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16 野良は、取り引きする

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    俺は、刈谷のじいさんの気まぐれのせいで人生最大のピンチにみまわれていた。
    刈谷だけでも充分うざいのに、刈谷に輪をかけて変態な兄貴たちと暮らさなくてはならなくなったのだ。
   刈谷は、なんか、余計に俺にべたべたしだすし、まったく気の休まる暇もない。
   とにかく、俺は、啓介の家に引っ越すのをなんとかして阻止できないかと考えていた。
   「どうしたの?なんか、陰気な顔してるわよ、雅人くん」
    信一郎もとい、信子が俺に話しかけてきた。
   今日は、中間テストで学校は、半日だった。
   そして、刈谷は、生徒会の活動で遅くなるとか言うので、俺は、先に帰宅したのだ。
   俺は、信子を横目にちらっと見た。
   気を許しては、いけない。
   あの、刈谷家のDNAを持っている以上は、こいつも安心は、できない。
   「雅人、遊んで!」
   リビングのソファに座っていた俺の膝にチーちゃんをだっこした佑が飛び乗ってきた。
   本当、こいつだけだ。
   刈谷家で俺が心を許せる相手は。
   俺は、膝の上に乗った佑にきいた。
   「何して遊ぶんだ?」
   「お医者さんごっこ!」
    ん?
   何か、ひっかかたけど、俺は、にこやかに笑って、佑に言った。
   「どっちが、お医者さん?」
   「僕だよ。雅人は、患者さん」
    「わかった」
     俺たちは、医者と患者に扮して小芝居を始めた。
   「先生、ちょっと、風邪気味で」
   「どこどこ、お胸を出してくださいね」
   俺がシャツの前を捲って胸をさらけ出すと、佑は、チーちゃんの前足を持って聴診器がわりにして、俺の胸に触れてきた。
   「はい、息を吸って、吐いて」
    佑は、言った。
   「大丈夫ですよ、ただのかぜです。お薬を出しておきますね」
        しばらく遊んでいたら、佑は、疲れて眠ってしまった。俺の膝枕で眠る佑の柔らかい髪を撫でていると、信子が俺に声をかけてきた。
   「本当、あなた、年下の世話とか、好きなのね」
    「別に」
     俺は、信子に言った。
   「年下の世話が好きなわけじゃねぇし」
    「じゃあ、なんで、駿に付き合ってるのよ」
   信子は、きいた。
   「あなた、ノンケでしょ?まあ、今は、もう、違うのかもしれないけど」
    「何が、違うんだよ」
    俺が聞くと、信子は、言った。
   「もう、あたしんちの男どもに開発されまくってるから女と出来なくなってるんじゃないの?」
    「んなわけ、ねぇだろ」
    俺は、信子を睨み付けた。
   「俺は、今でも、バリバリに女好きだぜ」
   「そうなんだ」
    信子が俺の隣に腰を下ろして言った。
   「じゃあ、佑を可愛がってもらってるお礼に、あたしが、あなたの初めての女になってあげてもいいわよ」
   「はい?」
   俺が、遠くに引いているのを見て、信子は、言った。
  「だって、まだ、童貞なんでしょ?このままじゃ、あなた、死ぬまで女なんか、抱かしてもらえないわよ」
   マジか?
