な金髪、その豊かな胸に俺は包まれる。
 だが、俺の心臓は、トクトクと平常のまま鼓動を繰り返した。
 
「すまん、キャンディ……君の運命の人は、俺ではないようだ」
「そんな、そんな……」
「なあ、キャンディ、なぜ俺のことが好きなんだ?」

 キリッと俺をにらむキャンディの視線は、興奮はしない代わりに悲しくなる。
 俺は、聞いてはいけない野暮なことを、聞いてしまったようだ。
 
「好きに理屈はありませんわ」
「……」
「勇者様は、幼いわたくしを助けてくださった。ずっとずっとわたくしの憧れだったのですわ」
「そうか……」

 はい、と言って目を閉じるキャンディ。
 ゆっくりと、俺は彼女から離れた。
 いつまでも泣いてはいないだろう。
 王都ペンライトの姫は、超ポジティブで有名だからな。
 俺は、俺のやるべきことをする。この呪いを祓うんだ。
 
「すまん、キャンディ!」
「べ、別にあやまることではないですわ。一つの恋が終わった、それだけのことですから」
「……強いな、キャンディは」

 おーほほほ、と笑うキャンディの目から、きらきらと涙が弾け飛ぶ。
 すると、隣にきたキララが、そっとキャンディの手を握る。
 親友として、慰めているのだろう。
 キャンディは膝をつくと、キララの胸に顔を埋めて泣いた。
 しばらくして、立ち上がったキャンディは、笑顔に変わっている。
 すると、ベビードラゴンがキャンディの頬についていた涙を、ぺろりと舐めた。
 くすぐったそうに、キャンディは笑う。
 そして、餌をあげる遊びを、キララとともに始めた。
 
 ──もう、大丈夫そうだな。
 
 俺は、少しずつ離れ、ヌコさんに近づく。
 
「で、絶世の美女は王都にいると思うか? ヌコさん」
「……わからない。だが、捜査する価値はあると思う、心当たりはないか? 絶世の美女に」

 そう問われた瞬間、頭に浮かんだ女性がいた。
 優しい温もり、ふわりとした笑顔、亜麻色の髪が揺れている。
 
 ──いやいやいや、今更、会えるわけない……。
 
 でもなぜか、ニナさんの笑った顔が、鮮明に蘇ってくる。
 忘れよう、思い出すな、と俺は心に蓋をするように、首を振った。
 
「いや、心当たりはないな……」
 
 そうか、と言うヌコさん。その瞳の奥は、やはりどこか冷たい。
 腕を服の袖に入れて、うーん、と唸り。何やら、思考しているようだ。
 ややあって、美少年の口が開いた。
 
「俺が思うに、勇者パーティに絶世の美女がいたように思う」
「……それってミイヒのことか?」
「名前は知らないけど、服装からして僧侶だったな」
「それミイヒで間違いない」

 彼女だと思う、とヌコさんは断言した。
 たしかにミイヒは絶世の美女だ。
 しかし、ヴァンパイアが認めるかと言えば、疑問が残る。
 するとヌコさんは、指を俺に向けると話を続けた。
 彼は、本当に指をよく動かす。
 癖なのか、それとも呪術師として職業柄、そうしてしまうのだろうか。
 
「クラリスとミイヒは、お似合いだった。髪の色も同じだし」
「ああ、あれは……魔法で髪の色を変えているだけだ」
「なんだ……そうだったのか」
「ああ、あいつは変装して人を騙したりするのが好きなんだ、まあ、ちょっと変わってるんだよ」

 それは面白い、と言ったヌコさんは、笑顔を振りまく。
 
「キララ! ちょっと出かけてくるから、タマちゃんに言っておいてくれ」
「え? どこに行くの?」
「うーん、クラリス! ミイヒはどこにいると思う?」

 ギルド館っぽいな、と俺は答えておいた。
 あいつらはきっと、酒場で俺を待っているだろう。
 いつもクエストが終わったら、酒を飲みながら金を分配していた。
 
 ──突然消えた俺のこと、怒ってるかな、あいつら……。
 
 じゃあ、行ってくる、と言うヌコさんは、キララに向かって手を振る。
 キララも笑顔で、いってらっしゃい、と返事をした。
 俺は、なんだか暖かい気持ちに包まれてしまう。
 こうやって、家に大切な人がいるって、いいかもな。
 
 ──結婚か……そろそろ俺もするべきかな……。
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