上 下
2 / 62

2.もう一回

しおりを挟む
 
 アンジェにクマのぬいぐるみをプレゼントしてから数日後。
 アンジェについて調べさせていたのがまとまって報告された。


 それをみるに、どうもアンジェは家のなかでほとんどいないも同然の扱いを受けているらしいと言うことがわかった。
 アンジェには兄が2人、姉が1人いて、俺がディスカトリー伯爵令嬢、と言われてイメージするのはこの姉の方だ。

 生まれつき目が見えないために自由に歩くこともできず屋敷の一室に閉じこもっていて、アンジェの両親であるディスカトリー伯爵夫妻もどうしていいかわからないようだ。
 そこへ俺が婚約を申し込んだものだから、これ幸いと押し付けてきたらしい。


 普通の神経であればこんな不当な婚約、即座に破棄すると思うが、俺としてはもう少しアンジェと仲良くなりたいと思っている。

 あの薄暗い部屋で一日中ずっと座っているしかないアンジェが可哀そうだと思ったし、クマのぬいぐるみをあげただけで青白い頬を上気させ、たどたどしく礼をいう姿は本当に可愛かったから。

 むしろ、この話を聞いて激怒した父を宥める方が大変だったかもしれない。



 次の休日にむけて、何を持っていくか考えないと。
 プレゼントをこんなにワクワクした気持ちで選んだのは初めてだ。
 リリトアは俺が考えなくても欲しいものはたくさんねだってきたからな。


 アンジェは日中何もすることがないようだった。クマのぬいぐるみを抱きしめるにしても、一日中していられることでもない。
 目が見えなくてもできることで、アンジェの楽しみになるようなこと……



 本を持っていってみようか。
 もちろん読むことはできないけれど、俺か侍女が読み、それを聞くだけでも楽しいのではないだろうか?
  
 座って何を考えているのかはわからないが、様々な物語を教えてあげれば考えることにも幅ができるだろう。

 さっそく本を買いに行こう。
 家の者には俺自らが買いに行く必要はないと言われたが、これは俺がやりたくてやっている、俺の楽しみなのだ!
 アンジェへのプレゼントを選ぶのは誰にも譲らないぜ!!


 変なハイテンションで本屋へ行き、本屋の親父に聞きながら女の子が喜びそうな童話や流行りの恋愛物語を何冊か買った。

 ああ、本当に次の休みが楽しみだ!!!!



 待ちに待った休日。
 俺はギリギリ迷惑にならない程度に朝早くからアンジェのもとへ向かった。

 前と同じように座っているかと思ったが、違った。
 椅子の配置も角度も全く同じだが、アンジェの腕の中に、クマのぬいぐるみが抱きしめられていた。


 ヤバい、可愛い……!
 眠っているかのような閉じられた瞳と、朝日に照らされる栗色の髪は天使かと思うほどかわいらしい。


 ああ、ダメだ、落ち着かないと。アンジェを怖がらせてしまうかもしれない。




「おはよう、セトスです。ぬいぐるみ、気に入ってもらえたみたいでよかった」

 軽く頷くアンジェ。
 話すことに不自由があるとは聞いていないが、長く閉じこもっているせいで話すのが億劫になっているのかな。


「今日は、本を持って来ました。物語を読んでもらったことはある?」

 コテンと首を傾げるアンジェ。

「じゃあ、童話から読んでみようか。知ってる物語もあるかもしれないけどね」

 とりあえず、王道で誰でも知ってるような童話を読んでみる。
 ちなみに絵本にする意味はないから童話集のような活字の本を買った。


 たいして変わったところもない童話を、アンジェは少し身を乗り出すようにして聞いていた。
 長くもないからすぐに読み終わる。

「……もう一回」

 ねだられるままにもう一度最初から読む。
 何度も何度も。



 アンジェが満足そうだからいいけど、少しだけディスカトリー伯爵夫妻にイラつきを覚える。
 こんなに可愛い娘に読み聞かせもせずに放っておくなんて……
 その分、俺がアンジェを可愛がってやればいいか。


 同じ物語を何度も繰り返し読んで、アンジェがある程度満足した頃には昼をすぎていた。





「昼ごはんは何食べる?」

 軽い気持ちでアンジェにそう問うと、軽く首を傾げられた。

「ん?昼ごはん食べないのか?」

「お嬢様はほとんど動かれませんのでお昼は召し上がりません」

 アンジェの代わりに壁際に待機している侍女が答えた。

「そうか。でもお菓子なんかはアンジェも好きだろう?」

 首を捻るアンジェ。

「もしかして、食べたことない?」

 まだ首は傾いたまま。

「マジか。それならその辺の店で少し買ってくるよ。ちょっと待っててくれるか?」

 頷いて、それから真一文字のくちびるがほんの少しだけ弧を描いた。
 これは、笑顔と解釈してもいいんだろうか?



 とにかく、期待して貰えてるみたいだし、急いで買いに行こう。

 近所のパン屋に行くと身なりのいい男が1人で買いにきたことに少し驚いたようだったけど、そんなことは気にせずに白パンとあんずのジャム、紅茶味のクッキーを買って戻った。



「アンジェ、あんずのジャムのついたパンだよ。食べてみない?」

 少し口を開けてこちらへ身を乗り出す姿は、親鳥にエサをもらう小鳥のようで。
 ゆっくりと咀嚼して味わうと、ぱあっと花がほころぶような笑みを浮かべた。

 アンジェは言葉で気持ちを伝えられないようだし、「目は口ほどに物を言う」というほど感情をあらわしやすい瞳も閉じられたままだ。


 それでもわかるくらいに全身で喜びを現していた。


「…………もう一回」


 さきほどの読み聞かせの時のように、何度も繰り返しねだる。
 ただの白パンとあんずジャム、それも決して高いものではない。

 それなのにこんなに喜んで貰えててとても嬉しい。

 白パンひとつをぺろりと食べきり、その後に差し出したクッキーも美味しそうに全て食べた。




 その様子を見ていた侍女はとても驚いた様子だった。

「アンジェお嬢様がこれだけたくさんのものをお食べになるなんて……」

「いつもはどれくらい食べてるんだ?」

「三口分くらいのパンとスープ、牛乳ですね。パンひとつなんて普段では食べない量なので」

 女の子が甘いもの好きだってことくらい誰にでも分かりそうなものだが。

「でも、普段あまり食べていないなら、こんなに食べたらお腹を壊すかもしれないな。
 アンジェ、もしお腹痛くなったとしてもそれはパンが悪いわけじゃなくて食べすぎたのが原因だからな?心配するなよ?」


 こくん、と頷くアンジェ。


 ああ、可愛すぎて家に連れて帰りたい。






しおりを挟む

処理中です...