人違いです。

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学びの庭にて

46.

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「『魔力増幅薬』の大量摂取による副作用だろう。あとは過度の睡眠不足に疲労」


 救護室の寝具に力なく横たわったレーネの顔は既に蒼白で、目元には薄暗い隈がくっきりと浮かんでしまっている。最近はずっと、寝る間も惜しんで何かに没頭しているようだったから、きっとそのせいだろう。ノアは、もっとしっかり苦言を呈するべきだったと唇を噛み締める。
 目の前で高層階の部屋から飛び降りたレーネに、ノアはまた一つ彼に関するトラウマが増えていた。

 レーネの周囲に集まった彼の部下の騎士たちが涙を流して心配しているのを、なんとも言えない気持ちで見つめる。思えば、副隊長である女性騎士以外の騎士たちも、闘技大会に向けての会議に出席していた。そして、同じように救護室で手当てを受ける第3王子の元へは、誰も見向きもしない。
 これがただの偶然で起きた事件なのだと結論付けられる程、ノアは愚かではない。恐らく彼等とリーベ先輩は、ロバル・フィオーレを輪姦するという計画に関しては、組んでいた。ーーそして、その先にある目的で、軍杯はリーベ先輩に上がったのだろう。空き教室で見た彼の顔が物語っていた。


「大丈夫か」
「ッッ」


 1人孤独に椅子に座って救護委員会所属の生徒の手当てを受けていた不機嫌そうな第3王子は、ノアの低い声にビクリと身体を震わせる。近付くと、救護委員はこれ幸いとばかりに手当て道具をノアに押し付けて、颯爽と救護室を出ていってしまった。
 本来、鈍色の生徒はこうして救護室で手当てを受ける権利すらもない。王子というだけでここにいることが気に入らないのだろう。正直、連れてきた本人であるノアも、委員長の不興を買いそうで今更後悔し始めていた。

 まぁ、それはさておき。
 沢山殴打されたのだろう、彼の白磁のような美しい肌は、青紫の痣で腫れ上がってしまっていた。痛み止めの薬液を塗って湿布を貼っているが、適当極まるその貼り方では大した効果は得られないだろう。ノアは威圧感を与えないように彼の目の前にしゃがみ込み、下から彼の薄紫の瞳を見上げた。


「初めまして。俺はレーネの同室者で友人の、ノア・シトリンだ。手当て、やり直してもいいか。触れることにはなっちまうが……」
「……」
「怖いか?」
「ーーはア?このボクが、お、お前みたいな雑兵如き怖がるわけ、……フンッ、い、いいよ、許す」


 じわ、と滲み出す瞳を揺らして精一杯強がる王子に苦笑が漏れる。許可を得てゆっくりと頬に手を近づけると、彼はビクッと身体を震わせはするものの、仰け反ったり泣き叫んだりはしなかった。ーー人の上に立つ人間としての、最低限の矜持はあるのだろう。
 温めた布で髪や腹に残っているを拭いてやり、湿布を貼り直していく。上半身を拭き終わったら、救護室に常備されている制服の替えを渡してやり(癒者に死ぬ程嫌な顔をされたが無視した)、次いで下半身にうつる。太腿を拭き始めると、王子はまたもや恐怖に身を強張らせた。


「……嫌な所に触れて悪い。アンタ王族は自分の身体とか自分であんまり拭いたことねぇだろうと思ってな。自分でやるか?」
「……うん」
「分かった。これは肛門の傷口に塗れ。後はーー」

「お前、ボクの何?……あぁ、何か欲しいものでもあるの?」


 ノアは、彼の言葉の意味が分からず、思わず首を傾げた。何故ここで急に欲しいものの話が出てくるのか。強いていうなら質のいい卵が欲しい、と答えたノアに、第3王子はポカンと口を開けて首を傾げた。2人で首を傾げて固まっている様子はさぞ奇妙だろう。癒者が怪訝な様子で此方を見ている。
 そうじゃなくて、爵位とか、陛下への口聞きとか、と呟く第3王子に漸く合点が行った。

『ノアはさ、なんで俺にそんな親切にしてくれるの』

 その姿が、いつの日か冗談まじりに、でも少しの期待を寄せてそう聞いてきたレーネと重なる。この王子もまた、フィオーレ王国という歴史が生んだ被害者なのかもしれない。全てが自分の思い通りに動くが故に、与えられる優しさや愛を、自分が持つ権力へのそれだとしか思えなくなってしまったのだろうか。ーーだからこそ、同じ階級に位置するルキナ殿下を、信じて好いていたのだろうか。

 ノアは、真っ直ぐに第3王子の目を見つめる。彼の目が不安に揺れるのを見て、凛とした声で告げる。


「俺は、自分の実力で地位は手に入れる。アンタの手助けは要らない。俺がアンタを心配するのは、レーネがアンタを常に想っているからだ」
「……でもアイツは、ボクを恨んでるはずだよ」
「いいや、恨んでいない。それどころか、アンタのすること全てを肯定して、壊れていくばかりだ。レーネは俺にも、お前への忠誠を違えるような言葉を吐いたことはない」


 どうか、レーネの忠誠をこの王子にわかって欲しくて、夢中で言葉を紡ぐ。いつの間にか第3部隊の騎士たちは退出していて、この部屋には部屋の主人と俺達だけになっていた。本当に、露骨に忠誠心がない。真逆主人への挨拶すらないとは。

 レーネが眠る寝具へと視線を移し、また第3王子を見上げる。彼も、レーネの方をぼんやりと見つめていた。
 第3王子とレーネの関係が改善すれば、レーネも、自らの心を回復に向かわせようと思えるのではないかと、信じている。それはノアでも、サファイア教授でも、第3部隊の彼等にでも出来ないことだ。ーーあぁ、羨ましい。
 

