人違いです。

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学びの庭にて

58. (※)

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 目が覚めると、横に王様が寝ていました。




 「………………なんで?」


 思いのほか掠れた声が出た。何度か咳払いで喉の調子を整え、もう一度真横に寝そべっている王様を見つめる。

 王様は、大人2人が寝そべるのに十分な大きさの寝具を贅沢に使い、微かな寝息を立てている。相手に鮮烈な印象を与える金の瞳は今は閉じられ、漆黒の長い睫毛に隠れてしまっていた。目元に刻まれた歳相応の皺は、彼の容姿を全く損なうことなく、むしろある種の色気すら見出させるような荘厳さを備えている。……まぁ顔がいい。

 とはいえ、が近くにいるのに、こんなに無防備に眠っているのは王としてどうなのだろう。それも考えられない位、公務を終えて闘技大会にやって来て、俺の面倒も見させられて、疲れが溜まっているのだろうか。
 ゆっくり休むことができるというのはいい事だ。彼との魔法契約は今だ健在なので、手も出せないし。

 王様から目を離し、上掛けを退かしてガウンの前を開く。案の定、イリアス殿下に切りつけられてグロテスクな状態になっていた腹部にも、抉られた太腿にも、丁寧な手当が施されていた。恐らくマーヴィン殿だろう。


「……お礼を言わないと」
「誰にだ」


 ボソリと呟いた俺の独り言への低い返事に、俺は包帯から目を外す。いつの間にか起きていたらしい王様が、美しい金色の目を睫毛から覗かせて此方を見つめていた。
 俺が黙ったまま見返すと、彼は寝そべった状態から肘をついて腰だけ起こす。


「手当て、ありがとうございます。此処は?」
「私に宛てがわれた部屋の寝室だ」
「へぇ。無駄に豪華ですね」
「……はぁ……」


 よっこらせ、と副音声がつきそうな程気怠そうに身体を持ち上げた王様が呆れたように溜息をつき、苦笑する。そして、彼は寝具から降りるとこれまた無駄に豪奢な座椅子に腰掛けた。ガウンの隙間から覗く立派な胸筋が無駄にエロい。俺は何となく見てはいけないものを見たような気分になって、思わず目を逸らした。
 その様子を見ていた王様が、何処か愉しそうにニヤつく。

 王様のその表情に反抗して、いい方向に進んだ試しがない。いい加減学んだ俺は、見ないふりをして寝具の横に備え付けられた机から水差しをとり、カップに注いだ。こくりと1口冷たいそれを飲み込み、ほう、と息をつく。


「……記憶は?」
「別に腹と足刺されたくらいで記憶障害になりません。寧ろより短かったくらいなので。闘技大会中で良かったです。お恥ずかしい所をお見せしました」
「『王様』とは呼ばないのか?」


 ーーはい?

 これぞ愉悦とばかりにニヤニヤ嗤う王様の言葉に、カップの水面をぼんやりと見つめていた俺は、慌てて顔を上げる。なんで心の内では王様なんて適当に呼んでいることを知ってるんだ。「なんで」と思わず呟くと、彼は殊更ニヤニヤといやらしい笑みを深めた。


「忘れたか?――『王様、もう辛いです、助けてください』と言って私に縋りついてきただろう」
「はい!!絶対嘘!!!助けて下さいなんて言ってません~~~!!!残念でしたァ~~~!!!」
「――あんなに嬉しそうにしてたのにか?」


 唐突に、王様の声から揶揄いの色が消えたのを敏感に感じ取り、俺は眉を顰める。そして、嘲笑した。

 『嬉しそう』だって?話の文脈的に、大方王様の方から意識朦朧とした俺に助けてやろうかとでも言ったのだろう。それに、嬉しそうに笑った?――馬鹿馬鹿しい。その嘘は不愉快だ。
 仄かな苛立ちを込めて王様を睨みあげる。俺は、敵国の王に無様に救いを求める様な下郎にはならない。


「……きっとそれは勘違いですね。もう少し人の感情の機微をうまく感じ取れるように訓練してはいかがでしょう。そうすればも少しその鉄仮面も緩むんじゃないですか」
「…………口が回るようになったな」