   俺は、信子の体に目をやった。
   決して、太っているというわけではなかったが、ボリュームのあるマシュマロボディだった。
   顔を見なければ、大柄な女で通用しそうな感じだった。
   俺は、ごくりと唾を飲んだ。
   だが。
   これ以上の泥沼に踏み込む勇気など俺には、ない。
   「あんた、なんで、今さら、刈谷んちに帰ってきたわけ?やっぱ、じいさんの遺産目当てかよ?」
    俺は、きいた。
   信子は、少し、ムッとした様子で言った。
   「違うわよ」
    「なら、なんでこんなガキまで連れて帰ってきたんだ?」
   「それは」
   信子の表情が曇った。
   「まあ、あんたには、話しといてもいいかもしれないわね。聞いてくれるかしら、あたしの物語を」
      信子は、俺に話始めた。
   「どこから話したらいいかしら。あたしが家を出たのは、まだ、16才の頃のことだったわ。親に勘当されちゃったの。家を出てからのあたしは、そりゃ、荒んだ生活を送ってたわ。売り専やったりもしたし、当然、悪い男にも引っ掛かった。そして、ボロボロになって捨てられてたあたしを拾ってくれたのが、この子のほんとの母親だったわ」
   「やっぱ、ママじゃなかったのか」
   俺が小声で言うと、信子は、きっ、と俺を睨んで言った。
   「心は、ママなのよ!」
    信子は、遠くを見るような目をして言った。
   「真澄は、この子の本当の母親は、いい女だったわ。あたしより5才年上の姉御肌の女だった。あたしは、真澄に出会って、初めて、女を愛したのよ」
   信子は、ため息をついた。
   「だけど、幸せな時間は、長くは続かなかったわ。真澄は、病魔に犯されていたのよ。脳腫瘍。本当は、子供なんて産んでる場合じゃなかった。だけど、真澄は、あたしのために命をかけて、この子を残してくれた。あたしは、この子を守らなきゃならないの。だから、家に帰ってきたのよ」
      「どういうこと?」
   俺は、信子にきいた。
   「何で、この子を守るために、家に帰ってこなきゃならなかったんだよ?」
   「それは・・」
    信子が言った。
   「この子がヤバい連中に狙われてるからなの」
   「ヤバい連中?」
   俺がきくと、信子は、頷いた。
  「ええ、この子のお祖父ちゃん、つまり、真澄の父親が、この子を引き取りたいって言ってきたの。というか、あたしから、この子を奪おうとしているのよ」
   信子の話によると、真澄という女は、旧姓  西条といい、西条組の組長の長女だという。つまり、西条の姉ちゃんというわけだった。
    組を嫌って一人暮らしていた真澄だったが、その死後、子供がいることを知った親父が、子供を手に入れようとしているというわけだった。
   「ただ、やくざの家族ということだけでも、あれなんだけど、組長が、この子に跡目を継がせようとか考えてるもんだから、ややこしいことになってるのよ」
         信子は、俺に言った。
   「組長には、息子が一人いるのよ。それは、あなたもよく知ってる筈よ、雅人くん」
   「ああ」
    俺は、頷いた。
   あいつのことなら、嫌というほどよく知ってるよ。
   信子は、続けた。
   「その息子が、この子の命を狙ってるのよ」
   「西条が?」
   俺がきくと、信子は、言った。
   「あのガキ、半ぐれ連中を使って、佑を殺そうとしたのよ。だから、あたしは、仕方なく、この刈谷の家に帰ることにしたのよ。ここなら、奴も、気安く手を出せないから」
    「マジかよ」
    俺は、信子に言った。
   「でも、俺と刈谷は、今度、じいさんの命令で刈谷の二番目の兄貴の家へ引っ越すことになてるんだけど。俺たちが引っ越した後は、あんたたち、どうするんだよ?」
   「それは・・」
   信子は、俯いた。
   「なるようになるとしか、言えないわね」
   「ここを出ていくのか?」
    俺がきくと、信子は、薄く微笑んで言った。
   「仕方がないわ。どうせ、勘当された身だし、今さら、庇護下に置いてくれなんて言えないもの。あんたたちが出ていったら、あたしたちは、ここを出て、どこか、遠くの街にでも行くわ」
    「マジで」
   俺は、少し、考えていた。
   どうすれば、この親子を救えるのか。
   俺は、言った。
   「俺に考えがある」
       俺は、自分の部屋へ戻ると、スマホに登録されている啓介の電話番号に電話した。
   俺が望んで登録したわけじゃない。
   奴が勝手に俺のスマホに登録してたんだ。
  2~3度、コール音がして、奴が電話に出た。
   『なんだ?雅人』
    「頼みがあるんだ」
     俺は、頼みたいことを啓介に話した。すると、奴は、俺の話をきいて言った。
    『高くつくぞ』
     「わかってるよ」
    俺が答えると、啓介は、言った。
   『だが、お前に手出しすると、駿がうるさいからな』
    この前。
   刈谷の前で、こいつに抱かれてしまったとき、後で、刈谷がこいつに殴りかかるということがあった。
    俺的には、殴られてしまえば良かったのに、と思ったのだが、あの初老の執事に邪魔されて、結局、刈谷は、こいつを一発も殴れなかった。
   「刈谷のことは、俺が、なんとかする」
   俺は、言った。
   「だから」
    『わかった。きちんと、根回しはしてやる』
   啓介は、言った。
   『その代わり』
    「わかってるよ」
    俺が言うと、啓介は、嬉しそうに言った。
    『お前が引っ越してくるのが、楽しみだよ、雅人』
    「そうかよ」
    俺は、固い声で言った。
    「そんなことより、頼んだぞ」
    『ああ、任せておけ』
    通話を切った後、俺は、ため息をついた。
    俺は、もしかしたら、魂を売ることになるのかもしれない。
    いや。
   もっと悪いことになるのかも。
   だが、背に腹は、変えられないのだ。
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