「レーネの友として、俺はアンタが許せねぇ。アンタのせいでレーネは沢山傷付いて、壊れて、幸福を諦めてる。でも、どれだけ俺たちが心を尽くしても、レーネには届かないんだ。ーーなぁ、もっと、彼奴に目を向けてやれねぇか」


 頭を下げる。癒者が慌てたように「おい、」と止めに入るのを無視して、下げ続ける。
 この少年が変わってくれれば。更生して、少しでもマトモになってくれれば。そんな気持ちで、敵国の王子にノアは頭を下げた。

 頭上から、大きく息を吸い、小さく吐く音が聞こえる。そして、鈴を転がしたような、歳にしては少し高めの声が響いた。


「ーーーーー分かった。このボクに礼儀を弁えた行動を示した褒美として、その願い、受け入れてあげる」
「ほんとか、」
「だけど!!!」


 顔を上げ、叫ぶように声を震わせた少年を見上げる。何故か顔を真っ赤にした第3王子と目が合った。彼は、四方八方へと視線を動かし、そして覚悟を決めたように俺をまっすぐ見下ろして、唇を尖らせた。


「……お、お前もボクの友人になること!!それが条件だよ!!!」


 鈍色の少年の傲慢な言い草に、癒者が憤慨したように立ち上がるのが面倒で、適当に火魔法で気絶させ、俺は彼を安心させるように微笑んだ。途端、期待に染まるその純粋さが可愛らしい。


「俺はお前の過去の所業を赦さないし、認めない」
「ッッ」
「だけど、お前がこれから変わるのなら。俺はお前を助けるし、信じる。ーー友人になろう、ロバル」


 第3王子がどれだけの悍ましい罪を重ねていたとしても、あくまで第三者ヘイデル国民である俺は、彼を恨んで咎める権利を持たない。だからこそ、できることをしよう。フィオーレ国民には出来ない、第三者だからこそ許される事をしよう。

 これがきっと、俺に神が与えたもうた使命なのだ。


「まずは、理事長に謝罪だな」
「う"……」
「付いてってやるから。ーーこれから、頑張ろうな」
「……うん」













「……戯言だヨネ~。今更変わったって、どう受け入れろって言うのかナ」
「「もう遅い。赦さない」」


 低く呟いたユズと双子の言葉に、アリア達は小さく頷く。殿下に挨拶もなしに救護室を出た彼等は、気配を消して室内での会話を盗み聞きしていた。
 
 あの場で、本当に犯されてしまえば良かったのだ。同じような目にあった国民達と同じ屈辱を味わえば良かったのだ。そして、絶望の果てに死んでくれれば良かったのだ。死んでさえくれれば、まだこの気持ちにも整理がつく。その結果停戦協定やら何やらがどうなろうと、どうでもいい。フィオーレ王国から、大切な人を皆連れて逃げてしまえばいい。

 殿下の茶器に傷を付けて、皆の目の前で見せしめとして輪姦された侍女は、誰のとも知れぬ子を孕んで自殺した。隊長の身を案じて王に進言した騎士は性奴に堕とされた。民にも優しかった隊長を慕って、往来で花冠を渡した平民の少年少女は、殿下の命令で隊長に首を斬られて死んだ。隊長が泣き叫んで赦しを乞う声が、今でもアリア達の耳にこびり付いている。
 あんな恐ろしい出来事の数々が、たった一回の強姦未遂で赦されるというのか。ーーそんな訳がない。彼が虐げた人間全員分の被害を受けても尚、赦されない。

 アリアは溢れ出す醜い感情を噛み締めて、俯く。ノア・シトリンの言葉は、アリア達被害者にはどうしたって届かない。
 どれ程沢山の人間が今もなおフィオーレ王国で苦しんでいるだろう。平民は王族の玩具と化し、好き勝手に命や尊厳を弄ばれ、毎日毎日怯えるように過ごしているのに。
 国に残してきた妻が、今も無事かどうかなんて、アリアにはわからないのだ。

 国民達の憎悪は消えない。悪辣な王族の血が死に絶えるまで、消えることはない。2が唯一の救いではあるが、彼もまた命を狙われて今日も明日もわからぬ毎日をすごしている。


「……だけど、ここで殿下と隊長の中が良くなることで、隊長にフィオーレ王国への反感を育てられるかも……」
「「どうせあと2年半で他人。踏み台にすればいい」」


 ナヨンの言葉に、シャルとシャロンが同調するように頷く。確かに、卒業後はフィオーレ王国に帰らずに後宮入りする手筈となっている第3王子が更生すれば、本国に戻った際に、隊長が他の王族に再度不満と疑念を抱くきっかけになるかもしれない。
 希望的観測に過ぎないが、今はそれを信じる他ないだろう。ーー根本的な隊長の心の歪みは、変わらないけれど。隊長の受けた傷は、消えないけれど。

 アリアは隊員達を見回し、厳かに告げる。


「どんなに隊長が持ち直そうとも、私達だけは隊長が受けた仕打ちを忘れてはいけないわ。誰が彼を赦そうと、私達は、殿下を恨んで恨んで恨んで恨み続けるのよ。をしても、絶対に殿下を赦さない存在がいることを、彼は思い知らなければならないわ」
「「「了解」」」


 皆、考えは同じだ。
 思い知れ。どれ程反省しても後悔しても、それでも償い切れない事をしてきたのだと思い知れ。


私達の第3部隊の幸せな未来に、ロバル・フィオーレは必要ない」


 最後に隊長を幸せにするのは私達よ。
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