 そうだろうか。確かに、王城にて王様と2人きりでいる時は、些細な会話から情報を抜き取られないよう常に警戒していたから、あまり余計な事は喋っていなかったかもしれない。とはいえ、元来無口な質ではないので、慣れればこんなものだと思う。通信魔具で夜な夜な話をすることが増えてからは、特に。
 俺の嫌みをさらっと流して溜息を吐いた王様。これ以上何を言っても無駄だと察したのだろう。疲れた様に眉間に手を当て、目を閉じた。

 俺は自分で突き刺した太腿を摩る。
 恐らく既に晩餐会は終わりを迎えたのだろう。あれ程雲もなく晴れていた窓の外は、今やどっぷりと闇に包まれている。晩餐会には王様やツヴァイ騎士団長、それにイリアス殿下も参加しただろうから、生徒たちはさぞ盛り上がったに違いない。……その場で、俺の帰国も伝えられたのだろう。
 

「晩餐会はいかがでしたか?」
「第1王子によってお前の帰国が大々的に発表されたな。……結局、部下に伝えていなかったのか。半狂乱になっていたぞ」


 それはそれは、殿下が大いに楽しんだのだろうな。自分以外の人間の不幸な顔が大好きなお人だから。
 王様が言うには、俺の可愛い部下たちはその場で半狂乱になりはしたが、幸いにも殿下を襲うようなことはなかったらしい。彼らの張り詰めた殺気で数十人の生徒が失神する騒ぎにはなったものの、殺人事件にまで発展することはなかったと。
 思わず安堵の息を吐く俺を、王様が胡乱げに見つめる。いや、殿下に剣を向けなかっただけで十分だ。

 もっと、早く伝えられたら良かったのだけれど。口に出せば、自分が本当に1人っきりになってしまうのだと再認識してしまいそうで、それが辛かったのだ。
 今までだってイリアス殿下やロバル様の仕置きを何とか耐え抜いてきたのは、帰る場所第3部隊があったからだ。それがなくなったら――今度こそ、壊れてしまう。
 イリアス殿下の狙いは、間違いなくそこにあるのだろう。俺の心を完膚なきまでに叩きのめして、自分の意のままに動く傀儡にするのだ。

 胃を遡るように込み上げてくる不安に、唇を噛み締めて俯く。すると、王様が悠然とした足取りで俺の傍にやって来ると、寝具に姿勢よく腰掛けた。そして、その威厳ある容姿からは想像もつかない程柔らかい手付きで俺の頭を撫でる。
 厳格だが俺の頭を撫でるのが好きだった父を思わせるその手付きに、少し力が抜けた。いつの間にかガウンの裾を握りしめていた俺の手に、王様が自分の手を重ねる。


「私はレーネを絶対に諦めんぞ。地の果てまで追いかけて捕まえる」
「……」
「革命如きで死ねると思うな」
「ふ、ふふ、生かせるものなら生かして見せて下さいよ」


 どう足掻いても死ぬ未来しか見えていないのに、どうしてノアも王様も俺の未来を探すのだろう。夜闇の森の中をまさぐるように不確かな未来を、どうしてあると信じることができるのか。
 俺は、とうに諦めてしまった。陛下やイリアス殿下、騎士団長の、王国の崩壊への道を正すことに疲れて、追従する道を選んだ。

 王様を見ていると、そんな自分が惨めになる。国民を捨てて保身を選んだ自分を、今すぐ隠してしまいたくなる。
 目を伏せて震える俺の両頬に手を添え、顔を上げさせた王様に慌てて抵抗しようとするが、優しいそれとは反対にかなり強い力に、全く手を離させることができない。
 ぎりぎりと歯を食い縛って何度か挑戦したのち、せめてもの反発に苛立ちを込めて睨みあげれば、彼は存外真剣な表情で俺を見つめていた。

 ともすれば呑み込まれてしまいそうな鮮烈な金が、俺を指す。ごくり、と思わず息を飲み込んだ。


「私は、戦争の為に何人もの国民を殺してきた」
「ーー」
「私は、自分に反逆の意思を持つ人間を悉く殺してきた。これは、お前にとって罪か」
「いいえ、陛下はそれをすべき人間です。罪ではない」


 俺の陛下だって、過激なだけで同じことをしているのだから。真っ直ぐ彼の目を見上げて宣言すると、彼は何故か少し悲しそうな顔をした。


「私は、罪だと思っている。しかし、それは、王として背負わねばならない罪だ。逃げることは出来ない。逃げはしない。レーネ、お前も同じ罪を背負っていくのだろう」


 そう。俺は陛下の道具として、革命の中で沢山の人を殺す、赦されざる民殺しの罪を背負う。きっと、革命の最後に、俺は愛する王都を罪人として引き摺りまわされて、愛する国民から石を投げられて、無惨に殺されるのだろう。捕らえられた陛下や殿下には役立たずと罵られ、国民からは裏切り者と罵られ、一人ぼっちで。

【死ね】【死ね】【赦さない】【償え】【死んで償え】

 ……第3部隊の皆が、そうならないのなら良いさ。ただ俺に巻き込まれただけの彼らは、どうか幸せに生きてくれ。

 目を逸らすことなく頷いた俺の頬を両手で摩り、王様は額を俺のそれに当てた。そして、目を閉じる。


「怖いな」
「――――ぇ」
「死ぬのは怖いな」
「……陛下でも、怖いのですか」
「あぁ。恐ろしくて堪らない。死にたくない。永遠に生きていたい」


 自分の死期を想像しているのだろうか。彼の両手は心なしか、細かく震えているように感じた。顔が近すぎて表情を伺うことこそ出来ないが、きっと、いつもの冷静沈着な王の姿ではないのだろう。
 彼の震えが大きくなったのを感じた俺は、気付けば自分の手を彼の両頬へと同じように添えていた。王様が目を見開くのが何となく感触で伝わってくる。

 死ぬ覚悟はある。避けようのない事実として認識している。――だけど。

 込み上げてくる圧倒的な恐怖と喪失感を抑えることが、出来ない。


「俺も――――おれもッッ、死ぬのは……怖いですッッ」
「レーネ、」
「でもっ、でもッッ、死ぬんですッおれ、死ぬんです…どうしても…!」


 恐ろしい。死んだら、俺という人間の心は何処に行くのか。今こうして考え思考し、感じている心はどうなってしまうのか。神のもとへ魔力となって還る時、レーネ・フォーサイスは火が消える様に全てを失ってしまうのか。

 だけど、逃げるわけには行かない。全てを捨てて逃げるなんて無責任なことだけは、してはいけない。
 だって俺は、フィオーレ王国に選ばれた騎士だから。語り継がれていく歴史に、安寧に逃げた騎士として汚点を残す訳にはいかないから。
 
 ――だから。


「褒め、褒めてください」
「……」
「俺が死んだら、死んだって、報せが入ったらッッ……名前を呼んでくださいッ、良くやったって、頑張ったって、

 ――素晴らしい騎士だってッ―――ん、ッ」


 認めて欲しい。

 初めて口にした弱音と共に無様に零れ落ちる涙が、王様の両手を濡らしていく。垂れてくる鼻水を卑しくズビッと啜るが、王様は嫌な顔1つすることなく俺により一層顔を近づける。
 そして、そっと重なった唇の感触に、何故か酷く安堵を覚えた。


「ん、…ん、ぅ、ん」
「……は、」


 王様がゆっくりと俺の方へ体重を掛け、力の入り切らない俺の身体はボスリと寝具に沈んだ。俺の上に重なるように寝そべりながら無数に優しく口付けを重ねる王様に、徐々に息が荒くなっていく。
 初めて彼に無理矢理された時よりも、随分と浅くて甘やかなそれに、張り詰めた思考が蕩けて解けていく。
 

「――は、…誓おう。一国の王として、フィオーレ王国の忠義の騎士の名を、語り継いでいこう」


 未来にお前の名前が、『大罪人』として語り継がれることがないように。


 そう耳元で囁いた王様。こんなに優しい声で喋れるんだなぁ、この人。なんて、ぼんやりと考えながら。


「ーーーーーー」


 俺は、両腕を彼の首へとまわして小さく小さく囁き、柔らかく微笑んだ。








 夜が、明ける。

 
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